5_9 遠方より友来たる
「オデット――――!」
女騎士が、驚きと喜びが混じった歓声を上げた。
「あはは、びっくりした?」
悪戯っぽく笑いながら、シスターが腕を開く。
ファム・アル・フートがその間に飛び込み、自分よりも小柄な親友を抱きすくめた。
「久しぶりです!また会えて本当に嬉しい!」
「大げさだなぁ、お前さんが出発してからまだ一月も経ってないのに」
お互い身を寄せると、本当にごく自然に抱き合って背中をさすり合う。
白昼堂々美女二人の肢体が絡み合う様はなんだか背徳的に思えて、ミハルはどぎまぎとした。
「で、でもどうして”エレフン”に!?」
「お前さんのお目付け役……というより、支援係を拝命したのさ。トスカネッリの旦那に頼み込んで、”エレフン”に来るお許しをお偉いさん方から頂いてもらったってわけ」
「なんと!こ、心強い限りです!」
「つっても、報告に戻らないといけないから長居はできないんだけどね……。いやー、でも元気そうな顔が見られてお姉さんは嬉しいぞ♪」
二人は白い歯を見せあいながらそれぞれの背中を叩き合った。
「…………」
ごく至近距離で睦みあう女騎士とシスターを見て、ミハルの心に何かちくりとするものがあった。
ささくれが皮膚に引っかかったような、小さくこそばゆい痛み。
それが見慣れない風習に対する忌避感なのか、女騎士が自分のことには目もくれない疎外感なのか、シスターに対する嫉妬なのかも判然としないうちに。
「むむっ?かわいい子はっけーーーん!」
ファム・アル・フートの肩越しにこちらを見やった黒いヴェールが、ぱっと悪戯っぽくひるがえった。
女騎士を周りこむようにして、大股に少年の目の前まで迫ってくる。
「何この子、顔きれい―っ!」
「うわわわっっっ!?」
「あたしより美人とは許せーん。罰として抱きしめの刑だ―――っ、このこのっ!」
ぱっと猫科の動物が獲物に飛びつくかのように、大きく両手を広げて抱きすくめられる。
咄嗟のことにどうしたら良いのか分からない少年をハグしながら、その耳元でどこまでも明るい声でささやいてくる。
「あたしオデット。これでも一応シスターで、ファム・アル・フートの同僚で先輩でマブダチ」
「わっ、わっ!」
「ファム・アル・フートの知り合いなら、私とも仲良くしてくれると嬉しいなーって」
ミハルの鼻腔に少し抹香臭い匂いが立ち込めた。どうやら修道着に沁みついた乳香の残滓らしい。
顔のすぐ下に柔らかい二つの女性の象徴をゼロ距離で押し当てられて、少年の思考と判断力は遥か彼方へ吹き飛んでいった。
その様子を見て、ファム・アル・フートが少しだけ眉間に皺を寄せる。
「オデット。やめてあげてください。照れています」
「あはは、メンゴメンゴ。なんか寂しそうにしてたからさぁ」
「…………」
苦笑しながら拘束を解き、ぽんぽんと肩を叩いてくるシスターにミハルは赤面するばかりで何も言えなかった。
「ところでこの子、誰?アンタの友達?」
「私の夫になる人ですよ」
「へ?」
笑顔を絶やさなかったシスターの表情が固まる。
「……つまり?」
「神造裁定者から選ばれ”ファイルーズ”が見定めた祝福者です」
「……」
絶句が続く。
シスターはたっぷり五秒の間、熟考して言った。
「…………結婚相手なのに女の子だったの?」
「そう言いたくなる気持ちは分かりますが本人の目の前ではやめてあげてください」
――――――。
「……”エレフン”の家って、どこもこんな風に風情がある造りなのかい?」
「ね、狭くて天井が低くて木と紙でできてて頼りないでしょう?」
「歯に衣着せろ」
他に行くところもないので、ミハルはとりあえずシスター・オデットを自宅へ招くことにした。
学校の近くをうろつかれて本当に不審者になってしまっては厄介なことになるという計算も働いたが、ファム・アル・フートの喜びようを見ては邪険に扱うことはもうできなかった。
靴を脱いだまま上がることにオデットは戸惑ったようで、玄関口で多少時間がかかる。
「ところでオデットはどこに泊まっているんです?」
「うん?昨日は、親切な良い男のと・こ・ろ♪」
「また貴方はそういう……!こ、子供の前ですよ!!」
「?」
赤面してあわあわと手を振るファム・アル・フートの奥で、ミハルは意味が良く分からず怪訝そうに眉をしかめた。
「すぐにお茶を入れますね」
「待った待った。私が用意してあげよう」
「そんな、ゆっくりしていてください」
「せっかく聖都の特級葉をおみやげに持ってきてやったんだぞ?ありがたくいただけって」
和気あいあいと言いながら、美女二人はこぞって台所を目指していく。
「…………」
嬉しそうに弾むその背中を見送って、ミハルの心の中にまた陰が差した。
ファム・アル・フートがあんな風に屈託なく笑うのは自分の前くらいだと思い込んでいた。いや、思いたかった。
昔からの友人がいたことは話には聞いていても、こうして目の前にすると積み重ねた時間の差を否応なく思い知らされてしまう。
(考えてみたら当たり前なんだよな)
ファム・アル・フートは独立した一人の人間で、相応の過去と思い出があり、そのほとんど全てを自分は知りえない。
知りたいという思いがないわけではなかったが、同時に聞くことの潜在的な恐ろしさは無視しかねるものがあった。
何せ彼女は異世界から来たのだ。
生まれも環境もまるで違う人間の過去を知ることが、どんな風にその人間に対する評価を変えるのか少年には想像もつかない。
それが自分の意や良心に添わぬものであったとき、果たしてファム・アル・フートに対して前と同じ態度でいられるのだろうか。
少年は確信が持てない自分に少し苛立ちを持った。
――――――。
「……この子ったら、会ったときは本当に生意気でさぁ」
「若気の至りです。そんないじくらないでください」
「もう、酷いのなんの。四面四角で敵作りまくって。プライドが高いお貴族様だらけの騎士団の中でやっていけるのか不安でしょうがなかったよ、正直」
「な!オデットだって素行不良で叱られてばかりだったでしょう!」
客間に軽食とお茶が運ばれてきて、茶会が始まった。
といってもミハルはほとんど聞いているだけで、ファム・アル・フートとオデットが思い出話に花を咲かせるのが話題の中心となっている。
「”エレフン”でも上手くやれてんのか不安でさ、お姉ちゃんは心配でロクに眠れなかったよ」
「ちゃ、ちゃんとこうしてやれているではないですか!」
「そこんところどうだったの?ねえ教えて、祝福者サマ?」
一瞬誰のことか分からなかったが、肘をテーブルについたシスターがいたずらっぽくウインクしてみせたのを見て自分に話を向けられたのだとミハルは悟った。
「俺が会ったときは、ゴミ箱漁って食べ物落ちてないか探してた」
ここぞとばかりに、敢えて努めて平静な声でミハルはとびきりの反撃に出た。
「ぶっ!」
「ミハル!し―――っ!し―――っっ!!」
シスターは思わず傾けかけたカップのお茶を噴き出し、ファム・アル・フートは顔を真っ赤にしながら口の前に指を立ててくる。
「どうして言ってしまうんですか、そういうことを!」
「騎士は偽証しないんじゃなかったっけ?」
「言わずとも良いことがあるでしょう!ああもう……どうしてそう大人げないのです!」
「ぷっ、くくくくく……!」
口元を抑えて全身を震わせて笑いをこらえるシスターの横で『この人にだけは聞かれたくなかった』と女騎士は頭を抱えた。
「……お前さん、そりゃ相当だわ」
「なんですかオデットまで!」
「事実じゃん」
「い、異議あり!それは初対面の時ではありません!初めて会った時喧嘩から貴方を救って差し上げたでしょう」
「決闘しろって煽ってなかったか……?」
羞恥に拳を固める女騎士の横で、シスターはとびっきりのネタを仕入れたとばかりにほくそ笑んでいる。
「もう……こんなことでちゃんと家庭を築いて良い父親になってくれるのか、私は将来がとても不安です」
「勝手に決めるな」
「まあまあ、五年後が楽しみな男の子じゃない?ねえ、祝福者サマ?」
にこにことシスターが笑みを浮かべる。
友人をいじくるのとは違い、悪気も稚気も感じられない素直な笑顔だ。
「いやー、本当安心した!ファム・アル・フートにこんな風に仲良くしてくれる男の子がいてさ」
「な、何を言うんですオデット。私は……」
「この子異性との付き合いなんかほとんどないのと一緒だったからさぁ。迷惑かけたでしょう」
「まぁ……」
これまでのことを思い出し、ミハルは言葉を濁しながらも同意せざるをえなかった。
「仲良くなってくれて本当にありがとう」
「……」
「脂ぎったおっさんとか悪い男に騙されてるんじゃないかと不安で仕方なかったよ。こんな人の良さそうな子で良かった」
「ちょっとほめ過ぎではないですか、オデット?」
真正面から大人の女性に感謝を受けるという初めての体験に少年がはにかんでうつむき、女騎士が少し唇を尖らせたところで。
「おや、お茶が進んでないね?」
オデットが目ざとく、注がれたときのままになっているミハルのティーカップに目をつけた。
「ささっ、冷めないうちに遠慮せずにぐいっと」
「あ、はい。いただきます」
本当は礼儀正しく音を立てずに飲む自信がなくて控えていたのだが、こう勧められては従うしかない。
「お味はいかが?」
「ちょっと薬っぽい匂いがしますけど、美味しいです」
「礼儀正しい良い子だねぇ」
言葉に嘘はない。独特な香気が気にはなかったが、少しだけ苦みの混じった奥の深い味わいを少年は美味と感じた。
「……」
「だからほめ過ぎですよ、オデット」
「えー、もしかして妬いてんの?」
肘をつつき合う二人を見て、ミハルはこんな風に賑やかにお茶を飲むのは何年ぶりだろうと思った。
この家で自分が和気藹々とお茶ができたことなぞ、祖母が亡くなって以来のことではなかったか。
(……おっと)
居心地よく感じてきたせいか、まぶたがじんわりと重くなっていた。
日曜日に朝寝を決め込むのが普段の習慣だから、午前中から歩き回って体が眠気を訴えているのかもしれない。
眠気覚ましのつもりでカップに残ったお茶を一息にあおる。
(……なんだろ)
ゆっくりと体から力が抜けていく。心臓の鼓動がいつもよりスローモーに感じられた。
(……変だ)
心地よいのに、言い様のない違和感がある。
いつもは居眠りするときは手足の末端にぽかぽかと何ともいえない幸福な温かさを感じるのだが、逆に冷たく固く強張っていくようだ。
猛烈な勢いで頭の回転が鈍くなっていくのに、それを自覚することもできない。
(そういえば。なんで。普通。この人。俺と喋れてるんだろ……?)
たしか、ふぁむがかいわできるのは、よろいのファイルーズがつうやく……。
――――――体の反応が急に緩慢と化し、頭に猛烈な勢いで白い霧がかかっていった。
急速に思考が曖昧になり、内面と外界の区別があやふやになっていく。
自分が眠りに落ちていることも明確でないまま、ミハルの意識は途切れた。
――――――。
「ミハル?ミハル!」
空になったカップの上に倒れ込むような勢いで急速に意識を失った少年の様子に、ファム・アル・フートは血相を変えた。
すぐに席を立ち、傍によって揺り動かす。
が、規則正しい寝息は一向に途切れない。あまりに不自然なほどの速度で深い眠りにまで落ちているのは明らかだった。
「どうしたんですか、まさか急に気分が悪くなったとか?た、大変です!医者!お医者様を!」
この様子は尋常ではない。
言い知れぬ不安が見えない手となって心臓を撫でたように、ファム・アル・フートは自分でも驚くほど余裕を失っていた。
「大丈夫、慌てなくても心配ないって」
狼狽する女騎士に、シスター・オデットが努めて穏やかな声で呼びかけた。
「え?」
「あと半日は薬の効き目が続くから」
亜麻色の修道女は、カップを緩く傾けながら小さな笑みを浮かべた。




