第5話 市場の罠とディール
剛毛豚から切り出した小拳大の魔石と、二本の硬質な牙。
それらを麻袋に詰め込み、俺は王都の商業区へと足を進めた。
泥と返り血で汚れたボロ布を纏い、片手には麻袋。14歳のガリガリの少年が持ち歩くには少々不釣り合いな重量感だ。
向かったのは、ギルドの正規買取所ではなく、裏通りの雑多な買い取り業者街だった。
正規のギルドは身分証の提示を求めてくる。親も戸籍もない孤児の俺が足を踏み入れれば、買い叩かれるどころか盗品の疑いを掛けられて没収されるのが目に見えているからだ。
狙うは、弱肉強食と利権が渦巻くグレーゾーンの古物商。
「おや……こんな汚いガキが、いったい何の用だい?」
暖簾をくぐった先の店内は、煤と薬品の匂いが充満していた。
カウンターの奥から現れたのは、落ちぼれのような肥満体の男だ。油でギトついた髪を撫でつけ、小汚い俺の身なりを値踏みするように舐めまわしている。
「素材を売りたい。買い取りの査定をしてくれ」
俺は淡々と告げ、カウンターの上に麻袋を置いた。
中から転がり出た剛毛豚の魔石と牙を見て、男の小さな目が一瞬だけ大きく見開かれた。反応を見る限り、素人が持ち込むような品質じゃないことは理解したらしい。
魔石は、俺が超局所的な魔力刃で心臓の回路を直接断ち切って摘出したため、魔力の漏出がほとんどない極上品だ。牙も根元から綺麗に削り出している。
だが、男は一秒後にはわざとらしく溜め息をつき、つまみ上げるように魔石を転がした。
「ハッ、呆れたね。どこぞの冒険者が捨てていった死体から掠め取ってきたのか? 魔石には傷がついているし、牙も酷い有様だ。……まあいい、同情票で銅貨三枚で引き取ってやるよ」
出た。露骨な買い叩きだ。
剛毛豚の魔石の市場相場は、傷物でも銀貨二枚。状態が良いものなら銀貨五枚は下らない。
銅貨三枚など、今日のパン切れ二枚で消えるような鼻紙の価値だ。
普通なら「そんなはずはない」と怒り狂うか、孤児の弱みで泣く泣く頷く場面だろう。
だが、俺の心はそんなにやわでは無い。
交渉の基本だ。相手がハッタリをかましてきた時は、こちらの手札を見せずに相手の都合を揺さぶる。
俺は激昂するでもなく、困惑するでもなく、ただ静かに男の目を見つめた。
そして、わざとらしく汚れのついた前髪を手で軽く払い上げた。
「……なっ」
男の息が喉で詰まる音が聞こえた。
乱雑に伸びた髪の隙間から露わになったのは、貧民街の泥で汚れてなお隠しきれない、恐ろしいほど整った容姿だった。
透き通るような磁器の肌。冷徹な知性を宿した深い色の双眸。彫刻のように無駄のない鼻筋と薄い唇。
14歳のガリガリの少年ではあるが、その顔立ちには魔人族の貴族すらも霞むような、どこか浮世離れした美貌があった。
前世の俺は、自分の顔の造形など気にしたこともなかった。
だが、この二度目の人生の身体は、どうやら「鑑賞価値」という意味で無駄に質の高い手札を持っているらしい。
俺はこの『美貌』と『知性』を、生存のための道具として迷わず利用することにした。
「……親父さん」
俺は低く、どこか静けさを孕んだ声で語りかけた。感情を削ぎ落とした、大人びたトーンだ。
「アンタの店の奥にある棚……あそこに置いてある防具の加工薬品、あれは東区の闇ギルドが独占販売している違法品だろう? 匂いで分かる」
「な……!? お、お前、何を言って——」
「ついでに言えば、あんたのその指輪。魔力の波動が歪んでいる。おそらく盗品を卸す商人から安く買い叩いた代物だな。……もし俺がこの店を出て、通り沿いの騎士団の詰所に駆け込んだらどうなると思う?」
俺は冷ややかな微笑を口元に浮かべた。
「『凄まじい美貌を持った身元不明の少年が、涙ながらに裏取引の被害を訴え出た』……騎士団の男どもが、どちらの言い分を親身に聞くか、賭けてみるか?」
「くっ……貴様……ガキのくせに……っ!」
男の顔が赤から白へと急速に変色していく。
俺には何のバックボーンもない。ただの14歳の孤児だ。
だが、「男の店にある不法行為の証拠」と「人の目を引きつける己の容姿」を組み合わせることで、立場を完全に逆転させた。
人は、美しく整った者の告発や真迫の演技に対して、無意識に同情と信憑性を抱く。前世のメディアや社会でも嫌というほど見てきた人間の心理だ。
「俺は別に、あんたを潰したいわけじゃない。正当な対価が欲しいだけだ」
俺はカウンターの魔石を指先でトントンと叩いた。
「銀貨四枚。それと、状態のいい革の服一着、頑丈な靴一足。それで手を打とう。あんたにとっても、極上の魔石が安く手に入って得なはずだ」
「……っ……ふざけやがって……!」
男は悔しそうに歯噛みしたが、俺の静かすぎる瞳の気圧されたのかついに折れた。
「……分かったよ! 銀貨四枚と……奥の服を持っていけ! 二度と来るな、化け物め!」
「交渉成立だ。物分けが良くて助かるよ」
俺は差し出された銀貨四枚と、店の奥から出されたサイズの合う革のジャケット、上質なブーツを受け取った。
店を出て、裏路地の日陰で真新しい革の服を羽織る。
泥臭いボロ布とは違い、皮膚を守る十分な硬さがある。靴も底が厚くこれなら森の中を駆け回っても足裏を痛めずに済む。
ポケットの中でジャラリと鳴る銀貨四枚の重み。
「……よし」
俺は息を吐き出し、自分の手を見つめた。
知恵を絞り、使えるものは容姿すらも手札として利用し、対価を得る。
正当な手段ではないかもしれない。だが、この残酷な世界で14歳の無力な少年が生き残るためには、綺麗事など言っていられないのだ。
「これで……当面の食費と、装備の基礎は整った」
銀貨四枚あれば、数週間はまともなパンと肉を食べられる。
身体に十分な栄養を補給できれば、14歳の貧弱な肉体も少しずつ出来上がっていき、時間停止スキルを使った際の負荷も軽減されるはずだ。
俺は革のフードを深くかぶり、顔を隠しながら、再び大通りへと歩き出した。
生き延びるための基盤はできた。
これからはさらに効率よく異獣を狩り、己の魔術と固有スキルを洗練させていくフェーズといこう。




