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異世界とおならの力

 タクミがマンションのエントランスに入ったのは、夜の九時過ぎだった。

 コンビニの袋の中にはカップラーメンと缶コーヒー。今日もゲーム三昧の予定だ。


 ちょうどエントランスにいたのは、隣の部屋に住む幼なじみのヒナだった。

 彼女の袋からはポテチやチョコレートがのぞいている。


「お、またカップ麺? 絶対体壊すよ」

「うるせぇ。お前だってジャンクフードばっかだろ」

「でも私は女の子だからいいの」

「いや、理屈おかしいだろ」


 軽口を交わしながらエレベーターに乗り込む。

 昔から隣同士で育ち、口げんかばかりだが気楽な関係だ。


 エレベーターが開き、それぞれの部屋へ。

 タクミは靴を脱ぎ、机に袋を置いた――その瞬間。


 ぐらり、と地面が揺れた。


「地震っ!?」


 照明が揺れ、食器がガタガタと音を立てる。

 思わず身をかがめた拍子に、タクミはやってしまった。


「ぷっ」


 不意に漏れた音に顔を真っ赤にするが、それどころではない。

 揺れは激しくなり、立っていられなくなった。


 やがて収まり、静寂が訪れる。

 タクミは玄関を開けようとした――が、開かない。

 代わりに耳に届いたのは、鳥の鳴き声と風の音だった。


 ベランダに出ると、そこには――

 ビル群も道路も消え、見渡す限りの森。


「な……んだこれ……」


 隣のカーテンが開き、ヒナが顔を出した。


「タクミ!? どうなってんの、これ!」

「俺が聞きたい!」


 こうして二人の「二部屋ごと異世界転移生活」が始まった。


 隣り合った二部屋は、まるごと森に切り取られた形で存在していた。

 ヒナの部屋はクッションやぬいぐるみが散らかり、女の子らしい空間。

 タクミの部屋はゲームと漫画が山積みで足の踏み場もない。


「……やっぱ私の部屋のほうが居心地いいよね」

「いや、こっちは男の隠れ家って感じだろ」

「ゴミ屋敷の間違いじゃない?」


 壁越しに怒鳴り合いながらも、ベランダや玄関から行き来できる。

 二人は自然に「マンション二部屋同居生活」を始めた。


 最初の数日は、残された食料を頼りに過ごす。

 だが不安は日に日に増していった。


 四日目の朝。

 鳥のさえずりと森のざわめきで目を覚ました二人は、タクミの部屋に食料を持ち寄り、机に並べた。


「ラーメン合計十七個。缶詰七つ。お菓子類が八袋。飲み物は水が六本とコーラ二本」

「……二人で食ったら一週間ちょっとだな」


 ヒナは真剣にメモを取り、タクミは腕を組む。


「タクミ、これじゃ絶対足りないよ」

「わかってる。昨日より今日の方が腹減るの早いし」

「それはタクミが食いすぎなだけでしょ!」

「うるせぇ」


 言い合いながらも、現実は厳しい。


「……やっぱり、森に出て何か探すしかないね」

「狩りか……」

「釣りでもいいし、果物でも……でも毒だったらどうしよう」

「俺が確かめる」


 タクミはきっぱりと言った。


「えっ……危ないよ!?」

「仕方ねぇだろ。二人とも外でやられたら帰る場所もなくなる」


 ヒナは悔しそうに唇を噛み、渋々頷いた。


「……じゃあ、今日は準備ね。水筒代わりにペットボトル持ってって。非常食にラーメン一つ」

「よし、決まり」


 二人は机を挟んで拳を軽く合わせた。

 異世界での最初の本格的な作戦会議は、こうして幕を閉じた。


 翌朝。

 タクミは荷物を背負い、森の奥へと足を踏み入れた。

 背中でヒナが「気をつけてよー!」と叫ぶ声がしたが、すぐに木々に飲み込まれる。


 湿った土の匂い。見渡す限りの自然。人の気配は一切ない。


(……ここ、本当に日本じゃない。俺たち、やっぱ異世界に来たんだ)


 胸の奥でざわつく思いを抱えて歩いていたとき――


「ぷっ」


 不意に漏れた音。

 その瞬間、近くの鳥が一斉に飛び立った。


「……え?」


 偶然かと思ったが、どうにも胸騒ぎがする。

 タクミは意識してもう一度試した。


「ぷぅぅ……」


 落ち葉がふわりと舞い上がる。風が吹いたようだった。


「……風? 俺の……おならで?まさか?」



 そこからタクミの“検証”が始まった。


「ぶっ!」

 爆音が響き、木の幹が震える。


「音圧まで!? やべぇ……」


「ぷぅぅ……」

 強烈な臭気が広がり、動物たちが逃げ去る。


「うっ……目に染みる! これは毒ガス兵器……」


 次は集中。


 ――ふわり。小さな光が宙を漂う。

 さらに人影のような幻が浮かび、すぐに消えた。


「光と幻影まで!? ……おなら万能説……」


五.眠れる獣


 その時だった。

 森の奥から「ガサガサッ」と重い音。


 現れたのは――体長五メートルはあろうかという巨大なイノシシ。

 丸太のような足、岩のような筋肉。

 牙は人間の背丈ほどもあり、目は血のように赤く光っている。


「……は、はぁ!? でっか……っ!?」


 イノシシは地面を掻き、突進態勢を取る。


 ドゴォォォン――!


 巨体が矢のように走り、横の大木に激突。

 直径一メートルの木がバキバキと音を立て、あっけなくへし折れた。


「……嘘だろ!? あんなの食らったらミンチだ!」


 全身が総毛立つ。

 恐怖で足がすくむ――だが、必死に腹に力を込めた。


「ぷっ!」


 音が響いた瞬間、空気が震え、イノシシの目が虚ろになった。

 巨体が揺らぎ、そのまま地面にドサリと倒れ込む。


 地鳴りのような衝撃。森の鳥たちが一斉に飛び立ち、辺りは静寂に包まれる。


「……寝た……!? 5メートルの化け物が、一発で……!?」


 タクミは震える手で木の枝を槍のように構え、恐る恐る近づく。

 動く気配はない。

 覚悟を決めて突き立て、とどめを刺した。


 夕暮れ。

 汗だくで解体したイノシシを焚き火で焼く。

 調味料は二部屋分のラーメン用の塩とコショウ。


「タクミ〜! 本物のお肉!? すごい!」

「いや……死ぬかと思ったけどな……」


 二人は肉を口にする。


「……どう?」

「……普通?」

「……だな」


 顔を見合わせ、苦笑した。


「でも……塩とコショウがあってよかったな」

「ほんとそれ! 文明の味だわ!」


 森の中で、二人はささやかな晩餐を楽しんだ。


 夜空を見上げながら、タクミは心に決めた。


「……風、音、匂い、光、幻影、睡眠……。

 どうやら効果は選べる。強い、強いけど……。

 俺のスキルがおならなんて、絶対ヒナには言えねぇ」


 満腹と焚き火のぬくもりに包まれ、タクミは深いため息をついた。


 この時はまだ知らない。

 この“おなら”が、やがて世界を揺るがす力になることを――。

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