♡05話 美少年の頬笑みは危険な香り
王宮舞踏会から、七日が経ちました。
マリサリーヌは自分の部屋にある、長めのソファの上で大きなため息を吐きました。
頭に浮かぶのは綺麗な少年の事です。
自分でも『あれはないなあ』と思うので、思い出すたび、罪悪感でグルグルします。
「でも、わたくしじゃ、ダメなの」
呟いて、傷つけたに違いない少年の事で胸が痛くなります。もう一度、ため息を吐いたところで、コンコンとノックの音がしました。
扉に近づいて開けると、考えていた少年が目の前に立っていました。
「やあ、舞踏会ぶりだね。元気そうでよかったよ」
招き入れる前に、勝手に中に入ってきて扉を閉めます。
「セオくん……」
少年の顔を見ると胸が締めつけられるような感じがしました。罪悪感だけではありません。何かよく分からない重みと痛さがあります。
「あの日、あの後、鏡の前で崩れ落ちたよ。頑張っても、ダメだったわけがよく分かった。マリサちゃんも人が悪いよね、教えてくれればいいのに。僕、あの顔で歩きまわっちゃったよ。」
軽い口調で話しながら、何度もこの部屋に来た事がある少年は、慣れた様子で部屋に置かれているソファに向かいます。
「うまく丸め込もうと思ったけど、考えを改めたよ。猫かぶりはもうやめる。どんな手を使っても、きみを僕のものにする事にした。」
少年はソファの前まで行くと、クルリとこちらを向きました。
白いシャツに暗めの青色の無地のタイ。腰を覆う丈の黒の上着に、薄いベージュの六ボタンのベスト、綺麗な折り目のある黒のトラウザー、黒い革靴。
学院の制服ではなく、大人っぽさが出た装いです。
「話があるから、座ってよ」
そう言って先に腰かけると、隣の空いた場所を指差してきます。雰囲気の変わった少年を訝しく思いながら、隣に腰かけました。
隣に座るとさっそく少年が口を開きます。
「おじ様と話をしてきた。我家が新しく開発した飛行船の動力についてね。従来の飛行船より、魔石の消費量が半分以下になる優れものだよ。飛行場の設置とか、造船の話とか、資金とか他に人を交えて色々話もした。
我家は速くてコストの安い輸送手段をきみの家に提供できる。これできみの家に利益がある男になったわけだ」
「まあ……」
驚いて少年を見ると、フッと口の端を持ち上げて自慢気に笑いました。
「まっ、きみの婚約が決まった時から、あの男の家を潰してやろうと頑張ってたものなんだけどね。
もう、婚約破棄できて、うまく僕と婚約してもらったけど、きみに僕の婚約者としての自覚を持ってもらいたいなって思って。利益のある男なら、家のために我慢できるんだろ」
「えっ?! 婚約?」
少年の言葉にギョッとして叫びました。
「そう、もうきみとの婚約は成立している。いくつか特例はあるけど、18歳じゃなくても王宮舞踏会へ出席できる特例って、初参加する女性の婚約者だったら、だからね。
やっぱり分かってなかったね。分かってないきみに付け込んだんだからいいけど、今からちゃんと自覚を持ってね」
「ああ、そういう事……」
ニヤリと笑った少年の顔を見ながら、家族の不自然な言葉や態度にストンと納得がいきました。
「フッ、いつもの僕とは違うから、驚いたかい? こっちが本当の僕だよ。きみを手に入れるためなら、色々画策できるような男さ」
「あ、セオくんが猫かぶりなのは知ってるわよ。十年以上付き合いがあるのにばれない訳ないでしょ。可愛こブリッコのセオくんも腹黒セオくんも、わたくしどっちでも気にしないわ」
前髪に右手を差し込んで、かきあげるようにして、悪そうに笑った少年にそう言ってやると、少年は驚いたように目を見開きました。
「えっ?! 知ってたの?」
せっかく格好をつけたのに『台無しにしてごめんね』と心で謝りながら、コクコクと頷きます。
唖然とこちらの顔を見ていた少年の視線が、部屋の棚に飾ってある縫いぐるみ達の方に動きました。お気に入りの熊のドドン・ベアくんとウサギのミッチリちゃんのところで行き来します。
「ああ、きみはただの可愛いものが好きな女の子とはちょーっと、違ったね。知ってたのに、何で僕は十年も可愛こブリッコを……」
「回りが喜ぶからでしょ。みんなのイメージに合わせて、可愛いセオくんを演じてたんでしょ。それでみんながセオくんに親切にしてくれるのを、うまく利用もしてたし……わたくしも可愛いセオくんを喜んでたし」
落ち込んだ様子を見せた少年にそう言葉をかけると、またビックリしたように見つめられます。
「ああ、ホントに僕の事よく分かってたんだね。よく見てる」
「だって、あなたはわたくしの宝物ですもの」
「あ、それ! この家の『宝物』の話! おじ様に聞いたよ。ウエストラッキーフィールド家の特殊能力というか、不思議な話」
頷いて微笑んでみせると、少年がソファから身を乗り出してきます。
「この家の人間は、時々、自分を幸せにしてくれる物の所に導かれる事があるんだって?
その見つけた物を『宝物』って言うんだってね。僕はずっとただの比喩だと思ってたよ」
「お父様があなたに話したの?」
この話は一部の者しか知らない秘密でした。婚約者でも聞かされない話だったはずです。
「うん、秘密だってね。身内として信用されたのもあるし、僕自身がきみの『宝物』だからって話してくれたよ。
でも、『宝物』って、物の場合が多くて、人でも伴侶とは限らないんだってね。運命に導かれた恋人とかだったら、話は簡単だったのにさ」
少年は肩をすくめて、フウッとため息を吐いた後、真面目な顔でこちらを見つめ直しました。
「僕はきみを幸せにする、きみが見つけたきみの『宝物』なわけだけだ。普通なら、僕と恋人になれたら、喜ぶところだろ? きみがなぜ、自分じゃダメだと思ってるのか考えてみたんだ」
そこまで話すと、少年は眉を少し寄せて申し訳のなさそうな顔をしました。
「僕が美しすぎるから悪かったんだね」
「はっ?!」
「隣に女の子がいるのに、僕ばかりが『キレイ』『可愛い』と賛辞される。隣の女の子はどんな気持ちになるだろう。蝶と芋虫、花と雑草、宝石と石ころ……完璧にいじけて、自分の顔など『ゴミ』だと思い込んでしまうのではないだろーか」
「そんな事、思ってないわ!」
「嘘をつくな!」
訳知り顔で語った少年に叫ぶと、すぐに怒鳴り返されました。
「胸に手を当てて、よく考えてみるがいい。なぜ、きみが僕にふさわしくないとか、釣り合わないとか考えたのかその理由を!」
偉そうな物言いの少年をちょっと睨んだ後、両手を胸に当てて、考えます。
えーと、わたくしではダメだと考えたのは……。
グルグルと思考を巡らせ、モヤモヤした胸を宥めるように手を当てて考える内に、少年に対する人々の賛辞の言葉が次々によみがえりました。
隣に立っている自分には、誰も言ってくれない言葉です。何とも言えない気持ちになっている自分がいます。いじけ虫です。いじけ虫がいました。
少年を見ていると幸せな気持ちになっていたので、意識していませんでしたが、回りの人々の反応に、確かに自分を貶めるような事を思うようになっていた様です。
「あ、当たってる……」
愕然として呟くと、少年が頷きました。
「そうだろう。だが、きみが自分を『ゴミ』だと思っているのは、間違いだと言おう」
「いえ、『ゴミ』とまでは思ってないけど……」
返した言葉は無視されました。少年は偉そうに話し続けます。
「人の価値観は違うものだ。ある人には『ゴミ』でも、別の人にとっては『宝物』の場合もある。自分を『ゴミ』だと卑下しすぎるのはよくない」
「『ゴミ』とまで、卑下してないわよ。あなたと並んだら見劣りするって思っただけ」
先ほどより大きな声で否定しましたが、やっぱり聞こえない振りで、少年は言葉を続けます。
「人によって価値基準は違う事は、きみ自身がよく分かってるだろう。きみのお気に入りのあの縫いぐるみ達、『キレイで可愛い』かい? 僕がきみを好きでも不思議じゃないよね」
「あ? それってどういう意味よ!」
「アハハ、ごめん」
怒鳴った言葉に今度は反応して、少年は笑い声を上げました。
「まあ、ふざけた言い方をしたけど、きみに自分を卑下してほしくないのは本当。変な劣等感、持たないでよ。容姿なんて人によって見方が変わるものだとも言いたかったしね。」
そう言った後、少年は手を伸ばして、頬に触れてきました。
「僕にとって、きみは『キレイで可愛い』女の子だけど、世間一般の基準で言っても、きみは『キレイで可愛い』よ。あの変な男だって、きみに目をつけただろう?」
おろしてある腰まである髪を、頬に触れていた手が移動して、一房すくい上げます。
「きみの新緑の髪は、目にすると心が癒される、綺麗な髪だよ」
すくい上げた髪を口元に持ってくると、少年は唇を当てました。ドキリと心臓が跳ねます。
「きみの深い森を思わせる緑の目は、僕の心を惹き付ける、魅力的な目だよ」
体を近づけてきた少年の唇が、瞼の辺りにそっと触れました。顔がカアッと熱くなります。
一旦、顔を離して少年は、唇に指で触れてきました。唇の形をなぞるように人差し指の腹でスーッと撫でられます。
「きみの唇は美味しそうな果実のようだね。僕を誘う、いけない唇だ」
少年の赤みを帯びた金色の目に見つめられて、体が固まりました。
耳の奥で早鐘のように鳴る心臓の音が、ドクドクと響いています。顔を傾けた少年の唇が唇に触れました。
柔らかな唇の感触に、体中が熱くなります。
思わず口から小さな吐息が漏れた瞬間、抱きしめられてソファの上に押し倒されました。口の中に柔らかなものが入ってきて、貪るように口づけられます。
「ん……」
息継ぎをどこでしていいのか分からなくなるような口づけを、角度をかえて、何度もされました。頭の中まで熱くなって何も考えられなくなった時、ノックの音が響きました。
「姉上ー! セオが来てるんだってー」
返事をする前に、ほとんどノックと同時に扉が開いて、能天気小僧が現れました。元気よく部屋の中に走りこんで来ます。
体を跳ねるように起こした少年が、扉の方を見ます。ハフハフと細かい息継ぎをしながら、自分も扉の方を見ました。
突然、出現した小僧が目と口を大きく開けてこちらを見ます。
「……出ていけ。まぬけ」
体の上で低い凍えるような声がしました。聞いたことのない、普段の少年とはまるで違う声音です。まぬけ小僧がビクリと体を跳ねさせ、真っ青になります。
「ヒィ~! お、お、邪魔しましたあ~」
悲鳴のように叫んで、脱兎のような勢いで後退りして出ていきます。器用な後ろ向き走行です。
バタンとしなるように扉が閉まりました。
突然現れたボケた小僧のおかげで、我に返りました。体を起こそうとすると、少年が体を重ねてきて、起き上がるのを阻止してきます。
「逃がさないよ。この機会にきみの変な劣等感はなくして貰うつもりだから」
両腕を頭の脇でつかまれました。
「小さい頃はできなかった事を色々しようか。きみもしたいって言ってただろ」
そう言って顔を綻ばせた美しい少年の頬笑みは、初めて見る危険な香りがするものでした。
──この家の人間は、自分を幸せにしてくれる物のところに導かれる事があります。物の種類も、幸せの形も様々です。
マリサリーヌが見つけた『宝物』は、見ているだけで幸せな気持ちになれる、キレイで可愛い美少年─。
できる事なら、ずーっと側に置きたいと思っていました。
釣り合いとか考えなくていいのなら、心も体もくれると言うのなら、遠慮なんてしません。
色々したいのも、一緒にいたいのも本当です。少年の綺麗な顔が近づいてきます。
マリサリーヌは、小さな笑みを口の端に浮かべて、『マリサリーヌ』と、見えない名前が体に書いてある少年の口づけを受け入れました。
こんな話になりましたが、楽しんでいただけていたら、嬉しいです。
(別に読まなくてもいい話)
最初に考えた時は、もっとクールで寡黙な少年のはずでした。饒舌な子になってしまいました。この作品は最後をどうするかで、とても悩みました。恋愛、シリーズのバランスを考えると、少年のところまでで終わらせた方がいいような気がしたので……。結局あの最後にしてしまいました。こんな話でした。 m(_ _)m