寿綾乃という女 第4部 225
それまで、聞いたことのない、仰天の事実を言った…
私と、ナオキは、思わず、顔を見合わせた…
顔を見合わせて、固まった…
それほど、衝撃だった…
衝撃の事実だった…
たしかに、言われてみれば、わかる…
まともな人間が、ヤクザから、金を借りる必要はない…
ヤクザ=闇金から、金を借りるのは、正規の業者から、金を借りることが、できないから…
だから、借りる…
が、
しかしながら、あのときは、そんなこと、考えもしなかった…
ただ、ユリコが、高尾組というヤクザから、金を借りたのを聞いて、あのユリコは、人脈が、広いと思っただけだ…
相変わらず、トロい…
大トロ…
私は、自分自身を思った…
そして、そう、思っていると、昭子が、続けた…
「…そんなことも、あって、あのユリコの評判は、悪かった…元々、悪かった…最悪といってもいい…」
「…」
「…それで、今回の一件で、私も和子も、堪忍袋の緒が切れた…周囲の人間に、あのユリコと絶対、関わりを持つなと厳命したから、この先、この日本で、おおっぴらに活動することは、ほぼ不可能でしょう…」
昭子が、語る…
「…もちろん、さっき、言ったヤクザは、関わるかも、しれないけれども、ヤクザは、一般人以上に、リスクを嫌う…冒険を嫌う…だから、まあ、無理ね…」
そう、言って、昭子は、楽しそうに、笑った…
おそらくは、あの和子の名前で、周囲に、
…あのユリコと関わるな!…
と、厳命を出したのだろう…
五井の名前で、厳命を出したのだろう…
いわば、ユリコは、虎の尾を踏んだ…
五井という、虎の尾を踏んだのだ…
当然の結末だった…
火を見るよりも明らかな、当然の結末だった…
それを、聞いて、明らかに、ナオキは、衝撃を受けた様子だった…
ショックを受けているのは、傍から見ていても、わかった…
が、
昭子は、それを見て、言った…
厳かに、言った…
「…藤原さん、ひとを騙す人間は、また、必ず、ひとを騙すものですよ…」
と、言った…
「…藤原さんには、失礼ですが、藤原さんは、かつて、あのユリコに騙されたと、お聞きしました…」
昭子の言葉に、ナオキは、なにも、言わなかった…
ジュン君のことを言っているのは、明らかだった…
ナオキは、ジュン君を自分の血の繋がった息子とだと、思っていたが、そうでは、なかった…
別の男の子供だった…
それを、この昭子は、言っていることは、明らかだった…
「…藤原さん、そんな人間とは、付き合っては、いけません…自分が、損をするだけではなく、そんな人間と付き合うような人間だと、周囲から見られます…」
昭子が、きっぱりと、言った…
ナオキは、なにも、言えなかった…
ただ、黙っていた…
無言のままだった…
言われて、もっとも…
もっともなことだからだ…
そして、そんな光景を見ながら、思ったのは、このナオキには、相談相手がいないことだった…
それまで、考えたことはなかったが、このナオキには、まともな相談相手がいなかったのだろう…
この相談相手というのは、プライベートのことではない…
パブリックなこと…
会社のことだ…
会社の経営について、相談する相手がいなかったのだろう…
むろん、ナオキにも、会社は、もちろん、起業仲間もいる…
しかしながら、経営について、腹の中を割って話せるような人間は、ひとりも、いなかったのだろう…
つくづく、思った…
思ったのだ…
そして、そんなことを、考えていると、伸明が、ポツリと、漏らした…
「…母さんは、ボクが、そんなに、頼りなく見える?…」
と、漏らした…
昭子は、
「…そうね…見える…」
と、返した…
普通なら、言わないことだ…
普通なら、自分の息子でも、言わないことだ…
血を分けた自分の息子でも、口にしないことだ…
まして、他人がいる…
私や、ナオキが、いる…
その他人の目を気にして、言わないことだ…
が、
それを、あっさり、言う…
遠慮なく、言う…
それこそ、昭子…
この諏訪野昭子の真骨頂だった…
伸明は、なにも、言わなかった…
昭子も、これ以上、なにも、言わなかった…
マミさんも、なにも、言わなかった…
いえ、
言えなかった…
いかに、マミさんでも、この伸明と、昭子の母子の問題には、口を出せないからだ…
当然、私もナオキも、なにも、言えなかった…
あたりを、沈黙が、支配した…
誰もが、この場に、いたたまれない沈黙が、支配した…
その後、私たちは、皆、病室を出た…
やはり、気まずい…
気まずかった…
病室には、昭子が残った…
伸明と、昭子だけが、残った…
きっと、母子二人だけで、話したい話があるのだろう…
それもあって、私たち三人は、足早に病室を出た…
正直、私とナオキは、関係がない…
これ以上、関係はない…
二人が、話すのは、今後の五井のことだからだ…
だから、私や、ナオキは、関係がない…
その一方、マミさんは、関係がある…
マミさんは、五井の人間だからだ…
正式には、五井家の人間ではないが、前当主、建造の娘だからだ…
マミさんは、建造が、外で、作った子供だからだ…
それが、さっきの昭子の発言で、マミさんは、正式に五井家の人間になれた…
昭子の養女になることで、正式に、五井家の人間になれた…
そう、思った…
そう、思ったのだ…
が、
明らかに、マミさんの足取りは、重い…
表情も暗い…
私は、なんで、こんなに、マミさんの表情が、暗いのか、訝しんだ…
マミさんは、正式に五井家の人間になるのが、嫌なのだろうか?
五井家の人間になることで、責任が、重くなるのが、嫌なのだろうか?
考えた…
だから、
「…マミさん、どうして、そんな暗い顔をしているんですか? 良かったじゃないですか? これで、マミさんも、正式に、五井の人間に…」
と、私が、言いかけると、私の発言を、最後まで、聞くことなく、マミさんが、遮った…
「…良かった? なにが、良かったの!…」
と、怒った口調で、遮った…
私は、唖然とした…
意味が、わからなかった…
なぜ、マミさんが、怒っているのか、わからなかった…
だから、
「…マミさん、なんで、怒っているんですか?…」
と、聞いた…
努めて、明るく聞いた…
それを、受けて、マミさんが、ボソッと、
「…はめられた…」
と、漏らした…
あまりにも、意外な言葉を漏らした…
「…はめられた? どういうことですか?…」
と、私は、聞いた…
聞かざるを得なかった…
「…私が、昭子叔母様の養女になり、伸明さんと、共に、五井本家を代表する立場につく…」
「…それは、良かったじゃ、ないですか…」
と、私は、ノホホンとした調子で、言った…
が、
それを、ナオキは、咎めた…
「…良くは、ないよ…綾乃さん…」
と、咎めた…
「…良くは、ないって、どういうこと?…」
と、私は、ナオキに、食ってかかった…
マミさんには、食ってかかれないが、ナオキには、できる…
だから、ナオキには、悪いが、ナオキに、食ってかかった…
「…綾乃さん、このマミさんが、正式に、五井本家を代表する立場になれば、責任が、問われる…」
と、ナオキ。
「…責任?…」
と、私。
それを、聞いたマミさんが、
「…これまでは、五井本家を代表する立場の人間は、伸明さんだけだった…」
と、言った…
「…あの昭子叔母様は、世間に顔出ししない…だから、伸明さんだけだった…」
と、マミさんが、言った…
「…」
「…でも、私が、昭子叔母様の養女になることで、私もまた、正式に五井の代表になる…五井本家を代表する立場になる…」
「…それが、どうかしましたか? 良かったじゃないですか?…」
と、私は、言った…
それを、聞いた、ナオキが、
「…良くは、ないよ…」
と、繰り返した…
怒った表情で、繰り返した…
「…どうして、良くはないの? ナオキ?…」
と、聞いた…
やはり、ナオキには、聞きやすいからだ…
「…さっきも言ったように、五井を代表する立場になれば、責任が、生じる…」
「…それが、どうしたの? 当たり前でしょ?…」
「…綾乃さん、責任が、生じるということは、なにか、あったら、責任を取らなきゃ、いけない立場になるということだよ…」
ナオキの言葉を聞いて、マミさんは、我が意を得たりと、ばかりに、頷いた…
「…さすがは、藤原さん、よくわかっていらっしゃる…」
と、言って、頷いた…
私には、わけが、わからなかった…
だから、言った…
ナオキに言った…
「…どういうことよ、説明して!…」
と、ナオキに言った…
ナオキは、
「…たぶん、彼女は…あの昭子さんは、言いづらいが、このマミさんを、諏訪野さんの風よけというか、諏訪野さんの盾に使うつもりだよ…」
と、言った…
とんでもないことを、言った…
「…風よけ? 盾? ナオキ、アナタ、なにを言っているの? 気は、たしか?…」
と、私が素っ頓狂な声で言うと、マミさんが、
「…藤原さんの言う通り…」
と、言った…
私は、わけが、わからなかった…
どうして、このマミさんが、風よけなのか?
盾なのか?
さっぱり、わからなかった…
「…風よけっていうのは、諏訪野さんに、責任が、及ばないこと…」
「…えっ? 責任?…」
「…なにか、あれば、このマミさんのせいにして、責任を取らせる…だから、このマミさんは、諏訪野さんの盾…風よけ…」
ナオキが、説明した…
私に、その真意を説明した…
私は、唖然とした…
…まさか、そんな…
…そんなことが…
ナオキの発言を聞いて、マミさんは、
「…あの昭子叔母様は、それを、狙ったんだと、思う…」
と、続けた…
「…でも、どうして、そんなことを?…」
私は、聞いた…
仮に、今、このナオキとマミさんが、言ったことが、本当だとしても、なぜ、そんなことをするのか、わからないからだ…
マミさんは、
「…原因は、たぶん、今回の伸明さんの行動にある…」
と、喝破した…
「…行動?…」
私は、間の抜けた感じで、マミさんに、問いかけた…
「…伸明さんの行動…勝手にあのユリコさんと接触して、自分だけの力で、なんとかしようと、したでしょ?…」
「…」
「…そんな行動が、続いて、それが、世間にバレでも、したら、責任問題になる…そのときに、私がいれば、責任回避しやすい…補佐役は、どうしたんだと、私が、言われて、伸明さんの責任が、回避まで、いかなくても、軽くなる…」
「…そんな…」
「…昭子叔母様は、バカじゃない…切れ者よ…なにもなくて、私を養女にするはずはない…」
「…でも、そんなことが、わかっているんだったら、マミさんは、養女になんて、ならなければ…いえ、そんな目論見を、マミさんのお母様は、気付いているんですか?…」
「…たとえ、気付いていても、なにもできない…」
マミさんは、力なく、言った…
「…そして、それは、同じ…私も同じ…私は、伸明さんにも、昭子叔母様にも、なにも言えない…私の立場では、なにも、言えない…」
「…そんな…」
私は、言った…
唖然として、言った…
ナオキは、そんな私を見て、
「…現実は、こんなものだよ…綾乃さん…」
と、言って、私を慰めた…
「…夢を見ちゃ、ダメだ…」
「…夢? そんな夢って?…」
「…この世の中にいる人間すべてが、善人で、ひとを騙したり、イジメたりしなければ、戦争は、起こらないし、争いは、起こらない…」
「…」
「…そういうことだよ…」
「…そういうことって?…」
私は、言った…
ナオキが、言った現実を言った…
たしかに、ナオキが、言った現実が、正しいのかも、しれない…
が、
私は、そんな現実を知りたくなかった…
そんな現実を受け入れたくなかった…
が、
やはり、それも、甘い…
大甘だろう…
あの昭子と和子が、考えることは、五井のこと…
五井本家のことだけ…
あるいは、なにもまして、五井本家を優先して、考えるだろう…
当たり前のことだ…
だから、おそらく、マミさんの言うことは、正しい…
ナオキの言うことも、正しい…
私だけが、気付かない…
あの昭子の仕組んだ罠に気付かない…
あの昭子が、マミさんを養女にしようとした目的に、気付かない…
そして、それを、思えば、あのユリコのこと…
今回の黒幕は、彼女であることに、だいぶ、前にうっすらと、気付いていた…
にもかかわらず、対策もなにも、しなかった…
それを、考えると、あらためて、自分の愚かさを感じる…
痛いほど、感じる…
果たして、私は、このまま、ナオキとパートナーを続けることが、できるだろうか?
ナオキの足を引っ張らないだろうか?
そう、思った…
強く、そう、思った…
<了>




