第9章:決意と改革の一歩
アルヴィンが保護されたという知らせから数日が経過した。未だ意識は戻らないが、命に別状はない。彼の無事が確認されたことで、暁の会には静かな安堵が広がった。しかし同時に、裏切り者の存在という影もまた、薄れずに残っていた。
「“敵”は、こちらの動きに常に先手を打ってきている」
資料の山に囲まれた研究棟の一角で、エレノアは小声で呟いた。
「つまり、情報を管理するだけでは不十分。こちらから先に“動き”、既成事実を作る必要があるわ」
リディアがすぐに頷いた。
「“改革案”、実行に移されるのですね」
「ええ。まずは魔法学園内で、平民向けの“公開講義”を実施するわ。魔導知識は、貴族だけの特権ではないと示す第一歩よ」
それは、大きな挑戦だった。
学園では平民の入学こそ許されていたが、彼らは徹底的に区分けされ、上級理論や高位魔法に触れる機会はなかった。それを“解放”するというのは、貴族制度の根幹に触れる提案である。
だが、エレノアはすでに決めていた。これは戦いではない。改革なのだと。
* * *
数日後。第一回「魔導公開講義」の日。
学園の講堂には、平民出身の学生たちが集まっていた。皆、訝しげな表情を浮かべていた。まさか、悪名高き“エレノア・グランツ”が自ら講師として登壇するなど、誰も予想していなかったのだ。
壇上に立ったエレノアは、深呼吸を一つし、そして静かに語り始めた。
「今日、皆さんにお見せするのは“魔法”ではありません。“魔法の原理”です。誰もが理解し、使い、そして変えられる力。その可能性を信じているから、私はここに立っています」
手元の魔導盤に触れると、空中に展開された魔法陣が幾何学的な構造へと変化する。
「これは“再構成魔法式”の基本原理です。属性を固定せず、術者の意志によって組み替える手法。難しい理論ではありますが、前提となる知識さえあれば、決して不可能ではありません」
沈黙が広がる。だがそれは、理解できないというより、あまりの衝撃に言葉を失っているようだった。
やがて、一人の少年が手を挙げた。
「……エレノア様。それを使えば、僕たちも“貴族に並ぶ魔法”を使えるようになるんですか?」
エレノアは迷いなく答えた。
「“なる”のではなく、“すでに可能”です。あとは知識と意志を得るだけ。魔法は、血ではなく、理によって支配されるのです」
その言葉に、会場の空気が少しずつ変わっていった。
(これが、最初の一歩)
彼女の心に、確かな手応えが芽生えていた。
* * *
その夜、リディアが部屋に訪れた。
「……本当に、あの公開講義をやりきるとは思っていませんでした。学園の目もありますのに」
「だからこそ、やる意味があったのよ。評議会も、これで私を軽んじられなくなる」
「ですが、反発も必ず来ます」
「ええ。だからこそ、“次の一手”を用意しておく必要があるわ」
エレノアは机の引き出しから、一通の手紙を取り出した。
宛名は――「第二王子、ジュリアン・ラグランジェ閣下」。
* * *
そして翌日。
学園内の温室庭園。秋の花々が咲き乱れるその中央に、エレノアは静かに佇んでいた。
やがて現れたのは、深い紺の制服に身を包んだ青年。第二王子、ジュリアン。
「まさか、君から私に接触を求めるとは思わなかった」
「私が求めたのは、“共闘”です、殿下」
「共闘、か。君は兄から婚約を破棄された元令嬢で、今は反王政勢力と接触している疑いすらある」
「その通りです。だからこそ、殿下と組むのが最も“合理的”なのです」
ジュリアンの目が細くなった。エレノアの真意を測ろうとしている。
「君の望みは、復讐ではないのか?」
「いいえ。私は、この国を“再構築”したいだけです。殿下が目指す王政改革と、方向は同じはず」
しばしの沈黙。
やがて、ジュリアンは小さく笑った。
「君という存在は、実に厄介だ。しかし……面白い」
「では、“敵の敵”として手を結びましょう」
二人の手が静かに交わる。
この瞬間、新たな同盟が結ばれた。
“改革”の意思を持つ者同士による、確かな第一歩が。