3.魔術/熱魔術
前回のあらすじ。魔素認識に慣れよう、と考えた。
扉をさぐりあてると、廊下の壁に手を触れながら、台所へ進む。足の裏に床の感触があるが、目を閉じているとフィービの光彩が見えているほかは、虚空に浮かんでいるような頼りなさだ。水平面上ぐるりを木々に囲まれている。枝葉と対称に地に張った根が視えるが、地中は見透かし難い。
「フィービ」
少女がふりかえる。頭頂から生えた2本の角はともかく、輪郭だけとはいえ胸の膨らみや、なだらかな腰周りのラインがはっきり視えてしまい居心地が悪い。目で見ているわけではないので、そらすこともできない。
「もう起きられても大丈夫ですか」
泰雅を気絶させた自責の念が、気遣わし気な口調に感じられる。
「大丈夫――ではないけれど、何とか慣れてみるよ――」
心配させてごめん、と続ける筈の言葉が出てこない。ただのコミュ障で他意はない。
「黒猫、様は?」
「森へおいでです。泰雅様が落ち着かれるまで、魔術の講義はおやすみと仰って」
「そう」
「あの…お掛けになりますか」
「うん」
と答えてはみたものの、椅子がどこかもわからない。
「あの…どうして目を閉じて」
言いさしたが、フィービは壁際から何か持って来て泰雅の横に置いた。手で触れて確かめてみると、スツールらしい。
「ありがとう」
「お茶をご用意いたします」
竈の火を熾し、自在鉤に薬缶をかける。フィービはもうひとつスツールを引き寄せて、泰雅の前に座った。
「どうして目を閉じていらっしゃるのですか」
「えーと、目を閉じても、生き物が見える――この感覚ってわかる?」
「はい。魔覚でございますね」
案外ベタなネーミングだった。翻訳の都合かもしれない。日本語にない語彙だからといって、聞きなじみのない音の羅列では意味不明だ。表意文字便利。
「もともと俺は魔覚を持っていなかった。急に視えるようになって、視覚との混乱が酷いんだ。だからまずこの感覚に慣れようと思って」
「それは…」
フィービは絶句した。泰雅が今まで魔覚を持っていなかったことへの同情?新たに力を与えた黒猫の能力への畏怖?それともこれら全てへの不信だろうか。
「フィービには何が視える?」
「泰雅様が視えます」
「その他には?」
「その他でございますか」
フィービは居住まいを質した。小さく首をかしげる。
「森とか」
「まさか」
フィービは小さく首を振った。
「妾などせいぜい家の範囲がわかるくらいで」
ちょうど薬缶の湯が煮え滾り、フィービは茶を淹れる為に立ちあがった。意識する間もなく、少女が身を翻す。
この魔覚は範囲に個人差があるらしい。精度や強度にもあるかもしれない。泰雅にとって衣服など、素通しも同然であることは言わない方がいいだろう。これ以上この方向に話をすすめるのは危険だ。
「どうぞ」と置く手は視えるが、置かれたカップは朧気だ。
「ありがとう」
確かこのあたりに、と見当をつけて手探りする。カップを探りあて、更に向きや形を確かめてから口に運ぶ。
「魔覚は誰でも生れつき持っているものなの」
「おっしゃるとおりです。稀に生れつき魔覚を持たない子供もいるとききますが、妾はあったことはございません」
「フィービは魔術を使えるの」
「使えます。ごく簡単なもので、力も大したことはございませんが」
「どんな魔術」
「例えば先程、竈の火を熾すのに、熱魔術で粗朶に火を移しました。炊事などには便利です。しかし熱魔術を使えるといっても、薬缶一杯の水を沸かせる程ではございません」
「熱魔術?火ではなく?」
「火魔術ですか?泰雅様のいらした世界ではそのような魔法がございましたか」
「いや、俺のいた世界に魔法はなかったけれど」
「熱魔術は、ものを熱したり冷やしたりする魔術ですが、同じような魔術でございましょう。火…と申しますから熱するだけのものでしょうか」
「魔法はなかったんだけれど、たくさんの人が魔法がある世界があったいいなって物語を書いていたんだ。火魔法というと、火の玉を相手にぶつけて焼いたり、炎の壁を作って敵を防いだりするのが相場だったかな」
「火の玉をぶつけるのですか!それを相手に投げつけるときに自分は熱くはないのですか」
「いや自分で投げたりはしないよ。空中に作り出して、相手に向かわせるんだ」
「考えるだけで狙い通りに飛んで行くのですか!素晴らしい魔術ですね。それで一体何が燃えているのでございましょう」
「さあ、燃料みたいなものはいらないんじゃないかな、魔法だから」
泰雅の声は尻すぼみに小さくなった。話しているうちに、なんだか幼稚なことをいっている気がしてきたのだ。話題を変えよう。
「他には何かある?」
「治癒魔術というものがございます。妾は使えませんが」




