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第4話:春風は、また教室へ

翌日。


アレンドルは待ち合わせ場所へ向かっていた。


ポケットの中には、小さなプレゼントの箱。


胸元では、新しく締めたネクタイが少しだけ落ち着かない。


その時だった。


ウゥゥゥーーーーッ!


街中へ、耳を裂くような警報音が鳴り響く。


歩いていた人々が一斉に足を止め、街頭モニターが赤く染まる。


《緊急放送》


《都内A地区にてダンジョンブレイク発生》


《付近住民は直ちに指定避難路へ退避してください》


《繰り返します――》


アレンドルの表情が止まる。


「……A地区」


それは今日、二人が待ち合わせていた場所だった。


同時に、ポケットの携帯電話が激しく震える。


画面には赤い緊急通知が表示されていた。


《緊急速報》


《A地区 ダンジョンブレイク発生》


アレンドルはすぐにリィナへ電話をかける。


呼び出し音が一度だけ鳴り――無機質な切断音だけが耳へ残った。


「……」


もう一度かける。


だが今度は発信すら始まらない。


《回線が混み合っています。しばらくしてからおかけ直しください》


機械的な音声が静かに流れる。


「そんな……」


もう一度。


もう一度。


何度かけても同じだった。


アレンドルは携帯電話を強く握り締めた。


嫌な予感だけが、呼吸を浅くしていく。


「お願いです……無事でいてください」


次の瞬間、アレンドルは人混みをかき分け、A地区へ向かって駆け出していた。


避難する人々と何度も肩をぶつけながら、それでも足は止まらない。


救急車のサイレンが鳴り響き、黒煙が空へ立ち上っていた。


やがて、規制線が見えてくる。


警察車両とインサイダー協会の車両が道路を封鎖し、現場へ続く道を完全に遮断していた。


「危険です! 一般の方は下がってください!」


アレンドルは何も言わず財布を開き、中から一枚のカードを取り出した。


取得して以来、一度も教壇で使うことのなかった魔法教師ライセンス。


角は擦り切れ、色も少し褪せていた。


警備員はカードを見る。


一瞬だけ目を見開く。


「……これは」


アレンドルは静かに言った。


「お願いします」


それだけだった。


警備員は迷う。


しかし、ライセンスとアレンドルの顔を何度も見比べ、道を開けた。


「……分かりました。十分気を付けてください」


アレンドルは一礼すると、そのまま規制線の中へ駆け出した。


規制線を越えた瞬間、熱風が頬を叩いた。


建物は崩れ、黒煙が空を覆っている。


遠くでは大型モンスターが咆哮を上げ、インサイダーたちが必死に応戦していた。


悲鳴。


爆発音。


救助を求める声。


アレンドルは立ち止まらない。


襲いかかるモンスターを魔法で払いのけ、倒れた男性を抱き起こす。


「大丈夫ですか!」


治療魔法が傷口を包む。


礼を言われる間もなく瓦礫を越え、次の救助へ向かう。


頭の中にあるのは、リィナのことだけだった。


「先生!」


聞き覚えのある声が響く。


振り向く。


そこには、傷だらけになりながら戦う若いインサイダー。


かつて教室で魔法を教えた教え子だった。


「先生! 助かりました!」


アレンドルはすぐに治療魔法を施す。


淡い光が傷口を包み、青年は苦しそうに息を吐いた。


「ありがとうございます……!」


アレンドルはその肩を支える。


「リィナを見ませんでしたか?」


青年は首を横へ振った。


「すみません、見てないです」


アレンドルは頷いた。


「ありがとうございます」


踵を返そうとした、その時だった。


「先生! 今日ですよね」


青年が声を張る。


アレンドルが振り返る。


青年は笑顔を作って親指を立てた。


「頑張ってください!」


「……ええ」


アレンドルも小さく笑った。


その一言を胸に、再び瓦礫の街を駆け出す。


倒壊した建物を飛び越え、避難する人々を助けながら前へ進む。


(リィナ……)


炎の中を駆け抜け、立ちはだかるモンスターを魔法で押し返す。


それでも足は止まらない。


二人が待ち合わせるはずだった広場だけを目指し、走り続けた。


やがて、見覚えのある広場が視界へ飛び込んでくる。


「……っ」


足が止まった。


そこにあったはずのビルは、半分以上が崩れ落ちていた。


ガラス片が地面一面へ散らばり、鉄骨がむき出しになっている。


煙がゆっくり空へ昇る。


討伐されたモンスターの亡骸。


救助を待つ人々。


必死に応急処置を続ける治療班。


その傍らには、もう動かなくなった人たちもいた。


「……」


アレンドルは息を呑む。


心臓だけが大きく鳴った。


「リィナ……!」


返事はない。


瓦礫を越え、倒れている一人ひとりの顔を見る。


違う。


また違う。


「リィナ!」


必死に呼びながら走る。


そして――。


視界の端に、小さな影が映った。


瓦礫にもたれ掛かる人影。


見慣れた淡い髪。


花柄のワンピース。


腕に抱えたままの、小さな紙袋。


アレンドルの足が止まる。


「…………」


声にならなかった。


ゆっくり近づく。


震える手を伸ばす。


「……リィナ」


アレンドルは、その場へ膝をついた。


声が出ない。


時間だけが止まっていた。



葬儀の日。


教え子たちは静かに集まっていた。


誰も泣き叫ばない。


誰も笑わない。


花だけが、一人ずつ手向けられていく。


帰り際。


リィナの母親が、アレンドルへ深く頭を下げた。


「先生」


「本当に、ありがとうございました」


アレンドルは顔を上げられなかった。


母親は涙をこらえるように微笑む。


「娘は、本当に幸せでした」


「治療班のお仕事も、夢だったみたいで……」


「帰ってくるたびに、『全部、アレン先生のおかげなんだ』って、嬉しそうに話していたんです」


「そんな先生と歩んでいける日を、あの子は本当に楽しみにしていました。……それだけが、心残りです」


アレンドルは何も言えなかった。


ただ、頭を下げ続けた。


少女の母親は、小さな紙袋を胸へ抱えたまま、ゆっくり口を開く。


「……これは、あの日あの子が最後まで抱えていたものです」


「先生へ渡すつもりだったみたいで……」


そう言って、紙袋を差し出す。


その紙袋を見た瞬間、アレンドルは息を詰めた。


――あの日、リィナが抱えていた紙袋だった。


母親は少しだけ紙袋へ目を落とした。


「……あの子の代わりに、お渡ししたくて」


アレンドルは震える手で紙袋を受け取る。


「……ありがとうございます」


その一言だけを絞り出した。



家へ戻った頃には、空はすっかり夜になっていた。


玄関の扉を閉めても、部屋の中は驚くほど静かだった。


靴と上着を脱ぐ。


その一つひとつの動作が、ひどく重い。


リビングへ入り、椅子へ腰を下ろす。


机の上には、葬儀の帰りからずっと抱えていた紙袋。


何度も開こうと思った。


それでも、その手は止まり続けていた。


「……」


小さく息を吐く。


震える指先で、紙袋へそっと手を伸ばした。


静かに中を覗く。


最初に目へ入ったのは、小さな木箱だった。


丁寧に包装され、リボンまできちんと結ばれている。


その下には、一通の封筒。


『アレン先生へ』


見慣れた、少し丸みのある文字。


リィナの字だった。


アレンドルの喉が、かすかに鳴った。


箱へ触れる。


ゆっくり持ち上げると、思っていたより少しだけ重かった。


リボンをほどき、静かに蓋を開く。


そこには一本の万年筆。


深い藍色の軸に、銀色の装飾が施された、落ち着いた一本だった。


掌へ乗せる。


ずっしりとした重みが、静かに伝わってくる。


「……私に」


思わず漏れた声は、それだけだった。


万年筆をそっと机へ置く。


視線は自然と、隣の封筒へ向かった。


封筒を手に取る。


しばらく見つめたまま、動けない。


震える指先で封を切る。


ゆっくりと、一枚の便箋を取り出した。


――手紙


「アレン先生へ。


先生のお誕生日じゃないのに、お手紙なんて変ですよね。


でも、今日はちゃんと伝えたくなりました。


先生。


いつも、本当にありがとうございます。


初めて会った日から、先生はずっと私の憧れでした。


歴史を教えてくれたこと。


悩みを聞いてくれたこと。


進路を応援してくれたこと。


落ち込んだ時に笑わせてくれたこと。


どれも全部、大切な思い出です。


私は、そんな先生が大好きです。


優しいところも。


困っている人を放っておけないところも。


自分より先に誰かのことを考えてしまうところも。


先生が笑うと、みんなまで笑顔になってしまうところも。


全部、全部好きです。


今日からは、先生のすぐ隣にいられたら嬉しいです。


これからも、よろしくお願いします。


・・・・・・


なーんてね!


これからどうせ一緒になるんだし。


こんな手紙を書く機会なんて、きっともうないと思って。


こういうのも、思い出になるかなって書いてみた!


あ、そうそう!


先生、いつも何か書いてるよね。


だから、この万年筆にしたんだ。


これからも、先生らしくたくさん使ってね。


捨てちゃダメだからね!


あ、それと。


次に会ったら、先生じゃなくてアレンドルって呼ぶから。


……怒らないでね?」


アレンドルは便箋を抱き締めた。


静かな部屋に、時計の音だけが響く。


どれくらい時間が経ったのか、自分でも分からない。


涙は、一滴も出なかった。


ただ胸の奥だけが、締め付けられるように苦しかった。


やがて静かに立ち上がり、部屋の隅へ置いた鞄を開く。


中から小さな箱を取り出し、震える指先でそっと蓋を開いた。


そこには、一つの指輪。


朝、何度も眺めた指輪だった。


「……」


アレンドルは何も言えなかった。


ただ、その指輪を見つめ続けた。


本当なら、あの日。


この指輪を渡すはずだった。


「…………」


箱を閉じることもできない。


鏡へ目を向ける。


そこには、笑っている自分がいた。


無意識だった。


アレンはそっと自分の頬へ触れる。


「……違う」


「また……逃げた」


「素直になっていれば」


「ちゃんと、この想いを伝えていれば」


「笑って隠さなければ」


あの日のリィナの笑顔が、脳裏によぎる。


――「また笑ってごまかした!」


「…………」


張り付いたような笑顔が、ゆっくりと崩れていく。


もう、笑う必要はなかった。


涙だけが静かに落ちる。


部屋は、どこまでも静かだった。


やがて窓から差し込む光だけが、ゆっくりと角度を変えていく。


その日を境に、アレンドルは仮面を被ることをやめた。


その後、アレンドルは自ら希望を出し、インサイダー養成学校中等部へ異動した。



――翌年・春/インサイダー養成学校中等部


教室。


窓から春の陽射しが差し込み、教室を柔らかく照らしていた。


生徒たちが笑う。


アレンドルも笑う。


でも今度は、もう仮面ではない。


ふと窓辺へ目を向ける。


春空が、どこまでも青く広がっていた。


(リィナ……見てるかい)


(今日も、みんなよく笑ってるよ)


息を整え、それから教壇へ向き直る。


「はいはい、そこ寝ない!」


教室が笑いに包まれる。


「歴史は寝て覚える教科じゃありませんよー!」


春風が教室を吹き抜ける。


生徒たちの笑い声が、窓の向こうへ静かに溶けていった。


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