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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第3部:西からの風は大陸全土を優しく包み込む
73/73

第73話:帝国、真の緩衝地帯、新たな大陸の姿の雛形にするわ

「ここから泥が流れ出たんだな。何とかしねぇと大雨のたびに街は泥まみれだぜ」


 ガーディス王城の屋上。

 そこは吹き抜ける風の音だけが支配する静謐な観測の地であった。


 マルコは、欄干にその逞しい腕を預け、眼下に広がる惨状を忌々しげに睨みつけていた。

 王城の北側には、緑を奪われ、剥き出しの岩肌を晒した山岳部がまるで巨獣の死骸のように横たわっている。

 かつて鉄を産み出し、王国の繁栄を支えた鉱山跡は今や大地に深く刻まれた癒えぬ傷跡となっていた。

 保水能力を失った斜面は、天が涙を零すたびに赤茶けた粘土質を吐き出し人々の営みを土色の波で飲み込んできたのである。

 視線を南へと転じれば、かつて黄金色の穂を揺らしていたはずの平原が無残な姿を晒していた。

 行き場を失った水分が沈殿し、茶褐色の堆積物と化した大地はもはや生命を育む力を失っている。

 疎らに生えた雑草さえもが、湿り気を帯びた泥の中で窒息し黒ずんだ死の光沢を放っていた。


 王城は、その荒廃した市街地を見下ろす圧倒的な高台に鎮座している。

 メリーは、瞳を細め、吹き付ける風に髪を踊らせていた。

 彼女の傍らには、常に影のように寄り添うジャックと、手帳に鋭いペン先を走らせる赤毛の姿がある。


「山岳部は植林するしかないでしょうね。畑は水を抜いて、石積みの段々畑のようにすればいいのかしら」


 メリーの声は、凛としていて、それでいて揺るぎない確信に満ちていた。

 彼女が見つめているのは、現在の絶望ではなく、その先にある再起の形であった。


「ああ、土砂が流出していいことなんざ一つもねぇからな。まずは上の方の問題を何とかしねぇと」


 マルコの声が、重く、低く響く。

 麦を作り続けるために酷使され地力が尽き果てた畑は、ただ冷たく湿った土塊として死を待つだけの空間となっていた。


「八百屋の言う通りだわ。死んだ畑は潰すしかないでしょうね。あれだけの広さの土地を遊ばせるわけにはいかないわ。あそこはすべて居住区にしましょう」


 メリーの言葉に、マルコは驚きを含んだ視線を向けた。

 眼前で未来を語る少女は、ただの理想主義者ではない。

 その双眸には、すでにこの地の上に再構築されるべき都市の図面が鮮やかに描かれているようであった。


「嬢ちゃんの頭の中では既に区画整理もできているのか?」


「嬢ちゃんはやめなさい。メリーでいいわ。区画整理なんて簡単よ。あの西門と東門を港に見立てれば、港町レグスと同じよ」


 メリーはこともなげに言い放つ。


「わかった。メリー、八百屋もやめろ。マルコでいい」


「ええ。王城の立地はなかなか理にかなっているわね。建物の状態も悪くない。ここはこのままで良さそうね」


 メリーは城壁の石組みを確かめるように、白磁のような手で触れた。

 城は要塞としての機能だけでなく、都市の中枢としての威厳を今もなお保っている。


「ああ、王城を最北端にし、そこから南に必要な建物を並べよう。この王城に繋がる大通りもそのまま使えそうだな」


「上の方から、王城、行政区画、居住区画、商業区画、一番下に物流区画。そして荷馬車の停留所。こんな感じかしら?」


 メリーの指先が、虚空に配置をなぞる。

 標高の高い場所に統治の核を置き、物流の心臓部を最南端の低地に集約する。

 淀んだ空気と混乱を排し、人が健やかに生きるための完璧な設計であった。


「大したもんだ。一分の隙もねぇ完璧な区画整理だな」


 マルコは感嘆の溜息を漏らした。

 この閉ざされた地獄に、一筋の光明が差し込むのを感じていた。


「言ったでしょ? 港町レグスと同じだって。あそこは復興の雛形よ。高低差のある土地はレグスを、平地はノルトヴァルトを参考にすればいいわ」


「そうは言ってもな……。オレはレグスにもノルトヴァルトにも行ったことがねぇし……」


 苦笑するマルコの傍らで、メリーは不敵な笑みを浮かべた。


「だから私がここにいるのよ。その土地その土地に合った最適な……、ん? 赤毛、それは何をしているの?」


 ふと視線を落としたメリーが問いかけた。

 そこには、周囲の会話に加わることもなく、無心に手帳を動かす赤毛の姿があった。

 手帳に描かれていたのは、単なる写生ではなかった。


「ここから見た景色を模写しているッス。あとで図面を引くときに役に立つッスよ」


 淡々と答える赤毛の手元を覗き込み、メリーは絶句した。

 それは芸術という枠を超え、情報を記録するための研ぎ澄まされた技能であった。


「ちょっと、それ、凄すぎない? 絵が上手いなんて言葉に収まらないわよ」


「そうッスか? 『海鳥』の中には、こういうことができる娘が何人かいるッスよ」


 赤毛はペンを止めることなく、網膜に焼き付けた情報を紙の上へと出力していく。


「人相書きか……」


 マルコが低く呟いた。

 その声には、隠密組織としての『海鳥』の恐ろしさを再認識した者特有の重みがあった。


「そうッス。マルコさんの人相書きも『海鳥』の中で共有されてるッスよ」


「まあ、そうだろうな。で? どんな絵だ? 『八百屋の親父、四十代の渋み』とかの画集になったりしてねぇのか?」


 マルコが冗談めかして笑ったが、メリーの身体がびくりと震えた。


「どこに需要があるのよ? そんな画集……。ん? ……画集? まさか……」


 メリーはゆっくりと首を巡らせ、視線を赤毛へと固定した。

 赤毛はシレっと視線を逸らし、すぐ隣にいたはずのジャックは、いつの間にか気配を消して影へと同化しようとしていた。


「あんただったのね! おかしいと思ったのよ! 『メリーちゃん画集』の風呂上がりで髪を拭いている絵や、自室でパンツ一丁で髪を纏めている絵が、あまりにも『その場で見てました』にしか見えないのはそういう事だったのね!」


 静寂を切り裂くようなメリーの憤慨が屋上に響き渡った。

 しかし、返ってきた反応は、彼女の予想を遥かに超える平然としたものであった。


「「「え!? 今更」」」

「ッスか?」「かよ?」「でございますか?」


 赤毛、マルコ、そして影の中から顔を出したジャックが、まるで打ち合わせでもしていたかのように声を揃えた。


「あんた、私の全裸とか描いてないでしょうね?」


 ジト目で赤毛を問い詰めるメリー。

 赤毛はペンを回しながら、悪びれる様子もなく答えた。


「それは最後の切り札ッス。その気になれば姐さんのあんなトコやこんなトコを微に入り細に入り描けるッス。フルカラーで」


「やめなさい! 切り札って、何の切り札よ!?」


「レグス商会の経営難対策とかッスかね……」


 赤毛の淡々とした言葉に、メリーが反論しようとしたその時であった。

 マルコの表情が険しくなり、顎で南方の空を指し示した。


「おい、メリー。そこまでだ。東門を見ろ」


 冗談を打ち切るその峻烈な声音に、全員が視線を向けた。

 東門へと続く帝国の荒野。

 乾燥した大地から猛烈な土煙が舞い上がり、巨大な龍のように蠢いている。

 その中から現れたのは、整然と隊列を組み、銀色に輝く鎧を纏った騎兵の集団であった。

 風に乗って、蹄の轟音と甲冑が擦れ合う微かな金属音が届き始める。


「ベルンが救援要請をした帝国の連中か……」


 マルコが目を細め、鉄を呑み込むような低い声で呟く。


「本当に救援なの? 軍事侵攻じゃなくて」


「後続の荷馬車を見ろ。ありゃ葉物野菜だ。どう見ても救援物資だろう」


 確かに、幾重にも連なる荷馬車の列には、瑞々しい緑を蓄えた荷が山積みにされていた。

 積み上げられた袋は麦か、あるいは丸芋か。

 飢えに苦しむ民を救うための、確かな生命の糧であった。


「行こう。調査は打ち切りだ」


 マルコの言葉に、全員が頷く。

 メリーは最後にもう一度だけ、茶褐色の重たい大地を見下ろした。


     ──────


「ベルン殿はいるか? エルフィリア帝国が救援物資を持って来たと伝えてほしい!」


 その声は、老境にありながらも峻厳な覇気を湛え、周囲に響き渡った。

 救助活動の陣頭指揮を執っていた国王ヴォルガンが、その威風を察して即座に駆けつける。

 近衛兵を従え、砂塵の舞う東門へと急行したヴォルガンの視界に、馬上で悠然と構える一人の老人の姿が飛び込んできた。

 それは、大陸東部を統べる頂点に君臨する男の貌であった。


「エルフィリア皇帝、救援、感謝します」


 ヴォルガンの言葉に応じるように、カイロス・エルフィリアは鞍からその身を軽やかに降ろした。

 革のブーツが自治区の湿った土を踏み締め、老皇帝は深々と刻まれた眉間の皺を緩めて不敵な笑みを浮かべる。


「おお、アステリア国王、久しいな。お主も現場におるとは、よい国王だな」


 カイロスは儀礼的な距離を縮め、戸惑うヴォルガンの両手をがっしりと鷲掴みにした。

 その掌から伝わる無骨な熱量は、単なる外交上の友好を超えた、現場に立つ者同士の連帯を物語っていた。


「いいえ、遠いところ、ご足労感謝します。――ベルンを呼んで来い! 荷馬車と騎馬の誘導も頼む!」


 ヴォルガンは背後の王国騎士たちに鋭い指示を飛ばし、停滞しそうになる盤面を力強く旋回させる。

 王国と帝国の兵たちが交差し、混濁した秩序の中に新たな供給の動脈が形作られていく。


「うむ。ところでな、ワシはもう皇帝ではない。長男のフィデリオに帝位を継いだ」


 その淡々とした、しかし重い事実の吐露に、ヴォルガンの思考が一瞬だけ凍りついた。

 最高権力者という座は、泥にまみれた最前線で脱ぎ捨てるにはあまりにも巨大すぎる。


「なんと! 知りませんでした。いつの話です?」


「昨日だ」


「昨日!?」


 ヴォルガンの驚愕は、乾いた風に乗って周囲の者たちの耳をも震わせた。

 帝国という巨人の心臓を入れ替えたその決断が、あまりにも唐突であり、かつこの救援に懸ける覚悟の重さを物語っていた。


「国境を越えて王国の地で支援活動をするんだ。皇帝という身分は邪魔にしかならん」


「そんなことは……」


 ヴォルガンは言葉を失い、目の前の老人の、あまりにも潔い退き際という名の献身に圧倒される。

 一国の王として、他国の支援のために冠を置くという行為が持つ意味の重さに胸の奥が熱く焼けるような感傷を覚えた。


「まあ、早めに帝位を継がんとフィデリオにとっても良くないと思ってな。ワシは長く皇帝でいすぎた」


 カイロスの声には、長年背負ってきた重圧から解放された清々しい諦観が宿っていた。

 しかし、その瞳の奥には、一人の武人として、そして指導者として未だ衰えぬ闘志が静かに燃え盛っている。

 ヴォルガンは、どのような言葉を選べばこの巨大な恩義に応えられるのか分からず、ただ沈黙をもって老王の覚悟を真っ向から受け止めるしかなかった。

 彼らの背後では、帝国の兵たちが王国の騎士の指示に従い整然と物資を降ろし始めている。


「皇帝陛下! ベルンです! 不躾な依頼に応えて下さりありがとうございます!」


 混乱を割って、息を切らしたベルンが駆け寄ってきた。


「お主がベルン殿か。西の大商人殿の頼みだ、一も二もなく駆けつけるわい。到着に時間がかかったのは申し訳ないが、この距離ではな……」


 カイロスは鷹揚に笑い、自らの行動が引き起こすであろう政治的な波紋など最初から考慮にないかのように振る舞った。

 その背後から、一人の若者が、静かな、しかし確かな足取りで一歩前に進み出た。


「ベルンさん!」


「サフィアンさん!」


 サフィアン・エルフィリア。

 かつて西の大商人を学ぶために国境を超えた元第二皇子。

 二人の男の視線が交差した瞬間、言葉以上の熱い信頼がこの地で再び結ばれる。


「お久しぶりです。我らエルフィリア帝国、今こそ昨年の飢饉の折のご恩を返す時。精一杯働かせていただきます」


 サフィアンの声音は、皇族としての重みと友としての誠実さを完璧に調和させていた。

 彼が見つめているのは、返すべき恩義であり、そして共に築き上げるべき未来であった。


「そんな……。やめてくださいサフィアンさん」


 ベルンは照れ臭そうに視線を彷徨わせる。

 かつての恩を「当然の職務」と捉えていた彼にとって、帝国の全力の恩返しはあまりにも過分に感じられた。


「ちょっと皇族としての挨拶っぽく言ってみただけですよ」


 サフィアンは悪戯っぽく微笑むと、泥に汚れたベルンの両手を力を込めて握りしめた。

 その笑顔は、かつて一緒に最果ての地へと赴いた時と何ら変わらぬ輝きを湛えていた。


「ベルン、作戦会議だ。帝国からの人員と物資を無駄にはできん。体制を組み直そう」


 ヴォルガンの峻烈な声が、再会の感傷を実りある「仕事」へと引き戻した。

 彼の双眸は、帝国の圧倒的な戦力をどのように配置すれば、一秒でも早くこの地獄を浄化できるかを見定めている。


「はい。あそこの天幕が使えます。作戦本部にしましょう」


 ベルンが、王軍の幕舎が並ぶ一角を指差した。

 そこは、これからのガーディス自治区の命運を決定づける思考の最前線となる場所であった。


「カイロス殿、サフィアン殿、こちらへ」


 ヴォルガンは先を歩き、二人を幕舎へと誘う。

 泥を跳ね上げ、未来へと進む男たちの背中に、東の空から差し込む陽光が長い影を落としていた。


     ──────


 王城へと真っ直ぐに伸びる中央大通りの交差点。

 瓦礫が撤去され、辛うじて秩序を取り戻し始めたその一角に、いくつもの天幕が肩を寄せ合うように並んでいる。

 吹き抜ける風が厚手の布を力強くはためかせ、乾いた土の匂いを中へと運び込んでいた。

 その一つ、即席の作戦本部として設えられた天幕の内部には、重厚な沈黙が淀んでいる。

 中央に置かれた無骨な木のテーブルを囲むのは、大陸の運命を左右し得る、あまりにも巨大な影を背負った者たちであった。

 揺れる灯火が、ある者の銀色の甲冑を、ある者の泥に汚れた衣服を、代わる代わる照らし出していく。

 ヴォルガンは自身の掌にある土を払い落とすこともせず、眼前の者たちを峻烈な瞳で見据えた。


「改めて挨拶をしたい。アステリア王国国王ヴォルガンだ。帝国からの救援に感謝する」


「うむ。エルフィリア帝国元皇帝カイロスだ。帝位は長男に継いだ」


「エルフィリア帝国元第二皇子サフィアンです」


「アステリア王国王兄アルベルトだ」


「アステリア王国宰相ガメルです」


「ガーディス第三王子マルコスティーノだ」


「ベルンです」


「メリーよ」


「おお! お主がメリーちゃんか。聞いておった通り、美しい娘だな」


 カイロスが驚嘆の声を上げた。

 巷に語られる救世主の正体が、目の前の可憐な少女であるという事実に老皇帝は愉快げに目を細める。


「メリーさん、お久しぶりです」


「お久しぶりね、サフィアン。カイロス元皇帝陛下は初めまして」


 メリーは貴婦人としての完璧な所作で応じる。


「お主の西側大穀倉地帯構想、帝国はあれ無しに飢饉を乗り越えることはできんかった。感謝する」


 カイロスの感謝は、一国の皇帝が捧げるものとして、これ以上ないほどに重い。

 広大な帝国を救ったのは、武力でも権力でもなく、一人の少女が描き出した「食糧」という名の地図であった。


「西の辺境と東の帝国では勝手が違ったでしょうに。形にできたのは帝国の力です。礼を言われるようなことじゃないわ」


 謙遜ではなく、ただ厳然たる事実を述べるその態度は、彼女が既に個人を超えた「機構」の一部であることを示唆していた。


「うむ。なんだかやけに王族・皇族が多いな。なんとも贅沢な面々だ」


 ヴォルガンが、どこか自嘲気味に呟いた。

 大陸の歴史を揺るがす名を持つ者たちが、一つの天幕で膝を突き合わせている。

 その異様さが、ガーディス自治区という地が抱える、絶望の深さを逆に際立たせていた。


「ああ、指揮系統を統一しないと混乱しそうだ。船頭増やしてなんとやらだな」


 マルコが言葉を継ぐ。

 各々が強大な権限を持つこの集団において、意思決定の混乱は致命的な被害を招くことを彼は戦場を知る者として見抜いていた。


「ベルン、指揮系統を整理しろ」


 現場の指揮を執り続けていたベルンへ、ヴォルガンからの厚い信頼を乗せた短い指示が飛ぶ。


「はい。まず僕とサフィアンさん、ガメル宰相が物資と人員の管理をします。救援担当はヴォルガン陛下とマルコ殿下、復興担当はアルベルト殿下にお願いします」


「この後、アイゼンハイド侯爵が到着すると思います。アルベルト殿下の指揮下に入れてください。帝国兵も復興担当にします。これもアルベルト殿下にお願いしたい」


「ジャックさんは『梟』と『海鳥』を。ここはヴォルガン陛下、アルベルト殿下、そしてセレスタインのメリーさんにとっての敵地です。また、帝国の方々に何かあれば国際問題の火種になります。警備と護衛を任せます」


「承知」「了解」「わかった」


 それぞれが短く返答する。


「そして、総司令官にメリーさん。その補助にカイロス元陛下がついていただきます」


「私!?」


 メリーの瞳が驚きに揺れる。

 これほどの巨頭たちが揃う場で、全権を委ねられるという事の意味。

 それは、彼女の存在がもはや王家の権威さえも凌駕したことを、公式に認める宣言であった。


「承知」


 カイロスは躊躇なく頷いた。


「ああ、メリーしかいないだろう。最適な配置だと思うぞ」


 アルベルトの声には、絶対的な信頼が込められていた。


「任せたぞ。総司令官」


 ヴォルガンの言葉は、この地の命運を彼女に託すという重い契約であった。

 メリーはしばし沈黙し、溢れ出す責任の重さをその細い両肩で受け止めた。

 やがて彼女は、エメラルドグリーンの瞳を鋭く輝かせ毅然として頷いた。


「……わかったわ。では早速権限を行使するわ。サフィアンを私につけなさい。やってもらいたい事があるわ」


「わかりました。サフィアンさんの代わりに王国騎士団の団長を任命しておきます」


「承知しました」


 ベルンとサフィアンが、新たな命令を即座に受け入れる。

 停滞していた歯車が、一人の少女の号令によって、猛烈な速度で回転を始めた。


「各隊の隊長は、まず自分の部下を動かしなさい。人員が余った場合、直ちにベルンの元に送って。適宜配置させるわ」


「追加の救援部隊が来た場合、私の独断で使うわ。どう考えてもあの筋肉だるまは来るでしょうし……」


 メリーの言葉に、アルベルトが眉を寄せた。


「追加の救援部隊? 筋肉だるま? まさか……マクシミリアンか?」


「そうよ。辺境伯領に救援要請をしたじゃない? 辺境伯自身が自領を離れられない状況で打つ手としては十分に考えられるわ。それに気付かないアンナマリーさんじゃないと思うのよ」


 彼女の推測は、確かな根拠に基づいていた。

 ノルトヴァルト領の開拓者たち、そして、アンナマリーという女性が導き出す「正解」を確信している。


「そうか。そうだよな。この地に必要なのは彼らだ。アンナマリーなら気付く。その通りだ」


「はいはい。惚気はそのへんにしておきなさい」


「ぐっ」


 メリーの容赦ない一喝に、アルベルトは言葉を詰まらせる。

 その微笑ましいやり取りを打ち消すように、サフィアンが深い感銘を受けた様子で呟いた。


「アイゼンハイド侯爵、マクシミリアン殿、そして私。やるんですね? 『利益に見合わない損害』。真の緩衝地帯の造成を」


「そうよ。救済に頼らずに自ら糧を生み出す。そして、その畑が国境を守る。新しい国境の雛形をここに造るわ」


「わかりました。帝国側は私に任せてください。幸いと言ってはなんですが、ここの東の荒野は私の領地です。こんなこともあろうかと、国境沿いの領地を全部譲ってもらっておいて良かった」


 サフィアンの告白に、メリーは満足げに頷いた。

 それは偶然ではなく、彼もまた、メリーの構想を実現するために長い年月をかけて牙を研いできたことの証明であった。


「さすがの慧眼ね、サフィアン。ここの西は私の領地よ。私の権限で好きに使うわ」


 メリーは自信に満ちた笑みを浮かべる。

 東西の地平を繋ぐ二人の知性が、国境という名の概念を根底から書き換えようとしていた。


「すまんが、話が見えねぇんだが?」

「私もだ」


 マルコとヴォルガンが困惑した声を漏らす。

 彼らの知る常識が、今、目の前で粉々に打ち砕かれようとしていた。


「三年前でしたか? メリーさんからアイゼンハイド侯爵に語られた話です。国境線を全て穀倉地帯にする。そこで戦争が起きれば作物は全滅し、血が流れれば土地も死ぬ。利益に見合わない損害をそこに置き、戦争をすることさえも許さない」


 サフィアンの解説に、ヴォルガンは戦慄した。

 それは武力による平和ではなく、経済という名の鎖で戦争という選択肢そのものを不可能にする恐るべき戦略であった。


「よく覚えていたわね。あなたはただの夢物語としてではなく、実現可能な話として聞いてくれていたのね」


「当然です。私はずっと、それを実現する方法を考え続けてきました」


 サフィアンの言葉には、確固たる信念が宿っていた。


「ありがとう、サフィアン。あなたがそう考えてくれたのなら大丈夫だわ。王国側は私に任せなさい」


 メリーの宣言は、もはや一国の枠を超えた大陸全土の枠組みを書き換える重みを持っていた。


「そんな壮大な構想があったのか……。当時のアイゼンハイド侯爵が王都を離れたのもそれか……」


 ヴォルガンは、自身の足元で静かに進行していた「西の脅威」の正体に今ようやく辿り着いた。

 メリーとアルベルトが西側を復興してきたのは、それ自体が目的ではなかった。

 真の目的は、未来の王国の、そして大陸の在り方を変革するため。

 それは、復興でも再興でもなく、まさに造り替えるという意味そのままの再建だった。


「アイゼンハイド侯爵は、メリーさんたち西側の構想に大陸の未来を見た気がすると言っていました」


 サフィアンの言葉が、ヴォルガンの胸に深く突き刺さる。

 王として、支配者として、自分は何を見てきたのか。

 目の前の少女が描く、果てしない地平の広大さに彼は自身の矮小さを思い知らされる。


「ああ、その通りだな。私も理解したよ」


 ヴォルガンの声には、憑き物が落ちたような清々しさが宿っていた。

 もはや疑念も迷いもない。

 この少女が導く未来を、自らの手で切り拓くという純粋な決意だけがそこにあった。


「オレも理解した。未来を生きる地。そういう事なんだな」


 マルコもまた、自身の責務を正しく認識した。

 ガーディスの再生は、ただの懐旧ではない。


「そうよ。このガーディス自治区自体を王国の、いえ、新たな大陸の姿の雛形にするわ。新生ガーディス商業国、ここの復興はただの救済じゃない。未来の大陸の縮図よ」


 メリーの言葉は、絶望に沈んでいた人々に新たな定義を与えた。

 彼らはもはや哀れな被災者ではない。

 新時代の幕開けを担う、最初の開拓者となったのである。


「ああ、その通りだ。さすがメリーちゃん、国王の私より王の器だな。負けてられん」


 ヴォルガンが豪快に笑った。

 王としての矜持を刺激され、その瞳には再び不屈の闘志が燃え上がっている。


「くっくっく。三年前? 当時十五歳でそれか? バケモンだな。ただの美人の姉ちゃんじゃなかった」


 マルコが感嘆の声を漏らし、呆れたように肩をすくめた。

 しかし、その表情には、これほど頼もしい指導者と共に歩めることへの深い安堵が浮かんでいた。

 カイロスは一言も発せず、ただ静かに頷いた。

 その沈黙こそが、老皇帝からの最高級の賛辞であった。


「さあ、まずは人員を整理しなさい! 動けるようになった住民も使うわよ!」


 メリーの鋭い一喝が、天幕を震わせた。

 停滞を許さぬその号令は、死を待つだけだった自治区を、生を謳歌する巨大な工事現場へと一瞬にして変貌させた。


「「「おう!」」」


 各員から、腹の底から響くような咆哮が返った。

 王も、皇子も、商人も、諜報員も。

 すべての境界線が消失し、一つの巨大な意志となった男たちが一斉に天幕を飛び出していく。

 吹き込む風は、もはや土臭い死の風ではなかった。

 東の空からは、分厚い雲を切り裂き、黄金色の陽光が大地へと降り注ぎ始めていた。


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