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雪の如く露の如く  作者: 千藤時子
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雪の章3

延命寺に登りつくまでの間に、弥次郎(やじろう)はおのれの知ることをとりとめもなく弘世に話した。


三井(みい)の辺りで大きく蛇行する大川は暴れ川で知られており幾度となく氾濫を起こしてきた。

そのせいもあり、この辺りの寺は山の中腹をとり囲むように建っている。

烏帽子岳(えぼしだけ)の南斜面には、延命寺の他にも曹渓寺(そうけいじ)という尼寺があり、どちらにも夫に先立たれた武家の未亡人らが居住している。


「内藤はなぁ…」


弥次郎は嘆息した。

内藤一族は周防の各地にいるが、ここの内藤は先代の時清が鷲頭長弘に心服しきっており、自分の三人の子供ら全てを鷲頭一門と(めあ)わせたのだそうだ。

弥次郎が知るのは子供の頃の彼らだが、長子の藤時は気性の激しい男、次が尼となった娘で、末の盛清は剣の腕はなかなかだったがおっとりした少年だったと懐かしそうに語った。


盛清の姉は、鷲頭の武将との縁組みにあまり乗り気では無かったようで、夫が戦死すると子供がいなかったこともありあっさり嫁ぎ先を去り三井に戻り尼僧となったらしい。


「どのような女人(にょにん)なのだ?」

「さーて、俺もここ十年会ってないからなぁ」


尼寺に逃げるような男の姉だ。

泣きながら命乞いして来ないとも限らない。

おのれの想像でゲンナリした弘世に、場違いな朗らかさで弥次郎が声をかけた。


「さぁて着いた。ここが延命寺だぁ」


弘世が目を向けるとそこには月明かりに照らされる質素な寺があった。

ただ敷地こそ小さいものの、ぐるりと漆喰塀で囲まれており正面はしっかりした門がしつらえられている。

急拵えの堀と板塀で囲まれた弟、盛清の砦よりよほど堅固な(おもむき)だった。


弘世が尼寺を観察している間に、弥次郎が共に登ってきた兵と寺の周囲を見張っておかせた兵らを交代させた。

自分を待つ間に内藤盛清が逃亡していないか尋ねたが、寺は固く閉ざされており一向に人の出入りはないと言う。

延命寺の狭い門前に大内の手勢が次々に集まってくる。


「んー。どうしたもんかね、若様」


呑気な口調で問いかけられ、弘世はスゥ、と息を吸い込んだ。


「内藤盛清よ!聴こえておろう!」


寺に向けて腹から吠えた。

そして一旦、息をついて再び叫んだ。


窮鳥(きゅうちょう)(ふところ)に入れば猟師もこれを殺さずと言う。しかし窮鳥仏門に入るといえども我は討つ!」


延命寺はシンと静まり返っていた。

自ら出て来る様子はない。

懦弱(だじゃく)な奴め。

さりとて尼寺の門を力任せに突き破れば、こちらもそしりを免れることは出来ないだろう。

持久戦には持ち込みたくない。

思案する弘世に後方から伝令が駆け寄った。


「何だ?」

「はっ。この先にある曹渓寺の住持職と名乗る尼殿が、是非とも若にお目にかかりたいと申しております」


密集していた兵士らがざわざわとうごめくと人垣が割れ、小柄な老女が小さく会釈をしこちらに歩きはじめた。

その後ろには背の高い別の尼がいる。


「げっ…」


小さな呟きを弘世の耳が拾うと同時に、その大柄な尼僧が「弥次郎!」と大音声を出した。

あたふたと浮き足だった弥次郎を目指して一直線に飛び出してくる。


「お…伯母上…。お元気そうで…」


険しい顔の初老の尼は物も言わずに、手に持っていた六尺(約180センチメートル)ほどの棒を素早く突き出した。

のけ反る弥次郎の足をすかさず払う。

体勢を崩して倒れたところに続けざまに突きを入れる。


必死の形相で避けた弥次郎が跳ね飛んで距離を取ると「鍛練は怠っておらぬようですね」と無表情のまま静かに告げた。

棒を引くとくるりと回し、トンと音を立てて地面を突く。

そして身を翻すと弘世に深々と頭を下げた。

いつの間にかざわめいていた兵たちが静まっている。


「お初にお目にかかります。これなる日積弥次郎の伯母に御座います。今は俗世の名を捨てておりますので、一如(いちにょ)とお呼び下さりませ」


たった今見せた激しい武技と柔らかな挨拶との落差に弘世が返事も出来ずにいるうちに、一如尼はすっと身を低くし下がって小柄な老尼の後ろに付いた。

その小さな尼僧は一歩進み出ると弘世に白い頭巾の頭を下げた。


「初めてお目もじつかまつります。わたくしは曹渓寺の住持職を預からせて頂いております、妙善(みょうぜん)と申します。大内の若様、弘世殿にお目通り叶いまして光栄に存知ます」


丁寧に挨拶をした後じっと弘世を見つめた妙善は、目尻に細かい皺を寄せ微笑んだ。

一体いくつなのだろう。

不思議な女人だった。

穏やかな妙善に毒気を抜かれそうになったが、弘世は体勢を立て直そうと背筋を伸ばした。


「それで何用だ」


そう問うと妙善の後ろに控えていた一如がこうべを垂れたまま出て来た。


「とりあえず曹渓寺においで下さいませ。皆様お寒う御座いましょうし、焚き火や温かい汁物も用意して御座います。お怪我をされている方に手当てをさせて頂く準備も出来ております」


妙善もこれに添えて申し出る。


「なにぶん山の中の粗末な尼寺でございますので酒肴(しゅこう)などはご用意出来かねますが是非いらせられませ」

「しかし内藤が」

「若様、それがしが身命を賭して盛清めを逃がさぬようここで見張っております」


弘世の言葉に被せるように弥次郎がくちを挟んだ。

妙にきびきびとした弥次郎の話し方に、お前は誰だ、という問いが弘世の口から飛び出しそうになるが、ぐっと耐える。

思案する弘世に「若様」と一如尼が再び呼び掛け、静かに告げた。


「妙善様は…タエ様は本来の鷲頭の血を引く最後の姫様なのです」

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