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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第1部:野生の伯爵令嬢、野良王子を拾う
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第5話:足跡、潮騒、その青の始まり

「ジャック、その大鹿の肉は底へ。アル、水筒の確認を」


 夜明けの薄明が山肌をなぞる頃、撤収の号令が飛んだ。

 昨夜の凄惨な蹂躙と、契約の儀。一行は山脈を背に、眼下に広がる街を目指す準備を進めていた。


 傍らでは、老人が音もなく動いている。

 ジャックはメリーの指示を待つまでもなく、焚き火の痕跡を泥で埋め、回収した金貨の袋や物資を三人分の荷袋へと最適に分配し終えていた。

 その一挙手一投足に無駄はなく、かつて『梟』として影を渡り歩いた職能の片鱗を提示している。


 一方、もう一人の男は、歪に膨らんだ荷袋の前で立ち尽くしていた。


「メリー、この荷物はこれでいいのか? どうも……収まりが悪いのだが」


 アルが困惑の表情で、革紐と格闘している。

 指先は微かに震え、結び目一つ作るのにも不自然な時間が流れる。

 王族として傅かれることに最適化されたその手は、重い肉や雑多な日用品を荷詰めするという卑近な現実を前に、ただ持て余されていた。

 両親を殺された絶望以前に、彼は「生活」という名の武器を持たざる、裸の赤子に等しい。


「入れ方が雑ですわ、アル。重心が偏っています」


 メリーは彼の手から荷袋を奪い取ると、無駄のない動作で中身を詰め直した。

「そんな足取りでは、下山の途中で荷崩れを起こして笑いものになりますわよ。街へ降りれば、そこは他人の視線が支配する場所。その不器用さ一つが、私たちの首を絞めるのですわ」


「……承知した。ボロが出ないよう、善処する」


「『善処』ではなく、呼吸をするようにこなしなさい」


 メリーは冷たく言い放ち、荷袋を彼の胸へと押し戻した。

 (二人の大人が私の『手足』として機能するまで、どれほどの教育コストがかかることやら。……前途多難ですわね)


 嘆息を噛み殺し、メリーは歩き出す。

 険しい岩場が終わり、腐葉土の柔らかな感触が足裏に伝わり始める。

 空気の密度が変わった。

 山頂付近の刺すような冷気は和らぎ、代わりに湿り気を帯びた重みのある風が、木々の隙間を吹き抜けていく。


「メリー。君は、街へ着いたらまず何をしたいのだ? やはり、まずは温かい食事か?」


 背後から、アルが的外れな問いを投げかけてくる。

 慣れない山道の歩行と背中の重みに喘ぎながらも、父親役を意識しているのか、その顔には悲壮な決意と、隠しきれない世間知らずの不安が張り付いている。

 メリーは振り返りすらしない。


「まずは、この泥と血の匂いを落としたいですわね。それから、今後の拠点を決めるための情報収集。浮かれた予定などありませんわ」


 下山を開始して数時間。

 突如として、視界を遮っていた木々の檻が尽きた。


「……」


 彼女は足を止めた。

 視界の端から端までを、暴力的なまでの「紺碧」が塗り潰している。


 水平線。

 蔵の古書『蒼き境界の向こう側』の挿絵など、単なる記号に過ぎなかったと思い知らされる。

 太陽の光を乱反射させ、銀の鱗を撒いたように波打つ巨大な水塊。

 自分を捨てた家も、血を流し合った刺客たちの記憶も、すべてを飲み込んで余りあるほどの圧倒的な質量。

 潮騒の轟音が、重低音となって大地を震わせている。

 

 メリーは肯定も否定もせず、ただその無機質な青さを瞳の奥へ沈めた。

 それは、彼女を閉じ込めていた伯爵邸の石壁や、冷え切った山の闇とは対極にある、残酷なまでに開かれた「自由」の色彩だった。


「……行きましょう。日が暮れる前に街へ入りますわよ」


 メリーは振り返り、二人の「家族」に顎をしゃくった。


「ここからは、ただの親子ですわ。……お父様?」


 試すような視線に、アルが一瞬詰まり、ぎこちなく頷く。


「あ、ああ。……行こう、メリー」


 一行は、山の出口へと続く最後の一歩を踏み出した。

 偽りの仮面を被った三人の、新しい生存戦略が始まる。


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