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異世界でチートだが万能ではない  作者: 杏栄
第一部 森の中で
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3.魔術/Nの物語

前回のあらすじ。魔覚の練習をした。

この異世界での偉人のエピソード、第一弾は戦場の天使です。

※ 負傷者の描写があります。


 巨大な内海に突き出したK半島は、良港を蔵して、交通、商業の中心として殷えていた。

 また古来その帰属をめぐって紛争の絶えない地でもあった。その名を冠した紛争は数多いが、普通、K戦争と言えば大戦の発端となったものを指す。

 K戦争が歴史に重要とされる理由は2つある。1つは戦争そのもの性質によるもので、この戦争は有史以来初の世界大戦であった。中央諸国を2分した戦争への動員数は総勢300万人を超え、3年にわたる戦闘による死傷者数はその約1割、27万人に及んだ。

 この戦争がこれ程までに大規模になった理由、死傷者数が膨大になった理由の1つに、開戦に先立つ3世代の間比較的平和な時期が続いたことがあげられる。この間諸国間で結ばれた複雑な条約は、小さな火種を瞬く間に大戦へと炎上させた。また、兵器戦術の工夫が積み重ねられ、大きく発展したのに比べ、医療技術がほとんど進歩しなかったため、負傷者の死亡率が高かった。膨大な傷病者に治療の手が回らなかったのである。対戦初期の負傷者の死亡率は、実に4割を超えていた。

 高い死亡率の理由の一端は、治癒魔術の特殊性にもあった。魔術である以上、行使には魔素を消費する。しかし傷を癒すのに費やされるのは、被術者本人の魔素なのである。施術者がどれだけ魔素を使おうとも、治療の効果は事実上本人の魔素量で頭打ちになってしまうのだった。そして、一般人の持つ魔素量は微々たるもので、致命傷はおろか単純骨折さえ治せないのが普通だった。

 治癒魔術そのものは、自然治癒力の活性化と考えられていた。その活性化ができるのは本人の魔素だけなのである。

 単純に魔石を被術者に持たせた場合、治療効果は被術者本人の保有する魔素量を上限とし、魔石は消費されない。服用させても同様である。施術者が魔石を消費して治癒魔術を施すこともできない。施術者が魔石を持った場合は、治癒魔術に魔石を消費することはできるが、治療効果の上限は被術者本人の保有する魔素量のままである。

 治癒魔術の効果において、魔素は治療対象という属性が刻み込まれているかのように振る舞う。

この限界を突破するため、2つのアプローチが工夫された。1つは魔素の移植である。体外に流出した体液が魔素を帯びていることは、すでに知られていた。失血に対する治療として輸血すると、その血液中に含まれる魔素は施術者が利用できる魔素になるのだった。問題は十分な治療を行おうとすると大量に輸血しなければならず、1人2人ならともかく大量の傷病者を治療できないことだった。

 2つめは魔晶の液化である。生体内で結晶化した魔石は誰でも使うことができたが、治癒魔術においていわば間接的に使うことができない。そこで結晶化し、属性を失った状態から再度液化することにより、魔素を被術者が利用できる形にすることができるのではないか、と考えたのだ。

 第1のアプローチをした者は、血液の保存に腐心した。また血液から有効成分である魔素を抽出しようとした者もいたが、水分を蒸発させていくと、濃度が2倍にならないうちに体液中の魔素は消滅した。遠心分離はかけただけで魔素は消滅した。

 第2のアプローチも困難だった。魔石は純粋魔素である魔晶と魔殻に分かれていたが、魔殻から切り出された魔晶は溶けるように消えてしまった。酸で魔殻を構成する重金属を溶かしても、溶液は魔素を含まず魔晶は消滅した。魔石のまま加熱すると、1気圧下で880Kを超えると消滅する。これが昇華でないことは、密閉容器内で行った精密実験で確かめられた。魔晶は消滅し重量は増加した。魔石は物理法則に従わないのだ。


 Nは諸国連合側の治癒魔術士だった。24人の治癒魔術士と14人の看護士を率いて前線に赴いたNを待ち受けていたのは、大量の傷病兵とその死だった。

 Nは部下の治癒魔術士たちと共に、自ら傷病兵の治療を行った。自分の魔素不足は魔石で補うことができた。しかし傷ついた兵士たちの魔素は瞬く間に尽き、その生存率は向上しなかった。

 1日の終わり、自らの魔素と配給の魔石を使い切るまで治療を行い、報告書と陳情書を大量にしたためる傍ら、遅い糧食を摂ってしまうと、Nは燭台を手に傷病兵を見舞うのを日課としていた。

「N――」

 足音も、衣ずれさえ立てず動くNに囁きかけたのは、淡い燭光に気付く筈のない若者だった。その眼球は無数の小さな木片に貫かれて、すでに摘出されていた。左腕は肩から、右腕は肘から切断され、両脚も大腿の半ばから失われている。背は酷い褥瘡に覆われ、膿の饐えた臭いがした。

 本来野戦病院に置いておける状態ではなかったのだが、後方に搬送することもままならなかったのである。

 Nは膝をつき、若者の顎をやさしく撫でた。目に見える範囲で、唯一そのあたりだけが無傷であり、苦痛を与えることなく触れることができた。

「――おやすみなさい。夜も更けたわ」

 Nも小声で囁き返した。

「はい。でも、N、ひとこと言いたくて。いつもありがとうございます」

 急に深い疲労を覚えて、Nは立ち上がる力を失った。この悲惨な若者に感謝されるようなことを、自分は果たしてできただろうか。Nが触れる顎の髭はまばらで、つまりそれほどこの若者は幼かった。若者の魔素は枯渇し、Nがポケットに隠し持った魔石を費やしても、苦痛を和らげることさえできない。

 戦争の大義は知らず、この若者がこれほどの報いを受けるどのような罪を犯したのか。

 Nは2人姉妹の妹であったが、もし弟がいたらこのようであったろうかという親しみと――憐みを抱いた。

 ああ、万能の秘薬、液化魔晶(エリクサ)さえあれば。

 治癒魔術士であれば、誰もが等しく抱く夢をNは改めて強く願わずにいられなかった。

 四肢の欠損や失明を癒すことはかなわないまでも、痛みをもたらす傷を治すことができるのに。

 Nの左手は無意識に魔法印を結んでいた。


 すべて傷つける者、無力に横たわる者のために


 3万人に1人と謳われたNの魔力が、出口を求めて足掻く。全身の細胞が彼女の願いをかなえようと己を燃やし始める。


 彼らと我と精霊のほか、誰一人知る者がなくとも


 Nの全身を覆う魔力は、徐々に両の掌に集まり始める。クラス4の魔術士として、Nは自分が何か途方もない出来事に遭遇しかけていることを確信していた。同時に魔素のほぼ枯渇しかけた自分が、この事態を乗り切る困難さも。それでも――


 能う限り誠実に、我と我が力を尽くして


 体温が失われる。体が内側から蝕まれていく。Nは無意識に隠し持った魔石を使い潰した。導くものもない魔術のフロンティアで、わずかばかりの魔素がNの疾走を支え、弾け散る。


 痛みを去り、病を除き、傷を癒さんことを願う


 Nの両の掌に激痛が穿たれた。それで終わりだった。

 Nは魔法印を解いた。ふるえる拳をそっと開くと、その掌には聖痕――ねじれた七芒星が刻まれ、半透明の液体が溜まっていた。刻印からの血がまじって、かすかに暖色を帯びている。

 Nは零さないよう慎重にそれを若者の口に注ぎ込んだ。若者の体内に魔素が巡るのを見届けて、Nは気を失った。

 巡回から戻ってこないNを心配して夜勤の治癒魔術士が、とある病床の枕元で失神しているNを発見する。彼女は急いで同僚をたたき起こすと、Nをそっと詰所に運び込んだ。Nは丸1日眠り続けた。Nの発見された場所にいた兵士の魔素量が極端に大きかったこと、Nが酷く消耗していたこと、Nの両掌に穿たれた刻印――いくつかの憶測とひとつの期待が、Nの目覚めを待ちわびる。

 Nは意識を取り戻すや、率いてきた治癒術士全員を招集した。自らの編み出した魔術を伝授すると、治癒術士たちはその聖痕を身に刻み、ただちに実践に移った。新たな治癒魔術――液化魔晶生成において画期的だったのは、液化魔晶に込められる魔素が魔石由来でも可能だったことだ。ただし媒質には魔術士の体液があてられ、その魔素濃度は魔術士のクラスに応じた。事実上魔石さえあれば、魔術士の生理的限界が液化魔晶(エリクサ)生成の限界になる。消耗死寸前まで追い込まれたNの体力は、2度と元に戻ることはなかったが、Nは車椅子の上で生理食塩水の点滴を受けながら、エリクサを作り続けた。効果は劇的だった。野戦病院での死亡率は、40%超から一気に5%まで下がったのである。

 戦後Nは国にとらわれない治癒魔術士の集団、小夜啼鳥の姉妹団を組織した。戦場にさえ赴くための護衛部隊、魔石を自前で調達するための狩人と、治癒魔術の研究部門がつくられ、姉妹団は独自の勢力を築いていった。90歳で亡くなるまで、Nは姉妹団の精神的支柱であり続けた。実際Nが戦場に身を置いたのは2年間にすぎない。しかしNは戦場の天使と呼ばれ、後世に至るまで慕われ続けた。


魔晶は物理法則に従います。


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