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オース大陸秘匿伝記「因果の円環を閉ざす九人目の狼」  作者: 嵗(sai)
第7部:宿命の決戦 ―1692年、再臨する勇者と老狼の牙―

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第84話:すれ違い――廃墟の静寂と血の断罪

薄明の境界――忍び寄る鉄錆の風


(黒鉄期1692年:午後、人智十字教会廃墟・外縁部)


深い森が、沈黙をもって彼らを迎えていた。


南方の辺境、その鬱蒼とした原生林に埋もれるように佇む教会跡の廃墟。先行した教会騎士団組が、そこで待ち受けていた「狼」と凄惨な死闘を演じ、全滅してから既に二時間が経過していた。


正午を過ぎたはずの陽光は、廃墟を覆い尽くす分厚い蔦と、ひび割れた古びた石壁に遮られ、地上には届かない。辺り一面は、湿った土の匂いと濃密な影が支配する、不気味な薄暗がりに沈んでいた。


虎、狐、鷹、梟の冒険者組四人は、その静寂の中を、獲物を追う獣のような足取りで進んでいた。


騎士団組のような規律だった行進ではない。鷹が微かな風の揺らぎから敵の気配を読み、狐が下草の折れ方や土の乱れから「因果の糸」を手繰り寄せる。隠密行動とサバイバルを糧としてきた彼らにとって、この森は戦場であり、同時に馴染み深い仕事場でもあった。


先頭を歩く虎が、ふと右手の双剣の柄に指をかけた。その刹那、隊列の殿しんがりで常に周囲の環境に神経を研ぎ澄ませていた狐が、四〇代後半という年齢を感じさせない俊敏さで歩みを止めた。


「……虎、待て」


狐の囁きは、空気の振動を最小限に抑えながらも、明確な警告として仲間に伝播した。虎は即座に腰を落とし、戦闘態勢へと移行する。


「どうした、狐。何か見えたか」


「……匂いだ。風が、新しい『鉄錆』の匂いを運んできている」


狐の鼻腔を突いたのは、単なる魔生物の死骸から発せられる腐臭ではない。人間から流れた、濃密で、そしておびただしい量の――生存を維持するための根源的な熱を失ったばかりの、生々しい血の匂いだった。


「迂回を提案する。騎士団組が先行している以上、余計な火種に首を突っ込むのは得策ではない。我々の目的はあくまで魔王の母だ」


狐の判断は常に合理的だった。しかし、その冷静な進言を遮るように、隊列の真ん中にいた鷹が、その鋭敏な視力を一点に凝縮させた。彼女の広い視野は、廃墟の手前に広がる灌木の中に、不自然に反射する「何か」を捉えていた。


「待って、狐。……そこの茂みの下。何かが『落ちて』いるわ」


鷹の瞳に宿ったのは、狩人特有の、抑えきれない好奇心と微かな戦慄だった。


________________________________________


暴かれた無惨――勇者の落日


虎は逡巡した。最優先事項は、後の魔王を生むとされる女、レオリナの抹殺だ。騎士団組に後れを取っている現状、一刻も早く村へ向かうべきだ。


だが、この血の匂いが、自分たちと同じ「未来」から来た同胞のものである可能性を無視することはできなかった。もし彼らが敗北したのだとすれば、その敵こそが、自分たちが最も警戒すべき未知の脅威となるからだ。


「……鷹、ゆっくり確認しろ。狐は六時(背後)を。梟、いつでも魔術を使えるようマナを練っておけ」


虎の重厚な声が、湿った大気に溶けていく。


鷹は一歩ずつ、落ち葉一枚踏み鳴らさぬ繊細な足取りで灌木に近づいていく。彼女の若い瞳が闇に順応し、その「何か」の正体を結像させた瞬間。


「虎、止まって……!来ちゃダメ!」


鷹が初めて、裏返った声を張り上げた。それは恐怖というより、信じがたい光景を目の当たりにした驚愕の叫びだった。


全員が硬直する。虎は迷わず鷹の元へ駆け寄り、視界を遮っていた無骨な枝を力任せに払いのけた。


「……嘘だろ」


そこに転がっていたのは、蜥蜴の遺体だった。


かつて勇者団の中でも屈指の暗殺技術を誇り、冷酷非情な性格で恐れられた男の姿は、あまりにも凄惨だった。最期の苦痛をそのまま石膏で固めたかのように顔を歪ませ、土を噛み、白目を剥いて絶命している。


だが、何よりも虎たちの背筋を凍らせたのは、その「殺され方」だった。


「右手が……ない」


鷹が血の気の引いた声で囁く。蜥蜴の右腕は、肘の少し上から鋭利な刃物によって、骨ごと一太刀で断ち切られていた。切断面は驚くほど滑らかで、どれほどの膂力と斬れ味をもってすれば、魔導強化された勇者の肉体をこれほど鮮やかに両断できるのか想像もつかない。


そして、彼の腹部には、柄の意匠まで見覚えのある二本の短剣が、深々と心臓を貫いて突き刺さっていた。それは、蜥蜴が肌身離さず愛用し、数多の標的を屠ってきた彼自身の得物だった。


「……どういうことだ。蜥蜴が、自分の短剣で……?」


虎の喉から、言葉にならない唸りが漏れる。


勇者にまで認定された男だ。その辺の騎士や魔族に不覚を取るような器ではない。それが、右腕を切り飛ばされた挙句、自分の武器でトドメを刺されている。


________________________________________


慢心の瓦解――牙持つ過去の警告


冷静沈着な狐でさえ、その光景を前に眉根を寄せた。彼は遺体を一瞥し、かつての騎士団組に対する複雑な嫌悪感と、かすかな哀悼を押し殺して皮肉を吐き捨てた。


「……いつもうそぶいていた男だ。格下だと思って油断したのだろう」


蜥蜴は常に自信に満ち、この過去の世界の住人を「原始的な猿」と呼んで蔑んでいた。その増長が、死を招いたのだと。


しかし、虎はその意見を即座に否定した。


「油断だけで、ここまでされるか?狐、お前も知っているはずだ。蜥蜴の暗殺術は、我々の中でも抜きん出ていた。その彼を、一瞬にして解体し、あざ笑うかのように処刑する……」


虎は廃墟から漂う、死の沈黙を凝視した。


彼らはどこかで信じていた。未来の技術と魔術、そして「勇者」という称号を持つ自分たちが、この時代において絶対的な強者であることを。だが、目の前の屍はその慢心を完膚なきまでに粉砕していた。


「……この時代には、いるということだ」


虎の声が、冷たく響く。


「勇者を、ゴミのように葬れるほどの怪物が。……そしてそいつは、今この廃墟の中にいる」


全員の間に、これまでとは質の違う緊張が走る。


先行した獅子、熊、鷲がどうなったのか。その答えを求めるように、虎は双剣を抜き放ち、暗い廃墟の入り口へと視線を向けた。


彼らが追っているのは、果たして「獲物」なのか。


それとも、自分たちを狩るために二十年を費やした「捕食者」なのか。


虎は重い足取りで、血の匂いが渦巻く礼拝堂の入り口へと一歩を踏み出した。



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