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オース大陸秘匿伝記「因果の円環を閉ざす九人目の狼」  作者: 嵗(sai)
第7部:宿命の決戦 ―1692年、再臨する勇者と老狼の牙―

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第89話:最後の戦場(結)――勇者の終焉、あるいは因果の閉環

沈黙の行軍――侵食する疑惑の毒


(黒鉄期1692年:夜明け前、境界の森)


人智十字教会の廃墟という名の「屠殺場」を脱し、生き残った四人の勇者――虎、狐、鷹、梟は、目的地の31開拓村に向けて、湿った闇を切り裂き疾走していた。


夜明け前の森は、濃密な霧が木々の間を粘り気のある生き物のように這い回り、視界を極端に奪っている。鷹の千里眼は赤外の熱源を追い、狐の暗殺者としての嗅覚は、腐葉土の匂いに混じる「異物」を峻別する。微かな風の断末魔、凍てついた落葉が爆ぜる音。その一つひとつに、彼らは剥き出しの神経を震わせ、過剰なまでの反応を見せながら地を蹴った。


だが、その速度は、全盛期の彼らのものとは程遠い。


虎の脳裏には、先ほど目にした四人の戦友たちの遺体が、熱を持った残像となって焼き付いていた。


(……おかしい。あまりにも、理に適いすぎている)


蜥蜴は、教会の前で自らの愛用する短剣に腹を貫かれていた。

超高速の投擲で敵を釘付けにし、死角から心臓を抉る。それが彼の絶対の必勝ルーチンだった。だが、放たれたはずの短剣は、物理法則を嘲笑うような精度で反転し、彼自身の生命を断った。それは技術の差ではなく、「彼が次にどこへ踏み出すか」を事前に確信していた者の所業だ。


鷲は礼拝堂で、一撃の下に胸を貫通されていた。

彼女の武器は、予測不能な軌道を描く変幻自在の刺突。しかし、あの礼拝堂の凄惨な瓦礫の配置はどうだ。あれは偶然の崩落ではない。彼女の唯一の弱点である「着地直後の硬直」を誘発し、逃げ場を限定するために、ミリ単位で計算され尽くした「罠の回廊」だった。


熊は、地下室で巨大な石像の下敷きになり、その自慢の重盾ごと圧殺されていた。

「背後に壁がある限り、俺は負けない」――それが彼の口癖だった。敵は、その安心感そのものを利用した。彼が最も頼りにした背後の壁こそが、彼を押し潰す墓標へと変わったのだ。


そして、獅子。

騎士道の権化であり、未来において人類の希望であった男が、構える暇もなく首を落とされた。


その顔に刻まれていた「困惑」。あれは死への恐怖ではない。


まるで、鏡の中に映った自分自身に首を絞められたような、あるいは「絶対にありえない人物」が、慈悲もなく剣を振り下ろした際の、幼子のような驚愕。


虎の足が自然と遅くなり、一行の隊列が目に見えて乱れ始める。


最後尾で周囲の魔力変動を監視していた梟が、その不自然な減速に気づき、微かに震える声で問いかけた。


「……どうしたの、虎。あなたの心音が、さっきから異様に乱れているわ」


________________________________________


因果の矛盾――「時反し」の盲点と絶望


全員が立ち止まった。


夜明け前の青白い光が、枝葉の隙間から霧を透かして降り注ぎ、彼らの土気色の横顔を非情に照らし出す。


「……殺され方が、あまりにも的確すぎる」


虎は強く地面を踏みしめ、自身の内側で膨れ上がる戦慄を言葉に変換した。


「まるで、俺たちの戦闘スタイル、思考の癖、そして本人さえ無意識に隠している弱点を、解剖学的な精度で知り尽くした者が、緻密にパズルを組み上げたようだ。得意技を完璧に逆手に取られ、最も自信のある『絶頂の瞬間』を、正確に絶望へと反転させられている」


「……同意します」


鷹が、その卓越した視野で空を見上げ、過去の光景をシミュレーションし直す。


「礼拝堂の気流、地下の音響特性。すべてが特定の人物――私たちを殺すために調律チューニングされていた。これは『予測』ではありません。過去のデータに基づいた『再現』です」


「油断してただけだろ!勇者様だ、世界最強だってなめて、足元をすくわれた……それだけだ!」


狐が、焦燥を誤魔化すように短剣の柄を激しく叩いた。


「未来の技術を持った俺たちが、この時代の野蛮な連中に負けるはずがねぇんだ!」


「いや、違う。獅子は熊の死を確認していた」


虎の声が、冷徹に狐の叫びを遮る。


「獅子は正面から、何の抵抗もできずに断ち切られていた。あれは、敵意を向けようにも向けられない相手……あるいは、『絶対にそこにいるはずのない知己』を視界に入れ、脳が情報処理を拒絶した者の死に顔だ」


梟が、冷たい風のように静かな、しかし確信に満ちた声で核心を射抜いた。


「……私たちのことを、血の通った細部まで熟知している存在。獅子にとっても、それが誰であるかを知ることが、死よりも残酷な驚愕だったとしたら?」


「そんなの物理的にありえねぇ!俺たちは未来から飛んできた異邦人なんだぞ!」


狐の反論を押し流すように、虎は最大の禁忌へと踏み込んだ。


「……賢者エウレにできることが、もし魔王にも可能だったとしたらどうだ?」


その瞬間、森のざわめきすら消失し、時間は物理的な重みを伴って停止した。


鷹が、戦術的な最悪の分岐を即座に計算する。


「……同じように『時反しの魔術』を行使し、私たちを抹殺するための尖兵を、この過去に送り込んだと?」


「そこが盲点だったんだ、梟。俺たちは『自分たちが飛んだ瞬間の未来』を終着点だと信じていた」


虎の言葉が、賢者の弟子の理性を粉々に砕く。


「だが、俺たちがこの過去へ消えた後も、あの滅びゆく未来(1751年)では時間が止まらずに流れている。もし、俺たちが消えた数分後、あるいは数日後……エウレの術を知った魔王が、より強力な魔力で後追いの術を行使したとしたら?」


梟の顔から、生気が一気に失われた。


「……そうです。術の精度が魔王側で上回っていれば、彼は私たちの飛んだ座標、潜伏期間、そして全勇者のデータを『過去』へ持ち込める。もし魔王が未来で私たちの追跡を決定し、刺客を送り込んだのだとしたら、私たちのこの任務は――」


「開始する前から、既にチェックメイトされていたということだ」


虎の断定は、墓穴を掘る音のように重く響いた。


「相手は俺たちがここへ来ることを知っていた。俺たちが何を考え、どう絶望するかを知っている『未来の住人』。……俺たちの正体を知っている、俺たち自身の裏切り者か、あるいは俺たちが殺してきたはずの『誰か』だ」


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