[祝祭] -1- (※)*
「わーっ、凄い! これってバラでしょ!? 何本有るのかしら?」
ヘラルドおばさんの許で支度をするモカを見つけて、花束を渡せたのは式の開始もまもなくの頃だった。モカらしい元気な朝焼け色のドレスは、薔薇の色にピッタリの相性だ。
「これまで何十人も成人式の準備をしてきたけれど、こんな綺麗なプレゼントは初めて見たね」
片付けを始めたヘラルドが、感心したように息を吐いた。母さんの成人の時も、支度を手伝ったのはヘラルドだ。まぁ、母さんの場合は成人式と云うより、シレーネの就任式だったが。
「ジル、アメルおじ様とルーラおば様にくれぐれも宜しく伝えてね。あ、でも今日からは自分でお礼を言いに行けるんだ!」
掌に空気の玉を生み出したモカは、その空間で花束を包み込むように受け取り、花びらの中へ顔を埋めた。高貴な香りに酔うように、うっとりとした表情を見せる。おそらく僕を包む空気も、薔薇の香りで満たされているのだろう。
そんな幸せに浸るモカと真逆の心持ちで、ティアは何処へ泳ぎ去ってしまったのか。
「いつもと随分違った格好をしているけど、それが人間界の正装なの?」
「ん? あ、ああ、そうだよ」
気付かれないように辺りを見回してみたが、ティアの姿は見当たらなかった。モカはおもむろに立ち上がり、僕の全身を上から下まで一通り眺めて、顔を近付け笑った。
「この黒い服、ティアの白いドレスに並んだら、もっと素敵な感じがするわ」
「え?」
そうして左手に花束を抱え、右手で僕の左手を掴んで、「先に行くね」とヘラルドに声を掛け泳ぎ始めてしまう。
「ちょ、ちょっと、モカ! ティアって……?」
「きっともう会場に居るわよ。二人が並んで立つ姿を見せてちょうだい」
──ティアのご機嫌が直っていたらね。
僕は苦々しい笑いを刻みながら、彼女の泳ぎに身を任せた──。
◇ ◇ ◇
ティアは舞台の正面中央で、カミルおばさんの隣に佇んでいた。いつものように挨拶をした僕に、二人はにこやかに応対をする。──そう、彼女はまるで今日初めて会ったように振る舞ったのだ。まるで先刻のことは何もなかったように──それでも僕はそれに合わせて、モカの強引なお願いも受け入れて、ティアの隣に立った。
やがて式の開始が告げられ、僕達は舞台を降り、シレーネであるカミルおばさんとモカだけがその場に残った。中央の祭壇を挟んで相向かい、厳かな誓約の言葉が輪唱のように連なっていく。初めは隣のティアを気にして心此処に在らずの僕も、いつしか雰囲気に呑まれ、儀式の荘厳さに惹き込まれて、固唾を飲んでいる自分が居た。
儀式の後にはモカも含めて、既に成人した者のみがあの岩場の島へ上がり祭りを行なう。その間成人を控える人魚達は幼子の面倒を看るので、ティアも僕に声を掛けることもなく、そそくさと子供達の集まる方へ泳いでいってしまった。
──ティア……何か怒っているのだろうか?
しかし後を追いたい僕の気持ちは、マルタの祭りへの誘導で引き止められてしまった。勢い勇んで上を目指すモカの後を、未練に後ろ髪引かれながらついていく。それでも海面に顔を出し、初めて目にする世界に興奮の色を隠せないモカのはしゃぎ振りに、一瞬ティアのことを忘れてしまうところだった。
「おめでとう、モカ……そして、ようこそ」
キョロキョロと辺りを見回す好奇心の瞳が、その言葉で僕へと定まり、彼女は嬉しさの余り抱きつこうとした。明日のトロールの結婚式の為にスーツを濡らせない僕は、彼女の両腕を掴んで押し留め、ごめんと訳を話して笑った。
「やだっ、あたしったら……興奮してつい……でも止めてくれて良かったわ。こんなところ誰かに見られたら大変だもの」
「大変?」
「そうよ。あたし達もう大人なんだもの。変に勘繰られても困るでしょ?」
──勘繰る? 幼馴染みの僕達を、一体誰が?
けれどモカは少し意地悪そうにうふふと笑って、陸上に上がる皆の許へと向かってしまった。
それから暫くして祭りの準備が整い、カミルおばさんを中心に、輪を作った人魚達の美しい歌声が響いた。
そしてお次はモカの番。彼女の唄は元々ひときわ美しかったが、この晴れの日にその素晴らしさは益々磨きが掛けられていた。僕は半分人魚の血を持つお陰で特に影響を受けずに済んでいるが、普通の人間だったら、まずその虜にならずにはいられないだろう。
「モカ、さすがだね」
歌い終えて僕の隣へ座り込んだ彼女に笑みを向ける。爽やかな夏の風を感じて目を細めたモカの横顔は、とびっきりの笑顔をしていた。
「ありがと。ジルも歌う?」
「いや、僕は……それよりモカもラグーンへ行くんだろ? いつ出発するの?」
モカに続き歌い出した人魚達のメロディに包まれて、殺風景な岩礁も華やいで見えた。遠くで指揮を執るカミルおばさんもいつになく楽しそうだ。
「予定では一週間ほど後になるかしら。その前に行きたい所が在るの」
──行きたい所?
「父様の所よ」
──アネモス公の許へ……。
僕の意外そうな表情は、モカにとっては意外ではなかったらしい。彼女は「やっぱりね」と続けて、
「母様もそんな顔したわ。あたしが今まで父様の話など口にしたことなかったものね」
そうして含みの有る笑みを返してみせた。
思えばモカはずっとそうしてきたのかも知れない。訊きたいことは全て尋ねているように見えて、実のところ本題には触れない──本当に訊きたいことは胸の内に収めて大事にしまってきたような──モカにはそんな心を見透かせない不思議なところがあった。
「母様は賛成してくれて、もう父様に伝えてくれたわ。父様も会いたいって言ってくれてるの」
「そう。良かったね、モカ」
僕は心からの喜びを表して、彼女を祝福した。
「ジルはこれから長い夏休みをどう過ごすの? あたしは居ないかも知れないけれど、時々はティアの処へ顔を出せるの?」
モカは手を伸ばした先の小石を二つ拾い、太陽に翳されたそれは、少しだけ鈍い光を放ち煌めいた。
「いや……僕も行きたい所が在るんだ。僕の場合はまず許可が必要だと思うから、それにどれ位時間が掛かるのかに因るけど……その前にどうやら僕は、ティアに嫌われてしまったみたいだよ……僕自身には何が火種になったのか見当もつかないのだけど」
モカはもう一つ近くの似たような石を拾い上げ、三つの石を両掌で転がして僕を見た。
「嫌ってるんじゃないわ──少なくとも。あの子、やきもち焼いてるのよ。でも……勝手な思い込みなのだけれど」
そして石を一つ一つ尾びれの向こうまで放ったが、三つ目に投げた石が一つ目に命中してカツンと音を立て跳んだ。
「やきもち……?」
ティア自身も口走った言葉。
「誰に? 何故──?」
「さぁ……その内きっと分かるわ」
そう言って再び意地悪そうに笑ったモカは、唄の仲間に加わるべく、輪の中心へと上手に尾びれを使って跳ねていってしまった──。