水曜日の女性
Act.4 水曜日の女性
「智流。
もし、良かったら途中迄一緒に帰らないか?」
放課後、帰宅の支度をしていた智流に秀司が教室まで尋ねて来た。
一斉にクラス中の女子の視線が秀司と智流に集中する。
「成月君、本当に素敵…」とひそひそと話す女子達の声に、秀司が苦笑を漏らす。
秀司の類いない美貌にうっとりと魅入る女子達に、智流は心の中で毒づいた。
「秀司…。
早く帰ろう!」
女子達の異様な視線が堪らなくなった智流は、早々と秀司の腕を掴んで教室を後にした。
校門迄、自分たちに注がれる女生徒達の視線の熱さ…。
その熱の熱さの所為で、空気は既に亜熱帯化している。
このままではこの区間だけではなく、日本中の温度が上がり、今以上に温暖化が進み環境問題迄発展しそうな、と智流は大真面目に悩んでいると、ふと、秀司が智流に声をかけた。
「何を熱心に考えているんだ?」
秀司の穏やかな微笑みに、智流はこの異常事態を何とも思わないのか、と心の中でゴチた。
「お前は何も感じないのか?」
「何を?」
「な、何をって、女生徒達の異常な視線だよ。」
「特に何も感じないけど…?」
「…」
(こ、こいつの神経はどうなっているんだ?
熱烈にアピールをしている女子達の視線を何とも思わないのか?
あ、ああ…。
そうか!
そうだった…。
俺とした事がバカだった。
そうだ、こいつにこういう事を聞く事自体、愚かだった。
秀司自身、濃厚な空気を生み出す男だという事を俺はすっかり忘れていた…。)
はあああ、と深く溜息を零していると、秀司が目を細め微笑んだ。
その麗しい笑顔に更に周りの温度が上がった事は言う迄も無かった…。
「なあ、秀司。
今日は真っ直ぐ、マンションに帰るのか?」
智流の問いに秀司が微笑みながら返答する。
「今日は駅で落ち合う事になっているんだ…」
そう語る秀司の瞳が熱を含んでいる。
「あ、今日は紀子さんとデートか」
「そうだよ。
でも紀子さんとデートとなると色々、問題があってね。」
「…解る気がする」
「僕はね、智流。
あの人の側にいていいのか、たまに思い悩む時がある…」と言葉を紡いでいると背後から秀司達を呼ぶ声に、智流は顔を顰めた。
「ねえ、一緒に帰らない?
成月君♪」
「香坂さん。
今日は予定があるので、お断りさせて頂いても構わないだろうか?」
「…また、例の女性?
月曜日と火曜日のどちらと会うの?」
紗英の問いに少し困惑気味に微笑む秀司を見かねた智流が紗英に声をかけた。
「いい加減、秀司の事は諦めたらどうなんだ?」
智流の言葉が癪に触った紗英が智流に突っかかる。
「成月君の事、私、諦めてはいないんだから、あんたはほっといて!
関係ないでしょう、あんたには」
紗英の言葉に、智流は溜息を含んだ声で話しかける。
「香坂さん。
秀司の事が本当に好きだったら、秀司の重荷になる様な事はしない方が懸命だと思うけど」
「な、何が言いたいのよ、あんた!
わ、私の態度に成月君が迷惑がっていると思っているの?
この学園一の美少女が、成月君に好意を抱いているのよ。
嫌がる訳、無いでしょう?」
自意識過剰な迄の紗英の発言に、呆れるのを通り越して、一種の感動を智流は感じてしまった。
(ああ、ここ迄自分に対して自信が持てる事も一種の才能だよな。
全く、天晴としか言えないな。)
と智流が心の中で呟いていると、何時の間にか駅に着いた。
秀司が紀子と待ち合わせていると言う噴水のある場所迄行くに連れて、何やら、また亜熱帯化とした空気が伝わって来る。
この異常事態に智流はまた、深く溜息を零した。
「紀子さん…」
秀司の呼ぶ声に反応した紀子が、弾んだ声で応える。
「秀司さん!」
目を潤ませながら囲む女性陣たちを退かせ紀子は、秀司の元へ向って行く。
紀子に熱烈なアピールをしていた女性達が嫉妬を含んだ目で秀司を見つめる。
そう、まるで恋敵の様に…。
「遅くなってすみません、紀子さん」
秀司の謝罪の言葉に、紀子が頬を染め頚を振る。
「いいえ。
私の方こそ、秀司さんにここ迄来て頂いて、申し訳ないと思っています。」
秀司に声をかける紀子を訝しげに見つめる紗英の視線に気付いた紀子が、にっこりと微笑む。
その微笑みに紗英の心は一瞬にして鷲掴みにされた。
ドキドキとトキめく心をどうにか鎮めながら隣にいる智流の制服の袖を掴む。
「ね、ねえ、あの女性は誰…?」
紗英の声が心無しか、熱を含んでいる事に気付いた智流が今日、何度目かの嘆息を漏らしながら応える。
「ああ、あの女性は宮野紀子さんと言って、秀司の婚約者の一人だよ。」
「…なんて素敵な女性なの!」
目をとろんとさせうっとりと呟く紗英に、智流はここにまた紀子のフェロモンに毒された被害者が出た、と深く息を吐いた。
「紀子さん。
今から何処に行きましょうか?」
と穏やかに微笑みながら紀子に問う秀司に、紀子が甘く微笑みながら秀司の腕に絡ませ、誘導する。
「私、秀司さんとこうして歩きながら色々と見たいんです…」
「紀子さん」
「さあ、行きましょう!」
と少しハスキーな声で子供の様にはしゃぐ紀子の表情を見て、秀司が花の様に微笑んだ。
「済まない、智流。
僕たちはここで別れるが構わないだろうか?」と言う秀司に智流は苦笑いをしながら手を振る。
取り残された智流はその後、紗英に捕まり、カフェにてずっと紀子について延々と尋問されたのであった…。
「…僕とこんな風に歩いて紀子さんはイヤではないですか?」
急な秀司の問いに、紀子は目を丸くする。
「どうしてそんな事を?」
「僕が貴女よりも身長が低いから…」と普段の秀司とは思えない言葉に、紀子がくすり、と笑った。
「秀司さんがそんな事に思い悩んでいたとは意外でした。」
「そうですか?
僕も男なので、愛する女性よりも身長が低い事に、多少なりのコンプレックスがあります。」
「でしたら、私も秀司さんと同じです。
貴方よりも身長が高くって、女性らしく無いハスキーな声に、身体だって真季子の様に豊満で女性らしい体つきではない。」
「そんな事は関係ない…」
「私も関係ないです、秀司さん。
好きな人がどんな姿でも。
それよりも私達の年齢差を考えると、どうなんでしょうか…。
私は、普通、秀司さんから愛を捧げられる対象ではないのでは?」
「それこそ関係ない!」
紀子の腕を掴み、強く紀子を抱きしめる。
公衆の面前でなりふり構わず抱擁する秀司に紀子は顔を真っ赤にさせ慌てふためく。
「しゅ、秀司さん!」
「僕が何故、こんなに心が弱くなるかお判りですか?
貴女が異性だけではなく同性をも魅了する程、魅惑的な方だから、僕では貴女には相応しく無いかと思うんです。」
「秀司さん…」
紀子が秀司の目線にあわせ、身体を屈ます。
「貴方が誰よりも好きです、紀子さん。」
啄む様にキスをする秀司に応える様に紀子も秀司の唇を啄みだす。
だんだんと深くなる口づけを繰り返しながら、秀司が紀子の耳元で囁いた。
「ここでは、貴女の全てを奪う事が出来ない…」
と真摯な声で求める秀司に、紀子が頬を染め抱きしめながら返事した。
「私も貴方の全てが欲しい…」
異様な程の熱愛ぶりを見せつける秀司と紀子を見つめるギャラリー達は皆、見てはいけないモノを見た…、と毒づきながら去って行く。
「早く行きましょう」と紀子の肩を抱き、秀司はマンションへと向った…。
「ねえ、秀司さん?」
甘く絡む紀子に秀司が、紀子の唇に軽くキスを落とす。
「紀子さん。
僕が今、どれだけ幸せか、お判りになりますか?」
艶やかな瞳で見つめる秀司に、紀子が秀司の肩に頭を寄せる。
「私も今、どれだけ幸せか、判りますか?」
「紀子さん?」
「私を今迄、女として見つめてくれたのが、涼司さんと貴方だけだった。
中性的な顔にハスキーな声、そしてスレンダーな身体に私は何時もコンプレックスを抱いていた。
こんな姿では到底、涼司さんに相応しく無い、と。
婚約者として、あの方の恥になるって。
だけど、涼司さんはいつも微笑んで私に言ってくれた。
「紀子ちゃんは僕にとって最高のレディだ」、と。
その言葉が私、とても、嬉しかった。
でも、それ以上に私は秀司さん、貴方の愛に心が奪われたわ。」
「…」
「私を一人の女性として愛して、そして溢れる程の愛を与えられて。
こうして貴方と一つになる悦びを、どう伝えたらいいの?
私、今、とても幸せです…。
貴方が私を愛してくれるから。」
頬を染め俯きながら囁く紀子に、秀司の心の中に紀子に対する愛おしさで満ちあふれる。
紀子の身体をシーツに纏わせ、強引に唇を奪う。
「愛している。
貴女は僕にとって誰よりも素晴らしい女性だ。
だから、これから先、僕の事だけを見つめ愛して欲しい。
祖父ではなく、僕だけを…!」
涼司に対する嫉妬を含んだ言葉に、紀子がふわりと微笑み秀司の唇を奪った。
「貴方だけが好き…。
愛しています、秀司さん。」
その後、秀司に深く愛された紀子は、それ以上の言葉を紡ぐ事がなかった…。