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「皇帝祝聖祭」――それは、帝国建国を祝う一年に一度の祭典であり、帝都が一年で最も華やかな熱気に包まれる日だ。
貴族、平民問わず、この夜だけは宮殿の庭園が一般にも開放され、仮面をつけた者たちが入り乱れる「仮面舞踏会」が催される。
ヴァルディ男爵家への接収通告は、この祝聖祭の直後に執行される予定となっていた。つまり、私の当主としての権限と、父が守り抜いてきた倉庫街の管理権、そして我が家の屋敷までもが、来週には完全にセヴェリーニ伯爵の手に落ちるというわけだ。
「……勝負は、この祝聖祭の夜にあるわ」
私は自室で、最後の一枚の「武器」を磨き上げていた。
それは、父が死の直前に遺した隠し金庫から見つかった、さらなる証拠書類。そこには、セヴェリーニ伯爵家が長年にわたって横領した公金の一部が、なんと「教会の地下組織」を通じ、隣国との怪しい軍事取引に流用されているという、反逆罪に該当する決定的な証拠が記されていた。
もしこれを、祝聖祭の最中に皇帝陛下の目前で突きつければ、伯爵家はただの汚職貴族では済まない。一族揃っての死刑、あるいは領地没収は免れない。
「ルチア様、ドレスが仕上がりました」
ミュリエルが静かに部屋に入ってきた。
用意されたのは、母の遺したドレスではなく、アルベルトがどこからか調達してくれた、深い夜の海のような色のベルベットドレス。それは流行を追ったものではなく、かといって古臭くもない、闇に溶け込むために作られたような一着だった。
「これなら、誰にも気づかれずに宮殿の深部へ潜入できるはずよ」
アルベルトは既に、黒い燕尾服に仮面をつけた「謎の貴族」の姿に変装を終えていた。
彼は私に手を差し出し、柔らかな笑みを浮かべた。
「行こう、ルチア様。泥水をすすらされた日々を、終わらせるために」
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祝聖祭の宮殿は、まさに光の海だった。
私は白銀の仮面で素顔を隠し、アルベルトの腕を取って、喧騒の渦中へと足を踏み入れた。
会場のいたるところに、セヴェリーニ伯爵家の私兵が目を光らせている。私の顔を見つければ、即座に連れ去ろうと狙っているのだろう。だが、この仮面の海の中では、それもままならないはずだ。
「ジュリアンを見つけたぞ」
アルベルトが耳元で小さく囁いた。
見れば、会場の中央、ひときわ豪華な仮面をつけたジュリアン・セヴェリーニが、取り巻きの貴族たちを従えて高笑いをしていた。その傲慢な態度からは、来週には我が家を完全に潰せるという確信が滲み出ている。
私は深く息を吸い込み、人波を縫うようにしてジュリアンの元へと近づいた。
周囲がダンスに夢中になっている隙を突き、私はジュリアンの背後に回り込んだ。
「……ごきげんよう、ジュリアン様」
ジュリアンが振り返る。仮面の下の瞳が、私を認めた瞬間、驚愕に見開かれた。
「貴様……! ここへ何の用だ! 警備兵、こいつを――!」
「騒がない方がいいわよ」
私は彼に近づき、ドレスの隠しポケットから小さな封筒を取り出して、彼の胸元に押し当てた。
「これは、あなたの父上が隣国と交わした『軍事兵器の密輸契約書』の写し。これが公になれば、セヴェリーニ家は明日には存在しなくなるわ」
ジュリアンの顔から血の気が引いた。
「な……ッ、なぜその書簡が貴様に!」
「亡き父が、命をかけて守っていたのよ。私がこれを持って宮殿のバルコニーに行けば、祝聖祭の演説をしている皇帝陛下へ直接届けられる。……どちらがいい? 今すぐ、この場所で、私の屋敷への接収通告を撤回し、罪を認めるか。それとも、ここで滅びるか」
ジュリアンは震える手で封筒を奪い取ろうとしたが、背後に控えていたアルベルトが、さりげなくジュリアンの手首を制した。
「子爵。騒げば、周囲の貴族たちもこの紙の内容を知ることになりますよ。それでもよろしいのですか?」
アルベルトの低い囁きに、ジュリアンは押し黙った。
彼は周囲を見渡し、我々を殺すか、屈服するかを迷っているようだった。
その時、会場の空気が一変した。
重々しいトランペットの音が鳴り響き、玉座の扉が開かれた。
皇帝陛下の登場だ。
「……ふん、いいだろう」
ジュリアンは私を睨みつけ、忌々しそうに吐き捨てた。
「その書類を返せ。接収通告は取り消してやる。だが、それで終わりだと思うなよ。お前など、いずれ必ず消してやる……!」
ジュリアンがポケットから取り出したのは、接収通告の原本だった。
私はそれと引き換えに、偽造の書類を渡した。
――だが、これは私の罠だった。
「あら、ジュリアン様。私は接収を取り消せとは言ったけれど、この件をここで終わりにするなんて言ったかしら?」
私が微笑むと、アルベルトが宮殿の照明を操る魔導具に合図を送った。
瞬間、宮殿の巨大なスクリーンに、先ほどのやり取り、そしてジュリアンが「横領と密輸を認めた」一部始終が、魔法の光によって大きく投影されたのだ。
会場中が、凍りついた。
「なっ……!?」
ジュリアンの声にならない悲鳴が響く。
私は仮面を取り去り、高らかに宣言した。
「帝国貴族の名において! セヴェリーニ家の長年にわたる横領、ならびに国家への反逆をここに告発いたします!」
「誰だ! 誰かその女を捕まえろ!」
会場が大混乱に陥る中、私はアルベルトの手に引かれ、宮殿の深部へと走り出した。
背後から、セヴェリーニ家の私兵たちが殺到してくる。
「アルベルト! 私たちはどうなるの!?」
「逃げ切りますよ、ルチア様!」
彼が私を抱き寄せ、宮殿の窓から暗い庭園へと飛び降りた。
着地した瞬間、私の背後に立っていたのは、いつもの「騎士見習い」のアルベルトではなかった。
彼の背後に、数十人の精鋭騎士たちが、恭しく膝をついていたからだ。
「……待たせたな、ルチア」
アルベルトが、騎士たちから重々しいマントを受け取り、羽織った。
その瞬間、彼の纏っていた「見習い」の空気が霧散し、帝国を震撼させる「皇帝の直属密偵長」としての圧倒的な覇気が放たれた。
「え……?」
私の言葉に、アルベルトは苦笑いしながら私の頬を撫でた。
「驚かせてすまない。私は、アルベルト・フォン・ハインツ。皇帝の密偵長として、この腐りきった貴族社会を裏から監視していた者だ。……君に出会ってから、ずっと君の正義に惹かれていた」
彼の瞳は、いつものように優しく私を見つめていた。
セヴェリーニ家は、もはや逃げ場がない。皇帝の密偵隊が、既に伯爵家を包囲しているからだ。
「私の戦いは、あなたのおかげで勝つことができたわ」
私は涙を浮かべながら、アルベルトの胸に顔を埋めた。
「ありがとう……本当に、ありがとう」
「礼には及ばない。……さあ、ルチア。これからは、二人でこの帝国を、もっとマシな場所に変えていこう。私の『男爵閣下』」
朝焼けが、帝都を優しく照らし始める。
私は、かつて泥にまみれ、世界を憎んでいた少女ではない。
誇り高き男爵として、愛する騎士と共に、新しい未来へ踏み出す――。
そう、これこそが、私が望んでいた、最高に甘美な「復讐」の結末なのだから。




