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人ノ記憶ヲ喰ラウ鬼 其ノ参

 そんなディユンに声を掛けようとした日和だったが、言葉が思い浮かばず天井を見上げた。

 するとふいにディユンが

「のう日和」

 再び顔を横に倒すとディユンが振り返り日和の方を見ていた。

「私が犯した罪は鬼から人を救う事で消す事が出来るのだろうかのう?」

「過去の犯した罪は消えないし、消す事なんてどうやったって出来ないよ」

「やはりそっか……」

「だけど『過去』は変えられなくても、これから先の未来はディユンの手で人を救う事だって何だって出来る。消えない事を別に無理して消そうとしなくていいし、闇に隠さなくてもいい。不幸にした分だけこの先に幸せを生み出していけばいいと思う。犯した罪は消えないけど、だからっていつまでもそんな事に囚われてちゃいけないんだ。俺は今のディユンは、もう昔とは全然違うと思っている」

 真っ直ぐな目をしている日和の言葉はディユンの胸に深く入っていった。

(またしても此奴に教えられてしもうたのう。『無理に消そうとしなくていい』か……私はずっと過ちを消す方法を考えておったというのに、たかだか十数年しか生きておらん人間に教わる事になろうとはのう……私が昔とは全然違う……か……)

「日和……私は本当に変われたのだろうか?」

「ああ、間違いなく『良い感じ』に変われたと思うぜ」

「本来その言葉を私は聞きたかったのかも知れぬな。罪を償うというのは一つの理由に過ぎなかったのだ。私自身が誰かに昔とは違うと認めて貰いたかったのかも知れぬ。何だか心にあった霧が晴れたようじゃ」

「それなら良かった。今まで罪の意識を感じていたせいで人前に出て来られなかったから誰もディユンの変わった姿を教えてくれなかったんだな。これからは俺がディユンを認めてやる! そして重くて重くて仕方ない罪の意識を一緒に背負ってやる。一人だと押し潰されそうな重さでも二人で背負えば少しは楽になる筈だろ。きっと俺が鬼になってしまったのにはそういう事も含まれているんじゃないのかな」

「何もそこまでせんでも良いのだぞ。寧ろ日和にとってはかなり昔の事であるし、私が勝手に背負った罪なのじゃから……」

「そんな事言ってもダメだぞ。俺はディユンに命を喰われて寿命を縮めてしまったし、そのせいで鬼にもなってしまった。もう散々な事になってしまったんだからな」

「いや、じゃからそれについてはちゃんと説明と詫びもしたではないか……それに今話している事と何の関係も……」

 いきなりの日和の責める言葉でディユンは気まずい表情になったが日和は更に言った。

「いや、関係ある! こんな大変な事に巻き込んでくれたお陰で俺はディユンと一緒に人を救う事の出来る力を手に入れられたんだ。何も無ければ誰一人助ける事が出来ないどころか指を咥えて人が鬼に喰われていくのをただただ見ているだけしか出来なかった。下手すると、こんな事になっているのさえも知らずにいたかもしれない。だから俺を巻き込んでくれた事に感謝しているんだ」

「感謝……じゃと?」

 命を喰われて寿命を縮められた挙句、人間として普通の生活を送る事さえも奪われてしまったのに感謝された事にディユンは驚きを隠せなかった。

「日和、お前自分の状況を分かった上でそんな事を言っておるのか?」

「分かってるに決まってるじゃん。ディユンだってもし今も変わらず一人だったなら、ウォールムとかいう鬼を止める事が出来たと思えるか? 多分無理だったんじゃないのか。それならきっと俺と出会ってこうなる事が一番ベストだったと思えないか? お互いに奇妙な縁で知り合ってしまったんだ。だからこれから先は自分一人で背負い込まずに同じ罪を同じだけ背負っていこう! 救いたい人の中にはディユン――お前もその中に入っているんだからな。そしてディユンが心から笑って幸せを感じられるようになれる日が来ればいいと思うんだ」

「私が……幸せを感じられるように……」

 ディユンは更に驚いた。

 人を悲しみや苦しみに陥れていた自分自身にそんな言葉を掛けて貰えるなんて思ってもみなかったからである。その瞬間、胸の奥に微かな灯火がついた様な温もりを感じたのだった。しかし、そんな事を考えている自分自身が愚かだと思ったディユンは急に声を荒げた。

「いい加減にせぬか! もうそんな生温い話はよい! 私が幸せになるだと? 戯けた事をぬかしおって! 罪を犯した者がそのようになれる筈が無かろう! お前との話はここまでじゃ。鬼と対峙した時のみ協力はして貰うが、それ以外は一切関わりは持たぬ!」

 怒りを顕にしたディユンはそう言うと日和の身体の中に姿を消してしまった。

そして最後に日和の思考に

(対峙する時までに身体を十分休めておれよ)

 この言葉を最後にディユンが日和に話し掛ける事も姿を現す事も無かった。

 日和は訳が分からなかった。

 ただ同じように意思を持ち、感情を持ち、言葉を交わしている者が幸せになる事を願っただけ――しかし想いとは裏腹に背負っていた傷をただ増やしてしまっただけに過ぎなかった。


 傷もすっかり癒えた日和は学校に向かっていた。

(結局あの日から三日も休んでしまったなぁ~。今週ずっと休んでいたから木乃葉が心配してるだろうな……って、心配どころか『何サボってるのよ!』ってぶっ殺されてしまうかも知れないなぁ……やっぱり引き返して今日も休んじゃおうかな……いや、帰ったら帰ったで今日は母さんが仕事休みだから一日中扱き使われてしまうだろうなぁ……どっちにしても地獄じゃん! 普通こういう時って片方が地獄だったら片方は天国だったりするんじゃないのか? 世の中には『両手に花』っていう何とも羨ましい状況があるっていうのに何で俺は『両手が毒花』って感じじゃん! 絶対入ってはいけないような山奥に咲いている見た事も無い猛毒花だぜ! 植物図鑑に髑髏マーク三つ位付けられているような……はぁ~新手の海賊船かよって感じだぜ…………『両手に花』かぁ~。右には垣翼めぐるで左は水琴……やばいぞ! これは流石にやばいぞ! どっちかを選ぶなんて事、俺には出来な~い! 垣翼めぐるは女性としての魅力で満ち溢れて過ぎていて、近くに居るだけで何だか凄く心地良くなってしまって、まさに天国に昇ってしまうんじゃないかと錯覚してしまうくらいだ。それとは違う魅力が水琴にはあって、あの幼い感じがまた堪らないんだよな! 特に語尾に『~です』って付けるところが可愛いさ三億倍って感じだな! ……あぁ、何か水琴の事を考えていたら会いたくなったな)

 ウォールムの針を無数に受けようとも日和の妄想は相変わらずだった。

 そんな頭の中を幸せ一杯にしていた日和だったが、気が付くと校門前まで来てしまっていた。

(やっべぇ~気付いたら学校に着いちゃってるし……仕方ない。木乃葉にぶっ殺されるしか無いな……)

 日和は上履きに履き替えると階段を上り教室の前まで来た。

 普段だと日和の後ろから木乃葉が登校してきて声を掛けてくるのが毎日の決まりみたいなもんであったが、今日はそれが無かった。

(早い時にはこの前みたいに校門辺りで会う筈なのに。今日は来てるのかな?)

 ゆっくりと教室のドアを開けて中を覗くと木乃葉の姿は見当たらなかった。

(遅刻かな?)

 自分の机まで行くと鞄を置いて椅子に座る。

(まぁ完璧な木乃葉でもたまには寝坊くらいしてしまう時もあるよな。まぁ今まで一度も見た事が無いからどんな顔して来るのか楽しみだな。ヒッヒッヒッ)

 焦った顔をしながら教室のドアを開ける木乃葉を想像しながら心の中で笑っていた日和だった。

 だが、先生が教室に入って来てホームルームを始めても木乃葉は来なかった。

(まさか休みなのか! 助かったぁ。これでぶっ殺されずに済む)

 幼馴染が欠席するかも知れない状況を喜ぶ最低の男、亜咲良日和であった。

 喜びも束の間、次の瞬間先生が言った言葉に日和は疑問を感じる。

「えぇ、本日も金芝は風邪の為、欠席します。皆さんもこの時期は暖かくなり始めたばかりなので油断していると風邪をひいてしまうので気を付けるようにして下さい」

 は~い……

(あれ? 今、『本日も』って言ったよな? って事は最近ずっと学校に来てないのか?)

 日和は前の席に居る女の子に声を掛けた。

「なぁ、木乃葉っていつから休んでるんだ?」

「今週はずっと来てないよ」

「あ、そうなんだ。有難うな」

 嫌な予感が日和の脳裏を過った。

(今週ずっと来てないって事は最後に学校に来たのはあの日だ……俺が木乃葉の手伝いをした日……つまりディユンと再び出会った雨の日だ。そして次の日には水琴に会った。その日から木乃葉は風邪をひいているって事になる。ただの偶然か? それとも……)

 考えれば考えるほど最悪な事しか浮かんでこないのであった。

(そういえば何か木乃葉の奴、様子がおかしかったような気もするし、いつもと違っていたような感じもした)

 そんな時、ふとディユンの言葉が浮かんだのだった。


元々『鬼』同士は共鳴しておって『鬼』の居る場所には自然と『鬼』が集まるようになっておるのだ。


 思わず『はっ』となった。

(そうだった……鬼同士は共鳴しているなら俺の近くに居る人間が一番の標的になるんじゃねぇか! 身近な存在といえば親か木乃葉になってしまう)

 直感で感じた日和はこの数日間、話もしていなかったディユンに呼び掛けるのだった。

(ディユン! ディユン! 聞こえているなら返事しろ!)

(なんじゃ? 私とは一切関わるなと言うたであろう)

(分かってるよ。鬼と対峙した時だけだよな。でも今がその時かも知れない!)

(本当か!)

(ああ、俺の幼馴染に憑いてるかも知れないんだ。だから数日前までこの教室にも来ていたはずだから何か鬼の気配みたいなものは感じられないか?)

(そんな警察犬みたいな事が出来る訳が無かろうが。鬼が近くに居れば感じる事も出来るが何処に居るかも分からんものを感じられる訳が無いじゃろうに)

(そうだよな……)

 結局、木乃葉に鬼が憑いているのかさえ分からず、日和は表情を曇らせた。

 するとディユンが言った。

(近くに居れば感じる事が出来ると言っておるのだから学校が終わった後にでもその幼馴染の家の前に行けば良いだけの話ではないか)

(そっか! じゃあ放課後に行ってみよう。行けばそこに鬼が居るか分かるんだよな?)

(そうじゃ。私はそれまで眠っておるから幼馴染の家に着くまで話し掛けるでないぞ)

(分かったよ。あとさ……昨日の事なんだけど……何か変な事を言うつもりは無かったんだけどさ……悪かったよ……)

 ディユンからの返事が無かった。

(おい、ディユン!)

(……すぅ)

(また寝やがった!)

 素直な気持ちを思い切って言ったのに眠ってしまったディユンに苛立ちを覚えた。

 でも、思考内ではちゃんと聞いていた。

 そこには複雑そうな表情をしたディユンが日和には聞こえない声で

(分かっておるのじゃ。日和の優しさも私に対しての思いやりも痛いほどに分かっておる。じゃが私は所詮、鬼である事に変わりは無い。幸せになれる筈が無いのじゃ。日和よ……お前を喰ろうておる私を憎んでくれ……鬼という存在に優しさなど掛けずに忌み嫌うてくれ……やはり傷付けた人間に恨まれていた方が楽なのじゃ。優しくされればされるほど胸が苦しくなるのじゃ……私に優しくしてくれたのにすまなかった。やはり鬼を止めるのは私一人でやろう)

 心の闇がそう簡単に晴れる訳も無く、ディユンは自責の念に苛まれ続けるのだった。

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