第13話 初めての作り置き
一週間後、午後一時。
透子が再び柚月の部屋を訪れると、ドアの向こうには前回よりも落ち着いた様子の柚月が立っていた。マスクと眼鏡は相変わらずだが、どこか表情が柔らかい。
「こんにちは、春野です。本日もよろしくお願いいたします」
「お願いします」
扉が開き、室内に入ると、前回の清掃の成果がしっかりと保たれているのがわかった。床に物はほとんどなく、通路も確保されたままだ。キッチンまわりは……多少の生活感はあるが、ゴミが散乱するようなことはなかった。
(ちゃんと維持されてる……すごいです)
透子は胸の中でそっと感心しながら、いつも通り清掃用具を準備する。そして今日のもう一つの目的——作り置き料理の下準備へと話を進めた。
「本日は清掃に加えて、簡単な作り置きの準備をさせていただきます。」
シンクは空で、油汚れも少ない。料理は全くしていない様子で調味料も皆無。冷蔵庫を開けても、飲み物と市販のゼリーくらいしか入っていなかった。
「サイズを揃えた保存容器をいくつかご用意させていただきました。よろしいでしょうか?」
「はい。任せます」
確認を終えた透子は、携帯端末で今日の献立に使う予定の食材リストを読み上げた。
「今回は、以下のメニューを予定しております。 一、鶏むね肉の塩麹焼き 二、かぼちゃとひじきの煮物 三、小松菜と油揚げのおひたし これらは冷蔵で三日、冷凍で一週間ほど保存が可能です」
柚月は静かに頷いた後、少し口を開いた。
「すごい……」
「ありがとうございます。できるだけご負担のない形で、栄養バランスを整えられるように心がけています」
透子はエプロンをつけ、持参したエコバッグから調理器具と食材を取り出した。まな板、包丁、鍋、計量カップ、そして香味野菜や調味料の小瓶まで、すべてがコンパクトに収まっている。
その様子を、柚月はソファーの影から静かに見守っていた。
やがて部屋には、ほんのりと出汁の香りが広がる。ひじきが鍋の中で柔らかく踊り、塩麹に漬けた鶏肉がじゅうと音を立てながら焼かれていく。
「いい匂い」
ぽつりと漏れた言葉に、透子は笑顔で振り返る。
「香りだけでも楽しんでいただけたなら、嬉しいです」
その日、透子が残した三種の作り置きは、それぞれ透明のタッパーに入れられ、冷蔵庫の上段に整然と並べられた。
最後に冷蔵庫の温度管理を確認し、透子は言った。
「来週も、同じように三品を目安にご用意してまいります。リクエストなどございましたら、お気軽にお知らせください」
「はい。食べるのすごく楽しみです」
料理をしている透子の背中を見ながら、柚月の胸の中にふいに湧き上がった感情だった。小さな声でも、その言葉には迷いがなかった。
「ありがとうございます。お料理は得意なので食べたら感想聞かせてください」
透子の言葉に頷きを返す柚月。
リビングの窓を開けると、春の風がふわりとカーテンを揺らした。透子はその風を感じながら、ほんの少しだけ心を弾ませた。
この部屋に、穏やかな日常が少しずつ戻ってきている。




