人ノ記憶ヲ喰ラウ鬼 其ノ貳
「私にとって他の者に知られたくない過去であろうと触れられたくない傷であろうと日和、お前には知っておいて欲しいのじゃ。ただこの話を聞いた後でもう私に憑かれておるのが嫌だと思うたなら私はお前から出てゆく。まだ今なら日和の命も相当残っておるじゃろうし、私が出て行った後も時間は掛かるじゃろうが傷も癒えるじゃろう。この時点ではまた普通の人間に戻る事も出来る。その事を知った上で私の話を聞いて貰いたい」
日和は小さく頷いて言った。
「分かったよ。そこまでディユンが覚悟しているなら俺もちゃんと聞くよ」
ディユンも小さく頷き日和が納得してくれた事を確認した。
「まず、ウォールムは私が創った『鬼』という事じゃが、本当の事なのじゃ。元々私は唯一の『鬼』という存在であったと共に『神』であった。人は古来から『鬼』という存在を恐れおののき邪悪なる者としておったと同時に全ての恵みや創造を与えてくれる者として奉ったもの――それが『神』であった。人の考える上では別々の存在としておるのじゃが、実際のところは同じ存在じゃ。この世にあるモノ全て表裏一体、表の綺麗なモノがあれば裏では汚れたモノが存在する。それは神や鬼とて同じ事、全てを自由気ままに与えてくれるなど都合のいい者が存在する筈も無く何かを望めば何かを失う。無償で手に入るものなどは無いという事じゃのう。私は人が望むモノをそれなりに与えてきた。貧しい者には大地の恵みを与え、望む者には地位や名声を与えた。だが、それらを与えられた人の裏では『自由』を奪ってきた。日和も見たであろうあの少女を……あれが本来『神』と崇められた者がこれまでしてきた正体なのじゃ。私が自分自身の生きていく役目として疑問に思う事も無く、ただ目の前にいる人間の望みを聞きそれに見合った『自由』を奪っていく。それが当たり前で普通の事じゃと思うておった。じゃが、私はある時、莫大な財を望んでおった若い男にそれを与え、代わりにそれに見合っただけの自由を奪った。それは『命』だった。その者は将来を誓い合うた婚約者がおったのじゃが、どうもこの者は婚約者を幸せにしてやりたいと思いそんな欲にまみれた願いをしてしまい、私がそれを叶えてしもうた。それによってこの婚約者は悲しみに打ちひしがれて自分の命を絶ってしもうたのじゃ。私は何故折角手に入れた財なのに自分の命を絶つような事をしたのか理解出来んかった。望んだモノが手に入れば人は幸せになれるのではないのか? 大きなモノには大きな代償が付くのは当たり前の事なのではないのか? そんな疑問を感じておったが、その後も与えては奪いを繰り返していった。じゃが、誰一人として幸せな人間などおらんかった。私は気付いたのじゃ。例え不幸で恵まれなかったとしても誰かに慕われ誰かに愛され誰かの事を大切に思う気持ちの中では何かを失って得るモノなど無いと言う事に。人は自分自身の身体が自由に動く事で色んな可能性が生まれてどんな事でも出来るようになる。そんな可能性を私は些細な願い事と理由付けて奪ってきてしもうておったのじゃ。あの若い男も財を望んだのは婚約者の為であったが、二人を別々の世界に隔離してしもうては意味が無いのじゃ。日和の事を無能だとか言っておったが私自身が何よりも最低な無能者じゃったのじゃ」
「……」
日和はずっと無言のままだった。っというよりディユンにどんな言葉を掛けていいのか分からなかったのであった。ディユンが過去には数多くの人間の『澪』を喰らい、自由を奪ってきた事にショックを受けた。その感情は怒りではなく悲しみだった。
少し言葉を詰まらせたディユンだったが再び話し始める。
「その事に気付いた私は人に与える事も人から奪う事も止め、鬼界に帰ると人々の前から姿を消したのじゃ。そうして一人で静かに生きておったのじゃが、少し人と長く居過ぎたせいか『孤独感』という感情が芽生えてしもうたのじゃ。じゃが、人の中ではもう生きていかんと決めておった私は『自分自身』を分裂させる事で仲間を創った。自分が持っている力を個々に分け与えて創った鬼、その中の一人がウォールムじゃ」
「力を分けて作ったって事はウォールムが使ってた針も手足を喰らうやり方も元々はお前の……」
「そうじゃ。元々手足の『澪』を喰らう事もあの特性も私が与えたモノじゃ」
「じゃ、じゃあ……今こんな状況になってしまった元々の原因はディユン――お前だって言うのかよ!」
「日和の言う通りじゃ。私が鬼なんぞ創らんでおればこんな事にはなっておらんかった。私が蒔いた種なのじゃ」
「っという事はやっぱりお前はまた人間を喰らいにきたって事なのか?」
日和は動かない身体を必死にディユンに詰め寄らせた。だが、ディユンはこの話をすると決めた時にどんな風に思われ、どんな事を言われてもいいと覚悟をしていた為に日和へと向けている目に迷いは無かった。
「逆じゃ」
「逆?」
「人間に憑いて喰らっておる鬼を止め、もう一度私の中に力として戻って貰おうと思っておる。じゃが、今の私では一番力が無かったウォールムでさえもやっと力に戻せた状態じゃ。他の鬼はもっと強い力を持っておる」
「そんなにウォールムと他の鬼とでは力の差があるのか?」
「そうじゃのう。ウォールムがコップ一杯の水じゃとしたなら他の鬼は浴槽に溜めた水かのう。元々ウォールムは余った力で創った鬼じゃったからのう」
ボロボロにされてしまった日和にとってはウォールムの力は計り知れないものだった。それなのに他の鬼はもっと強い力を持っていると分かった日和は絶望的な状態に陥った感じで俯きながら言った。
「そんなに強いんじゃ……もう力として戻すのは出来ないんじゃないのか?」
「私もそう思うたのじゃが、まだ可能性は残っておったのじゃ」
「何かいい方法でも思い付いたのか?」
「思い付いたというよりはウォールムと戦っておった時に感じたのじゃ。まさか鬼の力を最大限まで使う事の出来る人間がおった事には驚いたがのう」
首を傾げる日和。
「よく話が分からないんだけど、一体何が言いたいんだ?」
「つまり喰らっておる鬼を止めて私の中に力として戻すには日和、お前の力が必要なのじゃ! 元々は私自身が蒔いてしまった種だという事は重々承知の上で頼んでおる。もう私一人だけの力では他の鬼を止める事は出来んのじゃ。じゃが、話の最初にも言うたが日和自身が今の私の話を聞いて協力したくないと思うたのならこれ以上、私は何も言わん。すぐにでも出て行って欲しいと言うならその通りにしよう。むしろそっちの方が日和にとっては普通の生活が戻って来る訳じゃから好都合の筈じゃ。例え協力して貰えんでも日和の事を恨んだり取って喰ろうてやろうなどとは思うておらんから安心せい。好きな方を選ぶが良い」
ディユンの話を聞いて日和は天井を見上げたまま何も答えなかった。
しかし答えなんて出ているようなものだった
恐ろしくも禍々しい鬼の恐怖を感じながら過ごす日々よりも何も変わらない平凡な毎日を人間として送る方が断然良いに決まっている。
ディユンとは少しの間一緒に居ただけの関係。
たったそれだけの小さな関係の為に平凡な毎日や人間性を捨てる奴など居る筈が無い。誰もが掛け替えの無い毎日が大切であると共に人間であり続けたいのだから――
だが日和から出た言葉は……
「話は良く分かったよ。ディユンが昔は最低最悪な鬼であり神だったって事がな。願いを叶えるっていう理由をつけて人間を好きなだけ弄んで『澪』を喰らっていたって事もな。本当ウォールムを創ったのがディユンだって納得が出来る程やり方が似てる。このまま大人しく出て行って貰って普通の人間に戻れるなら願っても無い事だよな……。だけどもう沢山反省したんだよな? 人間からむやみやたらに奪っちゃいけないって分かったんだよな? そして後悔して苦しんで自分を責めて一人ぼっちの寂しさにも耐えて耐えて耐えて……それでも仲間が欲しくって創ったらこんな事になってしまって……そうしたらまた自分を責めて何とかしようと思って衰弱し切った身体で来たんだよな。充分辛い思いをしてきたお前を見捨てられる訳無いだろう! それに今ここで俺が人間に戻ってしまったら鬼に苦しめられている人を救えないじゃないか! 水琴の時のように罪の無い人間に『憑』いて自分勝手に『喰ろう』て弄んでいるような鬼を放って置ける訳が無い! 俺はお前が完全に力を取り戻せるように協力するよ。だけど一つ聞きたい事がある。完全な力を取り戻した後、その力をどうするつもりなんだ? 答えによっては協力する事を考え直さないといけないが……」
二人の間に重たい空気が流れて沈黙が続いた。
日和はディユンが答えない事に疑問を感じていた。
(どうして何も答えようとしないんだ? もしかして完全な力を手に入れて人間を苦しめる事を考えているのか? いや! さっき話してくれていた中でディユンは人間を傷付けてしまった事を本気で後悔していた。こんなに全てを話してくれたなら何をそんなに黙り込む必要があるんだ?)
自問自答を繰り返していた日和だったが、ゆっくりとディユンは口を開いた。
「実はのう……」
日和は唾を飲み込んだ。
ゴクリ……
「実は全然考えておらんのだ!」
「えっ! 考えてない!」
「そうじゃ。鬼をこのまま自由にさせておれば人を喰らい尽くしてしまいかねん。だから私の力として戻してしまえばいいと思っておった。ただそれだけを考えておったから力が戻った後の事は全く考えておらんかったのう」
その答えに日和は肩透かしにあったような気分になった。しかし日和にとってはディユンが力を得る事よりも鬼を止める事の方を重点においてくれてた事に安心したと同時に何だか嬉しくなった。
日和は表情を隠すように左手の甲を目の上に置くと
「そっか……」
呟く様に答えながら日和は少しクスっと笑った。
ディユンは日和の様子に疑問を感じた。
「急にどうしたのじゃ? 何故笑っておる?」
「いや、ディユンって本当に鬼なのかなって思って」
「何を言っておるのじゃ。ちゃんと鬼としての力も見せたではないか」
「そういうのじゃないんだよ。ディユンがちゃんとした鬼っていう事も分かっているし、凄まじい力を持っている鬼を作った事も理解してる。何ていうか……こうして話しているとディユンが鬼である事を忘れてしまう時があるんだ。最初出会った時は恐ろしい雰囲気が漂っていて明らかに人間じゃない感じがしていたし、さっきの話の中でも何も考えずに『澪』をひたすら喰らっていた鬼だった。だけど今のディユンは全力で人間を守ろうとしている。そんな姿を見ていると鬼とは違う他の『何か』のような感じがして……」
話を聞いていたディユンはゆっくり立ち上がると日和に背を向けて言った。
「それは流石に買い被り過ぎというものではなかろうかのう。私はどう転んでも鬼であろうし、今現在でも人を喰らっているかも知れぬ鬼を実際にこの手で作った事も事実。我が欲の為に人に憑いておる奴等と何一つ変わらぬところなど無いのだ。ただ、私がこんなにも人を助けようとするのには自分の蒔いた種を刈るという事もあるが、やはり昔の罪滅ぼしなのかも知れんな」
「それでも理由は何であろうとディユンがやっている事は他の鬼とは明らかに違う事だ。一つでも違いが持てるならそれがディユンの『個性』であり、他の鬼との大きな違いだと思う。何一つ変わらないなんてそんな事は無いんだ」
「そうなのじゃろうかのう……」
溜息のような感じでそう言ったディユンの背中は何かを考えているような感じだった。




