表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オース大陸秘匿伝記「因果の円環を閉ざす九人目の狼」  作者: 嵗(sai)
第四部:『勇者たちの肖像 ― 捨てられた名と宿命』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/51

第22話:勇者たち:熊の咆哮、あるいは不壊の聖域

峻険なる嶺、力という名の理不尽


オース王国南西部の最果て、雲を衝くような険しい山々が幾重にも連なる「南西山岳地帯」。そこは、精霊の残り香が希薄となった黒鉄期にあっても、なお大地が原始的な力強い鼓動を刻み続ける、峻烈なる魔境であった。


後に「ベア」という勇者名を授かることになる若者――名はバルタザール。彼はこの地の寒村で、実直な木こりの息子として生を受けた。


「バルよ。力とは、己から湧き出るものではない。この大地から一時いっとき借りるものだ。ゆめゆめ忘れるな」


父の言葉は、常に山の深い静寂と共にあった。バルタザールは幼少期から父の過酷な仕事を手伝い、切り倒した巨木を一人で運搬するうちに、その背丈は村の誰よりも高く、肉体は大地の岩盤を思わせるほど頑強に育っていった。彼にとって、力とは日々を「生きていくための実直な道具」であり、それ以上でも以下でもなかった。


しかし、その平穏な価値観は、ある「異分子」の到来によって無残に踏みにじられることになる。


村に、熊系獣人と犀系獣人の血を濃く宿す、混血の木こり集団が流れてきたのだ。彼らは人族の数倍の身体能力を誇る、生まれながらの「魔那マナ適応個体」であった。


彼らの仕事ぶりは、まさに暴力的なまでの効率であった。人族の熟練者が三日かけて切り出す大樹を、彼らは一撃でなぎ倒し、わずか一日で運び去る。


「……なぁ、親父。あいつらが来てから、村の材木が全く売れなくなった。このままじゃ、冬を越す蓄えが作れないよ」


バルタザールが抗議のために獣人たちのキャンプを訪れた際、彼が目にしたのは「力の摂理」が剥き出しになった光景だった。


「力がある者が、その力を使って生きる。それは自然の摂理だろう?」


犀の角を持つ巨漢は、バルタザールを傲慢に見下ろし、鼻で笑った。


「不満があるなら拳で語れ。……もっとも、その図体はただの『見せかけ』、中身のない案山子かかしにしか見えんがな」


バルタザールは拳を血が滲むほど握りしめた。だが、その素朴な力は、獣人たちの無邪気なまでの強さの前では、あまりに無力だった。彼は、力というものが、時に誰かの生活を、尊厳を、平気で奪い去る不条理な凶器になることを、身をもって知ったのである。


________________________________________


森の逆鱗、裏切りの悲鳴


黒鉄期1670年頃。辺境の危ういバランスが、ついに崩壊した。


獣人たちが、目先の効率と利益のために「聖域」に近い奥地の禁足地まで乱伐したことが、森の怒りを買ったのだ。


その日、バルタザールは父と共に、ふもとの街へ物資の買い出しに出ていた。村へ戻る険しい山道の途中で、彼は「風の音」が不吉に変わるのを敏感に感じ取った。それは、恐怖に震える鳥の羽ばたきと、大気そのものが軋むような、不気味な魔那の揺らぎであった。


「バル!村の方だ!」


急ぎ戻った彼らの目に飛び込んできたのは、燃え盛る家々と、無様に逃げ惑う獣人たちの背中だった。


村を襲ったのは、第3等級――一般人族の8倍以上の強度を誇る「森守りの巨猿フォレスト・コング」の群れだった。獣人たちは、自分たちの傲慢な振る舞いが招いた惨劇を前に、戦うことも、隣人を守ることもなく、自らの命を惜しんで真っ先に逃げ出したのだ。


「おのれ……!あれだけ力を見せびらかしておきながら、守るべき時に背を向けて逃げ出すとはッ!!」


父の慟哭のような咆哮は、凄惨な悲鳴と破壊音にかき消された。


バルタザールが村の中心に着いたとき、そこは既に地獄と化していた。幼馴染も、世話になった長老も、獣たちの牙にかけられ、物言わぬ肉塊へと変えられていた。


父は燃え盛る怒りに身を焼き、逃げた獣人たちを追って森の奥底へ消えた。それが、バルタザールが見た父の最後の背中であった。


その日、バルタザールは二つのものを同時に失った。故郷という名の安息と、父という名の導き手。


そして、一つの誓いを魂に刻んだ。


「力は、破壊のためでも、誇示するためでもない。耐えるため、そして弱き者を『守り抜く』ためにこそ、在るべきだ」


________________________________________


不壊の修行、魔那を鎧に変える理


帰るべき村を失った彼は、数年間、オース大陸を放浪した。


彼は自身の巨体を活かし、傭兵や冒険者の護衛として生計を立てたが、その戦い方は極めて異質であった。彼は決して自ら先に剣を抜かない。常に仲間の前に立ち、敵の最初の一撃を、その身で、あるいは手にした分厚い鉄板で受けることに異常なまでに執着した。


「おい、バル!避けろッ!」


「……いい。俺が受ける」


第2等級の魔生物、火炎狼フレイム・ウルフの吐息を、彼は魔那を肉体に固定する「強化魔術」の特異な応用で耐え抜いた。


「指南書」に記された魔術体系によれば、人族の魔那保有量はわずか「1」。対する魔生物は「3」や「4」を持つ。バルタザールは、乏しい魔那を「攻撃」に回すことを一切捨てた。彼は全魔那を、自身の筋肉の「密度」を一時的に極限まで高めること、そして神経系を「衝撃吸収」のために最適化させることにのみ注ぎ込んだ。


彼の肉体は、いつしか物理法則を捻じ曲げるほどの異常な「硬度」を持ち始めた。


嵐のような攻撃を耐え凌ぎ、敵が疲弊し、隙を見せた瞬間にのみ、岩を砕くような重い一撃を叩き込む。その泥臭く、しかし絶対的な「守護の戦術」は、やがて人智十字教会のスカウトの目に留まることになる。


「君の盾は、もはや単なる金属の板ではない。それは、神の領域に達した『不壊の概念』だ」


教会の騎士団に入団した彼は、バルタザールという名を封印した。授けられた勇者名は――「熊」。


森の王であり、厳しい冬を耐え忍び、家族を守るためには一歩も引かない不動の守護獣。彼は、その巨大な大型盾と片手剣を手に、王国の「不壊の防壁」としての役割を完璧に演じ始めたのである。


________________________________________


勇者の重責、揺らぐ守護の誓い


黒鉄期1751年。魔王ラビスとの最終決戦において、熊は常に最前線の「盾」として立っていた。


魔王の放った第6位階魔術「千刃サウザンド・ブレイド」。それは空間そのものを微塵に切り裂く、逃げ場のない死の豪雨。熊は、傷ついた仲間の勇者たちをその巨大な背後に庇い、全魔那を大型盾へと集中させた。


(守らなければ……俺が、人類に残された最後の一枚の壁だ……ッ!)


だが、神話級の魔力の奔流の前に、彼の誇りであった不壊の盾は、枯れ葉のように虚しく粉砕された。暗転する意識の中で、彼が最後に感じたのは、守りきれなかった仲間への痛切な懺悔であった。


蘇生、そして禁忌の術による過去への転移。


賢者エウレから告げられた極秘任務は、彼の魂を根底から揺さぶった。「魔王の生母、レオリナを殺害せよ」。


守護者として生きてきた男が、無抵抗な女性を、あるいはその腹に宿る命を暗殺するという自己矛盾。それは彼にとって、かつて村を見捨てて逃げた獣人たちと同じ、あるいはそれ以上に「汚濁に満ちた力の行使」に思えた。


「……獅子、隊長。俺は、守るためにこそ、この盾を、剣を取ったんだ」


過去の世界、1692年の草原で、熊は大型盾の重みをかつてないほど「重い罪」として感じていた。


「未来の十二万の命を救うため、だ。熊、お前の盾はそのためにこそあるのだ。大いなる守護には、時として冷徹な排除が必要となる」


獅子の冷徹な言葉が、彼の逃げ道を非情に塞ぐ。


熊は、その豪快な外見に似合わぬ繊細な葛藤を抱えながら、村の子供たちの笑顔から目を逸らした。


(これは、大きなものを守るための、小さな破壊だ……そう信じなければ、俺の盾は今度こそ内側から、精神から砕けてしまう)


彼は大型盾を拳で叩き、自分自身に強力な暗示をかけた。かつて故郷を焼いた魔生物の咆哮と、目の前の平和な村の静寂が、頭の中で激しく交錯する。


「不動の盾」としての無機質な仮面を被り、彼はレオリナの住む家を見据えた。その瞳には、かつて理不尽な力の摂理に抗おうとした少年の面影はなく、ただ、大義という名の泥濘にまみれた、一頭の傷ついた「熊」の覚悟が宿っていた。


勇者・熊。彼の物語は、自らの存在意義である「守護」を、自らの手で汚し、解体しなければならないという、因果の迷宮へと深く踏み込んでいく。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ