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劇薬の夏空  作者: 最上優矢
終章 劇薬の夏空

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45/46

6-1

 八月二十八日、金曜日。

 ふだん通りの学校生活を、ぼくは送っていた。

 ふだん通りでないのは、教室に瑠璃さんがいないことだ。

 さらに、ふだん通りだったのは――工藤博行校長が、我が楠木高等学校の校長を続投したことだ。

 なぜ、あそこまでの失態をやらかした工藤校長が、校長のままでいられるのか? ――それは謎のままだ。

「聞いたよ、鬼羅くん。瑠璃さん、きょうから学校来るんだって? まだ授業が始まる前だから、もうすぐかな?」

 相棒の雷塔、彼は屋上の手すりにつかまり、心地よさそうに、日光を体に浴びていた。

 ぼくは屋上から見渡せる風景から目を離さずに、「ああ。きのう、病院から退院したらしいな。来るとしたら、もうすぐだろう」と答える。

「あの日々、あれは一体どれほどの貴重なものだったんだろうね……」

「ぼくらが過ごした日々のことか? そりゃあ――」

 かけがえのない日々だったのだろう。

「きっと、あの日々は大人になっても、忘れられない日々になるさ。その日々は、ただの石だった、なんてオチにはならないよ。たぶんな」

「ふむ、そうだといいけどね」

 それ以降、雷塔は黙りこむ。

 おそらく、誰かが屋上に入ってきたから、彼は黙ったに違いない。

 そのときだ。

「真田鬼羅くん、古屋雷塔くん、だね?」

 なんだか、聞き覚えのある渋い声だ。

 ぼくらは振り返り、同時に「あっ!」と叫んだ。

 ぼくらの目の前には、工藤校長がいて、その後ろには……瑠璃さんがいた。

「これは工藤校長……校長就任、おめでとうございます」

 見事なまでに、意味不明なことを口走る、雷塔。

 すると、工藤校長は豪快に笑った。

 それでようやく、ぼくらは緊張が解け、工藤校長とともに笑った。

 工藤校長の後ろに控えている瑠璃さんも、クスクスと笑う。

 やがて、工藤校長は本題に入った。

「きみたち生徒の手で、これを解決してほしい――これはあのとき、わたしが言った言葉だ。その言葉は、わたしの本心であり、願いだった。そして、きみたちは、この願いをかなえてくれた。……わたしは、きみたちに感謝をしている。そして、すまなかった。このような無理難題を、教え子に押しつけるとは、わたしは、なんたる大人か!」

 どうやら、工藤校長は、今回の『魔人騒動』について、ずいぶんと反省しているようだった。

 だから、解決した当の本人であり、元凶であるぼくは、

「無理難題ではないですよ。現に、ぼくらは、この問題を解決しています。それに……」

「それに?」

 ぼくは工藤校長の瞳を、まっすぐ見て、こう話をまとめた。

「すごく思い出に残りましたから……いいんですよ」

 工藤校長は納得したように、大きくうなずく。

「これも、教え子が、またひとつ成長したのだと、わたしは受け止めよう」

 工藤校長は一礼し、この場から離れようとした。

 その工藤校長を、雷塔は呼び止める。

「あのとき……演台のマイクが切られたとき、あなたは、なんとおっしゃろうとしたのですか? わたしは、きみたちを――」

「信じている……わたしは、きみたちを信じている、だよ」

 それを聞いた雷塔は、工藤校長に深々と一礼する。

 工藤校長は、ほほ笑むと、静かに屋上から立ち去った。


「さて……ぼくはきょうの授業について、予習でも、しようかな」

 わざとらしい理由で、雷塔は屋上から離れようとする。

 おそらく、これは雷塔なりの気遣いなのだろう。

「退院、おめでとう!」

 屋上から出る間際、そう雷塔は、大声を上げてみせた。

 そうして、今度こそ、彼は屋上から出ていった。

 こうして、ぼくは瑠璃さんと二人きりになった。

 ぼくが黙りこんでいると、瑠璃さんのほうから、話しかけてくれた。

「鬼羅くん……助けてくれて、ありがとうね。わたし、とてもあなたに感謝しているの」

 どうやら、あのときのお礼のようだ。

「まあ……何はともあれ、瑠璃さんが無事でよかったよ」

「うん。本当にね、ありがとう」

「いやいや」

 それで、会話が途切れた。

「…………」

 真田鬼羅、お前は瑠璃さんに言うことがあるんだろう? それを言うんだ!

 そう自分を鼓舞してみたが、ついにぼくは、その言葉が言えなかった。

 代わりに、瑠璃さんが口を開いた。

「さて! わたしは鬼羅くんのこと、好きになっちゃったよ? そしたら……勝負、どうしようか?」

「ぼくのことが好きって……え?」

 ぼくは呆然とする。

 そして、理解する。

 ようやく、ぼくの恋は実ったのだ。

 瑠璃さんは、ぼくのことを好きになってくれたのだ!

 一瞬、ぼくは舞い上がってしまったが、すぐに平常心を取り戻す。

 ようやく、ぼくは例の言葉を言う踏ん切りがついた。

「瑠璃さん」

「……うん」

 ぼくらは見つめ合う。

 見つめ合うほど、お互いの目に、涙が浮かぶ。

 ぼくは流れ落ちる涙を、そのままにし、静かに――だが、それでも力強く言った。

「もう勝負は関係ない。約束、しただろう? ぼくの願望がなくなって、瑠璃さんがぼくのことを好きになったら、ぼくらは付き合うって……約束しただろう? ――瑠璃さん、好きだ」

「鬼羅くん……」

 うっとりとする、瑠璃さん。

 そのうち、ぼくらの顔の距離は短くなり、どんどん短くなり――ついに、ぼくらは口づけを交わした。

 それは、儚く甘いキスだった。

 長いようで、短いキスを終え、ぼくらは思い出したように抱き合った。


「もう、自殺とかいうキーワードは、こりごりさ」

 抱き合うのをやめたぼくらは、屋上から見渡せる風景を眺めていた。

 見渡せるこの街、それは、どこまでも愉快で、どこまでも痛快だった。

 すると、瑠璃さんは笑った。

「両目で見る鬼羅くんは、やっぱりかっこいいね」

「ふふん……え?」

 ぼくは風景を眺めるのをやめ、瑠璃さんを――瑠璃さんの左目を凝視する。

「どうしたの?」

「……いつ、左目の視力が戻ったんだ?」

 ぼくが驚くのも、無理はない。

 なぜって、瑠璃さんの左目の視力は、とうに失われ、その代わり、闇を視ることのできる能力が、その左目には視えていたはずなのだから。

「気づいたときには、もう戻っていたよ。それと同時に、左目の闇を視る能力も、もう視えなくなって……確かそれは、わたしが自殺をするって、あのとき、周囲に叫んでいたときかな?」

 そのときといえば――。

「なるほど、優香里さんが、成仏したあとのことか」

 瑠璃さんは目をむき、仰天した。

「え! 鬼羅くん、『魔人』を成仏させたの? それはいつ?」

 ぼくは意地悪く、笑ってみせた。

「おっと、優香里さんのことを『魔人』って呼ばないように! だって、優香里さんは優香里さんなんだからね」

「なんですって?」

 さらに、瑠璃さんは動揺する。

 ギャアギャアとわめく瑠璃さんを、すっかり忘れ、ぼくは空を見上げた。

 そこには、いつもと変わらぬ夏空が――劇薬の夏空が、ぼくらを見下ろしていた。

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