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学校一の『氷の美少女』な姉は、家だと限界ポンコツ甘えん坊です  作者: 功刀


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7/10

ポンコツ姉の号泣を止めるのは、結局いつもの弟の役目

 買ってきたパックのイチゴを水洗いしてヘタを取りながら、俺は背後から突き刺さるような視線をずっと感じていた。


「……いつまで睨んでるんだよ」


 キッチンから振り返ると、リビングのソファーにはジャージ姿の千秋が腕を組んで座り込んでいる。

 いつもならすぐに横に寝転がってスマホを弄るかテレビをつけるのに、今は背筋を伸ばしたまま俺の挙動を監視していた。


「湊」


 声が低い。学校で不用意に近づいてくる男子を追い払うときのあの絶対零度のトーンだ。

 だらしない格好と深刻そうな顔つきのギャップに眩暈がしてくる。


「なんだよ。イチゴなら今洗ってるから大人しく待ってろ」

「イチゴの話は後よ。あの相川って子」

「相川がどうかしたか」

「湊と随分仲が良さそうだったじゃない。下の名前で呼んでたし」

「中学からの同級生なんだから当たり前だろ。同じクラスになった回数も多いからな」


 水気を切ったイチゴをガラスのボウルに移す。練乳のチューブを添えてローテーブルに置くと、千秋はそれに見向きもせず俺の目を真っ直ぐに見据えてきた。


「勉強会ってどういうこと。家でやるの。この家にあの女を呼ぶ気なの」

「学校の図書室かファミレスに決まってるだろ。それにまだ行くと決めたわけじゃない」


 俺はソファーの向かいの床に胡座をかいて座った。

 嘘だ。内心では行く気満々だ。相川のように素直で大人しい女の子と二人きりで勉強できる機会なんてそうそうない。もしあの勉強会をきっかけに休日に映画でも見に行くような関係に発展したら。

 いずれは恋人同士に。そんな甘い妄想が頭の隅をチラついている。


 だが、そんなことをこの目の前のブラコン怪獣に言えるはずがない。言えば最後、どんな理不尽な妨害工作を仕掛けてくるか予想もつかないのだから。


「ただのテスト勉強だ。あいつは数学が苦手で俺が教えるだけ」

「怪しいわね。勉強を口実にして湊に近付こうとしてるに決まってるわ。あの目、絶対にうちの弟を狙う泥棒猫の目だったもの」

「だからお前の野生の勘は当てにならないって言ってるだろ。ただの友達だ」

「嘘つき。湊、あの子と話してる時デレデレしてた。私にはわかるんだから」


 千秋がずりずりとソファーから滑り降りて俺の目の前に迫ってくる。


「べ、別にデレデレなんかしてない」

「してた。それに私知ってるわよ。湊、ああいう大人しくて自分の言うこと聞いてくれそうな地味な子がタイプなんでしょ。だからってあんなにわかりやすく態度に出さなくてもいいじゃない」

「地味って言うな。相川はしっかりしてるし優しいし」

「ほら! やっぱり庇う! なんでよ、なんであんな子がいいの!」


 千秋が俺のジャージの胸倉をぐいっと掴んできた。

 顔が近い。甘いシャンプーの匂いが鼻先を掠める。


「私の方が絶対にいいでしょ!」


 叫びながら胸を張った。

 至近距離で薄いシャツ越しに押し付けられるような圧迫感。学校で男子たちが狂奔する圧倒的な質量が視界を占領する。


 確かに容姿のレベルで言えば千秋の圧勝だ。

 顔の造形もスタイルの良さも、こんなだらしない生活をしていて、なぜ維持できているのか不思議なくらい胸の発育もいい。


 でも……


「……顔と胸だけで人間が選べるかよ」

「えっ」

「お前は家事もできない。自分の食べた皿も片付けない。気に食わないとすぐに文句を言う。俺は奴隷じゃないんだぞ」

「そ、それは……」

「それに比べて、相川は気遣いもできるし素直だ。もし選ぶならどう考えても相川の方が何百倍もいいに決まってるだろ」


 言ってしまった。

 喉元まで出かかっていた本音に、ストッパーをかける余裕がなかった。


 リビングの空気が凍りついた。

 千秋の掴んでいた手が、ゆっくりと俺の胸倉から離れていく。

 その顔からスッと血の気が引き、学校で見せる冷たい表情……とは全く違う、ひたすらに傷ついた子どものような顔に変わっていった。


「…………え?」


 震える唇から漏れたのは小さな掠れ声。

 大きな瞳が揺れ、そこにみるみると透明な液体が溜まっていく。


「お、おい……」


 千秋の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。


「う……ううっ……」

「ちょっと待て、なんで泣くんだよ!」

「だって……っ、湊が……湊がひどいこと言うからぁっ……!!」


 ポロポロと落ちていた涙は一瞬にして決壊した。

 千秋はその場にへたり込み、両手で顔を覆って声を上げて泣き始めたのだ。

 しゃくりあげる声がリビングに響き渡る。

 氷の美少女、絶対零度の高嶺の花。そんな異名を持つ人間が、フローリングの床で幼児のように大泣きしている。


「あー……泣くな。ご近所迷惑になるだろ」

「ひぐっ……うるさいっ……湊のバカっ! 私のこと……ポンコツだって思ってるんでしょっ! わかってるわよそんなのぉっ!」

「わかってるなら直せよ……」

「直せないもんっ! 外でずっといい子にしてるのに、家でくらいだらけなきゃ息が詰まって死んじゃうっ! なのに凑まで私を捨ててあの子のところに行くんだっ……うわあああんっ!!」


 髪を振り乱して泣き喚く姿に、俺の頭痛はピークに達しそうだった。


 ……なんだこの状況。

 なんで俺が浮気した最低な彼氏……みたいな罪悪感を抱かされないといけないんだ。

 相川の方がいいと言ったのはただの事実確認であって、俺はおかしなことは一言も言っていないはずだ。


 だが、目の前でしゃくりあげる千秋の肩は小刻みに震えていて、本当に心細そうに丸まっている。

 外では誰にも頼らず一人で完璧を演じ切っている分、家の中でのこの反動の大きさを一番よく知っているのは俺だ。


「はぁ……」


 深く息を吐き出して俺はゴシゴシと乱暴に自分の頭を掻いた。

 そのまま膝をついて、泣きじゃくる千秋の前に移動する。


「……わかった。わかったから泣き止んでくれ」


 手を伸ばして千秋の頭にポンと乗せた。

 ビクッと肩を揺らした千秋が、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げてこちらを見る。

 学校の連中が見たら、発狂して窓から飛び降りかねないほど無惨な顔面だ。


「捨てないから。相川のところに行くって言ってもただの勉強だし、家を出ていくわけじゃないだろ」

「ほんとぉ……? ご飯……作ってくれる……?」

「作るよ。お前が餓死するのを見過ごすほど俺も鬼じゃない」

「マヨネーズ……隠さない……?」

「健康診断で引っかからない程度ならな」


 俺の言葉に、千秋は鼻をズビッと啜り上げながら俺の腰にしがみついてきた。

 またこの距離だ。でもさっきと違って、今の俺を占めているのは呆れとほんの少しの諦めだった。


「湊のいじわる。私がいちばんって言ってくれないとずっとこのまま離れない」

「嘘でも言えないから困ってるんだろ。ほら、イチゴの冷気が抜けて生ぬるくなるぞ。練乳いっぱいかけていいから顔洗ってこい」

「うん……凑がいっぱいかけて……あーんして……」


 甘えた声で顔を擦り付けてくる千秋を引き剥がしつつ、俺はどうしようもなく自分の甘さを自覚していた。

 結局、このズボラ女が泣けば俺は文句を言いながらも許してしまうのだ。

 相川との平穏な日々を夢見ても、目の前の手のかかる怪獣を放り出すことはどうしてもできない。


「……ほんと、俺ってチョロいな」


 誰も聞いていない言葉は、イチゴの甘い匂いの中に溶けて消えていった。

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