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第92話 とても温かくて柔らかい何か

 フランツィスカの屋敷。玄関ホールにて。


 フランツィスカ家の使用人の頂点に立つ家宰のジョージは、午後に届いた手紙の仕分けに追われていた。

 一番多い手紙の宛て先はマーガレットで、すべて婚約祝いの手紙だ。


 マーガレットがゼファーと婚約して三日が過ぎた。

 今まで親交のなかった貴族や関係のなかった王家御用達の洋服店からも祝辞が届いている。

 マーガレットの予想外の相手との婚約を信じられなかったフランツィスカの関係者たちだったが、こういった手紙を前にすると現実だと認めざるを得ないようで、ジョージも眉を潜めている。


 手紙の仕分けを済ませたジョージのもとへ、見計らったようにイグナシオがひょっこりと顔を出す。


「ジョージ、手紙を持っていくのか?」

「おや、イグナシオ坊ちゃま。サイラスを連れていないとは珍しいですね」

「……サイラスは今外せない用事があってだな。そんなことはいいから、手紙を持っていくのか?」

「はい、そうでございます。マーガレット様の婚約の件があってから毎日箱いっぱいの手紙が届くので、旦那様の書斎が手紙で埋め尽くされそうですよ」

「ふん……そうだ。大変そうだし、お母様の手紙は『俺』が届けようか」


 イグナシオが『俺』と発した瞬間、ジョージがギラリと睨みを効かせ、坊ちゃまに向けるとは思えない目つきで、イグナシオを鋭く見つめた。

 すぐに気付いたイグナシオはビクッと身体を震わせる。


 常日頃から『俺』という一人称を使っていたイグナシオは、招待された茶会で目上の貴族に対して『俺』と発言してしまい、大失敗をしてしまった。

 その貴族からフランツィスカ家にクレームが届き、そのことがきっかけでイグナシオは現在一人称を矯正中なのだ。


「チッ、ジョージの前では気を付けていたのに、しくじった!」と内心思っていたイグナシオは、それはそれは丁寧に言い直す。


「……コホン。『私』が代わりに届けようか?」

「将来のフランツィスカ公爵として素晴らしい優しさでございますね、イグナシオ様。それではこのジョージめに代わって、こちらの手紙を温室にいらっしゃる奥様に届けていただけますか?」

「わかった。誠心誠意努めよう」


 と、イグナシオは鼻高々に手紙を受け取るのだった。




 ジョージに見送られ、イグナシオは母のいる温室へと歩みを進める。

 ジョージからの温かい視線を背に、イグナシオはしてやったりとニヤついていた。


 俺が優しい? ただの善意? 違う違う。


 イグナシオにはここ数日、楽しみにしていることがある。


 マーガレットがゼファー殿下と婚約してしまってからというもの、マルガレタ様は毎日フランツィスカの屋敷を訪れ、お母様と温室で何やら密談しているのだ。


 気になったイグナシオがこっそり付いていって聞き耳を立てると、アヴェル殿下が部屋に閉じこもって心配だという相談事だった。

 そしてしばらくすると「私たちの約束はどうなるの」という嘆きの会話へと変わり、次の瞬間にはその嘆きは国王の悪口へと一変している。


 その二人の悪口というのが「国王がお母様にフラれた腹いせの復讐」だとか、「いい年して若作りしてまた若い令嬢を狙っている」とか、「どうにかして離婚できないかしらー」とか……噓か誠か、特ダネゴシップばかりで面白おかしく、イグナシオは二人の愚痴を『温室会議』と名付けてこっそり楽しんでいるのだった。


 従者のサイラスは人が良すぎて「盗み聞きはやめましょう」と涙目で懇願してくるので、用事を言い付けて別行動をしている。




「さて、今日はどんな特ダネが飛び出すのか……ククク」


 そんなこんなで温室へとたどり着いたイグナシオが、温室のガラス扉を開けて中へ入ると、入ってすぐの噴水の水辺で裸足になって足をバタつかせて遊んでいたルナリアと目が合った。

 はしたない姿を見られて慌てたルナリアは、すぐに噴水から出ようと立ち上がる。しかし、苔むした床に足を滑らせてしまった。


「きゃ」


 噴水に飛び込みかけたルナリアを救ったのは、イグナシオの右腕一本。

 手紙を地面に投げ捨てたイグナシオは、自由になった左腕を使ってルナリアを抱きかかえ、お姫様抱っこのような形になる。イグナシオは水で濡れることも気にせずルナリアを噴水から救出した。


 そういえば、ルナリア王女殿下も来ていたな。

 確かこの前会った時も転んでいた。


「六歳にもなってよく転ぶ王女様だ」と内心思っていたイグナシオだが、「大丈夫ですか」と紳士的に笑いかける。


「あ、ありがとうございまひゅ」


 やっとのことで口にしたイグナシオへの感謝の言葉を噛んでしまったルナリアは、恥ずかしくなって顔を真っ赤に染めている。

 シルクのように輝く銀色の髪に、宝石のような淡い紫色の瞳を揺らめかせて震えるルナリアは儚げで美しく、庇護欲を掻き立てられる男性も多いことだろう。


 その初々しい様子を見たイグナシオは、


 ルナリア殿下って「THE 王女様」って感じだよな。

 俺の周りには凶暴な女性しかいないから何かと新鮮だ。


 と極悪人を格闘で捕まえる母や、こぶし一発で壁を瓦礫へと変える妹を思い浮かべて虚ろ気な表情を浮かべた。

 しかし、すぐにルナリアの柔らかな感触を思い出し、気を取り直して爽やかにルナリアに話しかけた。


「ルナリア殿下はお可愛らしいですね」

「えっ、可愛らしいだなんてそんな……」

「いえいえ、ルナリア殿下はとっても可憐でいらっしゃいますよ。守ってあげたくなるというか。あと数年もすれば、たくさんの令息たちや隣国の王子から求婚され、私ではきっと話すこともできない存在になるでしょう」


 こんなお世辞、王女様は慣れているだろうと思って何の気なしに口にしたつもりだったが、意外と慣れていないらしいルナリアは目を潤ませ、薔薇色の頬をさらに真っ赤に染めている。


「……あの、私は子供の頃からいつも助けてくださるイグナシオ様のことを、優しくって(たくま)しい方とずっとお慕いしておりました……もし、本当にそう思っていらっしゃるのならイグナシオ様が、その、きゅ、きゅ、求婚してくださいませんか?」

「え!? それはどういう」


 ――あれ?


 ルナリアのゆらゆらと潤んだ薄紫色の瞳に見つめられたと思った次の瞬間。

 イグナシオのくちびるに、何かとても柔らかくて温かい何かが触れた。


 何だろうこの感触………………っ!?


 イグナシオの眼前には身を乗り出したルナリアの可愛らしい小さな顔が、息がかかるほど、互いの熱が感じられるほどの距離にあった。


 やっとのことで頭の処理が追いついたイグナシオは、柔らかい『何か』がルナリアのくちびるだと理解する。


 イグナシオは噴水の水面を見た。

 水面には――お姫様抱っこをするイグナシオのくちびるにキスをするルナリアの姿がはっきりと映っていた。


 んなああアァァァァァっ!!?

 どうしてこうなった?

 と、ととと、とにかく早く離れて、この件については有耶無耶(うやむや)にしてしまわないと。



「待って! ちょっと、あなたたち……どういうことなの!?」

「っ!?」


 温室全体に聞きなじみのある声が響き渡る。

 近付いてきたのは、温室の奥のテラスで愚痴を言い合っていたはずのレイティスとマルガレタだ。騒ぎを聞きつけてルナリアを見にきたのだろう。


 ルナリアからすぐに離れたイグナシオだったが、時すでに遅し。

 二人のキス現場を目撃した母親たちは、

「そうだ、その手があった。マーガレットとアヴェルがダメでも、この二人がいるじゃない」と言わんばかりの顔で、嬉しそうに距離を詰める。



 そのあとはあっという間だった。

 イグナシオの抵抗(むな)しく……イグナシオとルナリアの婚約は、マーガレットとアヴェルの失敗を活かして有無を言わさず即日決定&即日公表された。


 その日以降、イグナシオの大好きな『温室会議』は開かれることはなく、皮肉にもイグナシオ自身が楽しみにしていた大きな特ダネとなって幕を閉じることとなった。




お読みいただきありがとうございます。



次は――

婚約したマーガレットはイグナシオとセルゲイとともに、

国王と謁見するためにローゼンブルク城を訪れます。

そこで初めて国王と対峙するのですが、

この国王というのが『恋ラバ』において、悪い意味で重要な人物で……。

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