駒を動かす
力で勝てる戦いがある。
知恵で勝てる戦いもある。
そして、誰かを見捨てないという意志だけで戦うものもある。
距離が二人の心を少しずつ蝕んでいく中で、周囲の人々はある事実に気付き始めていた。
待つだけでは何も変わらない。
東京では、友人たちが一つの光が消えかけているのを見つめている。
大阪では、一人の少年が気付く。
文字だけでは届かない想いもあるのだと。
大切な人の苦しみを見過ごせなくなった時、人に残される選択肢は一つしかない。
動くことだ。
時には誰かを救うとは、敵を倒すことではない。
その人が沈み切る前に手を伸ばすことなのだから。
盤上の駒は動き始めた。
そして、物語は新たな局面へ進む。
東京・銀座。時刻は同時刻。
銀座タワー最上階で、真比奈と海斗は綾瀬からの守護者会議に関するメッセージを読み返していた。コード10/40、謎めいた少女の家、午後6時。アイコ以外にはありえない。二人はしばらく何も言いたくなかった。海斗は大学入試で良い成績が取れず、両親と激しい喧嘩をして家を追い出され、今は真比奈の家に身を寄せている。
乱れたボブヘアをレイヤーカットにし、髪を白く染めた真比奈は、ため息をついてソファから立ち上がった。高校時代から全く変わっていない海斗は、彼女がオープンキッチンへ向かうのを見送った。真比奈は浅いグラスとニッカウヰスキーのボトルを持って戻ってきた。グラスをコーヒーテーブルに置き、ウイスキーを注いだ。真比奈は1月に18歳になったばかりだった。
「佐藤ちゃん、ゴールデンプリンセスをもっとちゃんと面倒見てあげて」と、彼女は飲み物を一口飲みながら囁いた。「状況はかなり複雑なのよ」
「どうして知ってるんだ?」と海斗は尋ねた。「アイコに会ってからずいぶん経つだろう?」
「田中さん、私がほとんど何でも知っていることを忘れたの?それに、アイコが両親の腕の中で泣いているのを見たわ。空港にいたのを覚えてる?」
マヒナは残りの飲み物を一気に飲み干し、退屈そうな表情でグラスを見つめた。
「ウイスキーなんて臆病者の飲み物よ」と彼女はグラスを回した。「私は臆病者じゃないわ」
「星奈さん」と海斗はため息をつき、立ち上がって彼女の方へ歩み寄った。「今は酔っぱらうのは良くないと思うよ」
マヒナは聞こえていないようで、戸棚から赤ワインのボトルを探し始めた。彼女がボトルを掴もうとする前に、カイトは彼女の手首を掴み、真剣な表情で見つめた。
「冷静にならなきゃ」と彼は言った。「しっかり考えろ。解決策を見つけろ」
マヒナはカイトの目を見つめ、目を細めた。その視線は鋭く、まるでテレパシーで「もう離して」と言っているかのようだった。カイトはごくりと唾を飲み込み、ゆっくりと彼女の手首を離した。マヒナは手首を揉みほぐしたが、結局ボトルを落としてしまった。
「わかったわ」と彼女はぶつぶつ言いながらソファに戻った。「普段ならいくらでも解決策を思いつくのに…ゴールデンプリンセスは違うのよ」
そして彼女は微笑んだ。その微笑みは、彼女の視線とは不釣り合いだった。
「彼女はもうただのゴールデンプリンセスじゃない。何かがおかしい。冷たくて、空虚な感じ。昔のサトウちゃんみたいに」
「違いはね」とカイトは言い返した。「サトウには誰もいなかった。アイコにはいる。今や彼女は学校で一番の人気者だ」
「それが問題になると思うんです。ナオミとサユリがいなくなった今、みんながゴールデンプリンセスの気を引こうと競い合うでしょう。」そして、すでに動揺している友人に、望まない注目が集まるのは絶対に避けたいところです。
― 実は、アイコは佐藤に少し依存してしまっていたんです。でも、彼が現れる前の彼女の姿を私はまだ覚えています。あの頃の彼女を取り戻さなければ…彼女が自分自身を忘れてしまう前に。
― 田中さんの方が彼女と長く付き合っているでしょう。彼女は何をしていたんですか?
カイトは少し考えた。実際、物事に気づくのは良太郎の仕事だったが、彼にもいじめっ子で廊下を恐怖に陥れていた頃の記憶が少し残っていた。
― ミカとアヤセがいつも彼女を六本木のショッピングモールに連れて行っていたのを覚えています。メトロハット。そこで何をしていたのかは、全く分かりません。
― そうですね。マヒナはテーブルに足を乗せながら言った。― 他に何か?
― 彼女はパーティーが好きだったのを覚えています。パジャマパーティーのようなシンプルなパーティーから、とても豪華なパーティーまで。
― わかった…
― それに… ああ、待てよ… あ! 彼女、映画もすごく好きだったんだ。ミカとアヤセが、彼女がいつも同じ映画を見に行こうとするって、何度か文句を言ってたのを覚えてるよ。
マヒナは眉を上げて天井を見上げながら、あれこれ考えているようだった。そしてすぐに、何かいい考えが浮かんだ時にだけ見せる、いたずらっぽい笑みが彼女の顔に広がった。
「ショッピングモール、パーティー、映画…」彼女は唇を舐めながら囁いた。「面白いわね。私たちはゴールデンプリンセスを救うんじゃなくて…連れ戻すのよ」―彼女は微笑みながら首を傾げてカイトを見て言った。
「田中さん、感心しました。素晴らしい情報源でした。」
「お礼にキスしてもらえるかな?」カイトはニヤリと笑い、片方の眉を上げて尋ねた。
「あなたはもっとふさわしいわ」とマヒナはいたずらっぽい笑みを浮かべながら言い返した。
大阪、良太郎のアパート。午後11時。
――愛子を連れ帰らなきゃ。
良太郎は疲れ果てていたが、とても幸せな気分で帰宅した。新しい友人たちはなかなか気さくで、夜を盛り上げる術を知っていた。それに、恋愛のアドバイスも的確だった。しかし、あの写真のイメージがまだ頭から離れなかった。何とかしてそれを消し去らなければ。
歯を磨き終えると、ベッドに胡坐をかいて座り、携帯電話を手に取った。GPSで大阪から六本木までの所要時間を確認すると、2時間40分。彼は大きくため息をついた。長くて、疲れるし、しかも複雑だ。
でも、愛子のためだ。
――うーん……――と彼は言った。――まだ年が明けたばかりだし、試験も課題もない。それに週末は休みだ。9時にここを出て新幹線に乗れば、ほぼ正午には着くだろう。そして…アイコと週末を過ごせる!どうして今まで思いつかなかったんだろう?!
亮太郎はベッドの上に飛び上がり、目を輝かせ、満面の笑みを浮かべた。新幹線のことをすっかり忘れていたのだ!迷うことなくJRアプリを開くと、午前9時に大阪から東京行きの列車があった。完璧だ。迷うことなくチケットを購入し、母親にメッセージを送った。
亮太郎:お母さん!ニュースだよ!
母:やあ、息子!何かニュースは?
亮太郎:今週末、東京に行くんだ!
母:よかったわね!お父さんとママはもう寂しかったわ。
母:でも、毎週行くつもり?
亮太郎:毎週行けるかどうか分からない。たぶん、何日かは家にいなきゃいけないと思う。
亮太郎:特に試験や課題がある週末はね。
母:大切なのはあなたが来てくれることよ。ママもアイコも、すごく嬉しいわ。
母:ところで、彼女と話した?あの古い黒いスウェットシャツを取りに来た時、あまり具合が良さそうじゃなかったわよ。それに、部屋に1時間近くもこもっていたし。
涼太郎はため息をつき、愛子から送られてきた写真を思い出した。髪がパサパサで、目が生気のない彼女の姿が目に焼き付いて離れない。まるで瞳の奥から光が消えてしまったかのようだった。
涼太郎:あのスウェットシャツ、持って行っちゃいけなかったんだ。他の服なら何でもよかったのに。
涼太郎:正直、燃やしてしまえばよかった。まるで呪いがかかっているみたいだ。
母:黒鬼の呪いのことね?大阪に行く前に話してくれたじゃない。
涼太郎:ああ。その呪いが愛子に降りかかったんだと思う。
涼太郎は最後のメッセージを見てため息をついた。カレンダーを見ると、まだ月曜日だった。週末まであと6日。彼はベッドに横になり、愛子の写真をもう一度見つめ、秀隆が気づいた細部に目を留めた。スマホをぎゅっと握りしめ、諦めたようにため息をついた。
「もう少しだけ待ってて…今行くから。」
孤独というものは嘘つきだ。
誰も気付いていない。
誰も心配していない。
自分が消えても何も変わらない。
そう信じ込ませようとする。
だが現実は違う。
愛子が苦しんでいる間にも、多くの人が彼女を想っている。
美香と彩世はすでに動き始めた。
真陽菜と海翔も策を練っている。
美沙緒は娘へ目を向け始めた。
そして――良太郎。
彼はようやく理解した。
立ち止まっていてはいけないのだと。
かつてのブラックゴーストは、全てを一人で抱え込もうとした。
だが今の佐藤良太郎は違う。
支えてくれる人々の存在を知っている。
そして今度は、自分が愛子を支える番だ。
かつて彼女が自分を救ってくれたように。
彼は彼女の元へ向かうだろう。
どれだけ距離があっても。
どれだけ時間がかかっても。
なぜなら、本当に大切な人のためなら、人は立ち止まっていられないのだから。




