穏やかに笑うお面─1
喧騒の絶えない冒険者ユニオン。掲示板に張り出された依頼に群がる者や酒場で呑気にお酒を飲む者、冒険者登録して喜んでいる新人。それぞれの声がユニオン内を満たす。そこの受付に小さな女の子が木の箱の上に立っていた。
彼女の名は──ラエナ・バリエナ──上から二番目のサウギキョウという階級に属する冒険者である。
人より背丈が半分しかない彼女はハーフリングと呼ばれる種族。コンプレックスはもちろん、背の低さである。
そんな彼女に、受付嬢は分け隔てない瞳をして受付カウンターの上に1枚の羊皮紙を差し出した。
「こちらが指名依頼の内容となっています。ご確認ください」
ラエナはそれを受け取って目を通す。
「……護衛ですか」
「はい。ここ王都ケルコスからリュッケンシルト帝国の帝都エリオウスに向かわれるレオノお嬢様の護衛依頼となっております」
なぜ指名されたのか。今まで指名されたことのないラエナは不思議に思った。それも、経験の少ない護衛依頼だ。しっかりと役目を果たせるのか、そう不安があった。しかし、指名依頼は冒険者ユニオンの信頼に大きく関わること。断ることは滅多にできない。だから彼女はこの依頼を引き受けた。
依頼を引き受けたあと、ラエナは、とある豪邸の庭に来ていた。
一面芝生で覆われた庭で、奥に魔法建築で建てられたであろう芸術的な形をした建物が聳えていた。その手前には豪勢な馬車が用意されていた。
ラエナは馬車のところまで歩いた。歩幅は狭いが、そこは歩くスピードで補う。
すると、桃色の長髪を優雅に靡かせた可愛らしい少女が立っていた。髪色と同じドレスを身につけて、ドレスの端を掴んでお辞儀した。
「初めまして。今回ラエナさんに依頼をしましたレオノです」
顔を上げた彼女は満面の笑みでラエナを見つめる。無垢という言葉が似合う少女だ。
「私はラエナ・バリエナ。気軽にラエナとお呼びください」
「わかりました、ラエナ。それにしても、ハーフリングはやはり小さいのですね」
「むっ……もしかして物珍しさから私に依頼を?」
小馬鹿にされたようで嫌な気持ちになったラエナの口調は少し強かった。そのことに気づいていないのか、笑顔を絶やさないレオノは言う。
「そんなことではないです。デュラハン討伐の噂を聞いて、ラエナに依頼してようと決めたのですから」
デュラハン討伐の噂? デュラハンことゴッドソード殿のことだろうと考えたラエナだが、どんな噂が広がっているのかまではわからなかった。
「噂とは何ですか?」
「まさか知らないんですか」
レオノは驚いていた。彼女のまんまるな目にラエナの姿が反射する。
「20名ものサウギキョウの冒険者が帰って来ない中、デュラハンを討伐して無事に帰って来たじゃないですか」
「え?」
噂がねじ曲がっている。ラエナは真っ先にそう思った。そもそも、デュラハンは討伐していない。どこからそんな真実味を持たない噂が広がったのだろうか。それを信じて目を輝かせるレオノを見た。
「私は、デュラハンを討伐していません」
間違った噂を本人が肯定することはできない。ラエナはハッキリとそう言った。しかし、謙遜していると捉えられたのかレオノは笑った。
「そんなに謙遜しなくてもいいんですよ」
「いや、謙遜ではなくて真実なんですが……」
信じてもらえそうにない雰囲気だが、嘘で有名にされても困る。討伐はしていないものの、デュラハンであるゴッドソードは冒険者として登録。脅威が去ったことは間違いない。ただ、それを言っても信じてはくれないだろう。どう誤解を解こうか考えていると、レオノに客車に乗るよう促されてしまった。
結局、噂を否定することは叶わなかった。
「帝都エリオウスで舞踏会が開かれるんです。私はそれに参加したくて、お母様やお父様を必死に説得したんですよ。その時にラエナのことを言ったら許してくれました」
「そ、そうなんですか」
ラエナは苦い顔をした。
「ここ最近、お面を被った怪しい人物が目撃されていて、そのせいでお母様もお父様も反対していたのですが、こうして舞踏会に参加できたのでラエナのお陰です」
レオノにそう言われ、ラエナの顔は引きつった。まさか根も葉もない噂を信じてしまうとは……。
精巧に作られた客車は揺れない。車輪が拳ほどの大きさの石に乗り上げても水平に保つ仕組みになっているので、体重の軽いラエナのお尻が浮くことはない。
ラエナ、レオノを乗せた馬車はフォッグ大森林にやって来た。中でも霧の薄いところを馬車が走る。
すると、走行していた馬車が前触れもなく止まった。そのことにラエナは何事かと客車の扉を開ける。
「おいおい小人が出て来たぞ」
「雇った冒険者ってあれか? 弱そうだな」
「はっはっはっ、言ってやるな。可哀そうだろう」
数十名の厳つい男たちがラエナを見て怪しい笑みを浮かべていた。各々、剣や槍など得物を構え、鋭い目付きを向けている。見るからに盗賊だった。それだけじゃない。盗賊の中に御者もいた。
「仲間だったのですか!」
「いえいえ。ただ、それ相応の見返りがあっただけですよ」
膨らんだお腹が揺れる。
「目の前の欲に目が眩んでしまっただけじゃないですか」
「なんとでも言えばいい。どうせこの状況は変わらないですからね」
「そうだぜ。大人しく捕まるなら痛い目に遭わなくて済むぜ」
ナイフを持った盗賊が切っ先をラエナに向ける。
それで怖がらせようとしているのであれば浅はかです。ゴッドソード殿の方が迫力がありました。
「──バリア・ウォール=障壁!」
ラエナは、レオノを守るため障壁を展開──しようとしたのだが、それよりも体の感覚がなくなりつつあることに気がついた。そのせいで、障壁を展開するだけの魔力を保つ力を失い、魔法は失敗してしまった。
「……体が……」
体に力が入らず、意識が朦朧としてくる。
「やっと効いてきたみたいだな」
そう言った盗賊の手には、黄色い花の束が握られていた。
「それは……アネ、ス……」
「アネスシージャ。この花から香る匂いは麻酔効果がある。でも、それは体の小さなハーフリングにしか効果がないとされてる。まったく不便な種族だよな」
盗賊の声は微かに聞えた。だが、全てを聴き取ることはできなかった。そして、意識は闇の中へ。