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学校一の『氷の美少女』な姉は、家だと限界ポンコツ甘えん坊です  作者: 功刀


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9/19

姉に甘い弟

 土曜日の夜。リビングの時計の針は十一時を回ろうとしていた。


「よし、明日は十時に駅前のカフェだな」


 スマートフォンのメッセージアプリを開き、雫とのやり取りを再確認する。


 この前は、千秋が教室に乱入してきて勉強会の約束をぶち壊されたわけだが、俺はその後、放課後にこっそり雫を捕まえて予定を再調整していたのだ。


『お姉さんの用事は大丈夫なの?』


 と遠慮する雫に、


『あんなのただの嫌がらせだから気にしなくていい』


 と押し切った。あのズボラ怪獣の理不尽な独占欲に、これ以上振り回されてたまるか。


「湊ー、麦茶持ってきてー。氷多めで」


 ソファーから間延びした声が響く。

 振り向くと、そこにはスウェット姿でゴロゴロと床を転がり、足だけをソファーに乗せている千秋がいた。手にはテレビのリモコンを握りしめ、チャンネルを無意味にパチパチと切り替えている。


「自分で淹れろ。冷蔵庫開けて注ぐだけだろ」

「むり。今日一歩も外出てないから足の筋肉が退化して動けないの。湊が持ってきてくれないと脱水症状でミイラになるよ」

「ミイラがそんな流暢に喋るかよ。……ほらよ」


 文句を言いながらも、俺はキッチンで麦茶をコップに注ぎ、氷を三つ落としてローテーブルに置いた。

 千秋は寝転がったまま「あーん」と口を開けてくる。


「……あのな。そこまで来たら、もうおしゃぶり咥えた赤ん坊だぞ」

「弟の愛を受け取る準備ができてるだけ。はやく」


 呆れ果てながら、コップの縁を彼女の口元に当ててやる。ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した千秋は、「ぷはー」と満足げな息を吐いた。


「やっぱ湊の注いだ麦茶は一味違うね」

「水道水で沸かしたパックの麦茶だよ。……なあ」


 俺は空になったコップをテーブルに置き、ソファーの背もたれに寄りかかって床に座った。


「明日の朝、俺出かけるからな。朝飯はパン買っといたから、適当にトースターで焼いて食え」

「え?」


 テレビの画面に向けられていた千秋の視線が、スッとこちらに向いた。

 寝転がったまま、瞬きもせずに俺を見つめる。


「出かけるって、どこに」

「ちょっと買い物と、図書室で調べ物」

「嘘。図書室なんて日曜日開いてないでしょ」

「じゃあ駅前のファミレスだ。とにかく、昼過ぎには帰るから……」

「ダメ」


 短い、けれど強烈な拒絶の声。

 千秋はのそりと身を起こし、胡座をかいた俺の目の前に移動してきた。


「明日、私の勉強を見るって学校で約束したでしょ。忘れたの」

「約束じゃなくて、お前が勝手に宣言しただけだろ。それに、俺が教えてもお前どうせすぐに『疲れたー』って言って漫画読み始めるじゃないか」

「今回は本気だもん。湊が横にいてくれないと集中力が出ないの」

「甘ったれるな。高校二年生だろ」

「高校二年生だからこそ、弟の愛とサポートが必要なの!」


 わけのわからない理屈をこねながら、千秋はじりじりと距離を詰めてくる。

 俺は小さくため息をついた。


「悪いけど、明日は先約があるんだよ」

「先約って……まさか」


 千秋の目が細められた。学校で見せる『絶対零度の千秋さん』の目だ。だが、家の中でスウェット姿でやられても、ただ拗ねているようにしか見えない。


「あの相川って子と会う気?」

「……まあ、な」

「ダメだって言ってるでしょ! 湊は私の弟なの! 他の女にフラフラしっぽ振ってついていくなんて許さないから!」


 千秋がガバッと俺に飛びついてきた。

 首に両腕を回され、重みで後ろに倒れ込みそうになるのを必死に堪える。


「おっ、重い! 離れろ! しっぽなんて生えてないし、ただの勉強だ!」

「勉強なら私とすればいいじゃない! なんで私じゃダメなの!」

「お前の勉強は俺の寿命を縮めるんだよ! いつも公式覚える前にポテチ食わせろとかマッサージしろとか……!」


 俺が必死に引き剥がそうと格闘していると、突然千秋の動きがピタリと止まった。

 胸元に押し付けられた顔が、そのまま動かない。


「……千秋?」


 呼びかけても返事がない。

 ただ、俺の首元に回された腕の力が、少しだけギュッと強くなった。

 そして、小さな、震えるような声が聞こえてきた。


「……いかないで」

「は?」

「湊、いかないで。あの子のところになんか行かないでよ……」


 その声には、いつもの強引さも、わがままな響きもなかった。

 ただの、本心からの不安。

 俺は引き剥がそうとしていた手を止めた。


「あのな、ただ数時間出かけるだけだぞ。夕方には帰ってきて飯も作るし……」

「そうじゃないの……」


 千秋は顔を上げた。

 まただ。一昨日見たのと同じ、涙でぐしゃぐしゃになりそうな顔。

 この顔をされると、俺の決心は驚くほど簡単に鈍ってしまう。


「私、怖いんだもん……」

「怖いって、何が」

「もし……湊があの子と付き合って、あの子の方が好きになって……私のこと、ただの『面倒な姉』だって思って、離れていっちゃったら……」


 ポツリ、ポツリとこぼれ落ちる言葉。

 千秋は自分の膝を抱えるようにして体を小さく縮めた。


「外で完璧でいるのは疲れるの。でも、そうやって武装してないと、私なんて何もできないポンコツだから……誰にも相手にされない気がして。でも、湊だけは、私がどんなにだらしなくても、文句言いながら全部受け入れてくれたじゃない」

「……」

「だから……湊が他の誰かの『特別』になっちゃうのが、すっごく怖い……」


 ボロボロと大粒の涙をこぼし始めた千秋を見て、俺は完全に毒気を抜かれてしまった。


 本当に厄介な生き物だ……

 こんな重い独占欲、普通の男ならとっくに逃げ出している。

 なのに、俺の心のどこかで、この不器用で泣き虫な姉を「可愛い」と思ってしまうバカな自分がいるのだ。


「……ハァ」


 俺は深いため息をつき、ポケットからスマホを取り出した。

 雫へのメッセージ画面を開く。


『本当にごめん。明日、急に家の用事が入っちゃって、行けなくなった。また学校で謝る』


 送信ボタンを押す指が少し重かったが、躊躇はしなかった。


「……あーあ。雫に愛想尽かされるな、こりゃ」


 スマホをローテーブルに放り投げ、俺は千秋の頭にポンと手を乗せた。


「え……」

「明日の予定、キャンセルした。これで満足か」


 千秋は信じられないものを見るような目で、俺とスマホを交互に見た。


「ほ、ほんとに……? 私のために……?」

「お前が面倒なだけだ。泣き顔のまま放置して出かけたら、帰ってきた時に家の中がどうなってるか想像するだけでゾッとするからな」

「凑……っ!!」


 ガシィッ!!


 千秋は先ほど以上の勢いで俺に抱きついてきた。今度は勢い余って、二人してフローリングの床に倒れ込んでしまう。


「痛っ! バカ、加減しろ!」

「湊! 湊っ! だぁーいすき!! やっぱ私の弟が世界で一番かっこいい!」


 顔中を俺のシャツに擦り付けながら、涙と鼻水と笑顔を混ぜ合わせて喜ぶ千秋。

 先ほどのしおらしい態度はどこへやら、完全にいつものズボラ怪獣の復活だ。

 俺の胸に押し付けられる二つの柔らかな膨らみも、もはや意識する余裕すらないくらいに物理的なダメージ(圧迫感)がでかい。


「はいはい、わかったから離れろ。苦しい」

「やだー。今日はこのままくっついて寝るのー」

「ソファーかベッドで寝ろ! 翌日身体中痛くなるぞ!」


 俺が文句を言いながらも、本気で突き飛ばさないのを知っているから、千秋は嬉しそうに俺の腕に絡みついたままだ。


 結局のところ、俺はこの姉に甘いのだ。

 外で完璧な仮面を被っている姉が、俺の前でだけ見せるこの情けない素顔を、他の誰かに見せたくないという思いが、俺の中にもあるのかもしれない。


「……明日の昼飯、何がいい」

「んー? オムライス! ケチャップでハートマーク描いてね!」

「……バカか。文字しか書かないからな。『アホ』って」

「えー! じゃあ『ラブ』にして!」


 平和な土曜日の夜が更けていく。

 雫には本当に申し訳ないことをしたと罪悪感を感じつつも、胸の中で安心しきった顔で寝転がる千秋の体温が、妙に心地よく感じてしまう俺だった。

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