58 火中のエレーナ・レーデン3
『布の国』と『檻の国』の境、若干『布の国』に寄っている平原の戦い。
連邦軍による最後の抵抗、聖剣氣部隊の敵本陣への特攻は、まさに破竹の勢いだった。
乱戦気味な最前線は比較的手薄であり、2日前から全軍の数が逆転し間違いなく有利だった反連邦軍は虚を突かれた形になる。
67人の決死隊は身体強化を施したそのスピードで敵をすれ違いざまに蹴散らしながら進み、魔法防御もあのルーニャ家の少女ともうひとりがAMフィールドを張り万全。
とはいえどれだけ万全を期しても、敵にも聖剣氣持ちはいる。
平原を駆ける中で62人に減ったのはそのせいである。
自分たちと同じ速度域で戦闘ができる敵もまた、自然と数人が固まった状態で攻撃してくるのだ。
しかもそういう連中は、進んで反連邦に入ったり金で雇われたりした、自らの意思で戦っている戦闘に長けた者たちであることが多い。
現役の生徒すら駆り出した連邦側の同種よりも、個人の力が大きく勝る。
決死隊はそういう連中も迎撃しながら進まなければならない。結果として倒すことはできたものの5人を失い、対応した者と先を急ぐ者とで若干の距離が出来た。
分断とまではいかないが、こんなことが何回も続けば一丸となって突撃するはずの部隊が散り散りにされてしまう可能性がある。
中にはそれをいち早く察し、湧き上がっていた全能感が薄れ、不安に駆られる者も出てきた。
少し敵を蹴散らしただけで、調子に乗っていたのではないか。本陣に着くころには10人……いや一桁残っているかいないかではないのか。その一桁に自分は入っているのか。入っていたとして、その後は?
考えすぎてしまう者ほど、気勢が見るからに削がれていった。
シフォン・コルトナシーもそのひとりである。
彼女は学園を卒業後、好きだった菓子作りを生業としていた。
学園での成績など底辺もいいところで、聖剣氣量も低く第3クラス。訓練の時間は苦痛でしかなかった。何度も学園を辞めたいと思ったほどだ。就職支援が無ければ夜逃げしていたことだろう。
聖剣氣を持っている以外に何もない凡人がこんな戦場にいること自体が間違いだ、と彼女自身思っている。
連邦から直々にお達しが来てしまったのだから逃げられもしないのだが。
確かに身体強化は凄い。そばかす眼鏡という『いかにも』なインドア派のシフォンすらも、これを使えば屈強な騎士以上の力を得られる。
しかし普段は菓子を作るその手で、人を傷つけられるはずもない。
彼女は戦場に居ながら逃げ回る、兵士たちが鬱憤を溜める『働かない聖剣氣持ち』そのものだった。
ちらと視界に入る、制服を着ていながら狂気の笑みを浮かべて敵を殺す現役生徒を見て密かに恐怖する。なんだあいつは、頭おかしいんじゃないか。ああいうのとはもう同じ人間なのかすら怪しく感じてくる。
女なのに男物の鎧を着せられたせいで体が重く感じる。身体強化をしてもなお感じるということは、もはや精神的な重みだろう。
シフォンは強く思う。早く帰りたい。こんな生活から一刻も早く抜け出して好きな菓子を作って売る日々に戻りたい。
「正面に敵! メチャクチャ多いぞ!」
はっと我に返り、同胞の背中越しに見える景色を認識する。
まるで壁のように立ちはだかる、敵の迎撃部隊か防衛部隊。
大型の盾を持ち、本当の壁になったように固まってゆく手を阻もうとしている。
10人や20人程度であれば障害にはならないだろうが、目の前には何百人もいる。数の差を考えるだけで気が遠くなる。
直感が告げる。あれは簡単に突破できない。
足が止まるか、方向転換をするしかない。
前者なら包囲される。後者なら敵陣のど真ん中で迷う可能性が出てくるし、なにより直線でよかったはずの距離が伸びる。こんな場所に1秒でも長く居たくない。
「どいて」
戦場に似合わない、可憐な声が上がった。
黒いゴシックドレスを纏う亜麻色の髪の少女が、先頭集団を押しのけた。隣には黒いローブという一般的な魔法使いルックの、ドレス少女よりもさらに幼い女の子。
「スーヤ、【風砲】」
「ああ」
2人の少女の指先が宙をなぞり、魔法陣を形作る。
考えずとも勝手に指先が動くレベルに達さなければ成し得ない構築速度。かといって正確に描かなければ正しく発動しない。
魔法使いに言わせれば比較的単純であるその陣は1秒もしない内に、瞬きの間に出来上がり、風――圧縮空気――の塊を発射する。
シフォンは思わず目を奪われた。
細いガラス細工のような指先が、決まった美しい軌跡を描き出す。洗練された美のようなものを感じた。
そして指の持ち主は、その動きに相応しい美少女。
同性のシフォンですら、見惚れてしまうほどの。
戦場にあって美しく咲くこの亜麻色の髪を、彼女は忘れることはないだろう。
光を若干屈曲させ透明かつ歪んだ見た目、目を凝らさなければ見えないような魔力の風で作られた砲弾が、敵の壁に到達と同時に炸裂する。
それだけで重装甲を誇る大盾部隊の1割ほどが吹っ飛んだ。
威力を絞ったミアと違い、スーヤのそれは非常に強力で、鉄の塊がそのままぶつかって爆発四散したような衝撃をもたらした。
近くにいた者は鎧越しに衝撃を受け、骨が砕け致命傷に至る。
将棋倒しのように敵兵が倒れこみ、それで押しつぶされて死ぬ者もいた。
遠くに居てもその余波は来る。部隊に穴が開き、埋めるために動くかの指示を仰ぐために時間を要した。
「っ……!」
スーヤの眉間に皺が寄る。殺人を自覚したのだ。
やらなければやられる世界ではあるが、生き物は元々同族を殺すことに抵抗感を持つ。つい数日前まで『柱の国』での平和な生活を謳歌していたのだ。
同族の命を奪うという行為は、ダウナーでマイペースなスーヤの心にすら小さくない歪みを生じさせる。
池に石を投げた時のような波紋が出ている状態である。この波紋に従って荒れ狂い、殺人鬼じみた学友のようになるか、はたまた踏みとどまって忌避し続けるかは本人次第だ。
「スーヤ、私がやるから」
「いや、いい」
亜麻色の少女が次の魔法陣を描き、放つ。
敵に空いた穴を塞がれないよう、自分たちの進行方向にまるでアーチのように氷の壁を作り出した。
【氷結】の器用な使い方を見て、スーヤも触発される。
小さな指が【烈風】の魔法陣を描き、自分たちの後ろで発動。氷のトンネルへと続く彼らの背を押す追い風をもたらした。
「すっげぇ魔法……」
「敵のと比較にならないな」
「そういえば、ルーニャ家の令嬢がいると聞いていたが」
「できるならなんで今までやらなかったんだよ!」
「早くやってくれればあいつら死ななかったかもしれないな……」
賞賛と不満が入り混じりながらトンネルへと駆け込み、妨害もなくひた走る。
敵が外側から氷を破壊しようと色々と打ち付けているようだが、分厚い城壁の様なアーチはそうそう破壊されたりなどしない。
出口を固めようとしてくる敵には、再び【風砲】をお見舞いした。
長く作ったトンネルと決死隊のスピードは、敵に包囲を整える暇も与えずに突破に成功。
外に出れば、再び敵陣の只中だ。
少し派手にやりすぎたか、反連邦の部隊長たちは自陣を駆ける小規模ながら強力な部隊を真っ先に排除すべきだと考えた。
『戦の国』ならではの細分化された部隊が、数十人から数百人の人間たちがひとつの生き物のように決死隊に殺到する。
「追いつけるものかよ! 行くぞ!」
相変わらず先頭を走る仮隊長についていく形で風のように駆ける。
だがその頭上から、ひとつの影が降ってきた。
素早くトンネルの出口の上に移動していた敵の聖剣氣持ちが奇襲をかけてきたのだ。
アーチの上から跳んだ彼はその勢いのまま、決死隊のひとりに短剣二振りを突き刺し、即死させた。
冒険者なのだろう軽装の男は、何があったと驚く周囲にキヒヒと笑いながら襲い掛かる。
たったひとりの攻撃で、さらに3人が命を落とした。
やがてその凶刃が、ひとりの男子生徒に向かう。
標的にされたリーパーは、剣を鞘ごと構えて攻撃を防いだ。
リーパーは学園側からも認められるほどの聖剣氣と戦闘能力を持つ。ミアとは違うクラスであるために彼女は知らないが、訓練での成績も、遠征での魔物討伐数も常に学年トップなのだ。
問題は、やはり人との戦いで剣を抜くことができないこと。
「なんだァ? ガキか。よく防いだな」
「くっ……!」
「レイルシア!」
すかさずキラミルがフォローに入るが、彼女の細剣が届く前に、男は標的を変える。
リーパーを助けることに躍起になっていた彼女の隙を見逃さなかった男の刃が、キラミルの右腕を切り裂いた。
「ぐぁっ……!」
「先生ッ!」
男はかなりの手練れだった。
放置するわけにはいかない。周りの者たちが一斉に飛び掛かろうとすると、男は目敏くそこから退避。追撃する暇などない決死隊から逃げおおせた――
「【雷撃】」
かのように思われたが、ミアの放つ雷撃が人々の間を縫って男に直撃。
殺さない程度の雷は、男を地面に倒れ伏させる。
「レイルシアは無事だな」
「先生、腕が!」
「かすり傷だ。それに腕は2本ある」
「何やってる! 置いて行っちまうぞ!」
立ち止まるわけにはいかない。
仲間の死体を放り、傷の手当てもしないまま再び走り出す。
辛うじて速度に影響は無いものの、キラミルの右腕から流れ出る血は止まらない。
「先生、止まってください! 止血しないと危ないですよ!」
「止まる方が危険だ。ここは敵地だぞ。私が倒れたら置いていけばいい」
「できるわけが――」
「あ、あの!」
なおも足を止めないキラミルに、並走して栗色の髪の女性が声をかける。
見覚えのある顔だった。3年前に卒業した生徒だ。成績は悪く目立つタイプでもなく、担当クラスでもないために接点はなかったが、キラミルは彼女のことを同じ影の薄い者として少しばかりの同族意識を持って見ていたのだ。
思わず彼女のような者もこんなところに来てしまっているのかと口に出そうになってしまう。
「お前は、えっと……」
「シフォン・コルトナシーです、一度立ち止まって! 応急手当しますから……」
「しかし――」
「いいから立ち止まってください!」
リーパーが強引にキラミルの肩を掴み、そばかす眼鏡が許可も取らずに袖を破り、持っていた薬と木綿ガーゼと包帯で止血を試みる。
『布の国』ということでもしもの時のためのこういった道具は手に入りやすかった。自分用だったが、接点はなかったものの知った顔の教師に使うことにためらいはない。
一方、変わらず走っていたミアは、同級生がいないことに気付き、後ろを振り返る。
「っ、スーヤ」
「どうした……って、アイツらマジかよ」
「私はあっちに行く。こっちの防御と迎撃はお願い」
「おい、ミア!」
ミアは足を止め、回れ右。
スーヤは「知らねーぞ」と舌打ちをし、走り続けた。
「あいつマジか……」
「放っておけばいいのに」
思わず呟いてしまった男子生徒の言葉を、スーヤは責められない。
こんな場所で立ち止まる方がどうかしてる。倒れた仲間を顧みるべきではない。何より大切なのは自分の命で、それを守るために合理的な判断をすべきだ。
男子生徒たちもスーヤも、その考えに則る。
「アイツほんっと身内に甘いな」
ミアは変わり者だとスーヤは思っている。
たまに朝食を共にしていただけの仲であるが、それが2年も続けば人となりくらい分かるというもの。
どことなく、行動原理が普通の人間とズレている気がする。
ただ、何事にも無関心を装うように見えて、心はよく動いている。それがミア・ブロンズという後輩だ。
甘いものを好み、クレアにお熱だったことや、今はそれどころではないが演劇に足しげく通っているという話を聞いたときは、人間らしいところもあるのかと感じたものだ。
しかも、自分の手の届く範囲の者は極力守ろうとする後輩だ。
すべてを守ろうとするのではなく、無理をしない範囲というか、なんか読めない。
そこもまた変わり者だと思う。
そんな奴に任された。人に何かを頼むことなど、しない後輩が頼んできた。
先輩としてスーヤも本気にならざるを得ない。
犠牲は仕方ないが、ミアたちが戻ってくるまでは損耗を少なくするべく、スーヤは遠くから迫る敵に向けて魔法陣を描いた。
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「先生、大丈夫ですか」
「ひゃあっ!? か、絵画……!」
負傷したキラミルのもとへ行くと、なんか知らない女から変なことを言われたが無視。
どうやら動けなくなるような傷ではないようで、ミアは一安心する。
「心配ない。しかし……」
「リーパーも無事なようね」
「……ああ、先生に守られた」
残っているのはリーパーとキラミルと眼鏡女だけ。
部隊と離れ、4人になってしまった。
呑気に駄弁るわけにはいかない。気を抜いて敵を殺さずに味方を守れる状況ではない。敵はもうすぐそこだ。
「走れるなら行くわよ。合流しないと命の保証は無いんだから」
合流したところで無事に帰れるかは分からないが、とにかく走るしかない。
なにせ敵本陣までにはまだ距離があるのだから。
「とりあえず敵の足を止めるわ」
ミアの指が、これまでの魔法陣よりもはるかに複雑な陣を描く。
できれば最上位魔法を使えるということは隠しておきたかったが、荷物を3人も抱えていては仕方がない。
「はわわわわ……!」
なにやら熱い視線を感じるが無視。
出来上がった魔法陣は、氷の最上位魔法【氷界】。
最上位魔法など使うのは久しぶりだったが、陣は指と頭がしっかり覚えていた。
魔法陣を中心に、世界が凍り付いていく。
草花は少しの衝撃で粉々に砕ける飴細工のように、土は冬の湖面のように。
ミアの正確無比な魔力操作は、自分たちの進む方向以外の地面をすべて凍り付かせた。
突如として一変した平原の有様に、敵兵は一度たじろぎ、足を止める。
この範囲に入ってしまっては、同じように凍り、砕けるのではないかという恐怖心が芽生える。
それでも勇敢に進んだところで、ツルツルとした氷の上では走ろうにも上手く踏み込めず、たった4人の孤立した絶好の的に近付けなくなった。
魔法使いが遠距離から攻撃しようにも、AMフィールドに阻まれ、逆に【雷撃】で狙い撃ちにされ気絶していく始末だ。
「ブロンズ、それは――」
「行きましょう」
急激に下がった気温に身を震わせ、白い息を吐く3人は、得体の知れないものを見る目だ。
魔法使いでなくても、この凄まじい現象の非凡さを肌で感じられる。
顔を赤らめていたシフォンも、圧倒的な魔力を持つ無名の少女に対し驚くことしかできない。
ミアは気まずそうに目を背けることしかできず、何か言われる前に走り出した。




