エピローグ(後)
――――――至る、現在。
家庭訪問に対処するべく台所で準備を始めたミハルを、まだ不満そうに唇を尖らせたファム・アル・フートの視線が射抜いていた。
「小細工を弄するよりはっきり言えば良いではありませんか。『先日結婚しました』と」
「この国じゃ15歳の高校生男子は結婚できないの!前にも言ったろ!」
「しかし『未成年であってもお互い婚姻の意思を持って同居していれば事実婚として認められる』と聞きましたよ」
「どうしておまえはそう、自分に都合の良いことだけものすごい勢いで吸収するんだ……?」
ミハルはうんざりとした目になって、来客用の新しいお茶っ葉を出していた手を止めた。
「とにかくしばらくしたら先生が来るから。日本語分からないふりして黙ってろ。或いは"ファイルーズ"に腹話術してもらえ」
「私よりも"ファイルーズ"の方を信用するんですか!?」
「せざるを得ないだろ」
何を当たり前のことを、と肩をすくめる。
女騎士は納得いかない様子で
「私だって役に立つところを見てもらいたいのです!」
とまくし立てた。
「それはまた次の機会に頼む」
ミハルはやや片頬を引きつらせて応じた。
言い切ったときのファム・アル・フートが……一体いつ新調したのかミハルは知らないが……腰の大剣をガチャリと鍔鳴りさせたのが少年の危機意識を高めていた。
「……表を掃除してきます!」
憮然として、ファム・アル・フートはガチャガチャと鎧の音を立てながら玄関の方へ歩いて行った。
これでいい、とミハルはポットのお湯を確かめながら思った。
しばらくはファム・アル・フートの機嫌が悪くなるかもしれないが、学校から追及をかわせるなら安いものだ。
高い入学金を折角支払ってもらって入ることのできた私立の進学校で評価に傷をつけるわけにはいかないではないか。
(それにしても……)
「……できるんだ、子供でも事実婚なら」
ファム・アル・フートから思わぬ形で知らされた意外な日本の法律の抜け道に、思わず頬が緩んでしまった。
「へーえ……」
呟いてから、慌ててバッと口を両手で抑える。
(一体何考えてんだ!?)
一瞬でも『悪くないかも』などと思ってしまった自分が情けなくて恥ずかしくて、誰かに見られてはいやしないかと咄嗟に誰もいない台所の中を見渡してしまう。
「ミハル――ー! ちょっと来てください!!」
なので、表から甲高い声で名前を呼ばれたときは大きく肩を震わせて驚いてしまった。
「い、今行く!」
羞恥心を胡麻化すために引きつった声になった。妙に嬉しそうな調子だ。庭でヘビでも見つけて晩御飯のおかずが手に入ったと喜んでいるかもしれない。
もうすぐお客が来るのに……と思いながらも、隠し事をしている人間特有の後ろ暗い勤勉さでミハルは玄関を出た。
「一体何を……」
「見て下さい!手柄首です!」
「ぶっ!?」
胸あたりまでの高さの垣根を乗り越えるようにして、ファム・アル・フートの両の手甲が通行人を掴み上げていた。
体型から見てスーツ姿の女のようだ。喉首を締め上げられて即失神したようで、口元からは透明な泡混じりの涎を垂らしながら驚愕の形に顔を歪めたまま意識を失っている。
「この者が往来からこそこそと我が家の邸内を覗いていました! 話に聞いた先日の誘拐犯の一味やもしれません。捕えて尋問しましょう!」
(とうとう一般人に犠牲者が出ちゃった!?)
飼い犬が突然通行人に噛みついた時の飼い主と同じ表情になって駆け寄ったミハルだが、黒髪の女性の顔を一目見るなり再び仰天しそうになった。
「私がいる限り、どんな暴漢や匪賊の手からもあなたを守ってみせます! ね、役に立つ奥さんでしょう!?」
「それ、うちの先生……」
「えっ」
震えながら黒髪の古典教諭を指さしたミハルに対して、ファム・アル・フートはたっぷり一秒ごとに交互にミハルと哀れな女教師の顔を見やった。
すぅっ、と形の良い唇で息を吸い込んで一言。
「これは安全保障上必要な措置でした」
「うっさいわ!」
ルンピニーで三階級を制覇した往年のムエタイの名選手・サムゴー=ギャットモンテープばりの正確なフォームで繰り出されたミドルキックが、ファム・アル・フートの大きめのお尻に打ち当てられた。
その痛みと衝撃に教諭の襟首をつかんだまま、女騎士はよろめいて垣根の枝葉を揺らす。
「ど、ドメスティックバイオレンス!!」
「やかましい!どこで覚えてきたそんな単語!?」
涙目混じりの抗議を一蹴する。
「どうするんだよ、おい! 家庭訪問で教師締め上げて気絶させるなんてこと普通あるのか!? 下手したら暴力事件で俺退学だよ!?」
垣根越しの女教諭の体を庭に引き上げながら、『退学』という言葉にぴくんと女騎士の体が反応した。
「洒落になってないって! 下手な言い訳とか小細工とか通用しないぞ!?」
「分かりました、では弁解や小細工はやめて証拠ごとこの者をこの世から消し去りましょう」
「0か1しかねーのかおまえは! 超アナログのローテクな世界出身の人間のくせにデジタルな考え方しやがって!」
敷石に下ろされた教諭の体との間に泡を食って割って入る少年に対して、女騎士は小首をかしげた。
「何故です? "アルド"に連れていけば、"エレフン"の官憲には見つけようがないのでは?」
「完全犯罪を思いつくな! 誘惑されそうになるだろ!?」
こんなときばかり冴えた頭しやがって、とミハルは自分の運命を呪いたくなった。
<<……戦術を提案する>>
頭を抱えてかぶりを振り出した少年を見かねたのか、平板な声が割って入ってくる。
鎧の精霊……と女騎士は思っている……"ファイルーズ"だ。
<<当機の機能を一部応用して、対象の短気記憶を操作することが可能である>>
「マジで!本当!?」
そんなことまでできるのか、とミハルは目を見張った。
「それって普通にすごくない!? ……ああ別におまえは褒めてないからドヤ顔はしなくて良いぞ」
「私の鎧ですよ!?」
「ど、どうやんの? やっぱりファンタジーの魔法か何かで……」
<<電気ショックによる海馬体への直接刺激>>
「……は?」
言うが早いか女騎士の手甲はひとりでにさっと動くと、女教師の頭を両手で鷲掴みにする。
「……!!」
驚愕の表情のまま、女教諭の全身は死にかけのセミのように細かく激しく振動を始めた。
ストッキングと高めのヒールで覆われた足があらぬ方向へと跳ね上がり、ブランドものらしいスーツに包まれた袖がでたらめなダンスを開始する。
「ねえこれ大丈夫か!?見た目は超絶ヤバイんだけど大丈夫か!?」
<<電圧は抑制してある。大脳新皮質にファイリングされる前の短期記憶をリセットする>>
「思ってたのと大分違うんだけど!?」
<<術式終了。期待に沿えなかったことは残念である>>
平板な声が無感情に言い切ると、女教諭の痙攣はぴたりと止んだ。
「……大丈夫? 先生、まだ生きてる?」
<<生命バイタルに異常はない>>
「本当かよ……」
愕然と唇を震わせるミハルを前に、女教諭を横抱きにして抱えたファム・アル・フートは得意げに口元を吊り上げた。
「ね、役に立つ妻でしょう?」
「間違ってる……こんなの絶対間違ってるよ……」
ふらふらとよろめきながら、ミハルは布団を敷いて介抱するべく邸内へと戻っていった。
お付き合いいただきありがとうございました。
回収できていないところはたくさんありますが、この二人の話は一旦これにて終了です。
シーズン2(?)は色々用意して九月中には始められたらと思っています。
進捗等は活動報告でお知らせするつもりです。




