第29話:終焉の円環:ラブラリア包囲戦、あるいは断絶の記録②
第6位階魔術「千刃」
勇者たちは、絶望的な状況下で己の武器を抜いた。
獅子が咆哮と共に両手剣を振り下ろし、盾役の熊と鷲が前面を塞ぐ。虎と狐が影に溶けるように左右から肉薄し、鷹の放つ速射の矢が、魔王の急所を的確に狙う。梟は背後で、魔那の乱れを演算し、防御結界の構築を急いだ。
しかし、魔王ラビスは指先一つ動かさなかった。
ただ、静かに右手を空へ広げ、指を複雑に絡ませて「印」を結ぶ。
その瞬間、ラブラリア全域の魔那が、この広場一点に収束し始めた。
「ぐっ……、魔那が……消える……!?」
賢者梟が、初めて声を荒らげた。彼女が手にしていた高純度の媒体から、そして勇者たちの肉体そのものから、あらゆる魔那が強制的に吸い出されていく。
広場に描かれた巨大な漆黒の魔法陣。そこから立ち昇ったのは、数千、数万に及ぶ「光の刃」であった。
「まずい!逃げろ、全員逃げろ!!」
暗殺者・蜥蜴が本能的な恐怖に叫び、背を向けた。だが、光の速度から逃れられる生命体はこの世に存在しない。
魔王ラビスの瞳には、怒りも憎しみもなかった。ただ、数式を解くような静謐さをもって、その名を告げた。
「第6位階魔術――『千刃』発動」
空間が、爆ぜた。
無数の光の刃が、広場を、空気を、そして勇者たちの存在そのものを、文字通り「千々に」切り裂いていく。
騎士の誇りも、暗殺者の冷徹さも、賢者の智略も、その圧倒的な暴力の前では何の意味も持たなかった。
絶叫すら許されない一瞬。
光の奔流が消え去った後、そこには静寂だけが残された。
石畳の上には、かつて「希望」と呼ばれた12名の、物言わぬ肉塊だけが散らばっていた。
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戦いの終焉と敗北の代償
広場から立ち昇った不気味な光の柱は、正面戦場の12万の兵士たちの眼裏にも焼き付いた。
戦闘が止まる。
直後、魔王ラビスが城壁の頂に姿を現した。彼の声は魔那によって増幅され、平原全体に、死神の宣告のように響き渡った。
「人族諸君。残念な報告をしよう。……君たちの『勇者』は、今、全滅した」
その一言は、王侯軍の心を完全に折った。
王国最高の精鋭、教会の誇る希望が、指先一つで塵に帰したという事実。プレヒレト将軍は、震える手で剣を鞘に収めた。
「……退陣だ。全軍、退却せよ!」
敗走する12万の背中に、ラビスの声が冷たく追いかける。
「勇者たちの亡骸は返そう。……死してなお、君たちの糧にするがいい」
ラブラリア包囲戦は、人族側の歴史的大敗北として幕を閉じた。
だが、この戦いの真の敗北は、領地の喪失でも兵士の死でもなかった。
「この時代の、いかなる力をもってしても、魔王ラビスを殺すことは不可能である」という絶望的な真理が、因果の底に確定してしまったこと。それが、この世界の敗北であった。
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時を遡る禁忌
敗北から一日。
教会の聖域に安置された11体の遺体を前に、ウィルヘルム4世は震えていた。
人族純血主義という彼の信仰の柱は、ラビスという「バグ」によって叩き潰された。そこに現れたのは、沈黙の塔から降りてきた賢者エウレであった。
「どうすればいい……魔族を……あの怪物を殺すには、どうすれば……」
「勇者たちを、復活させます」エウレは淡々と告げた。「そして、彼らを過去へ送る。魔王の生母を殺害し、魔王が生まれるという『原因』そのものを抹消するのです」
ウィルヘルム4世は息を呑んだ。「時を……遡るというのか?そんなことが……」
「主の教えに背く禁忌ですが、それ以外に解はありません」
エウレは遺体となった勇者たちの魂の残滓を繋ぎ合わせる、究極の蘇生術式を執行した。12名のうち、遺体すら見つからなかった「狼」を除き、11名が泥の中から這い上がるように意識を取り戻した。彼らの瞳には、かつての輝きはなく、ただ「千刃」によって刻まれた死の恐怖だけが、黒い澱のように溜まっていた。
「魔王を今で倒すことはできない。ゆえに、我々は1692年へ飛ぶ」
ウィルヘルム4世の声が、蘇った勇者たちに響く。
それは救済ではない。歴史という巨大な円環を無理やり歪ませる、神への反逆であった。
儀式前夜、大司教は賢者に問うた。
「これで、我々は勝利できるのだな?」
エウレは、冷たく笑った。
「さて。魔王ラビスが消えれば、別の魔王が生まれるだけかもしれません。あるいは、歴史そのものが崩壊するか……。主のみぞ知る、ですかな」
こうして、選抜された8名の勇者たちは、黒鉄期1692年へと、その身を投じた。
敗北からわずか一日。
血塗られた過去を清算するための、さらなる血塗られた旅路。
魔王城包囲戦の屈辱は、世界の理を壊してでも勝利を望んだ人間のエゴによって、果てしない因果の迷宮へと姿を変えたのである。




