33 交渉のエレーナ・レーデン
ヘブンズコート、第4フロート。
キラミルは外で起こる不可解な出来事に見舞われながらも、なんとか大聖堂に戻ることができた。
荘厳な雰囲気を持つ大聖堂の中もまた、島全体の急な傾きの被害にあっていた。
中にいるアイリア学園の者たちは屋内で傾いたことによる混乱は大きかったが、長椅子や小物類が散乱する事態になっても怪我人すら出なかったところは、流石というべきか。
「ソトレイナス先生! 2人は見つかりましたか?」
「すまない……建物の中も調べたが、見つからなかった……そっちは? 揺れは止まったけど、さっきすごく傾いていたし」
「こっちは大丈夫~。でも~、2人はどうなったのかな~?」
いまだミア・ブロンズとパルラス・インフィーフィヴの両名は見つかっていない。
混乱と共に募るのは不安。
今まで人類の侵入を許さなかった天使の島だ。揺れや傾きといい、何があるか分からない。
ギルベルトなんかは、生徒から目を離してしまったと悔やんでいた。
「ミア……」
クレアも不安を隠せない。
あまり交流のないパルラスのことも心配であるが、ミアは友達だ。
他の友人が同じく行方不明になったら同じくらい心配するだろうが、ミアとなるとそれよりも強く心が揺れることに、クレアは気付いている。
彼女は後で話そうと言った。どこかへ行ってしまうなんてことはありえないと思うが、不測の事態に陥っていれば、意思に関係なく……
友人らに「大丈夫だって」「案外ひょっこり戻ってくるかもよ?」と励まされるクレアの様子を見て、リーパーが教師たちの前に出た。
「先生、もっと人手を増やして探しましょう。大森林の時みたいに班を作って、複数人ひと固まりで行けば……」
「確かに、その方がいいと思う。ギルベルト」
「う、うむ……」
「もしかしたら~、このフロート~? っていうところの外かも~」
「ならなおさら、みんなで探しましょう」
リーパーの提案には確固たる決意があった。
ギルベルトも彼の気性を知っているからこそ、それを無下にしたくないという思いになる。
同時に、生徒たちを心配する思いが彼の決断を後押しした。
「……分かった。天使たちには俺から言おう。お前たちは大森林の時の班をまた作って、散らばって2人の捜索を――」
「その必要はない」
扉の無い入り口から聞こえる凛とした声。
4枚2対の白い翼を背負う、黒い服に黒い髪の天使が立っている。
彼女から見て右側には銀髪の小柄な天使。左側には、2人の少女。
「ミア!」
クレアが声をあげ、走る。
ミアとパルラスはこうして大聖堂へと戻ってくることができた。
「パルラス、無事だったのかい!」
「え、ええ……リーパー、心配してくれたの?」
「勿論さ。大事なクラスメイトだからね」
パルラスは浮かない顔をしていたが、リーパーに心配されたという事に対して顔を赤くしてモジモジと両手を絡ませる。
「み、みみみみミアさん、裸ァ!?」
「おいなんだありゃ! 布一枚だけだとぉ!」
「しかもところどころ破れて、見えそうだヘブッ!?」
ミアの恰好に沸き立つ男子は、女子の痛い視線や拳によって黙らされる。
「ねぇ、服くらい貸しなさいよ」
「それくらい自分でなんとかしろ。本来なら天使の聖装を貴様が纏うという事実を咎めているところだ」
流石に主天使やマァゼの服を剥ぎ取ることもできないため、ミアは苦い顔をしながらクレアが抱き着いてくるのを受け止める。
パルラスは生徒たちの方へ走ろうし、一度ミアを見る。
ミアは顎で「行っていい」の意を示し、彼女を見逃した。
「(釘は刺したけど、口ってのは開かれるためにあるものだし、しっかり口止めはしておかないとね)」
□□□□□
時間は少し遡る。
エレーナが主天使に飛びつき、封印結晶を押しあてたことで勝敗は決した。
主天使が何かをする前に、エレーナは魔力を込めることができる。
「何故封印しない?」
「封印されたいの? 天使長は死んで、頭を失った天使はどうなるかしら。あなたもそれを危惧しているのではなくて?」
エレーナの言う通り、主天使はここで封印されるわけにはいかないと思っている。
天使を統べるものとして、堕落した天使長の体制を直さなければならない。天柱と女神に定められた役割を果たさなければならない。
滅私奉公という言葉に相応しい女である。
「……なるほど、それで交渉か」
壁を背に、両者が姿勢を正す。
お互いに立ったまま対峙するが、身長差もあるためエレーナの腕が少し疲れそうだ。
「ええ。こっちの要求は簡単よ。私とナギサを見逃しなさい」
「ナギサ……少し待て」
主天使が手に本を出現させる。
何度も見た光景だが、魔法に一家言あるエレーナをしても正体は分からない。
「さっきから思ってたんだけど、その本は何?」
「おそらく貴様が知り得ないもの。或いは貴様のたどり着けないものだ」
「はぁ? 何言ってるの?」
「……なるほどな。いやな場所に匿ったものだ」
「……私の考えてることを読める力、とか?」
「下賤な詮索に答える義理はないが、違うとだけ言っておこう」
パタンと本を閉じ、消し去る。
漆黒の目がエレーナの赤目と交差した。
「こちらからも言っておこう。ナギサなる者を引き渡せ。彼女の存在がどういうものにせよ、隔離しなければならない」
「お断りよ」
「殺すつもりだと思っているのか? そのようなことはない」
「天使長の言い分には私利私欲もあったけど、なにより彼女は閉じ込められることを望んでいない。しつこいとうっかり魔力流すわよ」
主天使は考える。
ここでナギサを野放しにすることと、天使が自分を失うこと。
彼女は物事を俯瞰できるタイプだ。自惚れや我が身大事という類の感情はなく、ただただ計算する。
天秤にかけた結果、彼女は折れる形となった。
「……分かった。いいだろう」
「私も見逃すのよ? あと魔族も」
「構わん。貴様は――魔族は既に終わっている。今さら何かをすることもできんだろう」
「……仰る通りだけど、いざ言われたらムカつくわね」
「事実だからだ。貴様にはもう、何もないのだな」
何もない。エレーナにとってそれはしっくりくる言葉だった。
人並みの感情や、魔族を想う気持ちはあるが、そういうものではない。もっと強い、世界を巻き込んで何かを成そうという気概のこと。
確かにエレーナにはもう何もない。
世界を引き換えにしてもいいとさえ思えるほどのものは、もう何も残っていない。忠誠心も復讐心も、恋心も。
それは天使や世界の害になり得ないと判断される。
「そんな抜け殻同然の貴様に気をかけることもないだろうな」
「私の存在そのものが嫌なくせに」
「ああ。反吐が出る。しかし私は負けた。それがすべてだ」
主天使には歯ぎしりしたいほどの屈辱があったが、それでも敗者として要求を受け入れた。
本来であれば目の前の天魔族2匹は消し去ってやるべきだった。忸怩たる思いが生真面目な主天使を蝕む。
「ま、マァゼもぉ~……」
「あら、元気そうね」
フラフラの状態で足を引きずりながら歩いてきたのはマァゼ。
まだ再生の途中で、止血は止まっているもののダメージの回復にはしばらくかかりそうだ。
「マァゼはどうしたいの? あなたもコイツにふっかけてやる権利はあるわよ」
「えへへ……マァゼは、ねぇ……」
ドサリと倒れる。
起き上がる気配はない。気絶しているようだ。どうやら限界だったらしい。
戦っている間は強がっていた彼女だったが、度重なるダメージに再生は追いついていない。
おそらく意識を取り戻すのがやっとだったのだろう。
「……この子は生きたがっていたわ。まさかこの後すぐ処刑か封印だなんて言わないわよね?」
「これは天使の問題だ。貴様に口を出す権利はない」
「……」
「同じ混ざり者同士、情でも湧いたか?」
「……知らない。ただ彼女がいなければ私は負けていた。恩に感じてもいいでしょ」
「私に言っても栓無いことだ」
ともあれエレーナの要求は通った。
エレーナとナギサはもう天使に狙われない。
その代わり、封印結晶は使わない。信頼の証として主天使に手渡す。
天使としての矜持か、手の平を返して何かをしてくるということはなかった。
「ああ、条件がある。ナギサ・バーガーバーガーに何かあった時には、天使が対応する。そうなりたくなければ、せいぜい目を離さないことだ」
「……そうね。分かってるわ」
こうして(エレーナの知らないところでとばっちりを受けた)ヘブンズコートを揺るがした一連の事件は幕を閉じた。
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ドームの外に待たされたパルラスは散々な思いをした。
エレーナと呼ばれた同級生にものすごい殺気で掴みかかられ、逃げたら殺すとまで言われ、よく分からないまま地面は傾き、悲鳴をあげた。
こんなことなら後をつけるんじゃなかった。と思った。
ドームの方はバシバシと光で明るくなり、上を見上げれば時たまエレーナと主天使、あと知らない銀髪の天使が戦っていた。
もう何が何だか分からなかった。
そして島の異常も収まり、ドームの方で聞こえていた騒がしい戦いの音もやみ、エレーナは戻ってきた。
何故か裸に布一枚を羽織るといった形で。
「さて、どうしてやろうかしらね」
「っ、あなた……本当に何者なの?」
「知ったら後悔するわ。あなたがすべきことは、さっき見たものを忘れる。それだけよ」
「フン! 誰が従うとでも――」
「なら……」
エレーナの赤い目がすぐ近くにやってくる。
とても人間の目と思えない、恐怖を抱くにあまりある視線が突き刺さり、強気だったパルラスの気勢が瞬時に削がれる。
同時に近くで見たエレーナの顔を美しいと思ってしまったのも、パルラスの敗北感を増す。
「手っ取り早い従わせ方をするしかないわよね」
パルラスの首に何かが当たる。
指先から数cm程度の小ささの魔力剣だ。
それはスッと肌に入り込むように首の柔肌に切れ込みを入れた。
「つっ……!」
「あなたを殺すことは容易い。けど、そうはしない。私は優しいからね。でも優しいのは、あなたが言うことを聞いているうちよ」
優しいというよりも、極力人間に害することはしたくないというのが本音。
先ほどは戦闘中ということもあり物騒な思考に陥っていたが、冷静になれば考えなしに殺すのはマズい。
そんなことで未来ある子供を殺すわけにはいかない。
しかしそんな思惑は黙っていれば伝わらない。
エレーナに「容易く人を殺せる奴」という印象を持つにじゅうぶんなものを見せられ、こうして刃を突きつけられている。
パルラスにできるのは、青い顔をして首を縦に振ることだけだった。
「よろしい。いい子ね」
至近距離で見せられる笑顔に、パルラスは恐ろしさを感じながらも、やはりドキリとしてしまった。
「(ふぅ……)」
脅迫は褒められた手段ではないが、こればかりは主天使と
「あなたからもあの人間に『さっきのは嘘だ』って言いなさいよ」
「そんなことをする義理はないな」
というやりとりがあったため、協力を仰げそうにない。
「(そろそろ平和な学園生活ってやつは訪れないのかしら?)」
入学時にボーデット、今回の天使。問題続きとはまさにこのことだった。
必死の思いで解決しても、まるで嘲笑うかのように次の悩みの種が出てくる。まるでそれが運命と言わんばかりに。
だからエレーナは運命という言葉が嫌いだった。
運命を認めてしまえば、自分はまるで踊らされる人形か道化ではないか。
そんなことはない。これはただの事故。不運。
立ち塞がる障害は何もかも乗り越えてみせる。
そう心に強く持つ。
魔族のため、彼女は失敗できないのだから。
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そして時は戻り、大聖堂。
「ミアどこ行ってたの!」
「クレア痛い……」
「どこ行ってたの! あとその服とも呼べないボロは何!?」
「い、色々あって」
「色々ってなにー! キラミル先生が探してもいなかったって言ってたんだよ!」
グワングワンと肩を揺すられる。
その度に大事なところが見えてしまいそうで、男子たちは「クレア頼む!」と念を送った。
「むぅ、お姉さま、この人間誰なの?」
出で立ちだけはボロボロのマァゼがクレアを睨んだ。
ミアは「あ、まずい」という顔をする。
ここでマァゼが色々介入してくるのは危険だ。彼女はバカっぽいからうっかり口をすべらせてミアの正体を言ってしまうかもしれない。
「お姉さま……? ミア、この子――この天使様は?」
「マァゼはね――」
「この子はなんか知らないけど私の妹だと言い張って聞かない変な子よ! 言うこと全部嘘だから気にしないで!」
「えー! お姉さま酷いの! お姉さまとマァゼは「ああああああ!!」
「ミアうるさい!」
クレアが再び抱擁してきた。心なしか先ほどより力が強い気がする。普通に痛かった。
「で、なんなのこの子は!」
「お姉さまとマァゼは運命の家族! ねー!」
「家族? 何言ってるの?」
「言ったでしょ異常者だって。あとクレア、服持ってない?」
このやり取りに興味のない主天使は、すべてを無視して教師たちのもとへ飛んで移動する。
「此度は天使長の考えにより貴様ら人間に足労と迷惑をかけた。部下の不始末、この主天使に免じて許せ」
「は、はぁ……しゅ、主天使様……?」
「貴様らには早々に帰ってもらう。海に着水後、送りの者をつけよう」
主天使からすれば、これはかなり気を遣ったもの。
ヘブンズコートに天使以外の者がいるのは彼女にとって度し難いことであり、今すぐ全員叩き落としてやりたいところですらある。
しかし彼女の言ったように、部下の尻拭いという意味を込め、制御室には同じ場所への着水を命じた。
「パルラス、ボロボロじゃないか! 大丈夫だったのかい?」
「え、ええ! リーパー、やっぱり私の心配を……?」
「当たり前だろう、大切なクラスメイトだ」
「ああ、うん……クラスメイト……うん……」
今しがたしたばかりのやり取りのリピートにパルラスは少しガッカリし、ふとミアに視線を向ける。
ばっちり目が合い、背筋に悪寒が走った。
「(下手なことを言えば殺す)」
クレアに抱きしめられてもなお、簡単に人を殺せるような鋭い目つき。小さく悲鳴が出そうになった。
「パルラス?」
「えっ? あ、な、何でもないわ! これもあの地震とかに巻き込まれたやつだし!」
「(色々よく分からないけど、ミア・ブロンズ……あなたの正体を突き止めてやるわ!)」
殺されたくないので大人しく従っておくが、パルラスにはそれでも折れない負けず嫌いな面があった。
口止めされてしまい、破ったら何があるか分からない。ならば自分で突き止めてやる。
白い聖剣ミアを持ち、天使を次々に斬り、主天使にまで攻撃を加えた者だ。どんな理由にせよ、危険人物に違いない。ならば聖剣氣を持つ者として、自分がなんとかしなければ。
彼女の大義はそこにある。第1クラスの人間としての自惚れも多少は混じっていた。
踏めば抜けない泥沼。自らの意思で進んでしまえば戻れないほどの闇。パルラスがそれに気付くのはかなり先のことである。




