78 宣戦のエレーナ・レーデン
昼下がりのピーエ広場。
ミアとクレアにとっては心休まらないひと時。
『戦の国』、反連邦、それら改め『帝国』の虎将軍であるモヒカン男の近衛部隊が遠巻きに並び目を光らせる昼食は、ガラニカにとっては当たり前なのだろう。まったく気にしていないといった様子で串焼きとスープを平らげていた。
「これ美味いな」
人払いをされたかのように、テラスの周りには誰もいない。
同じように去りたかったミアたちは眉間に皺を寄せて男の食事風景を眺めていた。
「なんだ、話してたんだろ? 続けろよ」
「続けられるわけないでしょう。どういうつもり?」
「知った顔がいたからここで昼飯を食おうと思っただけだが? 食うか?」
「いらないわ」
「じゃお前は」
「い、いらない……」
拒まれた串焼きはガラニカの腹に収まった。
既に2人前をその胃袋に吸い込んだガラニカだが、手は止まっていない。
異常個体だからか、武人だからか、その答えを知ろうという者もいない。
「――ふぅ。たまには屋台料理ってのもいいな!」
「満足したなら帰ってもらえる?」
「満足するにゃ早ぇな。訊きてぇこともある。そっちもあるんだろ?」
ガラニカは挑発的にミアを見た後、まったく違う目をクレアに向ける。
「やっぱり、覚えてないか?」
話を振られたクレアは全力で警戒している。
ミアはその背に手を当てて、代わりに言い放った。
「気持ちの悪い男ね。見ず知らずの人間に兄だ妹だと言い寄るなんて」
「ハッ、言うねぇ。だが誤魔化せねぇな……見比べるだけでも、お前には分かるんじゃねぇのか?」
言われなくてもミアには分かる。
ガラニカとクレアの赤毛は、よく似ている。というより同じものだ。兄妹だと言われても納得するほどに。瞳の色まで同じ。
「クレアは『柱の国』の村出身よ。家族でも連れて来れば納得するのかしら? ねぇクレア?」
「え、あ、う……うん……」
「クレア?」
「………………あの、なんで私を、妹だと……?」
「生きてるなら、こんなだろうなって、な……面影もある。お前は母上によく似ていたからな」
「お、かあさん……?」
そうだ。とガラニカは続けた。
「お前は紫薫花が好きだったな。よくバスケットを持って出かけていた。たまに母上も一緒に……俺も連れて行かされたこともあった」
「紫薫花……」
「小せぇ時の話だ。覚えてねぇのは無理もねぇが……何一つか?」
「………………」
その後もガラニカはぽつぽつと語る。
彼の妹が幼かった頃の話。
物心つく前は兄の後ろをくっついてハイハイしていたとか、歩けるようになったら目を離すとどこかに消えて使用人を困らせたとか。
ミアは不思議に思う。話の内容ではなく、クレアの態度を。
クレアの様子は、否定的なものではない。
むしろ知りたがっているような、他のことすら聞きたいという雰囲気だ。
「クレア……?」
急に不安になった。
相手は敵だ。国という見方ではもう戦う相手ではないのかもしれないが、数日前に殺し合う関係だった男だ。
その相手の話を、クレアは頭から否定することなく聞いている。
この場において、ミアだけが蚊帳の外に置かれている気がした。
「……ごめんなさい、やっぱり、知らない」
彼女は数日前もガラニカに対して「知らない」と言ったばかりだ。
いま聞いた話もまた、クレアは知らなかった。それだけなのだが、ミアは安堵する。クレアが遠くに行ってしまう、その感覚から逃げられた。
そんなことはあるはずなかろうに、クレアが掌を返してガラニカについて行ってしまう極端なことを考えてしまうのは、恋心からなのか。
「記憶喪失か?」
「ちょっと、もういいでしょう?」
「家族の再会に水を差すなっての」
「なら何故クレアはあなたのことを知らないの? 記憶喪失って……」
「そうだとしか思えん。クレアと言ったな……幼い頃の記憶はあるのか? 4歳までの記憶は?」
「よん、さい……」
しかしやはり、解こうとしてももつれるような、確信に遠いようで近いようで。
「……わから、ない……何を、知っているの……?」
クレアの戸惑うような探すような、そんな態度に、ミアも声をかけられなくなる。
それよりも、ここで話すつもりだった自分の身の上話よりも、ミアが知らないクレアの――クレアすら知らないような彼女自身のことがあるのではないか。
そう思わずにはいられない。
クレア・プレトリアという少女は、『柱の国』のとある村で育った少女で、所謂村娘だ。
ガラニカの言うジュニカ・カンカリオなる人物とは、身分も場所も大きく違う。
それでも彼女の兄を名乗るガラニカは、クレアに確信めいた態度をとる。容姿に共通点があることも、信じられる一因だ。王族がそうだと言っているのだからそうなのかもしれない。
ミアはクレアについて知らないものがあることを思い出した。
それはとりわけ幼い頃の話だ。クレアはその話をしたことがない。
わざわざ自分の3~4歳の頃の話など、誰かに聞かせて面白いものでもないとクレアが思っていたとしても不自然ではない。
しかしガラニカの言葉を聞く彼女の反応は、まさに『幼少期の記憶がない少女』そのもので、第三者なら『幼い頃に記憶を失ったジュニカ・カンカリオ』と言っても信じるだろうものだった。
「――さて、俺が一方的に話して決めつけても仕方ねぇ」
「今さらね」
「そんだけこっちにも言いたいことがあったってことだ。それでジュニカ……クレアでもいいが、お前は自分のことをどう思ってるんだ?」
「……私は――」
クレアはゆっくりと答える。
刃を交えた危険人物の戯言だと一蹴せず、受け止めていた。
ミアもガラニカも同じ予想をした。クレアの放つ言葉はきっと。
「ジュニカ、なのかも、しれない……の……?」
「それを決めるのはお前の記憶だ」
「無い、無いよ……私には……」
ミアは背に当てた手から、震えを感じ取った。
反射的に摩れば、不安げに揺れる瞳と目が合う。
「ミア、私、ね、本当はね……無いの……記憶……」
クレアは絞り出すように語り出した。
「私の覚えてる、一番古い記憶は……村の両親の優しい顔……多分、4歳か5歳の頃」
「ミアに言わなかったのはね、私自身が考えないようにしてたから……」
「子供の頃も、ね、自覚はあったの。何か、すっぽり抜けてるって……でも、お父さんとお母さんは、気にしなくていいよ、って……だから、そうなんだって、思ってた……」
「私の髪と目の色が、家族の誰とも違うのも……誰も何も言わなかった。小さい弟や妹が不思議そうに言っても、両親は気にしてなかったから……私も、変じゃないって思ってた」
「でもそれは、おかしいこと、だったんだよね……? 変、だったんだよね?」
「大きくなって、色々知って、本も読んで……確証はなくても、多分……って思う度に、蓋をしたの」
「この人の言うこと、全然嘘だって思えないの……他人事だと、思えない……」
「でも、私がジュニカなら、『戦の国』の人間なら、私は何? クレアは、誰?」
「お父さんもお母さんも、大好きなの……優しくて、弟も妹も、大好き……なのに、私はっ、私がジュニカだったら、あの人たちは、私の本当の家族じゃないの!?」
「お父さんとお母さんの娘じゃなくて、リロイとカイとサラのお姉ちゃんじゃなくて、村の人間じゃなくて、私はどこの誰なの!」
「分からない……よ……」
クレアは今にも泣きそうだった。
独白を聞くミアとガラニカは、終始無言。
ガラニカの唐突ともいえる言いがかりに、クレアは唐突に情緒を崩された。
もしかしたら、彼女はずっと頭のどこかで気にしていて、悩んでいたのかもしれない。
答えのない、引っかかるようなものだったのだろう。
そこに新しい点を示され、繋いだら線になってしまった。
傍で聞いていたミアでさえ、クレアがジュニカという人物なのではないかと思ってしまう。
ミアは何度も見ている。楽しそうに村でのことを、家族のことを話していたクレアの顔を。
その家族が偽りのものだったと。それがどういう気持ちにさせられるのかまでは分からない。
だが彼女は今こうして、震えている。震えて泣きそうになるほどのことなのだ。泣いたっていいくらいかもしれないことなのだ。
かける言葉を選ぶのに時間がかかってしまう。
「……知らなかったわ。凄いわね」
ミアは思わず零した。
言葉を選んでいる間に、沈黙に耐えられなかった口が勝手に開いてしまった。
一度凪いだ空気に投じられた一言に、クレアの視線が向けられる。
ミアは慌てて「いや、その」と続ける。
「クレアはなんでも話してくれたから、私はクレアのこと、全部知った気になってたの……でも、知らないこともある、って、当たり前なのに、そう思ってた……責めてるわけじゃなくてね!?」
どう紡ぐべきか。
励ますべき、慰めるべき、なのだろうか。それが本当に言いたいことだろうか。
クレアは今、不安定だ。足下がぐらついているようなものなのだろう。
こういう時、どうすればいいのか。分からない。
分からないなりに、ミアは伝えたい。
邪魔な男が見ているが、この際仕方ない。羞恥心は無いものとする。
「……クレアは、どっちがいいの?」
「どっち、って?」
「あなたがクレア・プレトリアなのか、ジュニカ・カンカリオなのか」
どっち、かぁ……とクレアが呟く。
「やっぱり、分からないよ……どっちなんだろう……」
そういうことに関しては、ミアにも言えることがある。
「……このことで、私はあなたの気持ちを強制できない。けど私が言えるのは……どっちでもいい。ということよ」
まだ恋人という関係が嘘だった頃、同じシーツの中で語り合ったことを思い出しながら。
「優しくて、面倒見がよくて、誰とでも仲が良くて、太陽みたいで、可愛い……私が知ってるクレア・プレトリアは、ちゃんと存在する人間よ。あなたがクレアでもジュニカでも、太陽のようなあなたは……本物だから」
彼女が自分を曖昧に思っているなら、曖昧でもいい。
ただ、彼女のアイデンティティが立っていられるように、手を繋いで支えることくらい、自分でもできることだ。ミアはそう信じた。
「あなたは、あなたよ、クレア。私はどんなあなたでも、私の知っているあなたは絶対にあなた自身だって言える。同じことをご両親にも訊いてみて。きっと、同じことを言ってくれるはずだから」
「……そうなの、かな」
「家族と血が繋がってないことに関して、私に言えることはないわ……だけど、私が好きになった相手が、どこの誰だろうと、私が好きだということには変わりないから」
言ってからミアは「これほとんど告白ではないか?」と自問した。
今日はこちらからもう一度告白する予定だったのに。自分のことを話すのはこっちだったはずなのに。という考えはひとまず捨てる。
「………………ガラニカ、さん。やっぱり、私はまだ分からない。でも、ありがとうございます……私かもしれない人のことを、教えてくれて」
頭を下げるクレアの顔は、少し晴れやかだった。
「ああ。コイツに言われちまったが、どこで何をしてようと、俺からすりゃお前はジュニカだ。まぁお前がジュニカなのは事実だがな」
それにしても、とミアは思う。
刃を交えた感じでは、ガラニカという男は戦闘狂だと思っていた。
荒々しく戦いを楽しむ迷惑なタイプだ。
そんな男にも妹と再会した喜びがあるのだなとしみじみ。
「感動の再会におめでとうと言っておくわ。それで、あなたはクレアをどうしたいの? 兄妹仲良く暮らそうとでも言うつもり?」
「えっ!? それはちょっと……」
「あ? ああー……そうだな」
数秒、ガラニカが沈黙する。
「確かに血の繋がった家族が共にあるのは、おかしいことじゃねぇな。だが別に、クレアとして生きてきたお前を否定する気も無ぇ。ただ――」
そして見せる。何度も見せた好戦的な口角の上がり方を。
「今度はきっちり殺してやるよ」
――殺気。
その言葉にクレアはポカンと呆けたが、ミアの行動は早かった。
ガラニカからの殺気を感じ取った瞬間、間にあったテーブルをガラニカへと蹴り、立ち上がった時には【雷撃】の魔法陣が完成している。
ほとんど脊髄反射だった。
「ハハハッ! この前とは少し違うな」
蹴り飛ばしたテーブルは、ガラニカに当たる前に斬って落とされた。
見れば彼も既に立ち上がっている。右手には魔法で生成した剣。お互いに、瞬きする間に攻撃を当てられる距離だ。
「だがここじゃ楽しめねぇ。なにせ中立国のド真ん中だ。テメェは連邦の学園生で、俺ぁ『帝国』の皇帝だ。面倒な問題に縛られたくもねぇのはお互い様じゃねぇか?」
「……そうね」
「それにテメェは巻き込みたくねぇ奴を抱えてる。そんなんじゃ本気も出せねぇだろ。まぁ本気を出したところで、結果はこの前と同じだろうがな」
「……訊かせてちょうだい。何故クレアを殺すの?」
簡単だ。そう言ってガラニカはさらに笑った。
「4歳のジュニカを谷に突き落としたのは俺だからだよ。殺し損ねたとあっちゃぁ、やっぱ殺しきらないとスッキリしねぇだろ」
「そう……」
ミアの内に秘めた魔力が、黒い靄となって漏れ出す。それは圧となり、正面に居た者をプレッシャーという形で威圧した。
ガラニカの傍にいたモヒカン男は必死に顔に出さないようにしながらも内心でたじろいだ。
「なら、あなたは私が殺すわ」
「……ほう」
「ちょ、ちょっとミア!?」
誰も殺さない。
それは亡霊たる自分が今を生きる者を害してはいけないという自戒だった。
ウェンユェ・シンウーに穢されたが、だからといって二度三度と同じことを重ねるわけがない。脅されてのこととはいえ破ってしまったことは、今でも引きずっている。
その上で、ミアはこの男を本気で殺そうと思った。
心の中で縛り付けているものを解放して、感情の赴くままに。
大義は無い。ただ、自分の大切なものを奪おうとするのなら、我慢しない。奪われるくらいなら、どうなったっていいから殺してでも阻止したい。
ミアにとってクレアとはそういう存在だ。
ウェンユェに脅された時もそうだったように、今も彼女のためなら人を殺せる。
クレアのせいではない。ミアの完全なエゴイズムのためだ。
「……ハハハハハッ! そうか! ならこの前よりは楽しめそうだ! そうだな、そのために来たんだもんなぁ!」
ひとしきり笑ったガラニカは、一枚の地図を渡してきた。
大陸の地図ではない。どこかの国のものだ。
「相応しい舞台に招待してやるよ。『贄の国』に来い。もちろんジュニカを連れてな。そうじゃなきゃいざって時やる気も出ねぇだろ」
「『贄の国』……? そこに何かあるというの?」
「それは来てからのお楽しみだな。俺の機嫌次第でテメェの知りたがってることも教えてやるよ」
「……分かったわ」
話はそこで終わり、ガラニカは去った。
物々しかった広場には中々人が戻って来ず、しばらくミアとクレアは2人ぽつんと立ち尽くす。
「ごめんなさい。あなたの兄を殺すわ」
「いや、兄じゃない……かもしれないし、って、違う! ミア、なんで私なんか……」
「『なんか』?」
気が立ったままだったミアはついクレアを睨みかけ、寸でのところで止める。
「コホン。そもそも、なんであなたは狙われてるのよ。というかアイツ殺し損ねたって言ってたけど何? 殺されかけたの?」
「え、いや、分からないけど……」
「……感動の再会と言って損したわね。やっぱり敵よ」
妹だと言った相手に殺す宣言を出すなど、さらに当時4歳だった妹を殺そうとしたなど、やはりあの男の思考は理解できない。
ミアはそう結論付け、鼻を鳴らして歩き出した。
□□□□□
今を生きている。
それは大切なものを守ろうとするミアもまた、同じなのかもしれない。
クレアが関わると、とにかく動いてしまう。
今あるものを失わないために生きるのは、今を生きることなのだろうか。
今を生きることが正しいことなのだろうか。
答えは勝手に出てくれはしない。
「(……そういえば)」
今日しなければならない話、できなかったな。
そのことを思い出しながらも、こんな状況では言い出せない。せっかく覚悟を決めたのに。
もやもやが払えないホテルへの帰り道であった。




