その3
最終話です。
「『若さ』、か……。つまり魔法を使い続けると老いてしまうってことか?」
「そうみたいですね。だから今までほとんど魔法を使わなかったのでしょうか」
「───ずっと魔法を使わせる状態にでもしておくか?」
「いいですね!!目の前に鏡でも置いておきましょう」
隊長を傷つけた罰だ。死ぬ最後まで、苦しめばいい───。
別の隊の隊長を任されながら、夜はスパイ探しをしていたので隊長の許へ訪れる時間はなかった。早く解決することが彼女のためには一番だと、不安な心を押し殺して。
そして、時間は刻々と迫る───
ルドルフ中佐、デュリオの処分が終わった3日後、目隠しをしたエルダを地下の部屋に連行した。3日間何もしなかったのは、考える時間があると恐怖が増すと思ったからだ。
ちなみに、エルダには念のため魔法を制御する首輪をつけてある。歯向かうなんてできやしないだろうけど。
エルダをある位置に立たせて、目隠しを外した。恐る恐る目を開けた彼女は、その目を大きく見開く。
「!!」
「驚きました?これはあなたの為に用意したものです」
それは、
「鉄の処女ってご存知ですか?」
エルダの顔が絶望に染まった。それを見た僕は薄く笑い、さらに説明を続ける。
「これは僕の魔法がかかった特別製です。何もしなければそのまま扉が閉じ、あなたを突き刺すでしょう。しかし、あなたは魔法が使える。今あなたが着けている首輪は、魔法の威力を抑え込んだもので、あなた自身の魔力を封じたものではない」
「扉が閉じないようにできる程度の魔法は使えるので安心してください。…大丈夫、扉が全部閉まっても棘は急所を全部外すように設計していますから」
そうそう死ぬことはないんじゃないんですか?
全然大丈夫じゃないことを僕は言った。
魔法使いには死に方が2通りある。一つは心臓を貫かれたりなど、急所に傷を負ったとき。もう一つは魔力をすべて使い果たしたときだ。
さっきも言ったように、この扉の棘の傷で死ぬようなことはない。楽になるには、魔力を使い果たした死しか、エルダには残されていない。
「鏡も用意しておいたので、どうぞご覧ください。それでは僕はこれで」
「~~~っ」
エルダには目隠しをしたと同時に猿ぐつわをしていた。叫ばれたりしたらたまらないからだ。拷問して吐いてもらう情報なんてたかがしれていた。どうせ次の戦争で決着がつく。だったらもう、エルダは用無しだった。
エルダはこれから、扉が閉まる恐怖と、魔法を使って老いる2つの恐怖に苛まれるだろう。──その姿を鏡で焼き付けて。
僕は地下室を出る。扉が重い音を立てゆっくり閉まった。
「もう少し、」
地上へと上る階段を踏みしめながら、僕は呟いた。隊長の笑顔を取り戻すために。彼女の隣へ戻るために──。
戦場へ赴く、前日のことだった。
僕はどうすればよかったのか、未だにわからない。
最後まであなたの傍にいれば、あなたを失わずに済んだのですか?
「───それ、本当?」
「………えぇ、今伝令が来てまして」
隣国との戦争に決着がついて、みんな喜びに溢れていた。そんななか、一つの知らせが僕の耳に舞い込んできた。
「隊長が、戦死?」
今までの感情や何やらが一気に吹き飛ばされる。僕の呟いた言葉はカラカラに乾いて落ちた。
信じられない思いで道を急ぐ。そんなわけない、だってあの隊長が。何かの間違いであって欲しいとこれほど願ったことはない。しかし遺体安置所にいた隊長を見て彼女の死が徐々に現実味を帯びていった。
「隊長……」
そっと、顔にかけてある布をとる。寝ているだけだと言われても頷けるくらい、綺麗な彼女の顔が、そこにあった。
「どうして……」
掠れた声で呟く。
戦争は、つらいことは、すべて終わったのに………!
「っ隊長!」
どうして、どうしてこんなことに………!!
永眠っている彼女の傍を離れたくなかったが、後処理が残っている。僕はあふれてしまいそうな感情を無理矢理殺すと、最後に隊長の額にそっと口づけを落として、その場を後にした。
戦死者はそれなりにいたので、隊長一人だけを特別扱いするわけもいかず、葬儀は大勢とまとめて執り行われた。隊長の部下だったみんなは、やるせない顔をしていたり、泣いている者もいた。僕はただ風景としてしか見ることができず、ただぼーっとしていた。
(グレン少佐、)
少佐の姿を見つけた。彼は無表情だった。顔を見たら怒鳴りつけてやりたいとすら思っていたけれど、そんな気力さえなかった。
葬儀は粛々と進み、死者の弔いがされた。
『サラ=アベカシス ここに永眠する』
彼女がいなくなってしまったことを冷たく伝える墓石の文字を無表情で見つめる。僕の心にあったのはただただ喪質感だけであった。
ぼつり、と空から雫がふってきた。
最初は数滴だったのに、だんだん量が増していく。そして最後には大雨となって僕の全身を濡らす。皆がその場を立ち去る中、僕は一歩も動くことができなかった。
軍服が静かに重くなっていく。
(まるで、)
涙を出せない僕の為に泣いているようだ───
ふと、そう思った。
雨はいつまでも降り続けた。死者の鎮魂かのように。
しばらくして。
隊長の遺品を片づけなければならなかったが、その必要はなかった。彼女は自分の死期を知っていたようで、自室の私物は何もなかったそうだ。あとは、隊長の執務室だけ。僕は久々に隊長の執務室へ入った。
(ここに、隊長が、いた)
それは遠い昔のように感じる。当たり前のように隣にいて彼女に軽口を叩いたり叩かれたりした頃が嘘みたいだった。彼女の部屋と同様、おそらくここにも何もないだろう。執務室の引き出しを確認する。
「………これは」
一番下の引き出しに、封筒があった。
『クリス少尉へ───サラ=アベカシス中尉』
隊長の文字だ。震える指で、封筒を開けた。
『親愛なるクリス少尉へ
この手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないのでしょう。
クリスには沢山迷惑をかけてしまいましたね。君は私より2つも年下でしたが、色々と苦労したことだと思います。
今もクリスと出会った炎の中を鮮明に思い出すことができます。本来ならば、まだ誰かの庇護下にいる年頃です。ですが君は魔法使いだった為に、私は無理やり軍に連れて行かなければならなかった。君の人生を縛り付けるようなことをして、本当に申し訳なく思っています。』
「隊長……」
そんなこと、思っていたんだ。軍に入ることは、僕が決めたことでもあったのに。
『この次の戦いで戦争も終わるでしょう。クレトリア王国が平和になれば、魔法使いが必要な理由はなくなる。君は自由になれるはずです。
先ほど、君との出会いを鮮明に思い出せるといいましたが、私があのとき言った言葉をクリスはおぼえているでしょうか。』
忘れるはずがない。あの時の言葉は、今も僕の胸の中に仕舞われている。
『「一緒に楽しいことを探しに行こう」、と私は言いましたね。見つかりましたか?見つかっているといいのですが…。見つかっていないのなら、最後まで一緒に探せなくてごめんなさい。それだけが心残りです。でも、私の助けなんか借りなくても、クリスならきっと自分の力で見つけることができるでしょう。君は、強い子に育ったから』
たい、ちょう
『最後に。後追いだとか、弔い合戦とか、そんなことはしないでくださいね。書く必要ないとは思いますが…。私はクリスのことを勝手ながら、大切な部下であると同時に弟のように思っていました。君は、私の誇りです。どうか、元気で。
もう一人の魔法使い サラ=アベカシス中尉より』
どうして、どうして……!
文字が滲む。どんどん歪んでいって、最後には見えなくなってしまった。目を閉じると、あたたかいものが頬をつたう。
「────うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
こらえきれなかった。声が、涙が、感情が───堰をきったように止まらない。
僕はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。手紙を力強く握りしめる。
「隊長、たい、ちょうっ!!」
彼女の亡骸の前、墓の前では、涙なんかちっともでなかったのに。熱いものが胸からあふれ出てくる。
隊長自身が大変だったはずなのに、最期まで僕の心配をしてくれた。
あの、やさしい人はもう、ここにはいない──
その事実が僕を優しく締め付ける。
僕は、あたたかな陽ざしがあたるこの執務室で、幼子のように声をあげて泣いた。
(……あともう一つ、することがある)
僕はある決心をした。
「退軍届です」
戦後の後処理も終え、あらかた引き継ぎも終えた後、グレン少佐に退軍届をだした。
「そうか」
少佐は僕の行動を予想していたのか、表情一つ変えることなくそれを受け取った。
「お世話になりました」
頭を下げる。一応この人にも恩義がある。グレン少佐の隣にいたアレックス少佐が僕に問いかけた。
「クリス…決意は変わらないのか?」
「はい、もう戦争も終わりましたし、僕は必要ないと考えます」
「…………」
アレックス少佐は目を伏せてそれ以上なにも言わなかった。
「失礼します」
僕はもう一度、頭を下げて退出しようとした。
「………まて」
グレン少佐が静かに僕を引き止めた。振り返って見た少佐の顔は、相変わらず無表情だった。
「俺が、憎くないのか」
最後まで触れようとはしなかった傷口を抉られた。
「な……っ」
「ことを進めたのは俺だ。──サラを殺したのは、俺だ」
血が逆流したように感じられた。あなたが、それを言うのか…っ!気づいたら、腰に差していた剣先をグレン少佐の首に向けていた。
「クリス!!」
アレックス少佐の焦った声が聞こえる。僕はもう構わなかった。
「憎いかですって?……憎いに決まっていますよ!!この件に関してもですし、彼女の気持ちを無視したことだって!あなただって本当はっ……!!」
抑えていた怒りが爆発した。剣を持っている腕が震える。もう少しで首に剣先があたる、という状況だっていうのにグレン少佐の瞳は凪いだように静かだった。
本当はわかっていた。
どんなに見ない振りをしても、隠しきれていなかったのだ。
グレン少佐の瞳から注がれる、隊長への愛情を。ほんとうは、グレン少佐も、隊長のことを───。
「俺を殺さないのか?クリス」
「………っ」
剣の柄を握る手に力が籠る。いっそ、このまま殺してしまおうか───もう一度剣を握り直したとき
『クリス、』
隊長の声が胸の中で響いた。
「──────」
僕は、静かに剣を下した。できるはずが、なかった。グレン少佐は、彼は───彼女の愛した人だ。そんな人をこの手にかけるなんて、僕にはできなかった。
グレン少佐は僕の一連の流れを見ていたが、ふっと、微笑した。
「甘いな、クリス」
そう言ったと同時に、少佐は僕の手を掴み───
「!!!」
その体を貫いた。
少佐はゆっくりと崩れ落ち、床をゆっくり赤く染めた。飛び散った血が、僕の軍服に色を付けた。
「グレンっ!」
アレックス少佐が叫ぶ。いきなりのことに、頭がついていかない。この人は何を。そして今僕はなにをした?両手の感覚が麻痺していく。
「な、なんで……」
僕は剣の柄から震える手を離した。
「と、とりあえず誰か人を……っ」
人を呼ぼうとした僕を、アレックス少佐が首を振って制止した。
「駄目だ」
「し、しかしアレックス少佐……!このままではっ」
「クリス!!」
アレックス少佐が僕の肩を痛いくらい強く掴んだ。
「不確かな勘だが……俺は、いずれこうなるってどこかで分かっていた。グレンは、この戦争をサラの為に終わらせようとしていた。でも……サラが死んだ今、彼を生かすものは何もない。」
「………っ」
「しかも原因が自分に因るものだとしたら……彼自身、自分を許すことができないだろう。だからクリス、」
少佐が静かに言った。
「今のうちに逃げろ」
アレックス少佐の一言に衝撃が走った。
「なっ」
「魔法使いをよく思っていない者が、クリスの仕業に仕立て上げる前に……。この場は俺が取り繕う。グレンは俺が来た頃にはもう自害していた、と」
「アレックス少佐……」
「クリス、お前は軍を離れて自由になってくれ。……今までの分も幸せにな。俺は軍に残って、国の平和を守るよ。もう二度と、」
アレックス少佐が言葉を切る。そして、眼に力を込めて言った。
「お前らみたいな魔法使いが犠牲になるようなことがないように」
それは彼の祈りのようにも聞こえた。肩を掴む手の力が抜け、ゆっくりと離れていった。
「………今までお世話になりました」
僕は、アレックス少佐とグレン少佐に敬礼をして、執務室を後にした。
柔らかな草原の上を歩く。
クレトリア王国を出て、いくつかの月日が流れた。僕は、とりあえず世界を見ようと旅をしていた。あてなどなかったが、目的はあった。
『楽しいことを見つける』
まだまだ見つからなかったが、悲観することはない。時間はたっぷりあるのだから。
(ねぇ、サラ隊長)
僕は、胸の中で彼女の名を呼びかけた。
今度はもう、間違わない。最後まで諦めないから。───この命が続く限り。
瞼の奥で、彼女が笑った気がした。
これにて完結です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




