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第一部 ポルティガ開港祭事変 <1> 昼行灯の平騎士

「ふぁぁ……」


 潮の香りが混ざったぬるい海風を浴びながら、ウィン・カークライトは左手を口に当てて、今日何度目かわからない大きな欠伸をした。


 視線の先には、5年に一度の開港祭を3日後に控え、浮足立った王都ポルティガの喧騒が広がっている。


 港に面した大広場の中央には、灯台も兼ねた時計塔が聳え立っている。ひっきりなしに行き交う商船、屋台から漂う魚を焼く匂い、そして様々な国から集まった観光客たちの笑い声。


 時計塔は、そのすべてを見守っているようにも見える。


「ウィン、騎士たるものがだらしないぞ」


「……アンナは相変わらず生真面目だな。迷子探しに酔っぱらいの仲裁、観光客への道案内、これで騎士らしくしろって方が無理な相談だろ」


「どれも我々の大事な仕事だ」


「アンナは騎士の鑑だな。表彰ものだぞ」


「まったく……」


 隣で眉をひそめる同僚のアンナ・マルグリットに、ウィンはだるそうに肩をすくめて見せる。


 平和で、賑やかで、どこか間の抜けた王都の日常。


 だが、ふと海峡の向こう側、南の対岸へ視線を向けると、ウィンの目は一瞬で鋭さを増す。


 ポルティガの煌びやかな港から、アルサール海峡を挟んでわずか14キロ先。


 そこには、思いがけない近さで切り立った崖があり、見上げた先には昼なお昏い鬱蒼と生い茂る森の姿が見える。海風に乗って、時折異形の魔物の咆哮が微かに鼓膜を揺らす。


 時計塔の鐘の音と重なり合うその魔物の声は、ポルティガの街の特異性を際立たせている。


 人類の生存圏の最前線にして、対岸に広がるのは未踏の地<魔の森>。


 多くの魔物が生息し、冒険者たちしか訪れない場所。ポルティガは交通の要衝であるだけでなく、冒険者たちのベースキャンプになる街でもある。


 そんな危険と隣り合わせの環境にありながら、今日も活気に溢れ祭りの準備に勤しむこの街の逞しさに、ウィンはいつものように感心してしまう。


 知り合いの船乗りたちは、ここは世界の果てだよと酔っぱらって言っていた。


(俺はこの辺りしか知らないが、世界を旅した船乗りたちがそう言うのであれば、確かにこの街は世界の果てなのかもしれないな……)


 ウィンがそんなことに思いを巡らせながら巡回を続けていると、大広場の奥から悲鳴があがった。


「スリだっ! 誰かぁあっーー!!」


 見れば、観光客を突き飛ばしながら、一人の小柄な男が猛スピードでこちらへ向かって走ってくる。


「ウィンっ!」


 アンナが鋭く声を上げ、腰の剣に手をかける。


 しかし、彼女が剣を抜くよりも早く、ウィンはすでに走り出していた。大広場には多くの群衆がいて、スリは人を避けようと身をかわしたり、かわしきれないときには突き飛ばしたりして、必死に逃げようとしている。


 スリの男は何度か振り返り、追いかけてくる男との距離を確かめながら速度を上げる。


(……)


 ウィンは走りながら男の動きと大広場の群衆を見る。人の位置と、スリのスピード、それらを確認して、走りこむ位置を変える。


 スリは、まるで強力な磁石でウィンに引きつけられてでもいるように、ウィンの予測通りの位置に向かってくる。


「うぉおおっ---!?」


 スリの男の体が、不自然に宙を舞った。


 男は勢いそのままに数メートル吹き飛び、次の瞬間、重力の存在を思い出したかのように鈍い音を立てて石畳に激突する。


「いってぇええーーーーっ!?」


 ウィンは、すれ違いざまに自らの足を引っかけたのだった。


「ただでさえ多い仕事を増やしやがって……これ以上長引いたら、残業になるだろうが」


 地面に転がるスリの男を見下ろし、ウィンは首の後ろをゆっくりと掻く。


 スリはすぐに立ち上がり慌てて逃げ去ろうとするが、ウィンが再び足を引っかけると、今度は前のめりに倒れこむ。


「うっ」


「往生際が悪いぞ」


 ウィンは、スリの手を後ろ手に押さえつけたまま立ち上がらせる。銀貨が入った小袋をひょいと奪い取ると、息を切らして追いかけてきた男に渡す。


「騎士様っ、ありがとうございます」


 男は開港祭目当ての旅人だったのだろう。ポルト王国なまりではない言葉に、ウィンはよそ行きの笑顔を見せる。


「無事戻ってよかった。開港祭をぜひ楽しんでくれ」


「ありがとうございます」


 男は重ねてお礼を言うと、雑踏に消えていく。


「相変わらず仕事が早いな。これで勤務態度がよければ表彰ものだぞ」


 いつの間にか隣に並んでいたアンナが、腕を組んだまま先程の意趣返しのように言う。


 ショートカットの金髪のアンナ・マルグリットは、冗談を言うのになれていないのか、表情がぎこちない。


 ウィンはそんなアンナに思わず笑顔になる。


「表彰なんていらないさ。俺は平和なこの街でのんびりと暮らしていたいだけなんだからな」


 ウィンはそう言ってやれやれという表情を見せる。


「まったく、ガルシア隊長も、なんで俺とアンナを組ませたんだか……」


「ウィン……聞こえてるぞ」


 射貫くような瞳でアンナが言い、ウィンはごまかすようにもう一度乾いた笑顔を見せる。


 やる気のないウィンと、生真面目が軽鎧を着て歩いているようなアンナのコンビは、第15隊隊長であるガルシアの指示だった。


 ポルト王国の騎士団は第1隊から第15隊まであるが、第15隊は一番序列が低い。第1隊が近衛隊と呼ばれ王族の警護を司っているのに比べると、騎士団といってもむしろ王都の警備兵に近いと言ってもいいだろう。


 けれど、ウィンは第15隊に所属していることを嬉しく思っている。王族の警護などしたくはないし、たとえば第2隊は国境の砦で、隣国とのにらみ合いを続けているので御免こうむりたい。


(特に北東の山砦『ヴァレンス砦』なんかに行かされた日には、俺は一日で逃げ出すね)


 戦争状態ではないが緊張感の途切れない隣国との国境なんて、考えただけで気が休まらない。


 それに比べると、末席と呼ばれる第15隊は忙しくはあるが快適な王都にいることができるし、仕事内容もどちらかというと雑用に近い。


 仕事を終えた後、なじみの店で、おいしいエールを飲んで一日を終わらせることを愛しているウィンにとってみれば、最高の環境だったのである。


「いてぇ、いてぇよ……なんてバカ力だよ」


 スリが腕をよじりながらそう言う。ウィンは忘れていたとでも言うように捕まえたスリを見る。この男を突き出さなくてはならない。


 犯罪者を引き渡すには、開港祭の警備を担当している騎士団か、街の警備隊の二つの選択肢がある。


「開港祭の警備の取りまとめは第7隊が担当していたな……よし、ポルティガ警備隊に連れて行こう」


「ん? 第7隊じゃなくていいのか」


 アンナがそう尋ねる。同じ騎士団ではなく、街の警備隊に引き渡すことに驚いたのだ。


「第7隊はどうも苦手なんだよ。あそこは家柄のよい貴族の集まりで、貴族であることをちょっと鼻にかけているところがな。それに、ポルティガ警備隊の詰所は広場を抜けてすぐそこだ。仕事熱心な俺たちとしては、近い方にこいつを預けて、巡回に戻ろうというわけだ」


「もっともらしいことを言って……」


 アンナはそう言うが、別に否定はしない。騎士団の掃きだめと揶揄されることもある第15隊の騎士にとって、第7隊はちょっと面倒だというのは真面目なアンナにしても同感だったのだろう。


「よう、ウィン。めずらしく精が出るな! さすがのウィンも、開港祭前には忙しいか」


 ウィンが大広場から歩き始めると、顔なじみの連中がそう声をかけてくる。


「さすがウィンだねっ、ありがとうよ!」


 八百屋の女将がウィンを見つけると声をかける。


「はいはい」


 ウィンはそれらの声を軽くいなすと、広場を抜けた先にある警備隊の詰所にスリを引き渡す。


「ウィン様、確保ありがとうございますっ!」


 若い警備兵はウィンに対して敬礼をする。騎士団は貴族の子弟でなければなることは出来ず、そこには礼儀が存在している。


「そういう堅苦しいのはいいから。牢屋、まだ入れられるの?」


「もうじき足の踏み場もなくなるさ。観光客も増えたが、性質の悪いのも同時に増えている」


 詰所の奥からやってきた強面の中年男が、ウィンに向かってそう声をかける。


「よう、アンドレ。まあ、5年に一度のお祭りだものな。観光客だけってわけにはいかないか。その財布を狙うスリも溢れてくる」


「スリだけで済めばいいがな」


 この詰め所の警備隊長であるアンドレは、古参の警備兵であり、騎士であるウィンと昔からの顔なじみである。ウィンは18歳で騎士学校を卒業して騎士になり、現在25歳である。


 7年の間、アンドレをはじめポルティガの多くの場所で、様々な事件を通じて様々な人たちと交流を続けてきた。


 やる気がないと言いながら、街の困りごとにしっかりと首を突っ込んでくれるウィンのことを、この街の多くの人たちは信頼している。


 貴族の子弟でなければ騎士になることできず、中には貴族の身分を嵩に威張り散らすものも多い。そんな中、そういった態度とは無縁なウィンのことを、市民たちは好ましく思っていたのである。


(貴族といっても男爵家の三男坊で家督争いとも無縁な俺にとっては、この第15隊のぬるま湯のような環境がちょうどいい。15歳まで<魔の森>で死線を引きずり回されて育った俺からすれば、このぬるい日常こそが至高なんだよ……)


 ウィンは心底そう思っていた。


「スリ以上のトラブルはごめんだよ。もう少しで今日の勤務も終わる。こっちは朝から働きづめなんだ」


 だからそれは本音だった。


「それはこっちだってそうだ。開港祭期間は休みなんかねえさ」


 アンドレはそう言うとガハハハと大きな声で笑う。


 荒くれ者が集まる港の警備隊長は、腕っぷしが名刺代わりだ。相変わらずドワーフのように筋骨隆々な男だと、ウィンは可笑しくなる。アンドレが人族というのは、何かの間違いだろうといつも思っている。


「祭り期間の連勤はまあしょうがないさ。ただ、俺がこの世で最も嫌いな言葉は残業だよ」


 ウィンはそう嘯くと、軽く手を挙げ詰所を出る。その後ろをアンナが真剣な表情をしながら追いかけてくる。


「ウィン、軽口がすぎるぞ」


「まあ、友人との他愛のない会話だよ」




「きゃあぁぁっ!!」




 ウィンがそう答えた刹那、今度は広場の先の路地の方から女性の叫び声が響き渡る。ウィンは次の瞬間、一度短く振り返ると、すでに走り出している。


 アンナは慌ててその後ろを追いかけながら、けれどもどこか頼もしげに小さく息を吐く。


「あんなにやる気がなさそうなのに、トラブルには誰よりも早く向かっていくんだからな……」


たくさんの作品の中で見つけていただき、読んでいただきありがとうございます!


【いつまき】は、より多くの皆様に届くよう『カクヨム』様でも同時投稿しています。

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