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鬼の目に映るものとは 其ノ壱

桜咲き誇る並木道。

頬を撫でる風はまだ冷たさを残したままだった。

そんな季節の始まりに相応しいように新しい制服に身を包んだ新入生達が学校の門へと入ってゆく姿があった。

今年で創立八年目という真新しい綺麗な学校。天都築川高校に猛ダッシュで走り込んでくる男子生徒がいた。

「ふぅ……何とか間に合ったぞ。まさか新学期早々に自転車がパンクして全力で走る羽目になってしまうなんて本当にツイてないよな……」

 朝からツイてないこの男子生徒の名前は亜咲良日和二年生である。日和は軽く深呼吸をして乱れている息を整えた。

「今日から新入生が沢山入って来てるって事は、可愛い女の子も沢山入ってきてる筈だな。下級生から見て高校の先輩っていうのは憧れられる存在だと、何かの本に書いてあったような気がするぞ! 俺も今日から後輩を持つ事になる先輩としてはしっかり格好良いところを見せて……ヤバイ、これはヤバイぞ! これはモテまくりの予感がするぞ! いや……絶対だな。フッフッフッ」

 ヤバイのはこの男子生徒の脳内かも知れない……。

 春を彩る桜とこれから新入生を彩りたい亜咲良。同じサクラでも天と地との差があるのでは無いだろうか。

「誰も日和の事なんて先輩なんて呼ばないし思われないわよ!」

 朝から全力で猛ダッシュして頭の中を妄想で膨らましている日和の後ろをゆっくりと登校してきた女子生徒が呆れ顔をしながら言ってきた。その女子生徒というのは亜咲良日和の幼馴染で同級生の金芝木乃葉だった。

「木乃葉か……何言ってるんだよ。俺も今日から二年生って事は後輩を持つ先輩って事じゃん?」

「あのね日和。この天高がスポーツ育成に力を入れている学校って事は知っているわよね?」

「えっ! この学校ってスポーツ学校だったの!?」

「あんたね。そんな事も知らないで一年間過ごしていたの? そもそも何で天高に来たのよ?」

「……何でって言われても家から近かったからに決まってるじゃん」

「まぁ、日和の事だからそんな単純な理由だろうと思ったけどね。っで後輩がどうとか言っていたみたいだけど、そんなスポーツが盛んな高校に来るって事はきっとみんな何かしらの部活に入るって事なのよ。ちなみに日和は何か部活やってたっけ?」

木乃葉は白々しそうに質問すると日和はふいに目を逸らした。そして気まずい感じで答えるのだった。

「部活なんてしてる訳ねぇじゃん。っていうかそんな事改めて聞かなくったって木乃葉知ってるじゃん。そんな木乃葉だって部活してねぇじゃんか!」

日和は不機嫌さを顕にしたが、付き合いが長い木乃葉はいつもの事のように聞き流して言った。

「うん、部活入ってないよ。だって私は部活する為に天高に来てないもん」

「じゃあ俺と一緒じゃんか!」

「一緒じゃないよぉ。私は元々知っていて来てるけど、日和は今まで全然知らずに通ってたんだもん。第一私は日和みたいに後輩がどうとか全然思ってないもんね」

 返す言葉が見付からない日和は黙ってしまった。その姿を見て木乃葉は何か思い付いたように声を上げた。

「あっ! そういえば言い忘れてたけど、日和は今年も新入生と一緒にまた一年生だってね!  後輩を持つどころか私の後輩になっちゃったねぇ!」

「えっ? 何で? マジで? 本当に?」

今まで見た事無いような必死な顔で焦っている日和を木乃葉は見て、思わず笑いそうになりながら少し前へと走って行った。そして振り返り、

「う~そ~に決まってるじゃん!」

そう言うと全力で走り去って行った。

「コ~ノ~ハ~テェ~メェ~!  待て~!」

一気に日和は怒りの化身へと姿を変えて木乃葉を追い掛けて行った。こんな風に木乃葉が日和をからかって日和が木乃葉を追い掛ける。幼い頃から変わらない事だった。


「はぁはぁ……何でまた走ってしまったんだろう……授業が始まる前にすでに疲れちゃったぞ。バックレたい気分……」

 ブツブツと言いながら教室に入ると、一年の時と変わらない顔触れがあった。天都築川高校は学科別にクラス分けをしている為、入学から卒業する三年間にクラス替えは無いのである。なので日和は幼い頃からずっと一緒の木乃葉と高校三年間も一緒に過ごさないといけないのであった。

 朝からダッシュの連続で疲れ切った体を窓際の席まで引き摺るように運ぶと椅子を引き出しドカッと座った。

「あぁ……疲れたぁ~。もうこのまま放課後まで眠ってしまおうかな……」

 何もやる気が起きない感じで机へと倒れ込む。

「あ~あ~教室に着いてすぐに寝るなんて何しにやって来てるんだか? しかも今日は新学期初日だっていうのに……」

顔を上げるとそこに居たのは、さっき日和の事をからかって楽しんでいた木乃葉だった。日和は何も見ていないかのようにまた机に顔を伏せた。

「あっ! 今、私を見なかった事にしたでしょ!? 起きないとそろそろ先生が来ちゃうよ!」

「…………誰のせいで余計に疲れたと思ってるんだよ……」

 聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で呟いた。

「そんなの朝から走って登校してくる方が悪いじゃん!」

「いや! トドメを刺したのはお前だよ!」

 咄嗟に顔を上げて木乃葉にツッコミを入れたが、やっぱりその声には元気が無かった。

「何の用だよ。俺、疲れてんだから用が無いなら自分の席に戻れよ」

 日和の素っ気無い態度に少しつまんなそうな表情を浮かべた木乃葉は何も言わず自分の席に戻っていった。席に座ると日和の方を向き、舌を出して外方を向いてしまった。日和はそんな事を気にする様子もなく、これでゆっくりと休めると言わんばかりの安堵の表情を浮かべていた。


 桜の花びら舞う春という新しい季節、まだ制服は寒さを感じさせてしまう冬服のままだけど確実に新しい何かが始まろうとしている筈……いや、何か始まるんだきっと。そうじゃなきゃ僕達はここに生きている意味が無い。

楽しい事……。

悲しい事……。

嬉しい事……。

辛い事……。

 時には胸を高鳴らせ感情が溢れるほどの事もあるだろうし、時には何も考えられない程の絶望に浸り、嘆き悲しむ事もあるだろう。でも、それが青春なんだ。生きるってそういう事なんだ。きっと…………。


「……日和……日和」

誰かに呼ばれる声で日和は目を覚ます。

「ここは……?」

顔を上げ、辺りを見回すと誰も居ない教室で木乃葉が眉間に皺を寄せて目の前に立っていた。

「呆れたっ! 本当に放課後まで寝ちゃうなんて信じられない! 新学期初日だからまだお昼過ぎだけど、これが普通の日だったら絶対夕方まで寝るパターンよね!」

「えっ……もう学校終わったの?」

「だからもう放課後だって!」

「え~! って事は下校していく新入生の姿を見られなかったって事!?」

「……あんたの頭ってその事ばかりなの?」

マジかぁ~っと言わんばかりの表情を浮かべながら残念そうに鞄に荷物を詰め始める。

「ところで日和。この後って何か用事あるの?」

 何か企んでいそうな表情で木乃葉が言うと長年の勘でそれを察した日和は

「今日はちょっとこの後用事があって行く所があるんだよなぁ……」

 表情をじっと疑いの眼差しで見つめる木乃葉だったが、朝からちょっとからかい過ぎた事を考慮したのか視線を外して

「そっか。用事かぁ。それなら仕方無いわね。じゃあ途中まで一緒に帰ろう。」

 諦めてくれた事にホッと胸を撫で下ろす日和だったが、さてこれで真っ直ぐに家に帰れなくなってしまったので何処で時間を潰そうかなぁっと考えるのだった。

 教室を出て学校の門を通って帰り道を歩いていく二人だったが、日和の頭の中は何処かで別れなければ不自然だなと考えていた。だが、そんな簡単に用事を思い付くほど回転の良い脳は持っていなかった。すると木乃葉が聞いてきた。

「ところで用事って何処に行くの?」

(ヤバイ! その質問が来たか……)

 恐れていた質問がやってきた事に日和は激しく動揺したが、冷静を装ってないとバレてしまうという恐怖心が込み上げてきた。

「いや……この先をちょっと行った所に……左だったかな?」

 明らかにバレバレであったのは明白だったが、その時日和は思い付いた。

「自転車のパンクを直さないといけないから部品を買いに行くんだよ!」

(我ながら今日はツイテないような一日だったけど、やっぱり神っているもんだなぁ。っていうか俺の頭脳がここにきて開花しちゃったのかも知れないな! 今朝自転車がパンクしたのは事実だしそれを直そうとする俺の行動も何一つおかしな点など見付からない! グッドなアイデアじゃないか!)

 という自画自賛的な勝手な思い込みでしかなかったが、日和は急に堂々とし始める。

「用事って自転車のパンクを直す事だったんだね。でも自分で直すなんてどうしてそんな面倒な事するの? 自転車屋さんに持って行って直して貰った方が全然楽じゃないの? そもそも日和、パンク直せたっけ?」

 鋭い指摘に言葉を失ってしまいそうだったが、必死に日和も返す。

「やっぱり自分の物に愛着って持たないといけないと思ったんだよな! だから自分の手で直してやるのが一番かなって思ってさ。今日は学校も早く終わったし、自転車に時間を費やしてやろうかなぁ~って」

「ふ~ん。まぁ日和がやる気になってるなら私は止めないけどね」

(よし! 上手く切り抜けたぞ)

心の中で日和は拳を握った。

「それじゃ俺はこっちに行くから気を付けて帰れよ」

「うん、日和も頑張って直してね」

 そういうと木乃葉は十字路を右に曲がって帰って行った。

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