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オース大陸秘匿伝記「因果の円環を閉ざす九人目の狼」  作者: 嵗(sai)
第7部:宿命の決戦 ―1692年、再臨する勇者と老狼の牙―

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第78話:灰色の再会――決裂する信頼と南への転轍

警戒色の領都――破られた偽りの平穏


(黒鉄期1692年:深夜、ラブラリア領都・中央大通り付近)


闇の結社「ゾディアック」の潜む地下、紫煙と腐敗した情報の溜まり場から這い上がり、表通りに足を踏み入れた瞬間、狐と鷹は肌を刺すような異様な熱気に圧せられた。


夜明けを待たずして、領都ラブラリアは死に体から一転、狂乱の渦へと叩き落とされていた。


石畳を叩く軍靴の乱れた足音、無秩序に鳴り響く警告の鐘。松明の赤黒い炎が、歴史ある建物の壁面を不気味に舐め、兵士たちの怒号が波紋のように夜の闇を食い破っていく。逃げ惑う夜鷹や、窓を閉ざし震える市民たちの顔は、一様に「警戒色」という名の濃密な恐怖に染まっていた。


「……何が起きたの?ほんの僅かな時間の間に」


鷹が未来の魔導義眼「超知覚」を周囲へ走らせる。領都の魔力密度が急上昇し、殺意が飽和状態にあることを瞬時に読み取った。その視界に、入り組んだ路地の影から高速で接近する、二つの馴染み深い生体波形が映り込んだ。


虎と、その背後を幽霊のように音もなく、しかし正確な歩調で歩く梟だ。


二人は当初の合流地点である宿に向かうのではなく、まるで迫り来る津波から逃れるかのように、狐たちのいる方角へと路地を力任せに突き抜けてきた。


「虎!梟!こちらだ!一体、この街の騒ぎは何だ?」


狐が鋭く問いかけると、虎は苦虫を十匹噛み潰したような凄絶な形相で足を止めた。彼の鋼のような肉体からは、制御しきれない憤怒の蒸気が立ち上っている。


「最悪だ、狐。……獅子たちがやらかしやがった。役場が、地獄そのものだ。生きた人間が一人も残っていない」


「――ッ!?」


狐の表情が、一瞬の真空状態を経て、猛烈な驚愕と剥き出しの激しい憤怒に歪んだ。


________________________________________


独断の代償――瓦解する鉄則と「獣」の暴走


「役場を……皆殺しだと?正気か、あの男は!未来の賢者が定めた潜伏の原則はどうなった!それで、獅子たちはどこだ!」


鷹の問いに、虎は奥歯を噛み締め、軋んだ声で吐き捨てるように答えた。


「行方は分からん。あの惨状を見る限り、奴らは台帳から情報を奪った直後に、合流を待たず独断で先行した。……計画も、仲間への信頼も、救世主としての理法も、すべてを血溜まりの中に放り投げてな」


「あんの野郎……ッ!蜥蜴か!蜥蜴の毒が獅子を狂わせたのか!!」


狐の額に青筋が爆ぜるように浮かび、全身の血管が怒りで脈打つ。握りしめた拳は、今にも目の前の石壁を粉砕せんとする勢いで震えていた。


この作戦の根幹は「潜伏」と「機を待つこと」にこそあった。それを、隊長自らが凄惨な殺戮によって台無しにしたのだ。この怒りの矛先は、暴走した獅子への失望と、それを止めなかった、あるいは愉快そうに煽ったであろう蜥蜴へと向けられていた。


「落ち着いてください。喚いても役人の死体は生き返りませんし、狂った時計の針は戻りません」


その場に、心臓を凍らせるような冷徹な静寂を落としたのは、梟だった。


賢者エウレの教えを最も忠実に体現し、感情を演算に捧げた男。彼はこの狂騒の中にあっても眉一つ動かさず、感情を削ぎ落とした氷の口調で狐を制した。


「今は、あなたが命懸けで得た情報の開示を。我々が次に打つべき手は、あなたの掌の中にある羊皮紙が握っているはずです」


「……よくそんなに冷静でいられるな、梟。仲間が……獅子が狂ったんだぞ」


「過ぎた事象に情動を割くのは魔力の無駄です。予測し、行動し、修正する。それ以外に我々が未来へ繋がる道はありません。感情を捨てなさい。今は情報の価値のみが我々の命を繋ぎ止めるのです」


梟の瞳には、揺るぎない理性が、残酷なまでに澄んで宿っていた。それは冷酷の極みだが、崩壊した勇者団において、唯一の論理的な道標でもあった。


________________________________________


南端の開拓村――動き出す死の因果


鷹もまた、超知覚で周囲を包囲し始めた兵士たちの気配を鋭く察知し、梟の意見に同意する。


「その通りよ、狐。街全体が私たちを拒絶する『白血球』のように動き出している。ここで立ち止まり、兵士の相手をすれば、次は私たちが歴史の汚物として排除されるわ」


虎が深く、長く深呼吸をし、己の中の「戦士」としての核を再構築した。リーダー代行としての責任感が、個人的な怒りを無理やり押し流していく。


「……分かった。狐、情報を出せ。俺たちはまだ、止まるわけにはいかない」


狐は忌々しげに舌打ちをしながらも、鷹から羊皮紙の地図を奪い取るように受け取り、三人の前に広げた。


「情報はこれだ。……ターゲットの潜伏先は、ラブラス領南端、『第三十一開拓村』」


狐の指が、古びた羊皮紙に刻まれた辺境の一点を、呪いを込めるように強く突く。


「馬車ならば三日の距離だが、未来の身体強化を施した俺たちの脚なら一日半だ。ターゲットの女、オレリアは二十年前の襲撃で家族を失った訳アリの生存者。……そして、その夫の名。これだけは忘れるな。名は、ルーベンカー(Luvenkar)だ」


「ルーベンカー」という名が吐き出された瞬間、路地の空気が物理的な重さを伴って歪んだ。


その名が持つ未来での意味――「魔王の右腕」にして「虐殺の代行者」としての真実を、その場の全員が骨の髄まで知っていたからだ。虎は地図を凝視し、その不毛な村の座標を脳内の軍事マップへ強制的に焼き付けると、狐に地図を返した。


「了解した。……獅子たちは既にこの事実に辿り着き、独断でその『芽』を摘みに向かったに違いない。だが、奴らが今の精神状態で接触すれば、何が起きるか分からん」


周囲では兵士たちが松明を振りかざし、役場方面からの悲鳴と反乱を告げる鐘の音が、暴力的なボリュームで増幅していく。


もはや隠密行動などという甘い幻想は、獅子が振るった大剣によって無残に切り裂かれた。領都に留まることは、領主騎士団との無益な消耗戦に呑み込まれることを意味する。


「先行した獅子たちを追い、奴らが余計な歴史の傷跡を残す前に任務を完遂する。……行くぞ、これが本当の、そして最後の追跡だ」


四人の影は、松明の光が届かない闇の裂け目へと滑り込み、血の臭いと騒乱に満ちた領都を背に、漆黒の荒野へと駆け出した。


その先にあるのは、崩壊しつつある世界の救済か、あるいは獅子の狂気と共に滅びる地獄の連鎖か。


南へ向かって吹き抜ける乾いた風だけが、冷たく彼らの背中を追い越していった。


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