第39話:月光の採取と、「未来」の壁
翌朝、三十一開拓村はかつてない熱気に包まれていた。
男衆は総出で、昨夜決まった「月光明化」――もはや元の名前を留めていないが――の採取へと向かうことになった。
出発の間際、案内役のオレリアが「あの、あそこは結構、危ない場所ですけど……」と申し訳なさそうに切り出した瞬間、村長マルカスの叱咤が飛んだ。
「オレリア!なぜそれを先に言わん!……あぁ、もういい。ルーベンカー、お前は実戦に長けているな。お前と俺が先頭に立ち、群れを警戒する。野郎ども、続け!」
深い森の奥へ分け入るほどに、空気は重く、獣の臭気が濃くなっていく。この時代の辺境は、まさに魔生物の揺り籠だ。
「グリズリラだ!散開しろ!」
マルカスの叫びと同時に、体長三メートルを超える巨躯が茂みを割り、咆哮と共に躍り出た。
村の男たちが持つのは、農具を打ち直した槍や、錆びた斧剣。正面からぶつかれば、一瞬で肉塊に変えられるだろう。
だが、その暴虐の前に立ったのは、未来で「勇者」を狩るために再誕した男だった。
ルーベンカーは一切の迷いなく地を蹴り、鉈剣を閃かせた。
その斬撃は、魔獣の分厚い毛皮と筋肉を、まるで焼いたナイフでバターを断つかのように裂いた。急所を的確に貫く「未来の剣技」。続けて殺到した小型の魔生物たちも、彼の無駄のない体捌きと鋭い一閃の前に、次々と沈んでいく。
「すげぇ……!」
「ルーベンカーさん、あんた一体何者なんだ……」
男衆の間に驚愕が走り、それは瞬く間に絶対的な信頼へと変わった。彼らにとってルーベンカーの振るう剣は、単なる武器ではなく、暗闇を切り裂く「英雄の牙」そのものに見えたのだ。
やがて、一行は青白い光を放つ月光鮮花の群生地に辿り着いた。
「よし、ルーベンカーの言う通りだ。根こそぎにするな。来年の芽を残し、必要な分だけ慎重に摘み取れ!」
彼の指導による「持続可能な採取」は、皮肉にも後にこの村が領都へ特産品を卸す一大拠点へと成長する礎となった。
しかし、本当の困難は村に帰ってから始まった。
採取した花から花粉を抽出し、魔鉱石に定着させるプロセスは、知識として知っているのと、手作業で行うのとでは雲泥の差があった。
「……くそ、また分離したか」
数週間に及ぶ試行錯誤。男衆も協力してくれたが、固形化の段階でどうしても術式が安定しない。そして何より、最大の壁がルーベンカーの前に立ちはだかった。
(作り方の流れは覚えている。だが、肝心の魔術式の『具体的な図案』と『呪文』が……どうしても思い出せない……!)
量産品として当たり前に存在していたがゆえに、その核心部分を記憶していなかったのだ。焦燥が彼を急かし、ルーベンカーはある決断を下した。
「村長、領都へ行ってくる。ツテを当たって、必要な魔術式を探し出してくる」
彼が頼れるのは、この時代へ飛ぶ旅費を捻出するために接触した裏組織『ゾディアック』しかなかった。
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暗躍する組織と、不完全な希望
領都に到着したルーベンカーは、宿を取るなり、公共掲示板の隅に小さく「Z」の符丁を書き記した。
その夜。窓から音もなく入り込んできたのは、顔をローブで隠した男だった。男はルーベンカーの要求を聞くと、何も語らず闇に消えた。
翌日の昼過ぎ、宿を訪ねてきたのは、あのレラだった。
「早速使ったわね、あの時の貸しを」
彼女は冷めた瞳でルーベンカーを見据えた。前回の魔鉱石の取引で、彼はゾディアックに大きな恩を売っていたのだ。
「すまない。だがあの村を見捨てるわけにはいかなかった」
レラは溜息をつき、残酷な事実を告げた。
「……あなたの探しているその『魔生物除けの術式』、この時代のどこにも存在しないわ」
「!」
ルーベンカーは反射的に立ち上がった。全滅する村の情景が脳裏を過り、絶望が全身を支配する。だが、レラは言葉を続けた。
「でも、似たような術式なら、うちの倉庫に眠っているわ」
その言葉に、ルーベンカーは力が抜け、ドサリと椅子に座り込んだ。
「……驚かせないでくれ。心臓が止まるかと思った」
「ごめんなさい。でも、あくまで似ているだけよ。私たちが持っているのは『魔力干渉による特定の魔那を遮断する結界術式』の応用。それを月光鮮花の花粉と適合させられるかは、あなた次第ね」
「それでもいい……。それがあるだけで、道は繋がる」
安堵するルーベンカーに、レラは不敵に口角を上げた。
「金貨十八枚。……と言いたいところだけど、前回の分でチャラにしてあげる」
「……本当に、助かる」
レラは少し表情を和らげたが、すぐに商人の顔に戻った。
「その代わり条件よ。もし成功したら、完成した『製法』と『魔術式』をゾディアックに渡しなさい。私たちはそれを、他の絶望している開拓村にも売り歩くわ」
ルーベンカーは驚いた。ゾディアックが、開拓村を救うために動く?
「……それで他の村も救われるなら、願ってもないことだ。だが、儲けすぎるなよ?」
「慈善事業じゃないんだから、正当な価格で売るだけよ」
二人は、この殺伐とした領都の一室で、初めて互いに笑みを交わした。
レラは、羊皮紙に書かれた古代魔術の応用理論を手渡すと、最後に鋭い釘を刺した。
「……ところで、あなたは一体何者?この辺境のために動いてくれる限りは詮索しないけれど。覚えておいて、私たちは正義の味方じゃない。万が一、あなたが私たちの牙にかかるような真似をすれば、容赦はしないわ」
それは冷酷な警告であり、同時に彼女なりの、最大限の信頼の証でもあった。
ルーベンカーはその重みを胸に刻み、羊皮紙を握りしめた。
「ああ、分かっている。――じゃあな、レラ」
彼は宿を飛び出し、愛する故郷……まだ脆弱で、しかし未来へと続くはずの三十一開拓村へと取って返した。その手には、八十年後の未来を先取りした、歴史を書き換えるための小さな「種」が握られていた。




