雪の章2
大内弘世が鷲頭に侵攻を開始したのは、大叔父である鷲頭長弘が没した翌年、正平七年(観応三年 1352年)の二月十九日(ユリウス暦三月六日)のことだった。
都濃郡下上の陶広政の居館から兵を動かし鷲頭の庄に強襲をかけ、二日に渡り激しい戦闘を繰り広げた。
鷲頭の庄の南にある高志垣山に詰めていた鷲頭方の部将の一人、内藤藤時は即座に山を降り参戦した。
弘世が二十日に兵を引くと、鷲頭弘直は内藤藤時に命じ、末武に防柵や堀を作らせ防備を固めたのだった。
諜報のために放った者が持ち帰る報告に、弘世は笑いをこらえるのがやっとだった。
末武の城山に内藤藤時が陣取り、鷲頭への防壁となる。次はいきなり鷲頭の庄まで攻め込むことは出来ないだろう。
そのような報せを受け取ったあるじが何故嬉しそうなのか。
不思議そうな表情の部下が下がると弘世は陶広政を呼び、告げた。
海側から上陸し高志垣城を攻めると。
閏二月十七日(ユリウス暦四月一日)、大内の軍勢は高志垣城を攻め、そして落とした。
弘世はそのまま高志垣山を大川側に下り、鷲頭の庄の後背、言わば裏門を守る新屋河内の内藤盛清の居館と向かい合う場所に布陣した。
開戦は閏二月十九日(ユリウス暦四月三日)のことだった。
空は低く雲がたれ込めていた。
戦慣れした弘世の率いる二千の兵と、不意を突かれた若い内藤盛清の率いる慌てて集めた千五百の兵。
勝敗は火を見るより明らかと思えたが、意外にも内藤の軍勢は粘った。
何故なら背後はすでに大内側が押さえた高志垣山、正面は大川、南は海、北に陣取る大内弘世である。
完全に袋小路の鼠となった盛清らは死に物狂いで抵抗し、新屋河内の戦場は血で赤く染まっていった。
この予想外の膠着状態を打ち破ったのは突然降りだした雨だった。
戦闘継続が困難なほどの激しい雨に、双方が陣屋に戻る。
これを好機ととらえた弘世は手の者を送り出した。
雨音と夜陰に紛れて彼らが内藤の砦に忍び込んでしばらくすると、内側から火の手が上がった。
***
「尼寺に逃げ込んだだと?」
日積弥次郎の報告に弘世は声を荒げた。
「すまん…」
「詳しく話せ」
頭を抱えたままの弥次郎に報告を促す。
弥次郎は大きく嘆息し、のろのろと立ち上がった。
そして弘世を案内しながら経緯を話し始めた。
燃え上がる砦から散り散りに敗走する内藤の兵士のうち、山越えを試みる者の中に大将の盛清がいる、そう踏んだ弥次郎はいち早く追跡をはじめた。
山さえ越えればそこは鷲頭の領地であり、盛清の兄、内藤藤時がいる。
城塞を焼け出された盛清が目指すとすればそこしかない。
ただ、越えるのが容易な高志垣山経由の道はすでに大内の軍が押さえている。
であれば峻険な烏帽子岳がそびえる三井側からの逃亡が考えられるのではないか。
弥次郎が盛清を発見出来たのは偶然ではなかった。
「それでな、新屋河内から烏帽子岳を繋いだ線を探したのよ。これが大当たりと来た。盛清とその乳兄弟の矢野昭房を見つけたのさ」
「間違いはないのか」
「はははっ…」
念を押す弘世に弥次郎は乾いた笑いで答えた。
「俺は子供のころ、伯母がいたこの三井に預けられていたからなぁ。内藤の兄弟たちの顔はわかるのよ」
「そうか」
「そうそう。それでな、指笛で加勢を集めながら追ったんだが、あと少しのところで尼寺に逃げられてなぁ」
「なんと申す寺だ?」
「延命寺って寺でな。盛清の出家した姉君がおられる」
「…は?」
弘世が出した間の抜けた声に、弥次郎は立ち止まり振り返った。
「冗談であろう?」
「いやいや」
弘世の問いに弥次郎が苦笑した。
敗将が寺に逃げることは無いわけではない。
聖域に逃げた者を寺に押し入って引きずり出すことは禁じられていたが、それは逃げ込んだ者が人の世に生きる存在としては死ぬからだ。
武士であることを捨てて僧侶となるという意思表明なのだ。
しかし尼寺に駆け込んだ武士など聞いたことがない。
姉のいる寺となれば間違えて入ったわけでもあるまい。
「とりあえず若が来られるまで逃がさぬように見張りを立ててある」
「…わかった」
恥知らずの豎子めが。
出家した姉の法衣の裾に隠れるとは、武士の風上にもおけぬ。
弘世は山道を上がる足を早めた。




