残される側の時間
余命一年。
その言葉は、最初は遠い噂のように広がった。
公爵令嬢リリアーナ・エヴァレット。
病弱。
長くは生きられないらしい。
社交界の人間は、他人の不幸を丁寧に扱う。
あからさまに騒ぎ立てたりはしない。
その代わり、静かに距離を変える。
「お加減はいかがですか?」
「無理はなさらないでくださいね」
「お可哀想に……」
向けられる言葉は優しい。
だがその実、そこにあるのは“終わりが決まった存在”への扱いだった。
リリアーナは、それを理解している。
だから何も思わない。
会場の隅で紅茶を口にしていると、数人の令嬢たちの視線がこちらに向く。
興味。
同情。
警戒。
混ざり合った視線を、彼女は静かに受け流した。
「以前より、お痩せになりました?」
「そうかもしれないわね」
「でも、お顔色は良く見えますわ」
「ありがとう」
会話は穏やかだ。
だが、その実態は確認作業に近い。
――まだ生きているのか。
――あとどれくらいなのか。
誰も口には出さない。
けれど空気が語っている。
リリアーナは、それを責める気にはなれなかった。
人は、終わりが見えているものに対して、どう接すればいいか分からなくなる。
だから「優しく」なる。
それは悪意ではない。
むしろ自然な反応だ。
「少し、お休みになった方が……」
「大丈夫よ」
リリアーナは微笑む。
その笑顔を見て、相手は安心したように息を吐いた。
安心。
その感情の正体を、彼女は知っている。
“思ったより元気そうでよかった”。
つまりそれは、「死」を基準にした安堵だ。
その瞬間、ふと視線を感じた。
少し離れた場所。
アーシュがこちらを見ている。
彼は輪の中に入ってこない。
だが、視線だけは逸らさない。
リリアーナは小さく息を吐き、カップを置いた。
「少し風に当たってくるわ」
そう言って席を離れる。
誰も止めない。
止められない。
庭園に出ると、冷たい空気が頬を撫でた。
ようやく静かになる。
社交界は疲れる。
騒がしいからではない。
皆が“優しすぎる”からだ。
「逃げたな」
背後から声がした。
振り返らなくても分かる。
「追ってきたの?」
「偶然だ」
「その言い方、便利ね」
リリアーナが言うと、アーシュは否定しなかった。
彼は隣に立つ。
だが近すぎない。
沈黙が落ちる。
その沈黙を、リリアーナは嫌いではなかった。
「皆、あなたに優しいわ」
ふいにアーシュが言った。
「そうね」
「嫌か?」
リリアーナは少し考えた。
「……嫌というより、疲れるの」
「どうして」
「“死ぬ人間”として扱われるから」
静かな声だった。
感情は強くない。
ただ事実を並べているだけ。
「生きている間は、まだ私なのに」
その言葉に、アーシュは何も返さなかった。
返せない。
きっと、正しい言葉が見つからないのだ。
リリアーナはそれでよかった。
分かったふりをされるより、ずっといい。
「あなたは、変わらないのね」
彼女がそう言うと、アーシュは少しだけ眉を動かした。
「何が」
「見る目」
周囲はもう、“終わる人間”として彼女を見る。
だが彼だけは違う。
死を無視しているわけではない。
同情もしない。
ただ、今ここにいるリリアーナを見ている。
「変える必要がない」
アーシュはそう言った。
その答えに、リリアーナは少しだけ目を伏せる。
変える必要がない。
それはきっと、彼なりの誠実さだった。
けれど同時に、残酷でもある。
変わらないまま見続ければ、
最後に取り残されるのは彼だからだ。
リリアーナは空を見上げる。
薄く伸びた冬空。
その向こうに未来はある。
でも、そこに自分はいない。
「それは、あなたが残される側だからよ」
小さく零した言葉は、風に溶けた。
アーシュは聞き返さなかった。
ただ静かに、隣に立ち続けていた。




