表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『辺境育ちの天才発明魔導師 〜新しい魔法を作りたいだけなのに、なぜか世界が騒がしくなります〜』  作者: 夕凪 鏡介


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/18

第17章「月狼族の真実」

月狼族の谷は北の山脈のいちばん奥にあった。


グリモワール村を朝に発って馬で半日。

やがて道は消えて、銀色の岩肌の細い尾根だけが奥へと続いた。


馬はそこまでだった。

一行は馬を岩陰につないで、徒歩で尾根を登った。


アルマとガルとシルヴェ。ハーミーネとセオドア。

それだけの小さな一行だった。


ガレリスとリカルドは、里と王都へ向かうカミラの護衛に分かれていた。


尾根を登りきると眼下に谷が開けた。


アルマは息を呑んだ。


谷は広かった。けれど静かすぎた。

岩肌に無数の洞穴が口を開けていた。


月狼族の住処だった。

――そのほとんどが空っぽだった。


「ガル」


アルマは隣の銀の狼を見た。


ガルは谷を見下ろしたまま動かなかった。

その銀の毛並みが、風もないのにかすかに震えていた。


「ガフ」

――ここがわれの生まれた谷だ


「うん」


「ガフ"」

――昔は100頭以上の月狼がおった

――いまは見よ


アルマはもう一度、谷を見渡した。


洞穴の数は確かに100を超えていた。

けれどそのなかに月狼の姿は数えるほどしか見えなかった。


痩せた狼が洞穴の入り口に力なく伏せていた。

こちらを見上げる目に光が薄かった。


ハーミーネがしわだらけの目を細めた。


「40年でこれほど減ったか」


「お婆ちゃん、月狼族の人たち、どうしてこんなに少ないの?」


ハーミーネはしばらく答えなかった。


「アルマや。――それをこれから長老から聞く」



谷の底へ降りる道の途中で、1頭の老いた月狼が待っていた。


ほかの狼よりひとまわり大きかった。

銀の毛並みには白いものが混じっていた。


片方の目は白く濁って見えていないようだった。


その老狼はガルを見た。


「ガフ」


ガルが立ち止まった。


「ガフ」

――じいさま


老狼の名はエリス。

月狼族の長老だった。

そしてガルの祖父だった。


「ガフ」

エリスは低く長く鳴いた。


「ガフ」

――よく戻った

――はぐれた孫が生きて戻った

――空間人間の子供と、ばあさまを連れて


ガルはエリスの前に頭を低く下げた。


エリスの濁っていないほうの目がアルマに向いた。


「ガフ」

――人間の子供

――おまえがシルヴェを助けた子か


「はい。アルマ・グリモワールです。――シルヴェちゃんの体の刻印、書き換えました」


「ガフ」

――シルヴェ

――前へ


シルヴェがアルマの足元から、おずおずと前へ出た。

それからエリスの鼻先に自分の鼻先をそっと寄せた。


エリスは長いあいだシルヴェの匂いを嗅いだ。


「ガフ」

――シルヴェ

――おまえはもう一度、シルヴェに戻ったのだな

――人間の子供の力で


「ガフ」

――じいさま、われはシルヴェ

――にいさまを知っておる。ばあさまを知っておる


エリスの濁った目の見えるほうから、ひとすじ光るものが伝った。


ハーミーネがエリスの前に進んだ。

正式なしわだらけの膝を岩の上に折った。


老婆と老狼が同じ高さで向き合った。


「エリス殿。――40年ぶりじゃのう」


「ガフ」

――ハーミーネ

――おまえも生きておったか


「うむ。――辺境で孫のような子を育てておった」


エリスはアルマをもう一度見た。

それからゆっくり谷を見渡した。


「ガフ」

――ハーミーネ

――おまえが40年前におしえてくれた通りになった

――『月狼の心を書き換える魔法が、完成に近づいている』と


「うむ」


「ガフ」

――やつらは毎月、谷にきた

――そして若い月狼を連れていった

――連れていかれたものは、戻ってこなかった

――戻ってきたものは――もう月狼ではなかった


アルマの手がぎゅっと握られた。


「エリスさん。――戻ってきた人はどうなってたんですか?」


「ガフ」

――目から光が消えておった

――名前を呼んでも答えなかった

――ただやつらの命令だけに動く、獣になっておった


「ガフ」

エリスは低く絞り出すように続けた。


――われらの心を抜いて

――われらを道具にする

――それがやつらの目的だ


ハーミーネがしわだらけの目を閉じた。


「人を人でなくする魔法と、魔物を魔物でなくする魔法は表裏一体じゃ。――連中は月狼でその仕上げをしておる」


アルマはしばらく谷を見ていた。

それから静かに口を開いた。


「エリスさん」


「ガフ」


「いま谷に、書き換えの途中の月狼さんはいますか?」


エリスの目が止まった。


「ガフ」

――いる

――6頭

――やつらが先月、置いていった

――まだ心は抜かれていない

――だが、もうあとすこしだ


「ガフ」

――そのなかに


エリスはガルを見た。


「ガフ"」

――ガルの母がおる



谷のいちばん奥の深い洞穴だった。


6頭の月狼が岩の床に横たわっていた。

それぞれの額に火と闇の二重陣とルクス・ノクテの紋章が青黒く光っていた。

――書き換えの刻印だった。


6頭は目を開けていた。

けれどその目は誰も見ていなかった。

天井の一点だけを見つめていた。


ガルがそのなかの一頭に駆け寄った。


ほかの5頭より少し小さい、銀の毛並みの月狼だった。


「ガフ」

――おかあ

――おかあ。われだ。ガルだ


母狼は答えなかった。

天井の一点を見つめたままだった。


「ガフ」

――おかあ

――われだ。はぐれたガルだ

――帰ってきた


母狼の銀の鼻先がわずかに動いた。

けれどそれだけだった。目の光は戻らなかった。


ガルが低く鳴いた。

それはアルマがいままで聞いた、どの鳴き声ともちがっていた。


アルマは母狼の傍らにしゃがんだ。

そして額の刻印をじっと見た。


「お婆ちゃん」


「うむ」


「いちばん内側の線、もう光ってます」


ハーミーネが洞穴に入ってきた。

そして母狼の額を見てしわだらけの目を細めた。


「アルマや。――意識の魔法陣がもう起動しかけておる。シルヴェのときより、ずっと進んでおる」


「うん」


「間に合うか」


アルマは答えなかった。


代わりに銀インクに人差し指をひたした。

それから目を閉じて自分の指先に月光の魔力を集めた。


「えーと」


アルマの声はいつもどおり静かだった。


「シルヴェちゃんのときは外側の2層を書き換えて、内側の線を起こさないようにしました」


「うむ」


「でもこの子は、内側の線がもう起きかけてます。だから――」


アルマは母狼の額にそっと指を当てた。


「起きかけた線を消すんじゃなくて。――思い出してもらいます」


「思い出す?」


「自分が誰だったか」


アルマは母狼の額に銀インクで新しい陣を描き始めた。


それは消すための陣ではなかった。

月狼が自分の名前と自分の愛したものを、もう一度たどるための道だった。


「ガル」


「ガフ」


「ガルが、お母さんを呼んであげて。――私の魔法は道を作るだけ。お母さんにその道を歩いてもらうには、お母さんの好きな声がいります」


ガルが母狼の鼻先に自分の鼻先を寄せた。


「ガフ」

――おかあ

――ガルだ

――おまえが夜、われに歌ってくれた月の歌

――われはまだ覚えておる


ガルが低く月の歌を口ずさんだ。


それは言葉のない、ただの唸りの旋律だった。

けれど確かに歌だった。


アルマの指先の銀の陣が淡く光った。


母狼の額の青黒い刻印が、その銀の光に押し戻されていった。

火と闇の二重陣が薄れた。

ルクス・ノクテの紋章が消えた。


そしていちばん内側の起きかけていた線が――ゆっくりと向きを変えた。


外へではなく。内へ。

書き換えられるのではなく。思い出すほうへ。


母狼の銀の鼻先が震えた。


天井の一点を見ていた目が、ゆっくり動いた。

そしてその目がガルを見た。


「ガフ」

――……ガル?


「ガフ」

――おかあ!


母狼が首をもたげた。

それからガルの銀の額に、自分の額を押し当てた。


「ガフ"」

――ガル。ガル

――大きくなった

――はぐれたときは、こんなに小さかったのに


ガルは答えられなかった。

ただ母狼の首に自分の首をすりつけていた。


アルマはその横でにこっと笑った。


「よかった。――間に合いました」


セオドアが洞穴の入り口で立ち尽くしていた。


王立魔法学院で彼は魔法を学んだ。

火を起こし、水を出し、傷を治す。それが魔法だと思っていた。


けれどいま目の前で6歳の子どもが、消えかけた一頭の狼のたましいを縫い戻した。


「……これは」


セオドアはつぶやいた。

「これはいったい、何という魔法なんだ」


アルマが振り返った。


「えーと、いま思いついたので名前まだないんですけど」


アルマは少し考えた。


「『月還つきがえし』っていうのはどうですか。――月の光でその子をその子に還す魔法だから」


それからアルマは、残りの5頭に向き直った。


「あと5人います。――ガル、シルヴェちゃん。5人ぶん歌がいりますね」


「ガフ」

――まかせろ



その日の夕方までに、6頭すべてが自分の名前を思い出した。


谷の底に夕日が差していた。

救われた6頭の月狼は、それぞれの家族と鼻先を寄せ合っていた。


痩せた谷に久しぶりに、生きた狼たちの低い鳴き交わしが響いていた。


エリスがアルマとハーミーネのところへゆっくり歩いてきた。


「ガフ」

――人間の子供

――おまえはわれらの谷に、名前を返してくれた

――礼をいう


「いえ。――私、ただ道を作っただけです。歩いたのは月狼さんたちです」


エリスはしばらくアルマを見ていた。


「ガフ」

――ハーミーネ


「うむ」


「ガフ"」

――おまえたちはやつらの頭を知りたくて、ここにきたのだろう


「うむ。――40年前、お主に月狼の心を書き換える魔法を仕掛けはじめた人間。――いまその人間の名を知りたい」


エリスは濁った目を夕日に向けた。


「ガフ」

――40年前

――谷にきた人間は、2人おった


「ふたり?」


「ガフ」

――ひとりはエドガー・グランディス

――表で指令を出しておった男だ

――その男はもう死んだと聞く


「うむ。――ルナ殿の伯父御じゃ」


「ガフ」

――だが

――その後ろにもうひとり、若い男がおった


アルマが瞬きをした。


「ガフ」

――エドガーは指令を出したが

――『月狼の心を抜く』という発想そのものを持ってきたのは――

――その後ろの若い男だった


ハーミーネの顔から血の気が引いた。


「エリス殿。――まさか」


「ガフ」

――その若い男は、エドガーが歴史の罪をかぶる間に

――姿を消して

――そしていま


エリスはゆっくりハーミーネを見た。


「ガフ」

――人間の世界のいちばん高いところに、登り詰めておると聞く


ハーミーネが低く震える声で言った。


「エリス殿。――その男の名を」


エリスはしばらく沈黙した。

それから夕日のなかでその名を告げた。


「ガフ」

――いまの宮廷魔導師団の総長


「ガフ」

――アロイス・ヴァインハルト


ハーミーネのしわだらけの手が、杖を強く握りしめた。


「アロイス――。あのいちばんおとなしかった弟子か。――40年前、エドガーの隣でいつも黙って議事録をとっておった」


「ガフ"」

――その男が本当の頭だ

――そして、その男の作った組がルクス・ノクテだ


アルマは夕日に染まる谷を見ていた。

それから静かにつぶやいた。


「アロイス・ヴァインハルトさん」


「アルマや」


「その人が、月狼さんたちの心を抜こうとして。――いつか人の心も抜こうとしてる人ですね」


「うむ」


アルマの紫水晶の瞳に、またあの光が宿った。


異端審問の日、ルナに向けた初めての怒りの光。

それがもう一度静かに灯っていた。


「私、その人に会いに行きます」



その夜、谷の洞穴でアルマはガルの銀の毛並みにもたれて眠ろうとしていた。


母狼がガルの隣に寄り添っていた。

シルヴェも母狼の隣で丸くなっていた。


エリスは洞穴の入り口で谷を見守っていた。


「ガル」


「ガフ」


「ガルのお母さん、戻ってきてよかったね」


「ガフ」

――アルマ


「うん?」


「ガフ」

――おまえはいつもいう

――『一緒に悲しもう』と


「うん」


「ガフ」

――今日は一緒に喜んでくれ


アルマはガルの銀の額に自分の額を押し当てた。


「うん。――一緒に嬉しい」


谷の上に月が昇った。


救われた月狼たちがその月に向かって低く歌い始めた。

6頭ぶんの生きた声だった。


アルマはその歌を聞きながら目を閉じた。


谷の月狼族は名前を取り戻した。

けれどその名前を抜こうとした男は、いま王都のいちばん高いところにいる。


――宮廷魔導師団総長、アロイス・ヴァインハルト。


明日、谷を発つ。

そしてその名をカミラ猊下に届ける。


辺境の6歳の少女の2度目の怒りが、いま王都の闇にまっすぐ向き始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ