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魔王を殺した王子、私を救った恋人  作者: 凪塩 未来


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第1話:凱旋の鐘と違和感

「魔王を討伐して英雄として凱旋した王子、しかし彼の身体はすでに別の何かに乗っ取られていた――」

そんな絶望的な状況から始まる、愛と狂気の物語です。

主人公の冷徹な乗っ取り魔王(?)と、たった一人でそれに立ち向かう強気で健気な王女ミリーの心理戦、そして身体を奪われながらも愛する人のために内側から戦い続けるロイの魂の葛藤を描いていきたいと思っています。


切なくも熱い純愛ダークファンタジー、ぜひお楽しみください!

ブックマークや評価、感想をいただけると執筆の凄すさまじいモチベーションになりますので、何卒よろしくお願いいたします!

王都アストライアの空は、どこまでも高く、澄み切った青色に染まっていた。

だが、その地上を満たしているのは、静謐な青ではない。人々の熱狂と、割れんばかりの歓喜の咆哮だった。


「――ロイ王子万歳! 英雄王子の帰還だ!」

「我が国の誇り! 魔王軍を打ち破りし白銀の騎士!」


石畳の通りを埋め尽くす民衆が、色とりどりの花びらを宙に舞い散らせる。歓声は津波のようにうねり、城壁の先端まで揺らしていた。

パレードの先頭、黄金の飾りが施された純白の馬に跨り、群衆の祝福に応えているのは、アストライア王国の第一王子――ロイ・フォン・アストライアその人だった。


亜麻色の柔らかい髪が春の風に揺れ、整った顔立ちは遠目にも眩しい。なにより、人々が愛してやまなかったのは、その瞳だった。深い深い森の湖を思わせる、澄んだ碧眼。かつて彼は、城の庭園で傷ついた小鳥を見つめるときも、困窮する民の訴えを聞くときも、いつも変わらぬ温かな眼差しを向けてくれていた。


――あの日の、あの笑顔のまま、彼は帰ってきた。


城のバルコニーから大パレードを見下ろしながら、婚約者である王女ミリー・フォン・アストライアは、胸の中で何度もそう自分に言い聞かせていた。

しかし、指先が微かに震えるのを、彼女はどうしても止められなかった。


胸の奥で、冷たい泥水が波打つような悪寒が離れない。

凱旋の行列が城門をくぐり、広場へと到着する。従者たちに付き添われて馬から降りたロイが、階段をゆっくりと昇ってきた。一段、また一段と近づいてくる足音が、やけに重く、冷たく、ミリーの心臓を直接叩くように響く。


やがて、ロイはバルコニーに立つミリーの目の前に歩み寄った。

周囲で近衛騎士や貴族たちが息を呑み、二人の再会を見守っている。


「ただいま、ミリー」


掠れのない、どこまでも美しい声だった。

ロイは微笑み、ミリーの手をとるためにその大きな手を差し出した。


「おかえりなさい、ロイ」


ミリーは震える声を押し殺し、自らの手を彼の掌に重ねた。

瞬間、ミリーの背筋を電流のような戦慄が走った。


――冷たい。


人間の体温ではない。まるで、冬の底の氷河に触れたかのように、ロイの手は凍てつくように冷たかった。思わず息を呑み、彼女は目の前の男の顔を見上げた。

ロイの唇は完璧な弧を描いていた。いつもの、優しく愛おしげな恋人の微笑み。けれど、その形があまりにも整いすぎていて、まるで精巧に作られた操り人形の仮面を貼り付けたかのようだった。


そして、その碧眼の奥。

――いま、揺らめいたのは、何だ?


ほんの一瞬、湖のような碧の底で、おぞましい不気味な紫色がチラリと明滅した。幻覚だったのだろうか。瞬きをした時には、そこにはいつもの美しい碧眼が広がっているだけだった。


「どうしたの、そんなにじっと見つめて。……私が変わってしまったようにでも見えるかい?」


甘やかな声でそう囁きながら、ロイはミリーの手をそっと握りしめた。その力加減は、骨が軋むほど強かった。痛みを訴えようとしたミリーの視線の先で、ロイの瞳の奥が、再び紫の光を帯びて妖しく歪んだ気がした。


気のせいだ、とミリーは必死に理性に縋った。

彼は長きにわたる過酷な戦争を戦い抜いてきたのだ。魔王討伐という偉業の裏で、どれほどの心身の疲弊があったことだろう。死線を潜り抜けたトラウマや疲労が、彼の体温を奪い、表情を硬くさせているだけだ。愛するロイが変わってしまったわけがない。そう思わなければ、自分の心が壊れてしまいそうだった。


しかし、その願いは、わずか数日であっさりと打ち砕かれることになる。


城に戻ってからのロイは、まるで別人に生まれ変わったかのようだった。

いや、「生まれ変わった」などという綺麗な言葉では到底表現できない。何かがすり替わってしまった、と表現する方が正確だった。


かつては、城内の庭園を歩くとき、ロイは足元の蟻の一匹すら踏まないように気をつけていた。道ばたの花を愛で、怪我をした小鳥を見つければ、自らの手で包帯を巻いてやるような男だった。

だが、帰還から三日目の夕暮れ。ミリーは、庭園の隅で息を呑む光景を目撃した。


ロイが、一羽の白い鳩を掴み上げていた。

その手つきは優しくない。苦悶にもがく小鳥の羽を、ロイは無表情のまま、指先でねじり潰していた。ぐにゃりと骨が砕ける音が、夕闇の静寂に響く。鳩が絶命したあとも、ロイは冷酷な眼差しでその亡骸を握り締め、やがて興味を失ったように冷たい泥の中に投げ捨てた。


「ロイ……何をしているの?」


思わず物陰から声をかけたミリーに、ロイはゆっくりと首を巡らせた。

その顔に、先ほどまでの残酷な笑みはない。ただ、底知れぬ虚無をたたえた冷徹な仮面があるだけだった。


「これは害虫の駆除さ、ミリー。城内には、身の程をわきまえない不届き者が多すぎてね。少し、教育が必要なのさ」


「害虫……? あの小鳥が?」

「さあ、どうかな。ただの気まぐれだ」


ロイは血に汚れた指先をハンカチーフで拭いながら、ゆっくりとミリーに近づいてきた。

「それよりも、ミリー。君は夜風が冷える。部屋に戻りなさい。私の愛しい婚約者よ」


その声は甘美だったが、背筋が凍るような威圧感を伴っていた。

使用人たちの間でも、異変は瞬く間に噂されていた。かつては誰に対しても穏やかで、笑顔を絶やさなかった王子が、今や冷酷な独裁者のような振る舞いを始めている。些細なミスをした従者が、ロイの冷たい一瞥だけで地下牢送りにされたり、彼の前を通るときには誰もが震え上がり、目を合わせることすらしなくなっていた。


誰もが恐れ、誰もが口をつぐむ。

――彼は、本当におかしくなってしまったのか。それとも、あの戦場で、何か取り返しのつかないものに魂を売り渡してしまったのか。


不安と恐怖に押し潰されそうになりながら、ミリーは眠れぬ夜を過ごしていた。


そして、運命の夜が訪れた。

月の光が白亜の回廊を冷たく照らし出す真夜中。ミリーは、ふと自室の窓の外から聞こえた奇妙な物音に目を覚ました。


ざわ、ざわ、と。

まるで聞いたこともない言語の、低く這うような呪文の詠唱が、風に乗って微かに聞こえてくる。それはアストライア王国の言葉ではない。古の、おぞましい魔術の響きだった。


(まさか……ロイ?)


胸騒ぎに突き動かされるように、ミリーは寝台から抜け出した。足音を殺し、月明かり頼りに石造りの廊下を進む。音が聞こえてくるのは、ほかならぬロイの寝室だった。


分厚いオーク材の扉が、ほんの少しだけ開いている。

隙間から漏れ出る光は、蝋燭の暖かなオレンジ色ではなかった。それは、網膜を焼くような、禍々しい紫色の光だった。


ミリーは息を殺し、そっと扉の隙間に目を凝らした。


「――っく……!」


寝室の中央。

そこに立っていたのは、ロイだった。

彼は身につけていた上質の上着を脱ぎ捨て、シャツ一枚の姿で、壁に掛けられた巨大な姿見の前に立ち尽くしていた。


いや、正確には「立たされていた」のかもしれない。

ロイの両足は痙攣したように小刻みに震え、両手はまるで自分の意思とは無関係であるかのように、奇妙な印を結んでいた。


鏡に映るロイの姿を見て、ミリーの喉元から悲鳴が押し上がりそうになった。

彼の瞳が――あの美しい碧眼が、完全に、狂気に満ちた「紫色」に塗りつぶされていたからだ。白目の部分までが紫の光を放ち、血管がミミズのように浮き上がっている。


『……ククク……順調だ……この肉体の適合率は想像以上だな……』


ロイの口から発せられたのは、彼自身の声ではなかった。

それは、地底の底から響いてくるような、二重に重なり合った不気味な野太い声――男とも女ともつかない、おぞましい悪魔の響きだった。


『あと少しだ……あの忌々しい王家の聖遺物さえ手に入れば、我が完全復活の障壁はすべて消え去る……!』


鏡に向かって、その声で独り言をつぶやくロイ。

いや、ロイの身体を乗っ取っている何者かが、鏡の向こうの「誰か」と会話をしているのだ。


恐怖で足がすくみ、頭が真っ白になりかける。

しかし、ミリーの脳裏で、かつて歴史書で読んだ忌まわしい名前が電光のように閃いた。


「――エンペラー将軍……っ!」


思わず漏れ出たその呟きに、寝室の中の空気が凍りついた。

ガタッ、と激しい音を立てて、ロイの身体が凄まじい勢いで振り返った。


紫色の光に爛々と輝く瞳が、暗い廊下の隙間――ミリーの姿を正確にとらえた。


「誰だ……!」


野太い悪魔の声と、ロイ本来の美しく切ない声が混ざり合い、歪んだ音波となって空間を切り裂く。

ロイの身体が、人間離れした俊敏さで扉へと飛び込んできた。


逃げなければならない。足が震え、動かない。

しかし、ロイの顔に浮かんだのは、冷酷な魔王の笑みと、そして――ほんの一瞬だけ浮かんだ、あまりにも悲痛な、助けを求めるようなロイ自身の表情だった。


「……見られたな、ミリー……」


狂気に染まった紫の瞳が、獲物を狙う獣のように彼女を捉えて離さなかった。

冷たい夜風が吹き抜ける城の廊下で、二人の運命の歯車が、取り返しのつかない狂気へと踏み出そうとしていた。

第1話「凱旋の鐘と違和感」をお読みいただき、ありがとうございました!


いかがでしたでしょうか。華やかな凱旋パレードの裏で、ひそかに進行していく恐怖と異変を描いてみました。

愛する人が目の前にいるのに、中身はまったく別の怪物――。想像するだけでゾッとするシチュエーションですが、ミリーの凛とした強さと、ロイの身体の中で必死に抵抗する姿の切なさを今後より深く掘り下げていきます。


次回、第2話「真実の眼と狙われた聖遺物」では、ミリーが身につけるペンダントの秘密と、エンペラー将軍によるさらに巧妙な心理的・物理的プレッシャーが描かれます。

果たしてミリーはこの絶望的な状況をどう切り抜けるのか、ぜひ次話もお楽しみに!


それではまた第2話でお会いしましょう!

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