プロローグもないのにエピローグを書きたくなるのは人の性(さが)だから気にする必要はない。
一体どれほどの数の蝉が居るのかと驚くほどの大合唱の中、僕は水を汲んだ桶を片手に海が見える斜面に造られた墓地を歩いていた。
「こっちだよ、先生」
先を歩く阿久津さんは風で麦わら帽子が飛ばされないよう、押さえながら弾むような足取りだ。
あちこちから立ち上る線香の煙が風に乗り、青草の香りやら潮の香りと混じって漂ってくる。
陽を遮るものがないから夏の光が墓石を反射し、眩く光っていた。
ようやく目的の場所について手桶を置く。英家の墓地はいつも誰かがお参りしているらしく、綺麗に除草されて瑞々しい花が供えられている。
「来たよ、英さん」
阿久津さんは買ってきた仏花を既に活けられた花の隙間に挿しながら人懐っこい顔で笑った。
英さんの遺骨は旦那さんの故郷である海沿いの町に安置されている。今日は休みを利用して阿久津さんと二人で英さんのお墓参りをしにきていた。
家族が住む近くの方が便利だが、先に亡くなったご主人の意向でここに眠っていた。
「今日はご報告があってやって来ました」
線香を上げた後、僕は鞄から完成したばかりの『老人と竜』の著者献本を取り出して墓前に供えた。
「英さんのお陰で遂に僕の新刊が完成しました。遅くなってしまい、すいません」
手を合わせて目を閉じ、感謝の言葉を捧げる。
「すごく面白いんだよ。特に大魔法使いのおばあちゃんナフサがすごく可愛いの」
阿久津さんは目の前に英さんがいるかのように語り掛ける。
もちろん返事はなく、耳を澄ましても蝉の声しか聞こえない。
でも確かにそこに英さんがいる。そう感じていた。
優しい目をして、僕たちに微笑みかけている。
お墓参りの帰り道、夏の濃い青臭さが立ち上る道を二人で歩いていた。
「しかし先生と英さんがメッセージのやり取りをしていたなんてね」
「ああ。僕も全然知らなかったから驚いたよ」
「そうだよね。何といっても先生は見ず知らずのファンのJKだと思って鼻の下を伸ばしていたんだもんね」
「だからそんなことないって。純粋にファンとの交流をしていただけなんだから」
「さあ? どうだか」
何度同じ説明をしても軽蔑するような目で睨まれてしまう。
ちょっと気まずい空気なので汗を拭い視線を空に向ける。夏特有の巨大な雲が戦艦のようにゆったりと海の上を渡っていた。
「英さんのお孫さんとはその後もやり取りしてるんでしょ?」
その質問には先ほどまでの刺々しい気配はなかった。
「うん。今でも写真を送って来てくれているよ」
それを元に、今でも僕は『日付のない日記』を書き続けている。
大学の構内や学食、お気に入りのファストフード店のメニューやバイト先の写真などを送って来てくれている。
その中には帰省した際の写真も含まれていた。
片思いをしていた彼と親友の彼女が波打ち際で遊ぶ写真もあった。
いまはもう、彼女は彼に恋をしていないようだ。写真からもそれは伝わってきた。
若葉さんは二回生になったら語学留学でロンドンに行くとのことだった。『日付のない日記』も遂に海外編突入だ。
父と母にも『老人と竜』を送った。
でも既に父さんが大量に買ってきて、親戚はもちろん職場の同僚にも配って布教活動にいそしんでくれているらしい。
お盆には僕も帰省する予定だ。
大切な誰かがいなくなっても、当然ながら人生は続いていく。悲しみが癒えるのは時に任せ、みんな前を向いて生きていく。
当然僕も前を向いて歩いていく。人よりのろまだけれど、ゆっくりと自分の速度で行けるところまで行くつもりだ。
寂れた商店街の和菓子屋さんでかき氷ののぼりを見つけた阿久津さんは駆け足気味で店内へと駆け込んでいった。
「英さん、喜んでいたね」
宇治金時をしゃくしゃくとさせながら阿久津さんが呟いた。
「だといいね」
「喜んでたよ。先生には見えなかったの?」
阿久津さんはちょっと拗ねた顔をして僕を睨んだ。
「いや。見えていたよ」と答えると阿久津さんは嬉しそうに頷いた。
和菓子屋さんには僕たちの他にお客さんはおらず、ラジオからはよく知らない放送局が聞いたことはあるけどタイトルの知らない夏の曲を流していた。
店主のおじいさんが無口なのを詫びるかのように気のよさそうな奥さんが僕たちにお茶を注ぎに来てくれる。
「また今年も秋になったらハーブ園に行こうね」
阿久津さんはお茶を飲みながらそんな提案をしてくる。二人で言った山の斜面にあるハーブ園を思い出す。
「あれからもう一年か。早いなぁ」
「実は去年は英さんから無料チケットもらったんだ。毎日閉じこもってばかりの先生をどっかに連れ出さないとって相談してたら、英さんがチケットをくれたの。今年は自分で買わないとね」
「へえ。そうだったんだ」
ふとハーブ園に遊びに行ったことを蒼山このはさんに伝えたことを思い出した。
その時のこのはさんの返事の内容を思い出し、僕は急に体温が上がってしまう。照れ隠しのためにかき氷を掻き込むとキーンと頭に痛みが走った。
「痛っ!」
「あー、もう先生。そんなに一気にかき氷を食べちゃ駄目だよ」
呆れ笑いを浮かべながら阿久津さんは自分のかき氷グラスを僕のおでこに当ててきた。
「冷たっ!」
「逃げないで。冷たいものを食べて頭が痛くなったときはおでこを冷やすと治るんだよ」
「あ、ほんとだ」
嘘のように痛みはゆっくりと引いていった。
「これも英さんに教えて貰った裏技なんだ」
「へぇ。さすがは大魔法使い。なんでも知ってるね」
「だねー。私もいつか若者たちに知恵を授けるおばあちゃんになりたいな」
ちょっと気が早すぎる阿久津さんの夢を笑った。
潮風が吹き、リリンッと軽やかな風鈴の音が響いていた。
〈了〉
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
愉しんで頂けましたでしょうか?
名前だけ知っていて顔も素性も知らない人がいて、その方はどんな方なんだろう?と想像しているうちに思い付いた作品です!
昭和平成令和と繋ぐ感じの小説に出来たらなと願いを込めた部分もあります!
私はどの作品にもたいてい大なり小なりミステリー要素を入れて小説を書くのが好きです。この作品は特にその傾向が強く出たかなと思ってます。
誤字報告でいくつかご指摘をいただき、ありがとうございました!
丁寧に読んで下さってるんだなって嬉しくなりました。
本作品を読んで少しでも心が動かされるものが合ったならば、感想や評価を頂けると今後の励みになります!
次回作はちょっと不思議な能力を持った男の子のお話を予定してます!
ちょっとしたアンチテーゼを含んだ作品でもあります。
これからも応援、よろしくお願い致します!