第三章③
西暦二千何年かの十二月二十四日のクリスマス・イブの錦景女子高校の図書室は通常日常平常運転だった。齢十六の森村ハルカはこの日の放課後、夜の六時まで図書室のカウンタにいなければならなかった。つまり図書委員の当番日。隣に座るのは図書委員長の真田カナエ。当番はハルカ一人のはずなのだが、今日もいる。図書室に住まう魔女としてのキャラクタを確立させたのはハルカだったけれど、カナエの方が図書室にいる確率は高い。本のことだってカナエの方がハルカよりもずっと読んでいるし、知識も豊富だった。でも彼女が魔女扱いされないのは、セミロングの髪の色が茶色で、顔立ちが子供っぽくて、性格が明るくて、背が低いせいだと思う。
「でも驚いた、魔女にまさか、」カナエはハルカのことを魔女と呼ぶ。カナエは錦景女子にあってハルカの本当のキャラクタを知っている数少ない女子だ。もちろん、ハルカのことを本当の魔女だなんて思ってはいないだろうけれど。「妹がいたなんてねぇ、なんていうか、ビックリだぁ」
カナエの視線の先には岡本マミコトがいて、本棚の間で、歴史書を捲っていた。今日もマミコトはユナイテッド・メディセンズのマミコトだってばれないように、三つ編みに眼鏡を掛けていた。ハルカはカナエにマミコトが妹だと嘘を付いていた。妹であるならば、今夜講堂で開かれるパーティに出席しても問題ないからだ。
「コハルカちゃんねぇ、」カナエは風景画を描くときみたいに両手をL字にして枠を作り、マミコトをその枠の中に入れた。「可愛いじゃん、魔女よりもなんていうか、可愛い気があるね、コハルカちゃん」
「コハルです、コハルカちゃんじゃなくて」
「でも、前、一人っ子って言ってなかった?」
「そうでした?」ハルカはとぼけ、図書カードを整理する。「そのときは嘘を付いたのかもしれませんねぇ」
「実は岡本マミコトだったりして」カナエは小さく言う。
「え!?」その一言にハルカは飛び上がった。
ハルカはカナエを見下ろして言う。「そ、そんなこと、あるわけないじゃないですかっ!?」
「どうした?」カナエはハルカをポカンとした顔で見上げる。「急に、どうした?」
「いえ、」ズレた眼鏡の位置を直し、ハルカは座る。マミコトがこっちの方を見て、首を一度傾げ、また歴史書に視線を戻した。「ちょっと、パーティ前なので、興奮してしまって、あははっ」
「でも、マミコトちゃんに眼鏡を掛けて、三つ編みにしたらあんな感じだよねぇ」
「……マミコトって誰ですか?」ハルカは図書カードの整理に戻る。
「え、知らないの?」
「知りませんねぇ、」図書カードにスタンプ漏れを見つけて、ハルカはスタンプを手にしてギュッと押した。「聞いたこともない名前ですね」
「変だね、知らないのにさっきの反応なの?」
「……」ハルカは黙って図書カードの整理を続けた。
「ずっと似てるなぁって、思ってたんだよねぇ、」カナエはハルカの横顔をじっと見てくる。「魔女が気分を害すると思って今まで黙っていたんだけどさ」
「私が誰に似てるんです?」
「君に似てる人が好きよ、」急にカナエは哲学的な表情で台詞みたいに気障に言ってから頬杖を付いてマミコトの姿を見つめる。「私、ユナイテッド・メディセンズのこと好きなんだ、国民的アイドルの、知らない? 実はファン倶楽部も入っているよ、『ウィ・ニード・メディセン』っていうファン倶楽部、CDも、ライブビデオも、写真集も持ってる、夏にライブにも行ったよ、グリーン・ドームでやったやつ、でも、この前のミュージック・ギャラクシィは録画し損ねた、その時は世界の東芝を恨んだね、とっても恨んだよ」
「へぇ、委員長にアイドル趣味があったとは、意外でした」
そして発生する二秒間の謎の沈黙。
「……この沈黙はなんですか?」ハルカは沈黙が耐え切れずに聞いた。
「好きになったのはね、」唐突にカナエは言う。「魔女に似ていたからなんだ」
「えっと、」ハルカは整理した図書カードを所定の引き出しに入れながら聞く。「それは一体全体どういうことです?」
「魔女は歌も歌ってくれないし、ダンスも踊ってもくれないけれど、彼女は歌を歌って、ダンスを踊ってくれる、ブロマイドもあるし、グッズもある、ほれ、」カナエは財布をポケットから取り出し、ストラップをハルカの顔の前でゆらゆらと揺らす。小さな紫色のベルが揺れて、音が鳴る。「このバイオレッド・ベルはマミコトちゃんのグッズだよ、バイオレッドはマミコトちゃんの色だね、私、マミコトちゃんのファンなんだよ、魔女に似てるから気になって気付いたらいつの間にか夢中になってた、凄く好きなんだ、凄く好き、彼女がレズビアンだって告白したって聞いて、ちょっと妄想しちゃったねよね、困ったよ、ベッドでの妄想が止まらなくってね、私、もしかしたらそっちなのかなって、強く思うくらい」
「あの、委員長、それはつまり、」ハルカはどきどきしていた。他人からのアプローチにハルカは弱い。そのことは自覚していた。でもやっぱり突然のアプローチに、今まで意識していなかったのにカナエのことを意識している自分がいる。「私のことが、その、す、す、す、好きだ、と言うことなのですか?」
「あははっ」ハルカの質問に、カナエは声を出して笑った。
「何、笑ってんですか?」ハルカはカナエを睨む。
「何、興奮してんだよ、私が好きなのはマミコトちゃん、魔女のことじゃないよー、魔女には八重歯がないじゃない、」カナエは笑いながらハルカの二の腕を優しくパンチした。「そこのところ勘違いしないでよね、あ、もしかして、魔女、私に振られて落ち込んでる?」
「落ち込んでなんてません、」ハルカは大きく呼吸しながら首を横に振った。「落ち込んでなんていませんし、何も、何も、ありませんってば」
「怪しいなぁ、」カナエは悪い目をしてハルカを見る。「魔女が私のことを好きだっていうんなら、キスくらいしてあげてもよかったんだけどな」
「そんなこと言うなら、」ハルカはカナエに顔を近づけ睨み言う。「本当にキスしますよ」
「いいよ、別に、」カナエは目を瞑った。「魔女となら」
カナエの唇はハルカにとって魅力的だったけど、マミコトが歴史書で顔半分を隠してこっちを見ていたからキスはしなかった。「……委員長はマミコトのことを愛しているんですね」
「うーん、」カナエは目を開けて腕を組み、ちょっと唸って考えた。「愛していると言うよりも、気に入っている?」
「なんですか、それ、コレクターズですか?」
「は、コレクター?」
「なんでもないですよ、ただそういう題名の曲があるんです、凄くいい曲なんですよ、あ、今度アルバム貸します」
「でも、どこからどうみても、」カナエはマミコトをじっと見つめながら言う。「マミコトちゃんなんだよなぁ」
カナエのマミコトをじっと見つめる目は。
恋の色。
その目を横からずっと眺めていたら、ハルカは真実を話したくなった。
カナエにはお世話になったし、来年もお世話になるだろうから。
だから。
「委員長、誰にも言わないって約束出来ますか?」
その時だ。
風が吹いた。
カーテンが揺らめき騒いだ。
心地よい風は一瞬頬を撫で。
すぐに強く煩わしい風へと変化。
カナエは目を瞑り、ハルカの方にゆっくり体を預けた。
ハルカはカナエの体を支えた。
カナエは眠りに落ちてしまった。
マミコトは歴史書を床に落とす。
その音が図書室に響く。
歴史書は床に落ちて開く。
ページが風によって捲られた。
マミコトは膝から崩れ落ちる。
その体を支える人がいる。
色素を失った白い髪の人。
露出の多い黒いドレスを纏う人。
相変わらず季節感がない。
夏の衣装は確か。
モッズコートにカシミアのマフラだった。
「久しぶりだな、森村ハルカ」
死神は大きな目をこちらに向けて笑っていた。




