第38話 ハンバーグはデミ
火曜日、透子はいつも通り高山柚月のマンションのインターホンを押し、短く名乗ってから扉が開くのを待つ。
ドアの向こうから「どうぞ」と聞き慣れた声が返ると、自然と気が引き締まった。
「本日もよろしくお願いします」
「お願いします」
今日のメニューは、透子が昨晩までに配信をリサーチして決めたもの——ハンバーグ。
柚葉の過去配信では、ハンバーグが好きと話していたことがあり、前にオムライスを作った際もデミグラスを選んでいた。味の傾向を踏まえ、デミグラスソースの煮込みハンバーグを用意することにしたのだ。
「今日はハンバーグをお作りします。デミグラスソースで煮込む形で」
透子が伝えると、柚月はぱっと表情を明るくした。
「ハンバーグ!すごく楽しみです」
最近の柚月は、喜びも驚きも、以前よりずっと素直に口にするようになっていた。初めの頃の硬さが嘘のようで、透子としてもやりやすい。
(最初の頃は、やっぱりバレないように、声のトーンや反応も控えてたんだろうな)
少し寂しくもあり、今の関係が築けていることを嬉しくも思う。
エプロンを整えて手を洗い、下準備を進める透子の背中を、柚月は静かに見守っていた。そんな雰囲気の中、ふとしたタイミングで話題が上がる。
「カレーめちゃくちゃ美味しかったって美鈴が言ってました」
透子は、嬉しそうに笑った。
「高山様からのご依頼でもありましたので、気合いを入れてお作りしました」
その答えに、柚月がふふっと笑う。
「あの子、料理もできるし、部屋も汚くないのにね。春野さん呼ぶ必要なかったはずなのに……カレーでファンになっちゃったみたいです」
「確かに、調味料も器具も揃っていましたし、冷蔵庫も整理されていました。ただ、素人では手が届きにくい部分もあるので、そこを重点的にお掃除させていただきます」
「うーん、私もできるようにならないとなぁ」
「最近は部屋も整ってきていますし、高山様も少しずつ生活に向き合っておられるように思います」
「……そうですかね。そう言ってもらえると、ちょっと自信になります」
柔らかい声でそう返す柚月に、透子も穏やかに頷いた。
キッチンからは、じゅうじゅうという焼き音が広がり、やがてデミグラスの濃厚な香りが漂い始める。
ハンバーグを煮込む鍋の湯気が、まるで今日という時間を温めるように、部屋の空気を包んでいく。
「……すごくいい匂い」
「お待たせいたしました」
リビングに料理を並べ、カトラリーを整え、食事の準備を済ませる。
「いただきます」
柚月は一口、ハンバーグを頬張ると、口を覆うようにして目を細めた。
「美味しいです! やっぱり、春野さんのご飯って、ほっとする味がします」
その素直な喜びに、透子の心がほぐれていく。
静かにリビングを後にして、キッチンへ戻る。
(だめ……ここでファンが出たら、プロ失格だ)
そう自分を戒めながら、静かに皿を手に取り、水を流す。
洗い物をしながら、ふと視線を柚月へ向けると、彼女は幸せそうに、ゆっくりとハンバーグを味わっていた。
画面越しの「柚葉」ではなく、ここには確かに「高山柚月」としての彼女がいる。
(この人の日常に関われてるんだ)
それが不思議で、嬉しくて、誇らしかった。
洗い終えた皿を丁寧に拭きながら、透子は静かに思う。
(この仕事をしていて、本当に良かった)
そしてまた来週も、喜んでもらえるような献立を考えよう。そう心に決めた。




