人ノ手足ヲ喰ラウ鬼 其ノ漆
声を掛け辛い雰囲気だったが、日和は勇気を出して水琴の背中に元気良く声を掛けた。
「水琴! 窓の外に何か面白いものでもあるのか?」
突然の日和の声に驚いた感じで振り返る水琴だったが、すぐに笑顔で応えてくれた。
「あぁ! 日和さん。もうお見舞いに来てくれたのです? でもまださっき会ったばかりなのです」
「いや、やっぱり手術の前って色々と不安を感じてしまうものだからな。水琴の不安を少しでも和らげてやろうと思って速攻でお見舞いに来てやったぜ」
「そうなのです? でもこんなすぐに来てくれるなんて思いもしなかったからとても嬉しいのです! さぁさぁ、そんな所にいつまでも立っていないで中に入って座って下さいです」
言われるまま中に入るとベットの横に置かれた椅子に腰を掛ける。
「でも本当はどうしたのです? 何かお話があって来たのです? あっ! 分かったのです。手術前にお見舞いというのは嘘で本当は私に会いたくて堪らなくなってしまったのです! やっぱり日和さんはどうしようもない変質者なのです!」
「何でお見舞いに来ただけなのに変質者呼ばわりされないといけないんだ! お前みたいな少女なんて……大……大……大っ嫌い……な訳無いじゃないか! それに会いたいなんて思う訳……有るぞ!」
「……へへへっ。理性よりも本能の方が勝ってしまっているみたいです」
「あまり大人をからかうものじゃないぞ。水琴も俺に会いたかった癖に!」
仕返しのつもりで日和は水琴に冗談っぽく言ったつもりだったのだが、水琴は満面の笑みを浮かべながら
「はい! 水琴は日和さんに会いたかったのです!」
(やっべぇ! めっちゃ可愛いじゃねぇか! 俺……この少女と結婚します。そして幸せな家庭を築きます。そうだなぁ……子供は三人くらいが理想かな。今から頑張れば来年の春には夢のマイホームを持つ事が出来るかなぁ~。水琴! 二人で幸せになろうな……)
「…和さん? ……日和さん? 日和さん!」
日和は我に返ると水琴が必死に呼び掛けていた。
「どうしちゃったんです? 急にボーっとしてしまったです」
「いや、ちょっと考え事を。ところで水琴のお母さんはどうしたの? ついさっきまで一緒に居たのに?」
その瞬間、水琴から笑顔が無くなり俯いてしまった。
「お母さんはお仕事に行ったです。水琴の為に毎日朝早くから夜遅くまで働いているのです。水琴がこんな事になってしまってから、お母さんはちゃんと眠る事も出来ないくらい働いているのです。大好きなお母さんが水琴のせいでボロボロになってしまって凄く悲しいです。辛いです。胸が痛くて苦しいです」
水琴は胸を押さえながら涙を流した。だが、必死に話を続けた。
「だから早くお母さんを楽にさせてあげたいです。明日の手術で手足が元に戻ったらお母さんの手伝いを沢山するです。水琴が朝御飯を作ってお母さんに一杯寝て貰うです。そして大きくなったら水琴が働いてお母さんに楽をさせてあげるのです。だから早く明日になって手術をしたいのです」
日和は何とも言えない気持ちになってしまった。
手術をしても今の状況が変わる事は無いのに水琴自身は大きな希望を抱いていたのだった。
純粋な少女の気持ちと大切な我が子を助けたいと思う気持ちをここの医者は踏み躙ろうとしている。
日和は悲しみと怒りを同じくらい感じていた。
(尚更! 尚更この親子を助けたい……いや! 絶対に助けるんだ! 俺の命に代えても、何が何でも水琴に『憑いてる』鬼をぶっ倒してやる!)
俯いたまま泣いている水琴の頭を優しく撫でながら日和は
「大丈夫だからな。絶対に水琴の手足は元に戻るから。そしたら沢山心配させてしまったお母さんに楽させてあげような。そんな風に水琴に思って貰えてきっとお母さんは嬉しいと思うよ。だから……だから少しくらい辛くても頑張ろうな! 俺も水琴の傍で応援してるから!」
「はい! 有難う御座いますです日和さん。水琴どんなに辛くても我慢するです!」
目に一杯の涙を浮かべながら水琴は笑った。
日和もそれを見て同じ様に笑うと水琴に言う。
「水琴! ちょっと足を見せて貰えないか?」
「えっ!」
急な日和の願いに少し驚いた感じだったが、頷いて答えた。
「分かりましたです……日和さんなら見せても大丈夫です」
表情はどこか恥らっているようにも見えた。
そして水琴はベットに横になりパジャマの裾をたくし上げると、日和は目を大きく開いて見たのだった。
(やっぱりめっちゃつるつるだなぁ~。そして細いなぁ~。しかもこの状況を冷静な視点から見ると結構凄い事をしてるな! 少女がベットに横になって足をたくし上げてるのを見詰めてるってヤバイよな! 禁断の果実ってこういう事を言うんだろうな! って何を考えているんだ俺! それにしても無数の針なんて全然刺さってないじゃんか。ディユンの奴、まさか嘘を言ったって事は無いよな……そもそも嘘って言葉自体知ってんのかな?)
「あの……日和さん? まだなのです?」
恥ずかしさに耐え切れなくなった水琴が日和に問い掛けた。
「あっごめん。もう少しだけ我慢して!」
(ヤバイぞ……このまま何も分からなければ水琴は手術を受けないといけなくなってしまう。落ち着いてよく考えるんだ。ディユンは何かヒントになるような事を言ってなかったか……あっ、そういえば別れ際に何か小声で言ってた様な……)
日和は思い出した。公園で日和がディユンに背中を向けて歩き出し、ディユンもまた日和に背中を向けてその場から立ち去る際に
『日和よ……目に映るモノだけが全てと思うでない。鬼を見ようと思うならば目を研ぎ澄まし『見えない』ものを見るのじゃ』
(って言ってたよな。『見えない』ものを見るってどういう事だ? 目を研ぎ澄ます……?)
日和は静かに目を閉じた。
そして神経を研ぎ澄ますように目に意識を集中させた。
(ディユンは俺に見えていてもおかしくない様な感じで話してたって事は俺も当然のように鬼の姿を見る事が出来る筈なんだ。水琴の足にある針を見る事が出来る筈なんだ。頼む! 俺の目に映ってくれ!)
静かに日和は目を開くとそこには残酷過ぎる光景があった。
太く長い針が水琴の足を貫通する様に刺さっていた。しかも数え切れないほど無数の針だった。よくこんな状態で今まで居られたのが不思議に思うくらいだった。
「み、水琴……お前本当は痛くて痛くてどうしようなかったんじゃねぇのか? 周りに心配させない様に痛いのを我慢してたのか? お前まだ子供なんだぞ……それなのに何で我慢なんかしてたんだよ……」
水琴は少し首を起こして日和に笑顔を見せながら言った。
「あれ? 日和さんも見えるのです? 水琴、自分の目が可笑しくなっちゃったのかなって思ったのです。だから誰にも言わなかったっていうか言えなかったのです」
「何だよそれ……水琴は何も可笑しいところなんて無いんだから見えたものは言ってもいいんだぞ。可笑しいのは水琴の手足に憑いているコイツなんだから! もう何も不安に思わなくて大丈夫だからな。今、元通りの手足に戻してやるからな」
「はい……日和さんの事……信じ……うっ! はぁっあああ!」
急に水琴が苦しみ始めた。
全身は痙攣を起こしていて、息をするのも困難な状態だった。
突然の事態に日和は動揺し始めた。そして徐に水琴の足の針に触れようとした時だった。
「日和! その針に触れてはいかん!」
声の主はディユンだった。
公園で背中を向かい合わせ、別れたもののディユンは日和の身体の中に戻っていて、ずっと状況を見守っていたのだった。
だが、ディユンの静止の言葉を聞く前に日和は針に触れてしまっていた。
その瞬間、触れた針は水琴の足から抜けて日和の喉に突き刺さった。
「がはっ! うっ! い、息が……」
「何をやっとるのじゃ! 触れるなと言ったであろう!」
「デ、ディユン……何で……此処に……?」
「本当に世話の焼ける奴じゃ! どういう鬼かも分からずに戦おうなどと浅はか過ぎるのも程がある! 鬼には絶対にやってはいけぬ事というものがあり、それをちゃんと理解した上で対処せねばならぬのだ!」
ディユンはそう言うと日和の喉に刺さった針を握り締め一気に抜くと放り投げた。
「自分の手で喉を押さえておけばすぐに傷は塞がるじゃろう。私達の『浄鬼』の特性の前では鬼の力で出来た傷など蚊に刺された様なもんじゃ」
日和は言われた通りに手で喉を押さえるとあっという間に痛みも傷も無くなった。
「ありがとうディユン。お前が来てくれなかったら……」
「そんな話はコイツをどうにかした後でするがよい。一先ずコイツの正体は見ての通り『針』の鬼じゃ。無数の針を憑いた人間に突き刺し、『澪』を吸い尽くす事で力を得ておる。まずは本体を少女から出すのじゃ。手足に刺さっておる針を幾ら取り除いたとしても本体を倒さぬ限り少女を救い出す事は出来ぬのだ。最終的には日和の力を借りぬといけぬのだが、少しの間は私に任せておくのだ」
ディユンは日和を後ろに下がらせると水琴に近付いて行った。
そして痛みと苦しみのせいで額に滲んでいた汗を右手の甲で拭う仕草をしながら
「よく今までこの痛みと苦しみに耐えたのう。人間の子供にしては大したものじゃ。今すぐ楽にしてやるからのう……だから少しだけ我慢するのだぞ!」
そう言うと急に汗を拭っていた手を開き水琴の頭を鷲掴みにしたのだった。
「うっ……うわあぁぁ!」
水琴は痛みで叫んだ。
突然の行動に驚いた日和は
「おい、ディユン何やってるんだよ……水琴が痛がってるじゃんかよ! お前殺す気か!」
水琴に近付こうとする日和にディユンは声を荒げる。
「来るな! 日和はそこで黙って見ておるのだ! 私を信じるのだ!」
ディユンの言葉で日和は進めた足を必死の思いで止めた。
そして日和は言った。
「……信じてるぞ……ディユン! お前の事を信じているからな!」
「任せておれ!」
頭を鷲掴みにしていたディユンはそのまま持ち上げると水琴を宙吊り状態にした。
相変わらず苦しそうにしている姿は可哀想だったが、日和は何とか耐えながら見守っているとディユンが少し視線を向けた。
「日和。さっき私がお前から抜いた針を取ってくれぬか?」
「えっ……針って……触ったらまた襲って来るんじゃねぇのか?」
「それならもう大丈夫じゃ。さっき私の『モノ』にしておいたのでな。さぁ早く取るのだ」
「お前の『モノ』って……一体どういう事だよ? 本当に大丈夫なんだろうな?」
恐る恐る足元に落ちている針に軽く二、三度触れてみた。
特に何も起こる気配がないので大丈夫の様だ。
日和は思い切り針を握り締めると拾い上げ、ディユンの所まで近付いて行く。
針をディユンの左手に渡すと
「よし。もう下がってよいぞ」
(俺はお前の家来か!)
「愚痴口言っておらんで早う下がれ!」
(あぁ……そうだった。憑かれていると思考内を読まれるんだったな)
日和はさっき居た場所まで戻ると、ふと感じた疑問を聞いた。
「おい! ちなみにその針どうするんだよ?」
「あぁ、この針か? こうするのじゃ!」
その瞬間、ディユンは水琴の腹部に針を突き刺し、貫通させた。
「うああぁぁああ!」
日和は目の前で起こった衝撃的な光景に思わず叫んで膝から崩れ落ちた。
(そ、そんな……まさかこんな事になるなんて……ディユン……なんでだよ……助けてくれるんじゃなかったのかよ。俺はお前を信じてたんだぞ……それなのにこんな裏切り方があるかよ……何の為にこんな事を……何の為に水琴を……)
絶望に陥っていた日和にディユンが声を掛ける。
「何そんな所で崩れとるのじゃ? 今から面白いものを見せてやろうと思うとるのに」
平然と話すディユンに対し、日和は顔を上げ怒りをぶつけた。
「どうしてかって? それはお前が水琴を殺したからに決まってるだろうが! どうしてそんな残酷な事が出来るんだよ! 何の恨みがあってこんな可哀想な事をするんだよ! お前、俺に信じろって言ったじゃないか……信じてたんだぞ……」
「……日和。お前……感情的になるのは良いのじゃが、ちゃんと物事は見てから判断した方が良いぞ。私が刺したのはこの少女に憑いている鬼の方じゃ。見てみろ。姿を現すぞ」
ディユンの言った通り確かに針は水琴に刺さってはいるが血は一滴たりとも流れてはいなかった。
そして水琴の背中からは何か得体の知れない物体がディユンの刺している針に押されて、ゆっくりと姿を現していた。
「コイツの名は『ウォールム』というて知能は殆ど無いに等しいのじゃが、本能で人間を喰らう為、少々扱いが難しくてのう。素直に姿を現してはくれんからちょっと強引に出てきて貰おうと思うたらこの手しか無いんじゃ。この少女の身体に負担は掛かるものの長引けば長引く程厄介な事になるからどうせ苦しむなら鬼を身体から一気に出してやった方がええと思うてのう」
ディユンが話している間にウォールムの身体は殆ど出ていた。体格はかなり大きく禍々しい気配を漂わせていた。
「これくらい出たらあとは一気にいくかのう。日和、ちゃんと受け止める準備をしておれよ」
「えっ! 受け止めるって何を!」
ディユンは水琴に憑いているウォールムに突き刺していた針を一気に刺し入れ、水琴からウォールムを引き離した。
すると水琴を日和に向かって投げ渡した。
「日和、落とすでないぞ!」
「そういう事か。任せろ! 命に代えても絶対に落としたりするもんか!」
弧を描く様に水琴の身体は日和が伸ばした腕の中へと落ちていった。しっかりと水琴の体を抱き抱え、安否を確認する様に顔を見た。
気を失ってるのか目を閉じたままだった。
だが、何よりも無事だった事が嬉しかった日和は思わず涙を浮かべて水琴の身体を力強くもあるが、とても優しく抱き締めたのだった。
「良かった……本当に良かった。これでブランコにだって自由に乗る事が出来るし、お母さんの手伝いだって出来るんだぞ。もう何も苦しまなくて良くなったんだ。痛みなんて我慢しなくて良いんだぞ。これからはまた普通の女の子として毎日幸せに過ごしていけるんだ。良かったな……水琴!」
日和は水琴を病室の隅に置いて立ち上がるとディユンの所までゆっくりと行った。
(もう大丈夫だからな水琴……今からお前を苦しめていた鬼を退治してきてやる!)
傍まで来た日和にディユンは冗談ぽく言った。
「日和。何しておったんじゃ? まさか少女に悪戯なんぞしておらなんだろうな?」
「まさか。そんな訳無いだろ。悪戯は鬼を退治した後でご褒美としてさせて貰うからな」
「……お前は本当に変態じゃのう」
「まぁこれが俺の生き甲斐だからな!」
そんな詰まらない話をして僅かに笑っていた日和とディユンだったが、急に表情を変えると
「それじゃお前に鬼を『浄鬼』するやり方を教えてやろう」
「水琴を苦しめた、倍苦しませてやる!」
ディユンはウォールムに突き刺していた針を抜くと壁に押し付けられていたウォールムは床に落ちた。




