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婚約者に三度殺された令嬢は、四度目の人生で冷血公爵と契約結婚して破滅を返す  作者: shiryu


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第1話 死に戻り、四度目の人生


(また、死ぬのね……)


 ぼんやりした頭の奥で、そう思った。


 だが、すぐにその考えは途切れた。

 頬に走った鈍い痛みが、意識を無理やり引き戻したからだ。


「起きた?」


 甘い声だった。優しく恋人に話しかけるみたいな、穏やかな声音。


 そのくせ、私の髪を掴んで顔を上げさせる手つきは少しも優しくない。

 乱暴に引っ張られて、首が軋むみたいに痛んだ。


「……っ」


 目の前が滲む。視界が揺れる。頬も、肩も、腹も、どこもかしこも痛かった。

 痛くないところを探す方が難しいくらいだ。


 私は床に跪かされていた。


 両手は後ろで拘束され、足も自由が利かない。腱を切られているから。

 もう何度目かもわからない絶望を、私はどこか冷めた気持ちで受け止めていた。


 三回目の人生。こいつから逃げて、いちばん長く生きられたのにな、と。


 目の前にいる男を、私はゆっくり睨み上げる。

 金髪。長身。整いすぎているくらい整った顔立ち。

 笑えば優しげで、柔らかくて、誠実そうに見える――見えるだけだ。


 リュクス・ジョルアン。

 こいつが、私を二度も殺した男。

 おそらくここで、三度目になるだろう。


 今、彼の口元に浮かんでいるのは、薄く歪んだ笑みだ。


「そんな目で見つめないでくれよ。君が逃げるからいけないんだろう?」


 本当に不思議そうに、困った子を見るみたいに言う。


「これは躾だよ。僕と君は、愛し合う運命だったのに」


 吐き気がした。

 そんな運命、一度目にもなかった。二度目にもなかった。三度目にも、あるはずがなかった。

 これから先も、一生ない。


 愛し合う? あるわけがない。

 何度も殴られて閉じ込められて、逃げれば追われて、泣いても笑いながら傷つけてくる男と?


 そんなものが愛なら、地獄の方がまだましだ。


 リュクスはしゃがみ込み、私の顎を指先で持ち上げた。

 指に少し力が入るだけで、痣だらけの顎に痛みが走る。


「ねえ、アルヴィ。君からも言ってくれよ。愛していると」


 私は彼を見た。

 金色の髪も、整った顔も、穏やかな声も、全部が気持ち悪い。

 口の中には血の味が広がっていて、まともに言葉を出すだけでも苦しい。


 それでも私は、唇を動かした。


「……じごく、に」


 声が掠れる。

 うまく呼吸ができない。肺の奥まで痛い。


「おちろ……クズ、が」


 リュクスの目が、すうっと細くなる。

 それでも私は睨み返した。


 怖かった。

 それでも、この瞬間くらいは、媚びたくない。


 次の瞬間、頬に衝撃が走った。

 思いきり殴られたのだと理解するより先に、身体が床に転がる。

 口の中をまた切ったのか、鉄臭い味が一気に広がった。


「口が悪いなぁ、アルヴィ」


 楽しそうな声だった。


 私は床に倒れたまま、息をする。それだけでも痛い。

 足音が近づく。


 嫌な予感がして、腕に焼けるような痛みが走った。


「――っぁ……!」


 悲鳴が漏れる。

 ナイフだった。細い刃が肌を裂いたのだと、遅れて理解する。

 切られた場所から痛みがぶわっと広がって、息がうまくできない。


 リュクスは私の反応を見て、満足そうに目を細めた。


「そんな顔をしないでよ。僕は君を愛しているんだから」


 頭がおかしい。

 本当に、心の底からそう思った。


 一度目の私は、泣いて拒絶した。

 二度目の私は、従順にして助けを求めた。

 三度目の私は、逃げた。


 でも、どれも駄目だった。


 何をしても、こいつは私を手放さなかった。

 侯爵家嫡男で当主。権力も金も人脈もある男。

 伯爵家の娘一人が逃げたところで、本気で追われたら逃げ切れるはずがなかったのだ。


 三度目の私は、それでも諦めたくなくて、国を出た。

 身分も名前も捨てて、髪を切って、見つからないように息を潜めて生きた。


 それでようやく、二十五歳まで生きられた。


 一度目も二度目も二十二歳で死んだのに。

 だから少しだけ、ほんの少しだけ、期待してしまったのだ。

 今度こそ逃げ切れるかもしれない、と。


 ――甘かった。結局、捕まった。


 見つけられて、連れ戻されて、監禁されて。

 そして今、こうして殺されようとしている。


 私は床の上で荒い息を繰り返しながら、ぼんやりと思う。


 ああ、もう死ぬ。

 わかる、これで三度目だから。もう、長くない。


 リュクスがまた何か言っている。

 でも、うまく聞き取れない。視界も暗くなっていく。


 それでも最後に、彼の声だけははっきり耳に入った。


「――愛しているよ、アルヴィ」


 その声を聞きながら死ぬなんて、最期まで最悪な気分だった――。



 ――次の瞬間、私ははっと息を呑んで起き上がっていた。


「っ……!」


 呼吸が浅い。心臓が嫌なくらい速く打っている。

 でも、痛くない。

 恐る恐る自分の腕を見ると、傷がない。


 切り裂かれたはずの腕も、痣だらけだったはずの肌も、どこも綺麗なままだ。


 私は息を止めたまま、部屋を見渡した。

 天蓋付きのベッド。淡い色のカーテン。窓辺の小さなテーブル。


 エナティ伯爵家の、私の自室だ。


「……戻って、きたのね」


 掠れた声で呟く。やはり、まただ。


 十八歳の頃に、戻ってきた。

 今日この後、両親に呼ばれて食卓につき、そこで告げられるのだ。


 お前の婚約者が決まった、と。

 そして、その相手は――最悪の男。

 リュクス・ジョルアン。


 私はゆっくりと右手を持ち上げて、手の甲を見る。

 そこには、私にしか見えない四葉のクローバーが浮かんでいた。


 一度目に死ぬ前から、ずっとあったものだ。


 ただ気づいた時にはそこにあり、私以外の誰にも見えていなかった。


 でも、死ぬたびに一枚ずつ葉が散っていく。

 一度目の時は、四枚ちゃんと揃っていた。

 二度目で一枚消えた。三度目でまた一枚。


 そして今、残っているのは――一枚だけ。


「……今回で最後かもしれないわね」


 口に出すと、胸の奥がひやりと冷えた。

 四度目。おそらく、これが最後の人生。


 一度目は、夢だと思った。

 リュクスに殺されて、目が覚めたら十八歳の自室に戻っていたから。


 悪い夢を見たのだと、本気でそう思った。

 でも違った。


 しばらくして、出来事が夢と同じように進んでいくのを見て、私はようやく理解したのだ。

 夢ではなく、時間が巻き戻ったのだと。


 二度目の私は、従順でいようとした。

 逆らわず、機嫌を損ねず、なるべく大人しくしていれば殺されないかもしれないと、愚かにも思った。

 でも、結果は同じだった。


 あいつは、私がどんなふうに振る舞おうと、最後には壊す。


 三度目の私は、ようやく悟った。

 結婚してからでは遅いのだと。


 だから逃げた。家も、身分も、何もかも捨てて逃げた。

 それでも、見つかった。

 他国まで行っても、数年隠れていても、逃げ切れなかった。


 ……怖い。今回も捕まるかもしれない。


 いや、おそらく何もしなければ、また同じ道を辿る。

 でも、ただ震えていても何も変わらない。


 私はぎゅっと拳を握った。

 傷ひとつない、十八歳の手。

 あの倉庫で、ぼろぼろになっていた手とは違う。


「逃げたい……」


 ぽつりと漏れる。誰に聞かせるでもない声だった。


「今回こそ、生きたい」


 私は死にたくない。

 もう、あんなふうに殺されたくない。


 殴られるのも、閉じ込められるのも、あの優しくも醜い顔で愛していると言われるのも、全部嫌だ。


 でも……三度目の人生で、私は他国まで逃げた。

 それでも駄目だった。

 あちらは侯爵家嫡男で、数年後にはいずれ当主になる男。


 私ひとりの力で対抗できる相手ではない。


「……自分ひとりじゃ、無理ね」


 悔しいけれど、認めるしかない。

 これまでの三度で、それは嫌というほど思い知らされた。


 なら、どうするのか。


「協力者がいるわね……それも、ただの協力者じゃ駄目」


 リュクスに対抗できるほどの力が必要だ。

 権力か、武力か、あるいはその両方か。


 私はゆっくりと顔を上げた。


 窓の外は、穏やかな朝だった。

 こんなにも静かで、綺麗で、何も起きていないみたいな空なのに。


 今日、この日からまた地獄が始まる。


 でも、今度は同じようには進ませない。


 私は手の甲の、残り一枚のクローバーを見つめた。

 消えてしまいそうなくらい頼りないそれを、もう一方の手でそっと覆う。


「……生き残るわ」


 小さく、でもはっきりと言う。

 誰に聞かせるでもない、誓いだった。


「今度こそ、絶対に」


 これから始まる最悪の人生を、今度こそ塗り替える。


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