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六花錦景(We Need Medicine)  作者: 枕木悠
第二章 姉妹(Electric Calculator)
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第二章⑤

 喫茶マチウソワレは祝日の今日も絶賛営業中だった。喫茶マチウソワレ、通称マチソワとは錦景女子料理部が運営する錦景女子のための喫茶店だ。マチソワは特別教室が集合する北校舎の四階にある。元々は第二家庭科室と第二視聴覚室があった場所で、古い時代の女子が壁をぶち抜いて一つのフロアにしたとかしないとか。古い時代の細かい話は知らないけれど、とにかくこの喫茶マチウソワレは錦景女子の憩いの場だった。店内の雰囲気を作るBGMは基本的に矢沢永吉のロックンロールで、錦景女子の黄昏の今は『サブウェイ特急』が流れていた。それは店長である二年の散香シオンの趣味だと思う。

「へぇ、あのトウカが恥ずかしがり屋さんにねぇ、それは大変ねぇ」

 そう言いながら笑顔でナッツを口に運ぶのは錦景女子軽音楽部のOGで、二十八歳独身でこの秋に沢村ビートルズの解散の危機を救ってくれた篠塚カノコという人だった。彼女は錦景女子大の院まで出た秀才だが、今現在は無職。無職でバンド活動を続けている流浪の人だった。この秋にマワリの前に現れてから、彼女が錦景女子に出没する確率は増えていた。マチソワの奥の小さなステージでアコースティック・ギターを持ちいきなり歌い出すこともある。天皇誕生日の今日は歌ってはいなかったけれど、ちゃんとギターケースを持ち、いつもいる窓際の席から夕日を眺め、ノートに詩と計算式を書いていた。彼女は理工学部出身で、専門はコンクリートだった。篠塚は詩を書こうとして詩的になれないときに計算式に逃げる傾向がある。本質的に彼女は理系なのだ。

 マワリは篠塚の対面に座り、ブラウンの長い髪をポニーテールにしたウェイタの芳樹野ルカにコーヒーを注文して、軽音楽部部長のトウカが恥ずかしがり屋になってしまったことを篠塚に話した。「きっかけはなんなのかって分からないみたい、でも、ユウコ先輩は突然だったって言ってる、突然、恥ずかしがり屋になったって、明日はパーティだっていうのに、もう大騒ぎで、でも、本当にあの人がって信じられないよ、だって部長がだよ、恥ずかしがり屋なんて、皆、幽霊に取り憑かれたんじゃないかなんて言ってる」

「そうかもね、」笑顔の表情そのままに篠塚は言った。「あながち間違いじゃないかも」

「あははっ、」マワリも笑って篠塚のナッツに手を伸ばす。「お祓いしてもらわないといけないかもね」

 ルカがコーヒーをマワリの前に置き、ミルクと砂糖をタップリ淹れながら聞く。「幽霊の話?」

「うん、部長がね、取り憑かれたみたい」

「え、マジ?」ルカは表情を変えた。彼女はオカルトとか、そういうものが好きだ。

「うん、幽霊に取り憑かれたみたいに恥ずかしがり屋になっちゃって」

「なーんだ、」ルカは息を吐き、ポニーテールを揺らす。「そんなことか」

「そんなことって、ルカ、明日は大事なパーティだよ、生徒会主催の大きなクリスマス・イブ・パーティ、だから恥ずかしくて部長が歌えないのって大問題でしょ?」

「確かにプログラムが一つ減ることによって、生徒会長殿がヒステリックになるかも」

「ああ、それは怖いね」

「え? 怖い、怖くないでしょ、どっちかっていうとヒステリックな生徒会長って可愛い」

「確かに可愛いけど、」現在の錦景女子の生徒会長は、怒っても可愛い、なんていうか、マスコット的なキャラクタだった。「でも、あの人、何をするか分からないからな、急に軽音楽部の予算がゼロになるかもしれないし、急にパーティを終わらせるかもしれないし」

「大丈夫、いざとなったら、」篠塚が笑顔で言う。今日はなんだかずっと笑顔だ。こんなずっと笑顔の篠塚って珍しい。「私たち、オーバドクターズが歌ってあげるわ」

『それは結構です』

 マワリとルカは声を合わせて言って笑った。篠塚は二十八歳独身のくせにちょっと錦景女子で歌い過ぎだからだ。ちょっと調子に乗っていると言っていい。皆、後輩だと思って調子に乗っているのだ。でも、そういう篠塚のことをマワリは嫌いじゃない。絶対に口にすることはないんだけれど、嫌いじゃない。篠塚が率いるオーバドクターズのロックンロールも嫌いじゃない。でも簡単に歌わせたくないのは、その気持の裏返し。

 ルカは別のテーブルの女子に呼ばれ、そっちに向かった。店内は混雑していた。祝日の今日、ここにコーヒーを飲みにくるのは入寮している女子が多い。マワリたちが住まうトリプルベッドルームのご近所さんの顔も見える。マワリに話しかけてこないのは、きっと篠塚がいるからだ。二十八歳独身の存在は、マチソワではスペシャルな存在だ。

「でも、」篠塚は夕日を眺めながら口を開いた。「年頃の女の子って急に恥ずかしがり屋になることってあるよね、というか、急に変身するっていうか、心揺らめいて色を変える」

「なに、急に?」マワリは眉を潜めて首を捻る。篠塚が妙なことを言うのは、いつものことなんだけれど、いつもながら突拍子がなさ過ぎるのだ。「変身?」

「変身してしまった少女を元に戻すには、どうすればいいと思う?」

「は?」

「マワリはどうすればいいと思う?」

 言われ、マワリは腕を組み二秒考えた。そして人差し指を立てて答える。「……キスするとか?」

「あははっ、」篠塚は手を叩いて笑った、毒素の強い笑顔。魔女みたいな高笑い。篠塚は小さくて、外見は錦景女子とは変わらないけれど、こういう毒素の強い笑顔を見ると、やっぱり二十八歳独身なんだって思う。「マワリちゃんってば、乙女なんだからっ、ひぃ、お腹痛いっ」

「な、何よっ、」マワリが顔が熱かった。顔がピンク色になっていないか心配だった。心配しながら、なんだか乙女チックな返答をしてしまったことを後悔している。きっと二秒しか考えなかったから、マワリの中の乙女チックな部分が無防備に出てしまったんだと思う。「別にいいでしょ、おとぎ話のお姫様はキスで目を覚ますでしょう?」

「あははっ」篠塚はまだ笑っている。

「ああ、もうっ、」マワリは篠塚を睨んだ。「笑うなっ」

「はぁ、もう、はぁ、もぉ、マワリってばぁ、」篠塚は呼吸を整えながらコーヒーを飲んだ。少しは落ち着いたようだ。「笑わせないでよぉ」

「別に笑わせたわけじゃないんだからねっ、」マワリはナッツを齧りながら前のめりになって聞く。「それでなんなのよ、カノコの答えって何なのよっ」

 答え次第によっては盛大に笑ってやるって、マワリは思った。

 でも、返ってきた解答は。

「薬」

「え?」

「変身してしまった少女を元に戻すにはね、」篠塚は笑顔で言った。「薬しかないの、薬が必要なのよ、んふふふっ」

 マワリは、なんていうか、釈然としなくて大きく息を吐いた。「……今日はどうしてそんな、陽気なの?」

「んふふふっ」

 篠塚は理由を教えてくれなかった。


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