表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オース大陸秘匿伝記「因果の円環を閉ざす九人目の狼」  作者: 嵗(sai)
第7部:宿命の決戦 ―1692年、再臨する勇者と老狼の牙―

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

61/105

第61話:賢者の葬送と、揺らぎゆく世界の残照

梟の静かな抗議:青白き鎮魂の残り火


凄惨な殺戮の痕跡を残した村を、勇者たちが次々と後にしていく。その重苦しい行軍の最後尾で、ただ一人梟だけが足を止め、立ち尽くしていた。


鼻を突く鉄錆のような血の匂いと、静まり返った家々。つい数時間前までここにあったはずの「生活」の体温は、蜥蜴の冷酷な刃によって無残に散らされていた。彼女は仲間たちの背が朝靄の向こうへ遠のき、その足音が土を踏みしめる乾いた音だけが響くのを確認すると、傍らの岩に指先で不可視の魔導印を刻んだ。それは、後に続くであろう「何か」への標識か、あるいは己への戒めか。


彼女は静かに、そして深く、一度だけ目を閉じた。


「……万物は灰に還り、記憶は星へ。せめて、土に還る権利だけは」


彼女が唇を微かに動かし「葬送の炎」の魔術を唱えると、広場に転がっていた村人たちの遺体に、揺らめく青白い炎が灯った。それは熱を持たず、ただ物理的な未練を消し去るための慈悲の灯火。肉体は焼かれず、ただ存在の輪郭が光に溶け、やがて塵一つ残さず虚空へと消えていった。


この行動は、蜥蜴の非道に対する賢者としての、そして一人の人間としての、声なき抗議であった。彼女は師エウレから与えられた「観測」という密命を帯びている。勇者たちの内部分裂、この時代の人々の悲鳴、そして、正義の名の下に失われていくことわりのすべてを、彼女は未来へ繋ぐ冷徹な記録として心に刻み続けていた。


「梟殿、どうかしたのか」


背後から声をかけたのは鷹であった。彼女だけが、賢者の微かな魔力の揺らぎ――その奥底に潜む震えるような慟哭に気づき、足を止めていたのだ。


「……何でもない。すぐに行く」


梟は感情を排した面持ちで歩き出し、鷹と共に仲間たちの後を追った。その瞳には、すでに消えたはずの青白い残り火が、呪いのように映り込んでいた。


________________________________________


不信の東行:崩壊する騎士道


一行は、次なる手がかりを求めて東へと歩みを進める。


先頭を行く獅子が、背負った甲冑を重々しく鳴らして告げた。


「東に『鳥の巣』があったはずだ。そこなら、何か分かるはずだ」


『鳥の巣』――それはこの時代の開拓民たちが使う隠語で、通常の村よりも規模が大きく、複数のコミュニティや種族が交差する重要拠点(集落)を指す。情報が集まる場所であり、同時に「魔王の母」が潜伏している可能性が最も高い場所でもあった。


しかし、目的地への道中、彼らの間に流れる空気は既に修復不可能なほどに冷え切っていた。鷹と鷲の胸中にあるのは、蜥蜴の殺戮を事実上黙認し、効率という名の天秤に命をかけた獅子への、根深い不信感であった。


「この任務は、本当に正しいのですか」


鷲が震える手で細剣の柄を握りしめ、リーダーである獅子の背中に問いを投げかけた。その声は鋭く、そして悲痛だった。


「私たちは、自分たちが討つべき魔王と同じことをしている……。いえ、それよりも遥かに悪辣な存在に成り下がっているのではないですか?未来を救うという言葉は、子供を殺し、村を焼く免罪符になるのですか?」


獅子は足を止めず、ただ感情の死んだ、虚ろな声で応えた。


「目的のためだ、鷲。魔王の誕生を防ぐためなら、いかなる犠牲もやむを得ない。我々は未来の十二万の命を救うために、この時代の十数名を切り捨てた。それが……騎士として残された、最後の務めだ」


その言葉に、かつて彼が戦場で見せていた騎士道の誇りは、もはや欠片も残っていなかった。あるのは、数式のように冷酷な「生存の計算」だけだ。一方で、蜥蜴はそれらの倫理的な葛藤を、舌なめずりをしながら嘲笑う。


「へっ、正義ぶるなよ、鷲。お前だって、魔王の母を殺しに来た悪魔の一員だ。その細い剣で誰を突くつもりだ?偽善者面は止めろ。お前も俺も、同じ血の海に浸かってるんだよ」


虎は、戦術家としてこの内部分裂が任務の致命傷になると憂慮していた。連携の乱れは、死に直結する。


「分裂は避けたい。蜥蜴、獅子の言う通り少し自重しろ。……それから鷲、感情を殺せ。我々に許されているのは完遂だけだ」


「へ~い、分かってますよ」


蜥蜴は真意を悟らせぬように軽く応じたが、その瞳は既に、次なる獲物の血を待ち望んで、爛々と、飢えた獣のように輝いていた。


________________________________________


六十年前のオース――失われた「融和」の風景


1.豊穣なる魔那と生命の鼓動


勇者たちが歩む黒鉄期1692年。ラブラス男爵領の風景は、彼らが知る「戦火に焼かれ、灰に覆われ、ただ排斥のみが支配する死の世界」とは正反対の輝きを放っていた。


大規模な魔鉱石採掘によって大地が痩せ細る前のこの時代、地脈からは豊かな魔那マナが溢れ出し、大気は水晶のように澄み渡っていた。どこまでも続く草原は瑞々しい深緑に波打ち、森には野生の、剥き出しの生命力が満ちている。魔生物の脅威こそ存在するが、それを補って余りある「人族の活力」が、開拓という名の希望となってこの大地に息づいていた。


2.融和の時代:純血主義の前夜


さらに彼らを驚かせ、困惑させたのは、社会の在り方だった。


この時代、第二次開拓領域を中心として、人族、魔族、獣族、血族といった異なる種族間での婚姻が進んでいた。混合種族ハーフは「忌むべき存在」ではなく、むしろ異なる能力を併せ持つ「新たな可能性」として社会に受け入れられ始めていた。


後に人智十字教会が国教となり、声高に唱えることになる「人族純血主義」は、この時点ではまだ王都の深奥に棲む貴族たちの、狭量な特権意識に過ぎなかった。厳しい自然と対峙する開拓の最前線においては、種族の血よりも「共に土を耕し、共に生き抜くこと」の方が遥かに尊い真実だったのである。


3.レオリナ:融和の象徴としての絶望


彼らが殺そうとしている魔王の母、レオリナ。


彼女は、この融和の時代の象徴そのものであった可能性が高い。魔族の血を引く混合種でありながら、この開拓地で人々に疎まれることなく、むしろその優しさゆえに愛され、平和に暮らしていたはずの少女。




狐は、その鋭い観察眼で、まるで過去の地層を剥ぎ取るように周囲を見つめていた。


「……この時代の人間は、まだ排他的じゃねぇな。王都の貴族連中が腐りきっているだけで、開拓民は生きるために手を組んでやがる。……おい、獅子。俺たちが未来で守っていたものは、一体何だったんだ?」


彼の言葉は、勇者たちが信じてきた「正義」の根底を残酷に揺さぶる。


彼らが救おうとした未来のオース王国こそが、この美しい融和の時代を破壊し、純血主義という名の排斥を生み出し、結果として「魔王」という悲しき復讐者を生み出した元凶ではなかったのか。


勇者たちが今、血眼になって捜しているのは「未来の敵」ではない。


彼らが屠ろうとしているのは、自分たちの故郷がかつて持っていた、唯一の「救い」と「可能性」だったのである。


その矛盾に耐えかねたように、熊が小さく唸った。


この過去の世界は、勇者たちに彼らが未来で戦っていたものが、魔王という「悪」だけでなく自らの故郷であるオース王国そのものの腐敗であったことを突きつける。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ