君へ、
大人になるなんて
きっと
何かの間違いで
私達はずっと
ここで笑っていられると思ってたんだ。
気が付けば、莉奈と話すことのないまま私たちは最終学年になっていた。
昇降口に貼られたクラス替えの紙の前には、既に大勢の人だかりが。これだから、一枚一枚プリントして配って欲しいんだ。
後ろの方から背伸びをして頑張って自分の名前を探す。苗字が相川の私は、各クラスの一番最初の出席番号だけ見れば済むのがありがたい。
A組から順番に探していけば、自分の名前はすぐに見つかった。
「C、か」
小さく呟いても、喚いている生徒でごった返すここでは、呟いてないのも一緒だ。
体を小さくしながら、既に私の後ろに付いていた沢山の人たちの間をすり抜けて、自分の新しい最後の教室へと向かった。
教室の窓側。一番前の席に座る。
前の机は少し古かったけど、今回の机は新しいものみたい。
ちょっと嬉しいような残念なような。
仕度をし終えるとちょうどSHRが始まり、それぞれ出席が取られる。
「平松」
聴き慣れた名前に、全神経が背中に集中した。
後ろから低い声で返事が聞こえた。
・・・平松君と同じクラスだったんだ・・・。
そっか。平松君は私と同じ理系だから、無くはないんだよね。
同じクラスだと少し気まずいが、何より一番安心したのが、同じ理系でも日向君とクラスが違ったことだ。
これで無理に瞳で彼を追わなくて済む。視界にいれなければ、彼を想っていた気持ちも、すぐに無くなっていくんだろうな。
結局恋って、そんなものかもしれない。
なんて、そう思ってたのに。
「うわー、1階から5階まで行くのは辛いね~」
新しいクラスには中学時代の知り合いがいたため、その子と行動を共にすることが多くなっていた。
「5階の社会教室って滅多に使わないよね~」
「そうだね」
「しかも冷暖房がついてないとか!いつの時代よ」
「はははっ」
ここに来るのは、多分去年の文化祭以来だ。
去年の地理の授業では、教室で行っていたため使うことは無かったが、今年からはここで行われるらしい。
「・・・え!?」
教室に入ると同時に、ある人物と瞳が合う。
それは魔法がかかったかと思ってしまうほど、そらすことができず、私の見ている世界の時間が止まったかのように感じた。
「どうしたの、美空?入らないの?教室ここだよ」
友達の声も、聞き流すことしかできない。
そんな私を見かねて、後ろから友達が背中を少し強く押して、私を前に進めようとする。
「ほら、美空ってば!」
「あ、うん。ごめんごめん」
そしてやっと、視線がズレた瞬間私の止まっていた時間が動いた。
「もーどうしたの?」
私の前の席に座った友達が振り返る。
「あ、ちょっと同じクラスじゃない人もいてビックリしちゃっただけ」
「あーそっか。D組の地理選択者と合同授業だもんね」
「そうそう!知らなかったからさ」
本当――――日向君と同じクラスで授業受けることになるなんて、知らないよ。
しかも友達の話ではD組と体育の授業まで同じらしい。
なんてありがた迷惑な話なんだ。唯一の救いは、体育の時間が2年生の頃に比べて減ったこと。それに男女別々だから、そう視界に入ることはないだろう。・・・私が探さない限り。
「ほらー席に着け窓側から出席番号順だ」
出席簿を片手に入ってきたのは、神谷先生だ。
自由席ではなかったため、私は一番前の席に移動する。
ここでも一番前で、少しだけ肩を落とした。
「日向に大森かー。うるせぇのがいるなーこの教室には」
「せんせーい、それは偏見です。僕達はいつだって真面目で「そういうところがうるさいんだ」
あはははーっ、と教室に笑いが沸き起こる。
「お前らは前にこい!いいな」
「ええ!なんでですか先生!」
「問答無用!早くしろー」
ちぇっ、と文句を言いながら荷物を持って前に座る日向君と大森君。
私の席から3つ離れた、教卓の真正面に日向君は腰を下ろした。
3つも離れているなら、視界に入ることもなさそう。
だけど同じ教室内に居る限り、嫌でもその声は耳に届いてきてしまう。
笑い声や、先生に反論する声。いっそ耳を塞いでしまおうか。
「・・・」
ノートに落とされていく文字を見ながら、小さく目を瞑った。
(私がいてもいなくても、日向君は変わらない毎日を、いつもの笑顔で送ってるんだね)
私は、日向君がいなくなっていつも通り笑って過ごせているのだろうか。
その自問に、私はすぐに答える事はできなかった。
「おー相川、俺の授業で寝るとはいい度胸だ」
「へ!?」
突然聞こえてきた声に、パッと瞼を上げる。
そこにはニッコリと笑う神谷先生の顔が。
しかし瞳は笑っているように見えない。
私の気のせいであって欲しい。
「か、考え事してただけです・・・!」
「地理の授業を真面目に受けろ!」
「す、すみません・・・」
あ~・・・恥ずかしい・・・。
羞恥のあまり、顔を隠してしまいたいがそんなことしたらまた、寝ていると勘違いされて怒られてしまう。
なんだか、新学期早々付いてないなぁ・・・。
そんな味気の無い毎日を過ごす中。
「相川!」
季節はどんどん過ぎ去り、GWを目前としたとある日。
帰ろうと駐輪場に向かう私を呼び止める声に振り返ると。
「葉月君!」
そこにはいつもと変わらないツンツンヘアーの葉月君がいた。
「久しぶり、だな」
「そうだね」
私の歩幅にあわせ、ゆっくりと合わせてくれる葉月君。
少し身長が伸びたのだろうか。それともあまり会わなかったせいだろうか。少し違う雰囲気を感じる。
「・・・」
「・・・」
「「あのさ!」」
ピッタリはもる二人の声。
お互いが顔を合わせて、思わず笑みがこぼれた。
「真似すんなよな~!」
「真似したのは葉月君でしょ~!?もうっ」
「で、相川は何だったの」
「・・・先に葉月君がどーぞ!」
「ここはレディーファーストだろ」
「レディーがいいって言ってるんだから、そこは聞き入れてよ」
「はいはい」
やっと折れた葉月君は、やれやれといったポーズをとってみせる。
「バレンタインの次の日、何があったの?」
「…」
「言いたくないならいいけど」
「…うん」
「あともう一つ、俺から言わなきゃいけない事があってさ」
頭を上げた葉月君は、罰が悪そうに口を開いた。
「もうかなり前になるけど、莉奈に―――告られたんだ」
―――――え?
「でも、それは中学時代までの話だけど。今は平松一筋だとさ」
「え、っと・・・その」
いきなりの告白に、頭の整理が付かない。
パニック寸前の頭を一旦落ち着かせるために、深く息を吸い込んだ。
「じゃあ、二人は両想い・・・だったの?」
「まー莉奈が嘘付いてないならそうなるよな」
なんて平然と答える葉月君。
両想いだったのに。
今だって葉月君は、莉奈の事が好きなはずなのに。平気なの・・・?
「ちゃんと・・・ちゃんと!葉月君の気持ち、伝えたの!?」
「・・・伝えられるわけねぇじゃん。俺、莉奈と同じぐらい平松の事大切な奴なんだ。あ、ホモじゃねえぞ!?」
そう言って笑ってる葉月君には悪いけど、そんなの全然笑えないよ。
何も面白くないし可笑しくない。
だってだってだって。
「二人は、両想いだったんだよ・・・!?」
「それは過去の話だろ」
「だけど・・・!」
だけど、の後に続けたい言葉は一体何だろう。
言葉が詰まって何も出てこない。
「相川もさ、過去になる前に―――気持ちにケジメつけろよ」
急に真剣な瞳をしてくるから、困る。
先程までとは打って変わって、重い空気が漂う。
「俺は、今自分の気持ちを伝えても莉奈を戸惑わせるだけだと思って、自分の気持ちは言わなかったし、これからも言うつもりは無い。だけど莉奈に気持ちを伝えられた時、思ったんだ」
―――――どうしてあの時、伝えなかったんだろう。
―――――伝えていたら違う今日があったんだろう。
「って。だからさ、相川には俺みたいな思いしてほしくないんだ」
そして静かな声で葉月君は言った。
「相川は、大地の事好き?」
彼の言葉に、しばらくの間固まっていたが、私は小さく頷いた。
惨めだと思われてもいい。無謀だと思われてもいい。だけどそれが私の本当の気持ちなんだ。
「あの日…バレンタインの次の日、ちゃんと渡そうと思った。だけど、聞いちゃったの…っ」
少し震えながら話す言葉を、必死に拾いながらうんうん、と優しく頷いて聞いてくれる葉月君。
「琴美ちゃんが、私の事好きか、日向君に聞いて…日向君は、好きじゃないって…っ」
「…っ」
「そんなの、渡せるわけないじゃない…っ!莉奈も、平松君も、そのことを知ってた。知ってて、私にチョコを渡せだなんて、ひどいよ…っ」
ずっと、誰かに言いたかった。
ずっと、誰かに聞いてほしかった。
「辛かったな」
その一言は、私の涙腺を崩壊させる原因となる。
葉月君は優しく頭を撫でてくれた。
優しい瞳で、静かに微笑む彼の姿が瞳に映る。
それを見たら一つ、また一つと涙が頬を伝い始めた。
「す、きだった・・・のに~っ・・・」
分かってたはずなの。
日向君は学年の人気者だって。
私と毎日メールをしてたことだって彼にとっては他の子にするのと同然の事で。
なのに、心のどこかで“もしかしたら”なんて期待してた私が悪い。
だけど、だけど、それなら体育祭の借り物競争はなんだったの?
沖縄でサプライズでプレゼントしてくれたのはなんだったの?
ねえ、日向君。
私、今でも好きだよ。
初めての恋だった。
右も左も分からなくて、ただただ日向君の姿が見れれば幸せだったあの頃。
いつしか声を聞くだけじゃ満足できなくて、瞳が合うだけじゃ満足できなくて。
話すだけじゃ満足できなくて。
「ぅ、」
だけどその欲求が満たされることは、もう無い。
屈託の無い太陽みたいな笑顔も、優しさも、全部全部。
もう二度と、私に向けられることは無い。
小さく嗚咽を漏らしながら泣きだした私の背中を、葉月君は静かに摩ってくれた。
葉月君だって、辛いはずなんだ。
なのに私はどこまで、彼に迷惑をかけてしまうのだろう。
***
ミーンミンミンミーン、と蝉の大合唱が外から聞こえてくる。
受験生という代名詞を持つ高校3年生は、どうしてこんなにも時が経つのが早いのだろうか。
『いいな、相川。しっかり勉強すること。それから進路希望調査この後ちゃんと書いて出せよ』
三者面談の終わりに言われた担任の言葉が、頭の中で繰り返される。
机の上に置かれたままの再生利用紙。この紙を今日まで、何回見て、書いてきたんだろうか。今までと同じことをそこに書けばいいのに、記入されているのは私の名前だけ。
夏休み1週間前までに提出だったこれを、私は未だに記入せず所持している。そのため少し皺がついていた。
高2の最後の模試で出た私の第1志望校の判定はE判定。
受かる確率で言えば、奇跡が起きない限り無いに等しい。
それでもこの間受けた模試では、何とかD判定まであげることができた。それでも合格できる確率はあまり無い。
かと言って推薦での入学も、例年の倍率を見ると厳しそうだ。
ふと、窓の外を見ればそこには無人のプールが。太陽の光が水面に反射して、キラキラと輝いている。プールサイドには黄色いビート板が綺麗に立てかけられている。
『あははっ』
『きたなーい!』
「・・・」
『きゃー虫!』
『よっしゃいくぞ!』
「・・・」
誰もいないはずのプールサイドに、高校2年生の私達がいた。
暑いのに、汗まみれなのに、皆笑ってるんだ。
火傷するって言いながら足を小刻みに上げて。
ホールから飛び出す、透明な生ぬるい水から逃げ回って。
少しだけ頬を赤くしながら皆・・・笑ってる。
5人は、笑ってる。確かに、笑ってたんだ。
「っ、」
ガタン、と音を立てて倒れた椅子。
それだけ勢いよく立ち上がってしまったのだろう。
だけど、気がつけばもうそこには誰もいなかった。
「そっか・・・」
私は、前に進みたくないんだ。
大人になんかなりたくないんだ。
広い社会にでて、自分で働いて、自分で責任を負う世界に私達は進まなければならない。
それはもう皆で笑い合えない事を意味する。
文化祭のお化け屋敷も、ふざけあったプール掃除も、秘密の屋上も、熱い体育祭も、負けられない球技大会も、嫌だったマラソン大会も―――。
全部に大切な皆との笑顔がそこにはあった。この校舎で、思い出の時を刻んでた。
だけどもう、過去。
5人で過ごした日々は、過去なんだ。
戻りたい過去がある。
『相川さん、こっち!』
『え・・・っ!?』
『隠れるよ!』
『・・・な、え!?』
『来年も一緒に見たいな・・・』
『『え』』
『あ、みんな一緒にって意味・・・だからね?』
『当たり前だろ!』
『約束な!』
戻りたくない過去がある。
『いいよ、もう』
『・・・み、』
『楽しかった?』
進みたい未来がある。
『そうだよ。もしかして将来医療系に進む?』
『あ、うん。一応今のところ看護学科がある所に進学したいなって思ってて』
『すげー。2年の今の時期から進路考えてる人なんてそうそういないよ。じゃあ××大学の看護学部とか?』
『そんな・・・!そこは偏差値高すぎるって』
進みたくない未来がある。
『いいな、相川。しっかり勉強すること。それから進路希望調査この後ちゃんと書いて出せよ』
――――――立ち止まることは、できないのですか?
「失礼しま、す」
そう言って扉を開けると、全身を冷気が包み込む。
やっぱり職員室の涼しさは格別だ、なんて思っている暇もない。
・・・・・・日向君だ。
D組の担任の先生と何やら話をしている様子だった。
夏休みなのにどうして、と考えたがすぐにその答えは見つかる。秋から始まるサッカーの予選会に、出ることになっているんだろう。
C組の先生の席はその隣。しかも不在のようだ。仕方ない。机の上に置いて早く帰る事にしよう。
机の上に閉じられたノートパソコンがあったので、その上にそっと記入済みの紙を置く。
「じゃー日向、お前は本当にこれでいいんだな」
「はい」
そんな声が耳に入ってきたが、気にせず帰ろうとすると。
視界に入った“あるもの”。
「・・・」
D組の先生が指差していたもの。それは“プロ”とだけ記入された、日向君の進路希望調査だった。
何の迷いも無く書かれていたその二文字に、立ち止まりそうになったが何とか一歩を踏み出し職員室を後にした。
プロ。もちろんそれはサッカーの事しか無いだろう。
・・・・・・やっぱり日向君は、遠い存在だ。
本当だったら勉強をしなければいけないのに、そんな気分になれず、長くて蒸し暑いだけの土手を、自転車を引きながら帰った。
真っ白な入道雲を背に、何も考えることなく、自分の真正面に伸びた影を見つめながら。
夏休みが開ければ、推薦入試に向けてクラスが少しピリピリした空気を醸し出していた。
また、友達つてに聞いた話では、莉奈は夏休みにAO入試で専門学校への合格が決まったそうだ。
おめでとう、ってメールを送ろうか迷ったけれどあれだけ酷い言葉を言ってしまった以上、送るに送れなかった。
気が付けば、時はどんどん流れていく。
11月になれば本格的に推薦入試が始まり、12月になると推薦での合格者も出始めた。
そんな日々の中でだ。サッカー部が選手権で決勝へと、駒を進めたのは。
二年連続の決勝に生徒だけでなく、教師達も盛り上がっているようだった。
もうあれから一年経つのか~・・・。
神谷先生が教卓の前に立ち、聞きなれない国の名前を言っているのを聞きながらそんな事を思っていた。
「先生、時計進んでません?」
誰か一人の生徒がそういうと、全員が教室の前に付けられている丸い時計に視線を送る。
神谷先生は自分の腕時計で時間を確認すると、本当だ、と呟いた。
「せんせーい、もう終了時刻なのでもう終わりましょー」
「馬鹿野郎。あれは間違ってんだよ。後で事務室に出しとかないとだな~」
4時10分で止まっている短針と長針。
そんなことよりも、この眠たい午後の授業が早く終わって欲しかった。
「美空は選手権応援行くでしょ?」
次の日。選手権を翌日に控え、友達にそう聞かれたが、既に返事は決まっていた。
「行かないよ」
「え、どうして!?最後だよ!?」
「私その日推薦入試あって・・・。ダメ元で受けて見ることにしたんだ」
「あー入試じゃしょうがないね」
例え入試が無くても、私は行かなかったよ。
そう言おうと思ったけれど、言っても意味が無いと思って口を閉じた。
その日の夜には葉月君にメールを送った。
頑張ってね、と。
するとすぐにスマホが音を立て震える。
こういう時、もしかしたら日向君からかな、なんて思ってしまう癖を本当に早く直したい。
画面に指示された名前は予想してた通り、葉月君からだ。内容は先ほどのメールに即した内容で、返信はせずそのまま電源を切った。
そしてベッドにスマホを放置して、机へと足を向ける。
私には明日、彼らとは違う戦いがある。葉月君だって頑張っているんだから、私も頑張らないと。
シャープペンを握り締める力を強くし、ピンクのマーカーが沢山引かれた参考書を見ながら、大嫌いな英語を真っ白なノートに綴っていった。
――――――――・・・
―――――・・・
――――・・・
――――――――・・・
――――・・・
――・・・
「全神経が削がれた気分~」
なんて隣で脱力している友達の言葉に同感する。
気が付けば、センター試験が終わっていた。
学校に来る回数も残り僅かとなり、残すは学年末テストのみとなった。
「にしてもさ、凄いよね、大地君!まさか本当にプロのチームから勧誘が来るなんて!」
机に伏せていた友達がいきなり起き上がったかと思えば、日向君の話しにちょっとだけ驚く。
「・・・そうだね!」
選手権で見事優勝した東高校サッカー部は、去年の屈辱を晴らし見事全国大会へと進んだ。しかし数週間前まで、国立での試合が行われていたが、2回戦目で負けてしまった。
テレビでの放送もされたが、私は受験もあり見ないようにしていた。
何より、日向君の姿を見るのが、辛かったから。
学校が始まるとすぐ、日向君のプロチームからの勧誘の話は広がった。
最初は信じがたかったが、本人が否定している所を聞いたことがないので恐らく真実なんだろう。
本当に第1志望叶えちゃうんだもん・・・。凄いなぁ日向君は。
葉月君もセンター利用推薦で国公立大学に合格したと、この前連絡が来た。
皆、進路が決まり始めている。
私はといえば、推薦は案の定ダメで滑り止めの所しか今のところ決まっていない。
そんな状況に思わずため息がでた。
「美空」
「・・・ん?」
「呼ばれてるよ」
「え?」
友達に言われ、教室のドアに視線を送ると。
「あれ、莉奈ちゃんでしょ?」
「う、ん」
ドアの傍に立つ莉奈に、視線を逸らすことができなかった。
そこに近づくたびに心臓がドクンッと音を立てる。
莉奈は私から少し下に視線を逸らしていた。
「美空」
莉奈の前に立つと、蚊の鳴くような声で私の名前を口にした。
「少し、話せるかな?」
寒い廊下で二人、横に並んで壁に背を持たれかける。息を吐けば、それは白く染まっていた。そんな気温に、生徒は誰一人廊下に出てはいなかった。
「莉奈、専門受かったんだよね。おめでとう」
「・・・ありがとう」
あの頃より少し引きつった笑顔の莉奈。そんな表情をさせてしまった原因は、私にある。
「あのね、美空」
「うん」
「あたしね、ずっと美空に謝りたかった」
「・・・」
「あの時―――去年の、バレンタイン。日向大地が美空の事好きじゃないとか知ってて美空にチョコしなよって言ったわけじゃない。美空をあざ笑うわけじゃない・・・!」
そんなの。
分かってるよ。
莉奈がそんな事する子じゃないって。
平松君がそんな事する人じゃないって。
5人で過ごす日々の中で、そんなの分かっていたの。
だけど、どうしても自分の感情がセーブできなくて、行き場の無いあの想いをどこにもぶつけられなくて、その矛先を莉奈に向けた。
だから、悪いのは私でもあるんだ。
「今更って思うかもしれないけど・・・やっぱり卒業前に美空に気持ち話したかったの」
それから、と莉奈は言葉を続ける。
「美空、もしまだアイツの事が好きなら――――、気持ちは伝えるんだよ?」
「っ」
「伝えなかったその想いは、どこへ行くの?」
始業のチャイムが静かな廊下に鳴り響く。文系の莉奈とはクラスが離れているため、莉奈はそのまま小走りで教室に戻っていった。
私も急いで自分の教室に戻り、席に着く。暖かい空気が全身を包み込んだ。だけどいくら暖房がきいているとはいえ、足元は寒くブランケットをかけ次の授業を受ける。
―――伝えなかったその想いは、どこへ行くの?
莉奈の言葉が頭の中からはなれない。もう何度リピートしただろう。
そう言った時の莉奈の瞳は、何かを必死に訴えているようにも見えた。
私の日向君への想いは、どこへ行くんだろうか。
「美空ー次ラストの授業!」
「あ、ごめん!先行ってて!」
友達の返事を背に、ノートを取りにロッカーへと向かう。
高校生活最後の授業は地理だ。
多分ノートなんてもう必要ないんだろうけど、一応ね。
階段を降りて、角を曲がると。
「、」
少し離れた所にある人影に、思わず足を止めそうになった。それはこちらに向かって歩いてきている。しかし止まるわけには行かず、一旦呼吸を整えてから歩き出す。
「・・・」
「・・・」
誰もいない廊下に、日向君と二人きり。
互いの距離が縮まるにつれて、心臓の音が加速する。静かなここでは、その音が相手に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど。
見ない見ない。
軽く下を向いて、髪の毛で顔を少し隠す。
二人のスリッパの音だけが、微妙にずれながらそこに響く。
「・・・」
「・・・」
すれ違った瞬間、懐かしい香が鼻腔を擽った。
すれ違うだけなのにドキドキするなんて、馬鹿みたいだ。
二人は気づいていない。
意識してないフリをしながら、見ないように相手を意識してることに。
彼が彼女に視線を送ってることに。
彼女が彼に視線を送ってることに。
すれ違うたびに、全神経が互いに集中していることに。
高校最後の授業を終え、やる気の無い期末テストを受ければ、次は大学の二次試験が始まる。
国公立を1校だけ受け、私立はいくつか受けた。
受験が全て終わった瞬間、後期試験の事なんて何も考えず思う存分寝ていた。
そんな日々の途中に合格通知はやってくる。私立はなんとか第2志望の所は合格し、もし国公立がダメだった場合はこちらになる。
しかし、国公立の結果が分かるのは卒業式の後だ。どうもスッキリしない卒業式になりそう。
・・・原因はそれ以外にもあるけど。
「うわーどうしよう!本当に実感無いよ~」
賑わう体育館。綺麗に並べられたパイプ椅子。左右端に並ぶ白いカバーの被せられた長机。
自宅研修日の中、一日だけある登校日。それが今日であり、卒業式の予行練習の日となっている。
一通り終わってみた感想はなんだか素っ気無いなって。
中学校みたいに堅苦しくやらないし、合唱も無い。
もっと感動するようにやってほしかったな~。
なんて文句ばかり出てきた。
ちょうどトイレ休憩に入ったので、席をたち体育館1階にあるトイレへ。
「「あ」」
と、二人の声が重なった。
「・・・明々後日、卒業だね」
「・・・うん」
莉奈は手を洗い終えると、乱雑に水を払った。2年生の頃とそういうところは何も変わってないな、なんてどうでもいいことがなんだか嬉しくて。
「あっという間だったね」
「そうだね」
鏡を見つめる莉奈。だけど、それは自分を見つめているのではなくて、過去の自分を見つめているようにも見えた。
「美空」
「・・・ん?」
「もう、最後なんだよ」
「う、ん・・・?」
「気持ちは伝えないの?あの人に」
「・・・」
「伝えるか伝えないかは美空次第だけど、高校生活の中で唯一好きになった人なんだから、後悔しないようにね」
そう言うと莉奈は私の横を通り抜けて、そのまま階段を上っていってしまった。
そうだ。日向君は私のつまらなかった高校生活に光を灯してくれた人。初めて好きになった、人。
だけど臆病な私に告白するなんて勇気・・・どこにもないよ。
――――また、だ。
下に向かってくる日向君と、今度は瞳が合った。
視線を逸らすのを忘れて、ジッとその瞳を見つめてしまう。
ねえ、日向君。
君の見た世界の片隅に、私は少しでもいられましたか?
『伝えなかったその想いは、どこへ行くの?』
莉奈の言葉が頭を過ぎる。幾度となく過ぎった言葉に、グッと唇をかみ締めた。
二人がすれ違う。思わずスカートをギュッと握り締め立ち止まる。そして、声を出しながら振り返った。
「日向君・・・・・・っ」
止まっていた時が、動きだす。
気が付けば口が、声が勝手に動いて出ていた。
自分の声が耳に届いたとき、内心驚いたが言ってしまったものを今更引っ込めることはできない。
振り返った日向君の表情は、1階が暗いためハッキリと見ることはできなかった。もう一度スカートに皺が出来るんじゃないかって言うぐらい、強く握り締める。
「2日の放課後・・・」
私たちに訪れる、最後の放課後という時。
もう2度と、過ごすことが出来ない放課後に、どうか、お願いです。
「校舎5階で待ってます・・・!」
どうか、止まっていた青春が、動きますように…。
席に戻ってから心の中で盛大に叫んだ。
何であんな事言っちゃったのよーっ!!って。
穴があったら是非とも卒業式の日まで、そこに篭らせていただきたいぐらい後悔している。
学年の前に立って話す神谷先生の言葉なんて何も入ってこない。
一抹の不安と、盛大な後悔を抱えながら高校最後の日を終えていった。
そして迎えた卒業式当日。天気は快晴。雲ひとつ無い空はまるで、私達の門出を照らしてくれているようだった。
このダサいセーラー服を着るのも、ボロボロになったスクバを持つのも、皺がついたローファーも、全部全部最後の日。
教室に入れば、皆からのメッセージがズラリと書かれていた。
「なんか今日卒業式って感じしないね」
先生が来るまでクラスはいつもと変わらず賑やかで。卒業なんてきっと何かの間違いなんじゃないか。そう思ってしまう。
それは式が始まっても同じで、個名されても、卒業証書を受け取っても、送辞の言葉を聞いても、何をしてもこれは何かの間違いなんじゃないかって。
思わずにはいられなかった。
最後のSHRを終え、アルバムに寄せ書きを書いてもらえば、やっと少しだけ実感できたようなできないような。
「美空ーこの後どうする?」
「ごめん、私ちょっと用事あるから、先行ってて!後で連絡するね」
そう言って、荷物も持たずに教室を飛び出す。
そのままスピードを緩めず、一気に階段を駆け上がり、誰もいない廊下を走っていけば目的地に到着する。
「はあ、はあ・・・っ」
瞳に映るもの、それは社会共通室と書かれたネームプレート。
その教室の扉を、そっと開けた。
中に入ればそこには、綺麗に並べられた机たちが。窓を開ければ、優しい風にカーテンがゆらゆらと踊り始める。
確かにここにいたの。
この教室で、この学校で。
同じ場所で、同じ時を過ごしたの。
でも、今ではもう遠すぎて。
君との思い出を振り返るたびに“もう戻れないんだよ”って。
そうどこからか聞こえてくる気がした。
「・・・」
30分。それでも待って来なかったら、諦めて帰ろう。
そして、この恋に終止符を打とう。
莉奈の言葉を。
葉月君の言葉を。
無駄にはしたくなかった。だから、最後は自分の気持ちを正直に伝えたかったんだ。
そっと目を瞑れば、今までの思い出が色鮮やかに思い出されていく。
廊下からスリッパの音がパタパタと一定の間隔で聞こえてくる。少しだけドキドキしながら、その扉が開くのを待つ。
そして――――――扉が、開いた。
*日向大地side*
高校生活最後の日を迎えた朝。
もう着ることはないであろう学ランにそでを通す。
俺にとって、何よりも大事なサッカーで、夢だった全国の舞台に立てた。
ずっと夢だったプロのチームにも入れた。
それなのに、どうしてこんなにも悲しいんだろうか。
正門をくぐった。
風がふわり、頬を撫でる。
それと同時に桜の花弁が、徒競走を始め、あっという間に俺を通り越す。
ああ―――この場所だ。
この場所で、初めて彼女を見て、恋をして。
勇気何て持ち合わせてない俺は、何もできずにそのまま学生生活を過ごし、何もしないまま葉月に奪われ、何もしないまま、卒業していく。
「今日で卒業だな」
隣で平松が紙に優しく筆をおろす様に呟いた。
「……そうだな」
「後悔だらけの、1年だった」
「俺もさ」
平松は都内の有名私大への進学が決まった。葉月は県内の国公立大学。中野は専門学校。俺はチームが活動する県外へ。
それぞれが、それぞれの道に進みだそうとしている。
高校2年生のある日を境に、5人が集まることも無くなった。
戻れない時を悔やむのは、これで何回目だろうか。
何度あの頃に戻れたら、と願っただろう。
俺は何度も何度も願わずにはいられなかった。
式が始まり、体育館には卒業生の名前が呼ばれ始める。
『相川、美空』
「――はい」
透き通るか細い彼女声に耳を澄ます。
『2日の放課後、校舎5階で待ってます』
あの時と同じように、少しだけ彼女の声は震えていた。
式が終わり、最後のSHRが終わった。クラスの女子は泣いていた。
普段ならすぐに教室から出ていくやつも、この日だけは最後の時間を忘れないようにと、仲間と笑いあっている。
朝貰った卒業アルバムの最後のページ。真っ白だったそこは、今では沢山の文字で埋まっている。
でも、まだ終われない。
まだ、青春にピリオドをつけるわけにはいかない。
「大地、この後2次会どうする?」
「―――わり、ちょっとトイレ」
「おー、早くなー」
1段1段踏みしめるように階段を上がる。もう2度と、この階段を、この制服を着て上ることはないんだと思うと、そうせずにはいられなかった。
そして、校舎5階。唯一彼女と過ごした、この教室のドアの前に立つ。
心臓がバクバクと音を立てる。
情けねぇ・・・。こんな事で緊張してやがる。
「っし」
小さく声に出して、扉を開いた――――。
*日向大地side end*
そこに立っている人物に、少し驚きつつも口元は緩んでしまう。
「…きてくれて、ありがとう日向君」
「…おう」
久しぶりに見た、日向君の癖。
きっとそれは、緊張してる時や、恥ずかしい時にするんだね。髪の毛をクシャッて触るのは。
「…あ」
私の呟いた言葉に、一度は視線をこちらに向けるも、すぐに私の視線の先に瞳を移した日向君。
「時計、直ってるね」
「だな」
2と4を指していた針は、いつのまにか世界と同じ時を刻むように直されていた。
「あのさ、今日は俺も言いたいことがあって来たんだ」
「・・・え?」
一歩。また一歩と近づく日向君。
そして二人の上履きの距離は、50センチほどになった。
「俺が、初めて5人で放課後に遊んだ時に“平松はすごい”って言ったの覚えてる?」
必死に過去のページを辿る。古びることをしらないそれは、すぐに見つけ出すことができた。
「俺にはそれができなかった」
「・・・」
「相川さんが他の男と話すのが嫌だった。まして、葉月と話してる所を見ると彼氏でもないのに嫉妬でどうにかなりそうだった。二人は両想いだと思ってたから尚更葉月にヤキモチ妬いてて」
「・・・ぇ」
「俺は平松みたいに、好きな奴が他の男と仲良くしてるのを見て平気でなんていられなかった・・・っ」
次々と理解の出来ない事を言っていく日向君に戸惑いを隠せない。
嫉妬って・・・?葉月君と両想いって・・・?
好きな奴、って・・・?
「俺、沖縄で相川さんに変な事して、それで嫌われたって思って、ごめん」
「ま、待って!」
日向君の言葉を遮って、一旦頭の中を整理させる。
一枚一枚彼の言葉を整理して、口を開いた。
「どういう、事・・・?」
「俺、ずっと相川さんの事好きだった」
―――――――え?
全ての思考回路が停止し、何も考えられなくなる。
「だけど、葉月と相川さんはきっと両想いだから。だから、俺、あきらめようと思ってた。サッカーにも集中しなきゃと思って、LIMEもしなくなった」
「ま、待って!私―――葉月君の事好きじゃないし、葉月君も私の事好きじゃないよ・・・!」
だって葉月君の好きな人は莉奈だし。
私の好きな人は――――。
「私が好きなのは、ずっと日向君だよ・・・・!!!」
その一言に、今度は日向君が停止した。瞬き一つせず、瞳に私を映し出す。
そんな彼に体の体温が一気に上昇していくのが分かる。今の私は絶対に真っ赤な顔をしているに違いない。
「・・・・・・え?」
私の精一杯の告白を、日向君は信じられないようだ。
それは私も同じだけれど、ここで信じてもらえなかったら、また莉奈と葉月君に怒られちゃうよ、私。
「だって、え…?去年の体育祭の時、好きな人って借り物で葉月つれてったのは…?」
「だって日向君連れてったら…私の気持ちバレちゃうと思ったから…って、どうして私の借り物の内容知ってるの…!?」
もういろんな事が頭の中で混ざり合って、何が何だかわからなくなる。
開けた窓の外から大きな笑い声がここまで聞こえてきた。
「相川さんのポケットから落ちた紙を見たんだ…」
日向君の言葉に、バラバラだったパズルのピースがキレイにはまっていく。
私は瞳に溜まるものを必死に溢さないように堪えながら、首を横に振る。
私が聞いた「好きじゃない」は、聞き間違いだったという事だろうか。
「違う…違うよ…っ。私は、ずっと…っ日向君の事が――――」
好きだったんだよ、と言おうとした刹那、私は大好きな人の腕の中にいた。
「ごめん」
「ひ、なたく・・・ん?」
名前を呼べば、更に抱きしめる力が強くなった。
終わりを迎えたと思っていた恋が、鮮やかに甦り私を満たしてゆく。征服してゆく。
「美空」
私の名前を呼ぶ声に
「ずっと、好きだった」
私だけに向けられた感情に
「―――っ、」
涙が頬を伝う。
「私も、大地君の事がずっと好きだった―――」
交わることの無い二つが、交わった瞬間だった。
君へ、伝える。




