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04



 その日の深夜、俺は電話で大魔王に呼び出された。

 場所は、近所の公園。雑木に囲まれた、人気のない場所だ。


 満月の夜だった。

 足元に影がくっきりと写っている。

 木々の洞窟をくぐりぬけ、広場に出た。


 俺はそこで立ち尽くした。

 乱れた髪を乱雑に後ろに纏めあげ。

 貫く視線でこちらを射すくめる、禍々しい凶女。

 俺の記憶に刻まれている、全盛時の姿と何も変わらない。



 ――大魔王が、そこにいた。



「桜、さん」



 怖い。

 吐気がする。

 膝が砕けそうだ。

 心臓が早鐘のように鳴る。

 慣れた、と、思っていた。

 だけど、いまの彼女はあまりにも……大魔王だった。



「一樹くん」



 ふと、彼女が笑う。

 そこだけは、いままで擬態していた女子高生の姿。



「わたし、言わなきゃいけないことがあるの」



 彼女がなにを言いたいのか、見ればわかる。

 大魔王だった過去のことを、この少女は明かすつもりなのだ。

 休んでいたのは、そのための、心の準備のため、なのだろうか。



 ――だが、何のために。



 わからない。

 俺が彼女の黒歴史を知っている事がバレたわけでもあるまい。

 だが、目の前に大魔王が居るのは事実で、だったら余計に、ぼろを出せなくなったのは確かだ。


 覚悟を決めろ。

 静かに、耐えるんだ。

 そう自分に言い聞かせる。



「わたし、一樹くんのことが好きだったの。ずっと……前から」



 しかし、彼女の口から出てきたのは、別の話だった。


 ずっと前。

 妙な表現だ、と思った。

 彼女と再開してから、一月足らず。

 ずっと前、というほどの時間は経っていない。



「違うの」



 俺の思考の間違いを正すように、彼女はかぶりを振る。

 そして俺の目をまっすぐに見て、言った。



「わたし、ずっと好きだったの。子供のころから・・・・・・・



 その、意味を察して。

 俺は戦慄した。


 大魔王は俺が俺――コサックと呼ばれていた少年だと知っている!


 心の声に答えるかのように、彼女はうなずいた。



「ごめん。一樹くんが知ってること、知ってた。あなたがそれを知られたくないために、嫌々、わたしにつき合ってくれていたことも……それでも、一樹くんと一緒に居られるならいいと、幸せだと思ってた」



 思考が乱れる。

 わけがわからない。

 あの、悪魔のような、大魔王のような大間桜が、俺のことを好きだったと言うのか。

 好きで、あんな暴力を、虐待を、して来たというのか。あんなものが貴様の愛だというのか。


 大魔王の独白は続く。



「でも、違ったの。気づいたの。わたしが、本当に欲しかったのは、偽りのない一樹くんの気持ち。それが嫌悪でもいい、恨みでもいい、罵りでもいい、あなたの本当の気持ちが、本当の言葉が――欲しいの!」



 大魔王が泣いている。

 目に涙をためて、泣いている。



「わけがわからない」



 本当に分からなくて、俺はかぶりを振る。



「なら、なんであんな暴力を……」


「だって、一樹くん、気づいてくれないから」



 それは、俺にとって意味不明の言葉。

 構わず彼女は続ける。



「――わたしじゃなく、嘘のわたししか……芳乃しか見てないから」



 ――え?



 最大限の衝撃が、俺を襲った。


 嘘だ。

 芳乃さんは大魔王の三つ年上の姉で、天使で。

 その時、戦慄とともに思い至った。“嘘のわたし”。それが芳乃さんだと言うのなら、芳乃さんは。



「やっと気づいてくれた?」



 あは、と、彼女は泣き笑いを見せた。

 その様は、奇形的で、まるで彼女の中に同居する大魔王と天使が一度に現れたようだった。



「芳乃はわたしなの。女の子らしくした、わたし」



 彼女はそう、告白した。

 たしかに、芳乃さんと大魔王の身体的特徴は似ていた。

 いや、現在の、昨日までの大間桜はまさに芳乃さんそのままだった。

 気づけなかったのは、当時は俺が幼かったからと、それ以上に、大魔王としての、天使としてのイメージが、両者の印象を乖離かいりさせていたからに違いない。



「あなたに女の子として見て欲しくて、でも恥ずかしくて、姉の芳乃だって言ってあなたに会った。

 嬉しかった。女の子として見てくれて。でも相変わらずわたしのことは女扱いしてくれなかった。あなたの好意はわたしじゃなくて芳乃にしか、偽物のわたしにしか向かなかった。芳乃はわたしなのに! ずるいずるいずるい! 嘘のわたしのくせに! 許せない。許せなかった。嘘のわたしにも、それにデレデレする一樹くんにも!」



 最後は絶叫。

 両の拳を握りしめて、恨みを声にして吐き出して、ようやく彼女は息をつく。


 瞳には、また、涙。



「――バカだった。子供だった。わざと芳乃とは逆の自分をつくった。大魔王になって、わたしを見てくれないあなたに、恨みをぶつけ続けた」



 声が、震えている。

 泣いているのだろう。


 大魔王。それが生まれる前の、話だったのか。

 大魔王の印象に塗りつぶされた、昔の俺たちの話。大魔王がまだ大間桜だった頃の、話。


 大魔王になってからも、“芳乃”はたびたび現れた。

「ごめんね」と言ってくれた。優しくしてくれた。


 大魔王にしかなれなかった女の子の、それは本心だったのか。



「……転校したって聞いた時、やっぱりと思った。当たり前だよね。こんな嫌な子、だれも好きになってくれるはずがない。だから、自分を治そうって。芳乃みたいになろうって、一樹くんが認めてくれる自分になろうってそう思って、努力して、変われて……でもやっぱり、一樹くんが居ないのが、つらかった」



 くるくると、少女は月下に回る。

 大魔王と天使。ごちゃごちゃに入り混じって現れる万華鏡。



「こっちに越してきたのはほんとに偶然で、だから、一樹くんに会えたのは、本当にうれしかった。わたしを女の子のように見てくれる一樹くんの態度が、たとえ嘘でもうれしかった」



 泣き笑い、笑い泣く。

 自分の感情を処理しきれなくなったように、鬼気迫った表情で彼女はやおら俺に、抱きついた。



「――苛めて、ごめんね」



 嗚咽とともに、彼女は漏らす。

 彼女は、こんなに小さかっただろうか。

 子供の頃、あんなに巨大に見えた彼女が、今では俺より拳ふたつ分ほども、小さい。



「殴ってごめんね。ひどいことして、ごめんね」



 すっと、彼女が離れ、震える声で、涙目のまま笑顔になって、言った。



「わたし、いいから。なにされても、いいから、覚悟、出来てるから。お願い、一樹くん……わたしに、あなたの本当の感情を……下さい」



 なにもかも、あきらめたような表情。

 罵っても、殴っても、あるいは犯しても、殺されても、すべてを許容する。

 涙ながらにそう言った彼女の手は、膝元は、しかしぶるぶると――震えていた。


 そんな彼女に。



「……ふざけるな」



 俺は、望み通り、思いをぶつける。



「俺はお前が怖い。目の前に立ってるだけでも動悸息切れが止まらない。面と向かって話すと膝が震える脂汗が出る。手を触れ合うと過呼吸を起こしかける。みんなお前が俺の心に刻んだ傷のせいだ! でも――」



 彼女の瞳を、まっすぐに見ながら、俺はきっぱりと言う。



「でも、俺はお前を殴っても嬉しくない。お前を罵っても嬉しくない。過去お前にされた仕打ちを例えお前に返しても、俺は全然嬉しくないんだよ!!」



 恨みは、ある。

 忘れない、忘れられない傷がある。


 だけど、だからこそ。

 それを相手に返そうなどとは、思わない。思いたくない。

 それを望む俺の中の大魔王しょうどうを、俺はけっして許したりしない。



「……わかんないよ。わたし馬鹿だから、どうしたらいいか、わかんないよ」



 途方に暮れた様子で、彼女は声をしぼり出した。



「認めちまえ」



 と、俺は言った。



「俺が恐れた大魔王も、俺が好きだった芳乃姉さんも、どっちもお前じゃねえか。だったら、俺の恐怖の対象も、俺の初恋の相手も、大間桜、お前でいいんだよ。嘘もほんともない。どっちもお前だ! それを認めちまえ。理想の自分を別人にするな! 残った嫌な部分が本当の自分ダイマオウだなんて卑下するな! それから、今の大間桜! 大魔王が怖くて、今まで自分でちゃんと認められなかったけどな。実はお前のこと、すげえ好きだったんだぞっ!」



 一息にまくし立てる。

 俺の叫びに、同調するように泣いて。

 しゃくりあげながら、涙を拭くと、いろんな感情に耐えるように、彼女は見蕩れるような笑顔をつくった。



「わたし。あなたが好き」


「――わたし、あなたが大好き」


「――大間桜は、小堺一樹が、駄目になっちゃうくらい好きです」



 涙声での、告白。

 腹の底からの言葉に、俺も本音を返す。



「俺もだ。俺も大間桜が好きだ。芳乃も好きだ。大魔王は怖いけどな。そんなのどうだっていいくらい、大間桜のことが――好きになっちまったみたいだ」



 そう言って、抱きしめる。抱きしめあう。

 月明かりに照らされて、裸の感情同士が、二つに交じり、融けた。







 その後、俺と彼女がどんな関係になったかというと、これは表面上は一切変わらなかった。

 いつものように一緒に学校へ行き、彼女の手作り弁当を食べ、たまに手をつないで出かける、そんな関係だ。



「結局」



 学校への道を歩きながら、俺は考える。



「俺の脳内を除けば、単なる普通の男女交際だったんですよね」



 俺の中ではサスペンス&バイオレンスな毎日が繰り広げられていたのだが、それは自分の中だけのこと。

 実際は、人もうらやむような桃色キャンパスライフだったわけだ。

 なるほど。友人に「もげ爆ぜろ」と言われるのも納得だ。



「そうなんだよね」



 肩を並べて歩く大間桜がうなずいた。

 再会した時のような、文句なしの美少女の姿。

 その中身も、今はもう大魔王なんかじゃない。普通の女子高生だ。



「憧れてたはずなのに、ずっと怖かった。嬉しかったのに、不安だった。でも、今は違う」



 見惚れるような、天使の笑顔で、彼女は口を開く。



「――怖くなくなった。不安じゃなくなった。気持ちで触れ合ってるのがわかるの。ほんっとしあわせ」



 そんな彼女が、本当に幸せそうで、俺の胸にも、幸福感が溢れてくる。



「しかし、大魔王とこんな関係になるなんて、思ってもみませんでした」



 恐ろしくて。

 そもそも当時の俺にとっては性別=大魔王な認識だったし。



「わたしはずっと思ってたよ」


「はは、捕まってしまいましたか」


「うん。捕まえた。そして離さない。幸せも、一樹くんも。ずっとずっと」



 くるくると回りながら、彼女は片目をつぶり、笑顔。



「知ってるでしょう? 大魔王からは逃げられない――絶対にね!」



 その微笑みは、朝日に透けて輝くようだった。





大魔王がいつのまにか女子高生にジョブチェンジしていた――了





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